2011/11/25

デカメロン
















昨日の夜 嫁さんがジョギング中に見つけたと言って大きなカタツムリを連れて来た
殻だけで直径10cm以上はある 中身もでかい

葉っぱを食べてるようだが 耳をすますと サクッ サクッ と聞こえる
なんとなくカタツムリって少しずつ溶かして食べたりしてんのかなと思ってたけど
ちゃんと歯があって噛んでいるようだ

その証拠に葉っぱはみるみるうちに食べられてなくなっていく

しかしなかなかカワイイやつで わたしも嫁さんもえらく気に入り
よし うちで飼ってみようという事になり
嫁さんは飼育できそうな容器を探し わたしはインターネットで飼育方法を検索してみた

ところが 調べてみるとこのカタツムリ かなりのクセ者
いや クセ者なんてレベルじゃねーぞ!!

名前は「アフリカマイマイ」と言って その名の通り原産はアフリカらしい
このカタツムリは体に広東住血線虫という寄生虫を宿していて
触ったりするとそれが人間にも移り それが厄介な病気を引き起こし
場合によっては死に至るらしい

アフリカマイマイ


これを見た直後にすぐに大声で嫁さんを呼んだ! ワイフカモーーーーン!!!

ネットを見る前とは打って変わって今度は厳戒態勢になった
わたしはマジックリンで彼の這った机の上を念入りに拭き
嫁はビニールの手袋をはめ 慎重に彼を別のビニール袋の上に移動させた

こやつ生命力も繁殖力もはんぱねーらしく
色んな植物を食い尽くしたり 他の種を絶滅させたりしているとんでもねー野郎だ
こんなカワイイ顔しやがって ええ? おいこら
ここが気持ちいいんだろ?と目をつっつくと イヤンッと引っ込める

しかしジッと見てると本当に興味深い生き物で
なんとか家で飼いたいなと色々考えたが やはり危険すぎるということで
手袋をした嫁さんがソーーッとビニール袋に入れ 家の近くの草むらまで運びお別れをした

家に帰ってくると我先にとキッチンへ向かい 念入りに手を洗った


わてらどんだけビビっとんねん!!!

2011/11/24

カーニバル


























20代の頃に よく見ていた夢がある

都会らしき街の中のとある一角
待ち合わせにちょうど良さそうな
小さな時計台のような塔がある小さな花壇 その花壇を背にして
囲むように置かれた四つの長いベンチ
わたしはそこで誰かを待っている

するとどこからか甲高い声が聞こえる

オーーーーイ オーーーーーーイ

どこから聞こえてくるのかわからない声
わたしは微動だにせず まっすぐ前を見ているが
そこには何もなく真っ白な世界が広がっている

オーーーーーーーーーーーイ

急にひときわ長く聞こえたかと思うと 急に視界の左端に
奇妙な被り者をした奴が こちらに向かって手を振っているのが目に入る

オーーーーーーイ  なんでいつもそうやってすぐ逃げるんだよーーーーー

わたしは彼から目がはなせない なんだアレは
ひどく奇妙な格好をしているが自然と怖くはない
とても懐かしい古い知人のような感じもする

なんで逃げるんだーーーーーー エエェーーーーーー?

そして奴は一歩ずつゆっくりと まるでスローモーションのように
こっちに向かって歩き始めた
わたしの心臓は急に高鳴り始め 鼓動がどんどん早くなる
なにかわからないが このままではまずいと自分の直感が言っている
奴は少しずつ近づいてくる

オーーーーーーイ

心臓が口から飛び出そうになる 目を前開に見開いたまま瞬きもできない
もうだめだ まずい このままでまずい
あとずさりしようとして左足を一歩後ろに引こうとしたその瞬間
奴が急に目の前に現れる

アアアアアアアつかまえ


そこで目が覚める


最近奴を見ないが はて

2011/11/20

一八と歩こう























ぼくは生まれたときから目が見えなかった。医者はブルーベリーを食べれば見えるようになると言い、母は毎日ぼくにブルーベリー入りのヨーグルトを食べさせた。しかしその甲斐むなしく、いっこうに目がよくなる気配はなく、ぼくが4歳のとき父はついに勤めていた会社を辞め、ブルーベリー農家に転職した。収穫は毎年順調で、母が売り始めたヨーグルトも大当たりし、ぼくの家は前よりも裕福になった。しかしぼくの目はやはり見えないままだった。

 ぼくは小学校までは近所の普通学校に通っていたものの、中学校は家からかなり遠く、自力ではとても通えそうになかった。中学校進学をあきらめかけていたとき、父が”虎の子”を連れて来た。

 ぼくと同じ年の子で、名前は一八(かずや)。一八の祖父は純粋な虎だったが、ロシア人の女性と結婚し、その間に一八のお父さんが虎と人間のハーフとして生まれ、お父さんも純粋なウズベキスタン人と結婚し一八が生まれた。一八は言葉がまったくしゃべれなかったが、聞いて理解する事はできた。一八はブルーベリーが大好きで、将来はうちの農園で働きたいと思っていたらしく、一八のお父さんが前からうちの父に相談していたそうだ。一八はその日からうちに住み込み、昼間はぼくを連れて中学校へ行き、夜は農園でうちの仕事を手伝い始めた。

 一八はいつも無言だったが、体からはブルーベリーのにおいがするので、一八がそばにいることがすぐにわかった。移動するときは、ただただそのにおいを追いかけて歩いていた。ぼくは学校には友達が全くいなかったが、一八のおかけで寂しいと思ったことは一度もなかった。ブルーベリーのにおいがするだけでぼくは充分だった。ときおり一八の温かく毛深い手がぼくに触れることが、たまらなく幸せだった。

2011/11/15

脱・が・さ・な・い・で























当時一世を風靡したアイドルグループのメンバーが
自宅の玄関で待ち伏せていた男に襲われ
肛門にリポ○タンDを突っ込まれるという事件が起こり
四日後 大手製薬会社の契約社員の男が逮捕された

この事件に 当時デビュー直前だった別のアイドルグループがショックを受け
顔見せを拒否したままデビューするという前代未聞の出来事が起こった

[A]nime [F]estival [A]sia

先週日曜 雨の中 アニメフェスがあるっていうから行ってきたんだ

会場の前には いるわいるわ コスプレイヤーたちがいるわいるわ
いままでコスプレの人ってあまりちゃんと観察したことなかったけど
よーーーく見てみると色んな素材でがんばって作っててさ 見てると
きっとこれを何ヶ月間も一生懸命作って
そしてついに完成した瞬間に涙して喜んだのかな〜とか
そんなことが頭に浮かぶくらい なんか見てても心がホットになったよ
そしてたまに胸チラとかも見えて体もホットになったよ

















そんで東京ビッグサイトみたいなホールに 色々アニメに関するブースが展示してあり
会場内は東南アジア中から集まったオタクで溢れ返っていた
シンガポール人の他は インドネシアやマレーシアからもたくさんのオタクが
まぁ俺のその中の一人だから あの日から俺はオタクになったんだな
何オタなんだろう俺は

でも実はあたしワンピースも読んだことないんで あの会場でわかったのは
ナルトとガンダムくらいかな なぜかAKB48のブースもあったけど
あとは全部名前を聞いたことある程度 初音ミクとか イカ娘とか
まぁ普通にカワイイと思う テレビとかでよく見る等身大の抱き枕とか欲しい

こっちのオタクも見た目は日本と本当にそっくりで
ほんとにただ人種が違うだけで あとは一緒なんだけど
なんというか 日本のオタクにたまに見られる卑屈さみたいなのがなくて
本当に純粋にキラキラした目でアニメを愛してるって感じがした
って俺が思ってるだけかもしれんけども

























んでニコニコ動画のブースがあって 生放送してたんで
前列の方でずーーっと見てたんだけど そしたら急にゲストです!!って言って
水木一郎さんがやってきた
























やっぱり声が最高に渋くて テンション高いけど上品そうなオジサンだった
あとちょっと菅直人に似てた


そして会場に前に日本語を教えてたAKBアニオタのインドネシア人の学生がいて
今日のAKBの握手会の券がありますけど山口さん欲しいですか?って言うから
もちろんですくださいくださいってもらって 夕方4時頃からだっていうんで
その頃にまた待ち合わせて AKB48のブース近くで握手会が始まるの待ってたんす

そんでどうするのかなって思ってたら
山口さんそろそろあの辺りに行ってくださいって言うから
あれ?一緒に行かないんですか?って聞いたら
「ええ 今日の子は推しメンじゃないんで」
っつって俺一人で並ぶハメになって ちょっと恥ずかしかった

ちなみにその握手してくれたメンバーはテレビには全然出ないような子だったんだけど
その学生に推しメンはちなみに誰なんですか?って聞いたら
顔をほころばせながら「渡部まゆゆです」と言ってた

そんなこんなで 日本の文化はとっても愛されてるなと感じた楽しい一日だった

次回は俺もコスプレしてみたいな 何がいいかな
「たまのドラム」くらいしか思いつかない














2011/11/12

WE ♥♥♥ SINGAPORE

さてあっというまに最終日三日目

今日はリゾートアイランド セントーサ島を見てまわるということで
両親と妹夫妻は 朝早くにホテルをチェックインし 
タクシーでセントーサ島近くのデパートまで来てもらう予定だったが
待てども待てどもいっこうに来ない
20分近く遅れてようやく電話がかかってきて
なぜか地下鉄で来たというので 駅まで迎えにいく
なぜタクシーで来なかったのか聞くと
どうやら昨日の晩飯のあと タクシーでホテルまで帰ったときに
タクシーで夜間の割り増し料金を追加されたのを ぼったくられたと勘違いしたらしく
今日は用心して地下鉄で来たという
なんとも日本人らしくてしっかりしてるなと思ったが
これくらい用心深くないとダメですよやっぱり

時間はすっかりお昼になり 前日の雨がうそのように太陽が出てきて見事な快晴
デパートから出ているモノレールに乗り みんなでセントーサ島へ行き
まずはユニバーサルスタジオ・シンガポールの前で各自記念撮影
妹夫婦は中に入りたそうだったが 今回は時間がないのでおあずけ

ポップコーンを食べながらセントーサ島にある大きい方のマーライオンまで歩いて行き
妹夫婦だけマーライオンのてっぺんに登った
父などは高い所がダメなので問題外です

それからまた炎天下の下を歩いてビーチの方に行ってみる
今までなぜか気づかなかったが セントーサ島にはけっこうアトラクションがある
屋内で 下から風が出てスカイダイビングが体験できるのもあったが
値段が非常に高くクソ金持ちどもの遊びのようだったので
わてら一般庶民家族は 丘の上からのゴーカートに乗ることにした
しかしこれも丘の上まで登るのにリフトに乗らなければいけないので
高い所がダメな父は問題外です
嫁さんもやらないということで 母と妹夫婦と四人でゴーカートを楽しんだ

そのあと今度はビーチに行ったが 泳ぐ準備はしてきてないので
少しだけビーチを散歩し 少し遅い昼飯を食い 島内バスに乗ったり
ヘビを持って記念写真撮ったり 森の中を歩いたりした
しかしさすがに夜の飛行機の時間までここで時間を潰せそうもないので
セントーサ島を出て また地下鉄で市街の方に行くことにした

向かったのはアラブストリートと呼ばれる
イスラム系のお店などが密集しているエリア
有名なモスク(イスラム教のお寺)があるので そこをまず見学しようと思ったが
もう夕方なので残念ながら見学の時間はすでに終了していた
しょうがないので街をブラブラ歩いていると カフェの店先で
水タバコを吸っている人達が目に入り 妹の旦那さんがぜひ吸ってみたいというので
そのカフェで茶を飲みながら水タバコを試してみることに
みんな水タバコなど初めてなので キャーキャー騒いでいると
新鮮なリアクションに店員も笑顔で色々と吸い方などを丁寧に教えてくれた
紙タバコとは違いとても吸いやすく 水蒸気を吸っているみたい感じなので
妹も母も 旦那さんからパイプを借りて 生まれて初めてのタバコを楽しんだ
母が口から煙を吐き出す姿はとても滑稽で 心の中で爆笑した
しばらくタバコとお茶と会話を楽しみんでから店を出て
妹夫婦と母たちは街を見て 父と嫁と3人で違うカフェに入りまたビールを飲んだ

20分ほどゆっくりしていたら 気づくともう日が沈んでいたので
みんなで合流し 近くのタイ風中華レストランに入り晩飯を食べることにした
また今夜も円卓を囲みビールを飲みながら色んな物を食べた
美味しい料理とビールに会話もはずみ 気がつけばもうホテルに戻る時間
9時半にホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせ バスで空港まで行くのだ

店からホテルまではタクシーに乗るような距離でもないのでまた歩き
戻る途中に 有名なラッフルズホテルの前を通ったので
せっかくだから除いてみればと提案し 早くホテルに戻りたい父は先に帰り
他のみんなでラッフルズホテルの中を15分ほど散策した

ラッフルズホテルを出て これで戻ればちょうど良い時間だとふんでいたが
歩いてみるとどうも時間ギリギリっぽい
なんとか近道を探しながらデパートをショートカットし
ホテルについたのは9時30分ぴったり
ホテルにはすでに険しい顔をしたガイドらしき中国系のオバハンが待ち構えており
これだからゆとり教育はとでも言いたそうな顔で父と母をすぐにバスに乗せ
お別れの挨拶もろくに出きず慌ただしくバスはホテルを出て行った

違うガイドと30分遅れの10時のバスで空港に向かう妹夫婦たちとロビーに残り
旅の感想などを聞いていると またすぐにバスの時間が訪れ
妹夫婦は優しそうな中国系のお兄さんガイドと バスに乗って行ってしまった

二人を見送り おそらくもう二度と来ないであろう
マンダリン・オリエンタルホテルの豪華なトイレを最後に使い
自分たちもホテルを出て この3日間毎日使ったバスに乗り家路に着いた

シンガポールに来て以来 こんな忙しい日はなかったし
こんな楽しい日もいままでなかった

2年近く孤独と差別(被害妄想)と闘い
この世にはもう神も仏もおらず 自分は一人ぼっちだと思い生きてきたが
この三日間で 自分には日本にもシンガポールにも
素敵な かけがえのない家族がいるんだという事を改めて知った

私は自分の人生を客観視するくせがあり
毎日一生懸命やってんだから 別にいつ死んだっていいよなんて思ってきたけど
せめてくだらない事故なんかでは死なないよう
あまり家族に心配かけないよう ガッカリさせないよう
もう少しだけ色々考えて生きていこうと思った

あれから 腹が立つことは自然となくなったし
小動物もイジメないようになった
嫁さんも前より愛おしい

なんとなく 人間って
誰かから優しくされれば 誰かにも優しくできるんだなあと思った


シンガポールも捨てたもんじゃないね

しゃあねえからもう少し住んでやっか





2011/11/10

WE ♥♥ SINGAPORE

さてシンガポール観光二日目

昨日さんざん市中引き回しの刑に処したので みんな少しお疲れ
まずはホテルからまた歩きで近くの地下鉄駅まで
そこから地下鉄に乗り「アン・モ・キオ駅」に行く
「アン・モ・キオ」ってどういう意味って嫁さんに聞くと
福建語で「赤い毛の橋」っていう意味らしい
こういうときは色々新しいことも聞けて 自分も観光気分になれる

アン・モ・キオからバスで 動物園まで行くはずだが なかなかバスが見つけられず
6人の日本人家族は駅周辺をウロウロ バスを見つけられず嫁さんの期限が急に悪くなる
やっとバスを見つけ3、40分かかりやっと動物園に着く
チケットは一人1200円ほどで 一応園内の移動バスに乗れるチケットを買った

しかしピグミーヒッポ(小さいカバ)見たさに 進行方向を間違えて進み
移動バスに乗りたくても バスは常に逆方向に走っていくので乗ることができない
園内の道が少し複雑で 行きたいとこになかなか行けず園内をダラダラと徘徊するはめに
午後から天気も悪く雨も振り出したので
少し割高の昼飯を済ませて2時過ぎに動物園を出た
天気と疲労からみんな少しテンション低めだったが 母だけは元気そう


ホテルの最寄りの地下鉄に着くころには もう夕方近くなっていた
もうホテルに帰りたいと嘆く父を無視し デパートに入りちょっとティータイム
ゆっくりテーブルに座り暖かい飲み物を飲むことでみんなのHP/MPともに回復

15分ほどゆっくりしたあと 近くの地下のスーパーで日本へのお土産を買う
空港などで高くて微妙な味のお菓子を買うより
スーパーの方が地元っぽくて美味しいものがたくさんある

俺のオススメは「KAYA」という
ココナッツミルクから作る パンに塗るジャムのようなもの
緑色のものもあるが これはパンダンという植物の葉を使った自然な色

マーライオンの形をしたチョコレートなどよりは こういうローカルの物の方が
地元の味がしてお土産には良いと思われる


みんな買い物カゴいっぱいにお土産を買ったので
それを持ったままタクシーに乗り 晩飯を食いに行く
今晩は「ラオ・パサ」という 地元民のサラリーマンに人気の巨大なフードコートへ
母いわく ビアガーデンみたいな感じだね と言ってましたが
たしかに屋外なのでビアガーデンっぽい雰囲気はある
というかここは年中夏で みんなビールしか飲まないのでどこもビアガーデンのようだ

いつもは奥さんと二人で来るのであまり食べないが
今日は大人数なので 普段頼まないようなものもたくさん注文してみた
全部シーフードだけど エビ・カニ・アサリ・エイとか 野菜やチャーハンもたくさん
でも どれもちょっと辛かったらしく 妹は美味しいけど唇が痛い!と言い
妹の旦那さんは辛いだけにビールが美味い!と言っていた

みんなかなりビールがすすみ気分も上々
長い移動で疲れた一日も 最後に美味しい物を食べビールを飲めば
今日も充実した素晴らしい一日だったなあ に変わってしまう
人生というのは最期まで何が起こるかわからないなあ
大袈裟だけど 一日通して考えてみると本当にそう思うのである

かくして晩飯を食べ終えた日本人家族御一行はタクシーでホテルへ帰っていった

自分も良い感じだったのでタクシーに乗りたかったが
あまり飲んでいない冷静な嫁とバスで帰った






2011/11/07

WE ♥ SINGAPORE

先週わたしの父と母と妹と妹の旦那さんが4人でシンガポールに遊びに来ました

3日間観光して帰る予定だったので さてどこに連れていけばみんな喜ぶだろうかと
一生懸命考え 考えに考え 結局何も思い浮かばずノープランで当日を迎えました

父と母はずっと「マンダリン・オリエンタル」というゴージャスなホテルに泊まりましたが
妹夫婦はさらにゴージャスな「マリーナベイサンズ」という
3つの超高層ビルの上に船が1個くっついてるようなホテルに泊まりました

日本ではSMAPがこのホテルの上を歩いてるCMがあったらしいですが
たしかにこれ見ると行きたくなりますが
ちょっとあの先端の方が僕は怖い 折れそうで怖い






















初日の観光は まずやはりマーライオンを見に行きました
たいしたものではないんですが やはりこれを見ると
シンガポール来たなって感じがしますし

それから川沿いを歩き インド寺院 → 中国寺院 → 国立博物館 
なんか普通っぽくて微妙かなと思ったんですが
みんなそれなりに興味を示してくれました

そしてインド人街へ行き少し遅い昼食
庶民的なインド料理店に入り てきとうに幾つか注文したんですが
これもみんな美味しい美味しいと言いながらペロッと食べてくれました

日も暮れてきたのでついにタクシーで我が家へ行き 嫁さんの両親とご対面
嫁さんの両親は少し緊張しながらも きちんとお辞儀スタイルでうちの両親に挨拶してくれ
うちの両親も あーどうもニーハオなどと言ってて とても良い感じでした

それからみんなで中華レストランへ行き 嫁さんの妹夫婦も来てくれて
総勢10人で円卓を囲んで中華料理を食べました
僕と嫁の通訳なしでもみんな勝手になんとなく話し始めて
うちの父も 蛙の料理を使って こんなゲテモノ食べれないよ〜的な
わざとらしいリアクションでしっかり笑いをとっていました

けっこう心配してましたがなんとかなるもので
レストランを出たあとも デザート食べに行こうなんてことになり
みんなでスイーツショップに行き
そこでも父と妹は 僕の頼んだドリアンアイスを使って こんな臭いの食べれないよ〜的な
わざとらしいリアクションでまたしっかり笑いをとっていました

朝から色々と連れ回したので みんなかなり疲れてましたが
とりあえず両家ご対面も大成功で とても素敵な一日でした



2011/11/06

ボランティア最終日

朝6:00 もちろん本日も良い目覚め
このまま一生寝袋で寝た方がいいのだろうかと思うくらいに


今日も昨日と同じメンバーで「お茶っこ隊」だが
出発まで時間があったので 仮設シャワーの掃除をする
ボランティアが使う施設の掃除も もちろんボランティアでする

10時近くにバンに今日のお茶っこで使う荷物をたくさん載せて出発
今日も大槌町だが 昨日とはまた違う仮設住宅の地域

途中で昨日と同じ商店に寄り またおにぎりを買おうとするが
まだご飯が炊けてないらしかったが みんなどうしてもここのおにぎりが食べたいらしく
ごはんが炊けるまで雑談しながら10分くらい待つ
人数が少ないので融通が効くようだ

今日のお茶っこは子連れのお母さんがメインらしく 荷物のほとんどは子供の遊び道具
女性陣が会場のセッティングをし 男性陣は仮設住宅をまわって呼びかける
とても大勢の人が済んでいる仮設で 3人手分けして 一人2、30件ほどまわった
ここでお茶っこをするのは3週間ぶりくらいで 楽しみにしてくれていた人もいれば
リアクションから 絶対来ないなとすぐわかる人もいた

センターに戻るとやはりもう5、6人来ており あっというまに
おばあちゃんと 子連れのお母さんで20人近くになった

子供たちは赤ちゃんから 一番上で8歳くらいの子までいた
俺はあるおばさん達に呼ばれて おたくさんらは毛布とかくれないのかしらと言われた
すみません個別に物資はあげれないみたいなんですよと言うと
周りで色々無料でもらった人がたくさんいるのに 自分は全然もらえず
なぜ自分はもらえないのかとても不思議なんだとか


今日も社会福祉協議会の人や 地元の先生などが来て
年配の方向けに 健康講座みたいのを開いていた

その間も子供達はどんどん増えて 子供だけで15人ほどになった
こうなるともう手がつけられない
みんな全力で泣いたり笑ったり走ったり破壊したりしていた

今日もあっというまに4時近くになり 片付けを始めたが
部屋を掃除するのにとても時間がかかった
外はもう真っ暗で 遠野に着くとやはり6時頃になっていた
しかし今日は遠野市のお料理好きのおばさん達が
ボランティアのために炊き出しをしてくれていた
「ひっつみ汁」という郷土料理と 味噌大根の握り飯
料理は愛情というがまさにその通りで おばちゃん達の炊き出しは最高に美味しかった


今晩 深夜バスで遠野を出発しなければいけないので
シャワーを浴びてすぐに荷造りをした
この4日間でお世話になった人がたくさんおり
みんなに別れを告げたかったが みんなは明日もまたいつもと同じように
活動を続けていくので夜もミーティングなどで忙しく
友達とアラフォーさんだけに別れを告げ見送ってもらった

別れることは悲しくはなかったが ここで活動をリタイアしなければいけないのは
非常に残念で みんなと一緒にもっともっと長く活動を続けたかった

しかし自分が今日本に住んで仕事をしていてもそう思うだろうか
仕事を辞めて貯金を削ってまで彼らと活動することを選んだだろうか
まぁそれはわからないし シンガポールからこっちに帰ってこようとも今は思えない

夜8時半に遠野駅に着き 電車で北上まで行き 深夜1時のバスに乗り東京に向かった


遠野であった人たちは 本当にすごいと思う人達ばかりだった
年上の人も年下の人もみんな 変な人も少しだけいたけれど
被災者に「ありがとう」と感謝されるのを期待してボランティアをしているような人は
あまりいなかった
みんな常にどうすればもっと良くなるのかを冷静に考えて 淡々と活動していた

今ボランティアを必要としているのはこの大地震の被災者だけではない
世界中色んなところで 誰かの助けを待っている人がたくさんいる
それはすごく身近にいたり わかりにくかったりもするかもしれない
一人ではできない事がたくさんあり 少しの援助でできることもたくさんある
俺は今までほとんど自分の事しか考えずに生きてきたけど
これからはもう少しだけ他人のために何かをしたいと思った


遠野はとても良いところなのでまた行きたい





ボランティア3日目

今日も目覚めが良い 毎日ぐっすり眠れている
こんな寒い体育館で 身動きも取れない寝袋の中なのに不思議だ

今日は肉体労働ではなく「お茶っこ隊」といって
仮設住宅に入っている人達に無料でお茶やお菓子などを提供して憩いの場を作るというもの
仮設住宅に入っている人達というのは 周りに誰が住んでいるのかお互いに知らず
ただでさえ精神的に不安になっているのに そのうえ誰も頼る人がいなく
そのため阪神大震災のときも多くの孤独死や自殺者を出したそう

それを防ぐために仮設住宅の周辺に設置されているコミュニティーセンターなどに
定期的に出向きお茶などを振る舞い ご近所さんが仲良くなる場を提供するのが
お茶っこ隊の役目というわけだ

本日は男女混合の5人で車に乗って大槌町に向かった
毎日同じメンバーで行うわけではないので 車の中で自己紹介をしたり雑談をした
途中でまた小さい仮設の商店などに寄り 美味しい鮭おにぎりを買った
お店の人達もどうやら被災して店を失った人達らしい

昼前にコミュニティセンターに着き 会場のセットをしてから
仮設住宅を一軒一軒に 今日はお茶っこやるのでみなさん是非来てくださいね〜
と呼びかけてまわった
仮設中住宅には明るいおばあちゃんから 可愛いギャルママ
暗い顔をして目を合わせてくれない奥さんや 不器用そうなオジサンなど
色々な人達がいて いつもいつもありがとうございます などと言葉をかけてくれた
毎日毎日 色んな人たちが訪ねてくるんだろうなと感じた

センターに戻るともうすでに何人か年配の方が来ていて
お茶を飲みながら雑談が始まっていた
ほとんどがおばあちゃんで 一人だけおじいちゃんがいて
話し相手がいなさそうだったので 横に行き話しかけてみた
どこから来たんだと聞かれたので北海道だと言うと
おじいちゃんも若い頃に5年ほど北海道で働いたことがあると教えてくれた
それからずっとおじいちゃんの北海道での思い出を聞いた

お菓子の工場で働いていたらしく チョコでケーキにメッセージを書いたりしてたらしい
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」が好きで あの歌を聞くと
当時なんのあてもなく冬に一人で職探しに北海道へ旅立ったことを思い出すんだとか


センターには 社会福祉協議会の人なども来て 年配の方に体操などを教えたり
子連れのお母さんなども何人か来てくれて
知らないママ同士で仮設住宅の番号などを聞き合って ママ友になったりしていた

あっという間に夕方になり 片付けをして帰ってきた
全部で20人近くの人が来てくれて大成功だったらしい
3、4人しか来てくれず ガックリして帰ることもけっこうあるとか

6時過ぎに遠野に着き シャワーを浴び
スーパーで半額の総菜をたくさん買ってきて食べた
それから昨日のアラフォーさん達にまた誘ってもらい 今日は日本酒を飲ませてもらった

今日もホロ酔いになり 消灯後すぐに眠りについた

ボランティア2日目

今日もきっちり6:00起き とても目覚めの良い朝
昨日の夜にスーパーで買った
「練乳フランス」(練乳クリームの入ったフランスパン)を食べる
これ昔っから大好物で 迷ったらとりあえずこれを買ってた

ラジオ体操終了後 今日はどこに行こうか迷っていたが
大槌町の「まごころの里」という被災者のために作っている農園で
また畑仕事をすることにした

そこも山に囲まれた地域で 周りには仮設住宅がたくさんあった
もうほとんど農園はできあがっていたので 仕上げとして
土手の草を刈ったり 石を運んだり 桑で畑を耕したりした

昼休みには川沿いを散歩したりして 田舎を満喫した

はたしてこの農園は 被災者さん達に喜んでもらえるのであろうか
わたしには知る由もない

夜は勇気を出して仮設シャワーを使ってみた
きちんと熱いお湯が勢いよく出て 石けんなども置いてあり非常に快適だった
インドで旅行したときは 冬なのに水しかでないシャワーで
バケツ一杯の熱湯をもらい 手桶で水と混ぜながら体を洗ったりしたことがあるので
それに比べるとほんとに天国のようだ

晩飯は友達に「さとうのご飯」とレトルトの蟹玉丼をもらった
それから他の長期のボランティアさん達の仲間に入れてもらい白ワインを飲ませてもらった
みんなアラフォー世代で ふざけててくだらない話しばっかりしてんだけど
ボランティアや被災地に関してはしっかり考えてて
メリハリがあるとても良い感じの人達だった

深くは突っ込んで聞けなかったけど みんな仕事を辞めて来てて
これからもかなり長く続けていきそうな感じがした 

その夜は歯も磨かずホロ酔いのまま寝袋に入って寝た

ボランティア1日目

6:00にチャイムでちゃんと起きる
めちゃんこ冷たい水で顔を洗い 朝飯ってどうすればいいのか考えながら
結局答えを見つけられず朝飯抜き

7:20にラジオ体操
シンガポールでも毎朝かかさずやっているので
俺の華麗な体操を見よといわんばかりに前の方に立ちのびのびと背伸びの運動

色々な活動があるみたいだが とりあえず基本の瓦礫撤去をやろうと思い
陸前高田での作業を希望し長靴やゴム手袋を持ってバスに乗り込む
途中で小さな商店に寄り 昼飯のおにぎりと唐揚げを買う

現場に着く前に被災地を通り はじめて生で津波にやられた現場を見る
今までネットやテレビで見ていたままそのもので
津波の前の姿がいくら考えても想像できず ここに以前町があったとは思えなかった

バスが着いたのは山間にある畑
今日は瓦礫撤去ではなく もうだいぶ前に瓦礫は取り除いたものの
塩害によってダメになってしまった畑の整備だ

塩を取り除くために以前畑にひまわりを大量に植え 今はもう枯れたので
その塩をたくさん吸ったひまわりの根っこを畑から取る作業など
総勢20人くらいで 休憩をはさみながら夕方4時近くまで 4、5時間汗を流した

この付近では震災のときに海沿いの水産加工場から8万匹のサンマが流れてきて
夏にはそれが腐ってすさまじい悪臭を放っていて
それをボランティアがゲロ吐きながらも全部手作業で回収したらしい

すさまじいね

夕方4時には遠野に戻ってきて 全体ミーティングのあと
自転車を借りて 一人で近くの銭湯に行った
520円の良い銭湯があるとすすめてもらったにもかかわらず
ケチなので390円の安い銭湯の方に行った

とても古い銭湯で 浴槽は小さく3人くらいしか入れないようなとこで
お湯は45度くらいありとても熱くて入れたもんじゃなかった
風呂上がりは役所広司と友達だという番頭のオバちゃんと10分近く世間話をし
しっかりと湯冷めしたあと 梅の飴玉を一個もらい銭湯をあとにした

帰りにスーパーで半額の弁当を買って食べ
また22時にそのままの格好で寝袋に入り寝た

遠野初日

朝8時半に八戸を出発し 昼の12時過ぎにやっと遠野の駅に着き
駅前のタクシー会社でボランティアセンターの場所を聞く
おじさんにどこから来たのかと聞かれ 北海道からと答えるととても驚かれ
いや〜近いですよけっこう と言いながらもちょっとドヤ顔になる

20分ほど歩いてやっとボランティアセンターに着く
遠野市の福祉センターを貸して使わせてもらい本部としており
建物の外には大量の洗濯物が 仮設の干し場にかけられていた

近くには大きなドラッグストアや スーパー コンビニなどがあり
環境はとても良さそうだった

受付を済ませたが 活動は明日からなので館内を見てまわる
仮設シャワーや洗濯機に調理場所 さらには無線LANまで飛んでいて
思ったよりも快適そうだったが どの部屋にも暖房がないので
寝どころとなる体育館で寝袋を出して入る以外に
寒さをしのぐ場所がない それだけが唯一大変そうだなと思った

http://tonomagokoro.net/lets-volunteer/facilities


その日は 被災地に行ってるボランティアさん達が帰ってくる5時くらいまで時間を潰し
やっと帰ってきた友達と久しぶりの再会をし ここでの活動などについて話を聞いた

友達もそうなのだが 長期でボランティアをしている人達の大半は
バックパッカーか 登山愛好家らしい
寝泊まりは寒い体育館で寝袋で 生活は自己完結が鉄則というこの暮らしに耐えられるのは
そういう人達でなければ無理だということだろうか
それにしても 会社を辞めてまで来ているという人が多くてビックリした
それぞれに色々事情はあるんだろうが 活動中の資金や 家族の理解など
色々な物をクリアーしてここで活動している人達は やはり選ばれた人達なんだろう
やりたいと思ってもできない人達がたくさんいるはずだし


ボランティアの一日の流れはこうだ

6:00 起床(体育館でも大きなチャイムがなる)
7:20 ラジオ体操
7:30 朝礼(朝礼後に現場の振り分けが行われ バスで現場へと向かう)
16:00 活動終了
17:00 全体ミーティング
22:00 消灯(消灯後は体育館では寝る以外の行動は厳禁)


初日の夜は 友達にもらったカップラーメンを食べ シャワーは浴びなかった
風邪をひかないよう ももひきをはいてダウンジャケットを着てマフラーを巻き
まったく普段着と同じ格好で寝袋に入って寝た

新郎シンプル

























先週我が祖国お寿司が生まれた日本から こちらシンガポールに帰ってきました
全部で3週間ほどいました


まず北海道は札幌で妹の結婚式がありました
とてもオシャレな結婚式でね レストランでフランス料理とか食べたんです
いいでしょう フランス料理なんて食べたことないでしょうみなさん
わたしはそれを食べたんですよ いいでしょう はははは


親族の結婚式は初めて出たんですが
やはり友達の結婚式に出席するのとは少し違いました
なんというか 下手なことができない
妹のハズバンドのご家族もこちらを見ていることでしょうからね
と言いながらも 丸坊主 チビ ヒゲ 前歯なし と座ってるだけで充分に醜態でした

しかしこれといって緊張や心配もなく式は無事に終りましたが
これは妹のハズバンドやそのご家族が ほんとうに良い方達だったからであり
もしも新郎が柄の悪い寺島進みたいな奴で その父親が悪役商会の八名信夫みたいな奴で
乾杯のシャンパン飲んで「まずい!もう一杯!」とか言ってたら
もう妹と我が家族の将来が心配で式どころじゃありませんからね

我が家族は 長男の自分が非常にキチガイクソ野郎な反面
妹がとてもしっかりしているので 昔から色々と妹のおかげで助かっています

式が終わってからはまた実家に帰り一週間ほど家に引きこもって過ごしました


それから どうしても行きたかった東北にボランティアに行くために
苫小牧港からフェリーに乗り 八戸港まで行きました
フェリーは4500円で6時間ほどです
本当に快適で こんなに簡単に青森に行けるのかと感動しました
北海道に住んでいたときにこれを知っていたなら
ねぷた祭りを見に行ったり 春には弘前に桜を見に行ったり
林檎も直接買い付けに行ったことでしょう

八戸港はキャットフードの臭いがしており 警備員は志村けんにそっくりでした

八戸から新幹線に乗り 盛岡で乗り換え新花巻へ
そして岩手県の遠野市という所に行きました

ここには「遠野まごころネット」という被災地支援ボランティアグループがあり
震災後からずっと たくさんのボランティアを受け入れて活動しています

http://tonomagokoro.net/

僕の友人がちょうどここで長期のボランティアをしており
前からここの話しを聞いていて 一度行こうと思っていました

そしてここで4日間 被災地のボランティアをさせてもらいました


つ づ く