2015/05/30

帰ってきたティオマン




今週火曜日から3泊で、またマレーシアのティオマン島に行ってきた。もう4、5回目だと思うが、何回だって行きたいそんな島。

朝6時に自宅出発し、マレーシアの国境のバスターミナルに着いたのが8時。そこから9時発のメルシン行きのバスに乗り、メルシンに11時頃に着いたが、メルシンのジェッティーからティオマン島行きのボートは午後3時出発。なんともじれったい時間を過ごし、3時のボートに乗り5時過ぎにティオマン島に着いた。今回もアイル・バタン村、通称ABCに宿泊した。

島に到着したあたりから天気が崩れ出し、宿にチェックインしてすぐに海パンに着替え部屋を飛び出したと同時に、雨が降り出し台風みたいになったので初日の水泳は断念した。しかし浜辺が見渡せるなかなか眺めの良い部屋を取ったので、嵐も絵になるなと、荒れた海をずっと眺めていた。その日は夜もずっと部屋のベランダで外を見ながらウイスキーを飲んでいた。



次の日はその宿が予約でいっぱいだったので、近くのやや近代的な宿に移った。シュノーケルゴーグルと足ひれをレンタルして、一人で朝から泳ぎまくった。今回もまた新たな生物をいくつか発見した。どでかい黄色いクソみたいなナマコに、ブルースポットのエイ、あとは初めて体の色を変えるイカを発見した。このイカは小型で15cmくらいだったが、最初は砂場や岩と同じ茶色っぽかったが、手を近づけると警戒して真っ白になったり、ときどきヒレが蛍光の青色になったりすごかった。そして逃げた所を追い込みかけたったら墨を吐き出して、さらにがっつりしつこく追い込んだったら自分の体の体積の倍くらいありそうなくらい墨を吐かれた。そしてその墨がまた精子みたく水に溶けないもんで気持ち悪くて一瞬ひるんだが、それでもしぶとく追い込んで計3回も墨吐かれ、ついに見失ってしまった。そんな感じで次の日も、ずっと一人で泳いだ。





今回はマレー語を少し勉強していったので、これ何?とか、いくら?とか、暑いとか高いとか色々積極的に話してみた。マレーシア人は英語上手なので、マレー語なんてあえて話そうとする外国人はほぼいないと思われ、そのためけっこうウケた(と思う自分では)。マレー語は中国語やタイ語みたいに声調がないので比較的簡単だし、インドネシア語ともほぼ同じなので、覚えれば色々役立つ良い言葉だ。あと「アラマー」が日本語と使い方が同じとか。これからも勉強を続けてチヤホヤされたい。

色々今回も楽しかったが、最後にアラマーな事態が。金曜日に帰る予定だったが、その日はティオマン島出発のボートが午後3時にしかなくて、遅いなーと思いつつもしかたなくそれに乗りメルシンまで帰った。メルシンに着いたのが午後6時前だったが、そこからバスターミナルまで行ってシンガポール行きのバスに乗ろうとしたら、どのバスも今日はもう満席だという。どうにか手だてはないかと1時間くらい色々やってみたが、結局どうにもならなくて、メルシンに一泊するはめになった。次の日の朝の仕事もキャンセルしなきゃいけなくて、色々大変だったが、その夜に食べた飯とビールは美味かった。こんなハプニングも時にはいいさ。でも奥さんもいよいよティオマン島は飽きてきたみたいだから、今度行くときは一人で行かなあかん。


2015/05/23

わたしもスタジアムにつれてって













昨日夜にナショナル・スタジアムの横を通った。イベントがあったのだろうか、スタジアムの側面の廊下にたくさん人がいるのが見えた。どうなってるんだろうな〜あのスタジアムの中は、なんて思ったが、でもきっと入ることはないかもしれないな〜などと思った。なぜならコンサートにもスポーツにも何のイベントにも興味があまりないからだ。ただでチケットでももらわない限り、自分で高い金払ってはいかないだろう。

コンサートは何回か行った事があるが、全部自らすすんで行ったものではない。全部誘われてなんとなく行った。行った事があるのは、SPEED(あの沖縄の4人組の)、サザン、MINMI、ライムスター(これは割とすすんで行ったわ)、メガデスと、これらのラインナップからわかるように、なんの一貫性もない。これからも行きたいライブなんてきっとないだろう。フレディーが生きてたらQUEENのライブには行ってみたかったけど。

あと会いたい芸能人なんてのもいない。綺麗だなと思う人はそりゃたくさんいるけど、べつに会いたいとか生で見たいとかは思わない。それだったらそこら辺の気さくで中の上くらいのおねーちゃんとカラオケでロンリーチャップリンとかデュエットしてる方が楽しいわ。最後に本気で好きだったのは奥菜恵がティーンエイジャーの頃で、一回だけファンレターを送ったことがあり、いつも街でバッタリ会って友達になるという妄想をしていた。

だから誰かのファンだとか、どっかのスポーツチームに入れこんでる人とか見ると、ああすごいなーと思う。というのはウソでじつは軽く見下している。そんな暇あるならケツ毛の一本でも抜けよと思うが、でもまぁそれは個人の自由だからそんなギーギー言わんけど、俺ならケツ毛抜くわ。

あと誰かをすごく尊敬しているとかいうのも、けっこう危ないんじゃねーのと思う。尊敬しているというのは基本的に、その人みたいになりたいという事であり、その人は幸せであるという前提の元に、おれっちもその人尊敬してマネしてその人みたくなるぞっ、という人が大半だと思うが、でももしその尊敬する人が実は幸せどころか今超不幸なんですけどマジ鬱で死にてー、なんて事だったら、その人の事マネしてたらあらあら自分も鬱になっちゃったぞ、という事がなきにしもあらんではないか。せやから尊敬する人はちゃんと慎重に選ばなきゃいけない。テレビに出てるわけわからん人よりも、わりと身近で本当にその人の事を色々わかってるくらいの人に設定した方がいい。幸せな親父やおふくろがいれば最高だ。

長々と能書きを垂れてみたが、じつはそのナショナル・スタジアムにすごく行ってみたいんだ。

2015/05/18

炎天下のミュージック
















先日初めて自分のスマートフォンとやらに、音楽を入れてみた。するとどうだろう、スマートフォンがウォークマンの代わりになって、家の中じゃなくても、インターネットがなくても、移動しながらでも音楽が聞けてしまうじゃあないか、と当たり前の事を書いているが、いつもアナログのスマホの使い方もあまり知らない人にとってはすごく画期的な事だ。

前はi-pod nanoだかという、音楽が聞けるマシーンを持っていたけど、それが壊れてしまい、日常的に音楽を聞かなくなってもう一年以上経つと思ふ。
ときどきイラストの仕事しながらPCで音楽をかけるけど、バッテリーの減りが早くなるので、結局15分くらい聞いてすぐ消す。なもんで、久しぶりに音楽聞いたー!そして音楽聞くと上がるぜ気分がー!音楽のある人生って素晴らしいー!と思ったのもつかのま、しばらくしてやや情緒不安定な自分に気がついた。自分の好きな音楽を聞くと気分は上がる、そして上がったものは下がってくる。本当に微妙で些細な変化だが、今はそれがなんとなくわかる。

元々なんでも依存して中毒になってしまいやすい性格であるから、やはり気をつけNIGHTいけない。ゲームは一日一時間、音楽は一日7、8分程度、勉強と筋トレはいくらやってもいいよ。

以前は旅行にi-podを必ず持って行って、よく音楽を聞いていたが、今は持って行かず(というかもう持ってない)ほぼ音楽なしで旅行をしているが、ときどきよく自分で歌を歌ってしまうラララ。それはいつも川や海や山を見ながら、とても静かで平和な時間のまっただ中に。そして歌はいつも決まって、ハナレグミの「ナタリー」
しかしハナレグミが好きだというより、この曲にはTOKYO No.1 ソウルセットのBIKKEのラップというか詩が入っていて、その部分が非常に好きというか、そういう良い景色を見たときにふと口ずさみたくなってしまうんだなあ。


小高い丘の上から 見下ろすいつもの夕暮れの町

与えられた光と時間 守られているような

ほほをかすめる冷たい風 今日の日の終わりを知らせ

一本の木にもたれている僕らは 立ち上がる

そう 忘れてゆくかもしれないこの景色

もう戻らないかもしれない気持ち

でも僕らはすべりだす そして家路へ急ぐ

真っ赤に染まったこの空を 僕らの笑い声を

また 夢で見ればいい いつか 夢で見ればいい


そしてシンガポールでもよく歌ってしまうのが、ユニコーンの「デーゲーム」
これは太陽がギンギラギンにさりげなくサンサンと輝いている、クソ暑くて溶けて死にそうだというときにピッタリの曲だと思う。東南アジアはいつどこに行ってもとにかくクソ暑いから、日中はたいてい自転車に乗ったりしながら、この歌を口ずさんでいる。
あとユニコーンの「富士」もいいなあ。これはほんのちょっとだけ涼しいときに歌いたいなあ。

というわけでこの1、2年はほぼこの3曲だけでやりくりしている。
がしかしスマホにはこの3曲は入れていないという矛盾。
やっぱり自分で口ずさむのがいいんだなあ。

2015/05/08

スワンナプーム空港よりモチ米を食べながら













【 5月8日 】

ただいま午前11時。やっと空港にやってきた。これからシンガポールだかなんだかに帰らなければならない。10日だけだったが、この旅行は非常に長く感じた。去年のほぼラオスのビエンチャンにいりびたっていた10日間は非常に早かったが。今回は移動をたくさんしたからだろうか。バンコク→ ナコンパノム→ ラオスのナヒン村→ ナコンパノム→ パタヤ→ バンコクと、なんともまとまりのない一貫性のない、何がしたかったのか自分でもよくわからない旅行。あとはビール飲み過ぎて覚醒して、あんまり寝られなかった。だから一日が長く感じたのかもしれない。

パタヤでは昼間はカフェやレストランにいりびたり、仕事やったり本読んだりしていた。そして夜になると、ずっと面白そうな所を探してビアバーを回っていた。おとついの夜はsoi7(道の名前)で、ホステスや地元の人がカラオケをやっているBARを見つけ、そこでまったり飲んだ。

ある小道の脇に怪しいピンクのネオンのBARやら店がずらーっと並んでいて、そこの一軒のBARが外に小さいステージを作って、そこでRUNDMCみたいな格好をした岩の怪物みたいな顔のオジさんがノートパコンでDJしてて、隣でそのBARのママやら、ホステスやらが、タイのPOPソングを歌ってるんだけど、メロディーもタイ語の発音も面白いし、みんなかなり歌い込んでるらしく、上手に抑揚をつけて踊りながら歌っていた。そしてそのBARで働いてるウォーターボーイズの脇役みたいな感じのレディーボーイ(オカマ)が、10分おきに衣装取り替えたりして激しく卑猥なダンスをして、みんな大爆笑。ファランのおっさん達からチップをもらったりしていた。そして周りのみんなも、客がいなくても安いウィスキーなどを飲みながら、曲に合わせて楽しそうに踊っていた。こういう光景がわたしの大好物である。一緒に踊れればもっと楽しいんだろうけど、そんなクールなシティーボーイではないので、ニヤニヤしながらビールを飲むのが関の山だった。たまにこういう所に自分の奥さんも連れてきている中年ファランを見るが、わたしも実はアレをやってみたい。店からすると迷惑なのだろうか。その前にそんな所に連れて行かれる奥さんが迷惑なのだろうか。

それから違う店では、すごく若くてほっそい体した、いかにもタイっていう顔をした徴兵制度大嫌いですみたいな、レディーボーイとゲイの狭間のような男子に気に入られたらしく、目の前でビヨンセのような腰振りセクシーダンスを延々と見せられた。

最後にもう一杯と思って、夜2時頃に行った店では、自分と同じ年のスコータイ出身のホステスさんに、ラオスで大変だった話を延々とした。見た目は夏の雪女みたいな人なんだけど、すごく頭が良さそうな人で、ときどき興奮する私を諭しながら、真面目な顔でずっと話を聞いてくれた。声が元々高いらしく、さらにタイ語特有の鼻濁音もあって、英語上手なんだけどいまいち何言ってるのかわからなかった。トヨタ車を所有しているらしく、オフの日はドライブするらしい。BARで働く人達は裕福じゃない人だとずっと勝手に思っていたが、どうやらそうではなく、家のコンドミニアムにプールがあるとか、日本にもよく旅行に行くとか、けっこう私より良い暮らししとる人がたくさんいた。そんな彼女も、深夜3時近くまで飲んでから、今日は何時まで仕事するの?と聞いたら、あなたが帰ったらすぐ帰るわよと真顔で言われたので、空気を読んですぐおいとました。

そんなわけでパタヤでは毎日深夜2、3時までたくさんビール飲んで、なぜか朝6時には起きてしまい昼間も寝られないという感じだった。でもとにかくホテルがとても居心地よかったので、また奥さんとでも一緒に遊びに行きタイ。

そして昨日の昼にまたバスで、パタヤからバンコクに帰ってきて同じホテルに泊まり、今日はもう飲むまいと思ったが、やっぱり2、3杯外で飲んでさっさと寝た。が、やはりまた5時頃起きてしまった。

今回はタイ人とも他の国の旅行者とも色々話してみたが、自分の話術が思ったより単調で浅はかでどーしょーもないという事に気づかされてしまった。オチもあまりないし、ときおりちょっとかっこつけて語る自分の人生哲学のようなものも、どっかの安い受け売りみたいだし、話してても自分にすら響かない。さらに話が尽きてくると決まって、中国語話せるとか、シンガポールで柔道教えてるとか、どんだけ長い休みでも自由に取れるんだぜ的な自慢を必ずするんだヨウヘイさんは。次の日シラフになって本当に底が浅いなと思う。自己嫌悪まではならないけど、鼻で自分をせせら笑ってしまう。中国語も実はカタコトだし、柔道も強くないし、休み取れても給料入らねえじゃねえかよと。ちょっとそろそろ寡黙で無口な男に方向転換した方がいいのかもしれない。俺の口は災いしか生まないしな。

それにしても飛行機が遅い。もう30分くらい遅れていて、中国人観光客の声がでかくてうるせーよー。シンガポール行きの飛行機は、いつも中国人満載だからは嫌なんだよ。しかも何が一番嫌かって実はウルサい事ではなく、彼らは本当に見るからにバチが当たりそうな奴らなので、そのバチがもしたまたま今回は乗った飛行機が墜落するという事だったら、一緒の飛行機に乗ると巻き添えを食ってしまう。それが一番怖いと思ってしまう。

そういやあ中国人じゃないけど、今回はタイ人から韓国人の悪口をめっさ聞いてしまった。怒鳴りながらケツを叩かれたとか、あいつらは世界で一番自分達が偉いと思ってるとか、いくら金積まれても絶対ヤりたくないとか、タイでもなかなか傍若無人に暴れ回っているらしい。こりゃ健全な韓国人はえらい迷惑だね。

さて、早く帰って寝たいよ。

2015/05/06

悪くない

メコン川
パタヤビーチ




【 5月6日 】

ナコーンパノムの前で泣かないでください。
そこにわたしはいません。わたしは今パタヤにいます。

前の日記でラオスから、おらこんな国やだ、おらこんな国やだ、タイランドへ出るだー と言っていたが、念願叶ってあれからすぐにナヒン村を出てタイに帰って来た。

それにしても最後まで慌ただしかった。あの最悪の日の翌日、朝6時頃起きたが宿の人はまだ寝てるみたい。しゃーないので俺も8時頃まで部屋でゆっくりして、そろそろバス停に行って、タイに帰る方のソンテウの時間でも見に行くかと思って、歩いていったら、なんとターケーク(タイ国境の町)行きは朝9時、それ一本だけだという。時間はすでに午前8:30。急いで宿に戻って、宿の主人に金を渡し、清算してもらってるあいだにシャワー浴びて、荷物パックして、最後までこんなんかよ・・・と憤りながら、なんとかチェックアウトを済まし出発10分前にバス停に着いた。

せっかく宿で美味しい朝ご飯食べてゆっくりしようと思ったのに。ほんとに何から何までせわしなかった。事前にバスの時間調べておけばよかったじゃんと思うかもしれないが、みんなまともに英語しゃべってくれないから、調べてメモってもそんなん信用できない。ただラッキーな事にその朝は、英語ちゃんと話せる青年が一人いて、朝9時一本だけだよとちゃんと教えてくれた。それには感謝しないといけないな。

ということでチョコレートのお菓子と水だけ買って、ソンテウに乗り込み、3時間かけてターケークに帰った。ソンテウは地元民でギューギューだったけど、そういうのは全然苦にならない。ただ自分なりに耐えればいんだから。それより、先が見えずに待たされるとか、行き先がいまいち不明瞭とかそういうのがイヤなんだよ。

ターケークのバス停に着くと、すぐにタイ行きのバスを見つけて乗り込んだ。タイ行きのバスにはタイ人らしき人もたくさんいて、オジさんとかが、おまえ日本人か?とかすぐに話しかけてきた。やっぱタイ人はきさくだ。外国人慣れなのかなんなのかよくわかんないんだけど。

そしてナコーンパノムの町に午後2時頃着いたんだけど、3日前に来たときとは街がまた違って見えた。ラオスから帰ってきたせいだ。もう見るもの全てが愛おしいというか、最高だねタイってやっぱ最高だねと、矢沢永吉のマネをして何回も言ってみた。

それでまた前と同じホテルにチェックインして、自転車借りて、カフェ行って、ネットして、仕事もちょっとして、美味しいもの食べて、ビールと焼き鳥買ってメコン川行って飲んで、もう最高でした。海も好きだけど、やっぱ川の方が好きかもしれない。何か考えようとしても何も考えさせてくれない。目は自然と対岸と空だけを見つめて、頭の中がその空とリンクして文字通り空っぽになる。

そんで次の日もまた同じように、カフェ行って仕事したり、公園で小説読んで寝たりして、午後6:30発のバンコク行きの寝台バスに乗った。VIPバスで小型テレビもついていて、映画が見られた。タイ語だけど。そして翌日朝6:30、バンコクのモーチットバスターミナルに着き、そのまま違うバスに乗り換えて、バンコクからバスで2時間のビーチリゾート、悪名高い「パタヤ」に来てしまった。

こんな沈没ファラン(欧米人)の墓場みたいな所、絶対に来ないと思ってたけど、ラオス効果もあって、もうこの際タイならどこでもいいし、思い切ってパタヤ行ってみようと思って来てみたら・・・思いがけずすごく良い所です☆

なんてったってまず泊まっているホテルが最高だ。ネットで評判良かったので決めたんだけど、一泊2000円ほどで、エアコンTV付き、広くて小ぎれい、下にパン屋があってめっさ美味い。リンヤハウス

そしてパタヤってなんか猥雑でうるさいイメージがあったんだけど、いや確かに猥雑でうるさいんだけど、思ったより大きくて古くて、でも観光地の割に人はあんまりすれてなくて、どこか懐かしい感じがする。けっこう居心地は悪くない。長期滞在も全然ありかもしれない。あと物価もバンコクと比べて安い。BARでもビールは150円くらいから飲める。バンコクだと安くても300円だったような。あとは日本の古本置いてるとこあったら、俺は間違いなくここで沈没すると思う。

そんで昨日はまぁ一通りにぎやかな通りを歩いて、go go BARで乳丸出しのねーちゃんも横目で見つつ(ほんとはガン見)、クラブ行ったりもして、最終的に1時頃に宿の近くの場末のBARで、バンドがQUEENを歌ってたので、それ見ながらビール飲んでた。隣には60近いような英語も全く話せないお婆ちゃんみたいなホステスが付いてくれて、ものすごいくったくのない笑顔で、タイ語で話しかけてくれたので、帰りにチップ100円くらいあげたら、ものすごい喜んでた。なんかすごく良い事したのかもという気になれました。お婆ちゃんほんとうにありがとう。タイで飲むとだいたいこんな感じ。



2015/05/03

ラオスより怒りを込めて

※この日記はただの異常に長い愚痴です。暇な方以外読まないでください。


【5月2日夜】

おい、おい、おい!
ちょっと聞いてくれ。今日はひどい日だった。俺は今泣きたい。冗談じゃなく本気でちょっと泣きたい泣いてスッキリしたいくらい大変だった今日は。
まず私の今回の旅行の一番のポイント、それはコンロー洞窟に行くこと。そしてわたしが今泊まっているのはナヒーン村。ナヒーン村からコンロー洞窟までは、ソンテウ(乗り合い小型バス)で約1時間。今朝わたしは宿の女主人に、コンロー洞窟行きのソンテウは何時ですかと聞いたら午前10時だという。始発のくせにずいぶん遅いなと思いながらもそれに乗った。わたしの他に現地人が一人と、ニュージーランドからのカップルが二人乗り込んだ。情報が欲しかったので積極的に話しかけてみた。二人はベトナムから来て、今晩はコンロー洞窟のあるコンロー村に一泊して、次の日にビエンチャンに行くらしい。ソンテウは1時間ほどで無事にコンロー洞窟に着いた。そして降りるときにソンテウの運転手が、またナヒン村に戻るのかと聞いてきたので、うんそうだよと言ったら、じゃあ2時にまたここで待ってるからと言われて、これで帰りは大丈夫だなと思って少し安心した。

コンロー洞窟はとても長い洞窟で、3人乗りのボートをチャーターして中に入っていかなくてはならない。そのカップル、ジョージとニコラがよかったら一緒にボート相乗りしようと言ってきたので、あたり前田の塗装店と言わんばかりにOK。
一人当たり400円払いボートに乗り込む。そしてコンロー洞窟は、すごかった。中は真っ暗、その中を懐中電灯を照らしながら船頭さんがボートを運転してズンズンガンガン進んでいく。中はとにかく広く天井が高く、100mとは言わずも50mくらいあったんじゃないか天井まで。とにかくものすごい「のびたと地下帝国」みたいになっていて、壮大だった。ボートは往復で3時間かけてまた入り口に戻ってきた。その時ちょうど2時。

さてどこにソンテウが来てるのかなと思って見回すがまだ来ていない。すると違うソンテウが来たので、ナヒンまで乗せてと言ったら1500円ならいいよという。250円で来たのに、同じ道のりを1500円で帰るなんて、はなはだおかしいと思ったので断る。しょうがないので洞窟の公園の入り口付近にあるレストランで、ソンテウが現れるのを待ってみた。しかし待てども来る気配なし。レストランのオーナーに、ソンテウ全然来ないねと聞いてみると、ちょっと待ってろと言って、どこかに電話をかけてくれた。そして電話をかけ終えたねーちゃんの一言、今日はもうフィニッシュ。え?っていうか、は? じゃあどうやって帰ればいいの?と聞くと、さあ?と。。。。ラチがあかないので、なんか適当に歩いてみてヒッチハイクでもするかと思って5分くらい歩いてみたけど、この暑さの中ありえないし、ヒッチハイクってほんとに成功するのか、こいつら英語も全然通じないのに。そして一番最悪だったのが、財布の中を確認したら、残りたったの500円。だってソンテウで帰って来れると思ったんだもん。片道250円なんだから、全然余裕じゃんと思ってたけど、こうなるとギリギリ。万が一の事を考えて、これは飯には使わない方がいい。

とりあえず近くの小さい商店に寄って、ソンテウ来ないのかな?と聞いてみる。全然英語通じないが、店のオジさんはソンテウはあるよ、そのうち来るよと言う。じゃあここで待ってもいいかと聞くと、快く椅子を出して座らせてくれた。そして私は不安に押しつぶされそうになりながら待った。ソンテウ来なかったらどうしよう、ここの近くの宿に泊まるか?いや、最低でも500円はするぞ。500円使ったら、次の日ソンテウにも乗れないじゃん。ATMないのかな、あるわけないよこんな世界の外れみたいなとこに。これってすごいピンチかな、夜まで待って来なかったら店のおじさん寝床用意してくれるかな、世の中にはもっとピンチの人がたくさんいるはずだ例えば末期癌の人とかもっと絶望のはず、いやそんなのと比べてる場合じゃねえ、マジで頑張って帰らないと。

そして待つこと1時間半ほど、ソンテウどころか車がほっっとんど通らない。おじさんはあいかわらず頼りない笑顔でソンテウ来るんじゃないと言ってるが、マジで頼りない顔しとる。そして俺は思った。このオヤジはもしソンテウ来なくても俺を助けて泊めたり、なんか手を打ったりは絶対してくれないと、直感で。そのとき腹が減って倒れそうだったけど、俺は無意識のうちに立ち上がっていた。そしてけっしてここを通る車を見逃すまいと、神経を集中させた。そして待つ事15分、ヨーロッパ人らしい人を乗せた一台のバンが店の前を通りすぎた。おれは車の後ろに手を振るも、車はブーーーンと行ってしまった。ダメだったかと思いきや、5分くらい経ってまたその方向を見てみると、さっきのバンが300mくらい向こうで停まってる、まだ停まってる。これはもしかしてと思って走って行ってみた。

白人の男が一人、そのバンの横にいる。すいませんと話しかけ、事情を説明してみた。すると、わかったちょっと待っててと言って、横のレストランに入って行った。おれも着いていくと、白人の女性が8人、テーブルに座ってい談笑している。聞くと、ターケークの町からここまでみんなでバンを一台チャーターして、みんなで来たらしい。そして一人の女性が、帰り道はたぶんそのナヒーン村を通るはずだから、もちろん乗っていっていいわよ、ただし今からみんなでご飯を食べるところだから、それまで待っててねと言ってくれた。ありがとう!!!!マジでありがとう!!!!と、お礼を言いつつみんなと少し話した。そして待つ事3、40分。ついにバンは動きだし、わたしは運転席と助手席の間に乗せてもらった。運転はラオス人の無愛想な雇われドライバーで、助手席はイスラエル人のおねーちゃん。安堵と、そしてせめて無愛想にだけはするまいと、積極的におねーちゃんに話しかけた。どれくらい旅行してるの?これからどこ行くの?イスラエルではどんな仕事してたの?とか。つたない英語だけど、必死に話した。そして走ること40分。あるT字路で車が停まったけど、どこだここ?と思ってると、ドライバーがここで降りろ、あっちの方に歩けばナヒン村だという。野暮な事は言わずパッと降りて、みんなにお礼とお別れを言う。ほんとーーーーにありがとうございました!どうぞ良い旅をみなさん!!ありがとーーー!さようならーーーー!!そして、、、いったいここはどこだ?

近くに人がいたので、ナヒン村は?と聞くと、あっちだ。4kmくらい先だ、と言う。そして日はもう沈みかけている。しかし今まで散々適当なこと言われて、ほんとうに4kmで着くのか。。。ってか4kmっていうのも相当だぞ、おれ腹減りまくってるし、水ももうないし、足もガクガク。。。よし、ヒッチハイクっきゃない!と、すぐにやってみました。が、だーーーれも停まってくれない、減速すらしてくれない。というか車がそもそも少ない。歩いては手振って、歩いては手振って、しかし振れども振れども、誰も停まってくれないよ。もう20台くらい通り過ぎて行った。そして日は暮れて真っ暗。さらに絶望的なのが、見たこともない山が目の前にそびえている。これは村からは見えなかったよ、ということはやっぱりまだまだ先なんだよ、絶望だよ。しょうがないので軽く走ってみる、喉乾いたよ。ヒッチハイクを続けるがやっぱり誰も停まってくれないよ。一人やっと若い奴のスクーターを停めれたけど、英語まったく通じないし、なけなしの40タイバーツ(120円)を見せたけど、結局逃げられたよ。独り言で冗談を言ってみるも、全然笑えない。そしてもうダメか、どうなっちまうんだ今夜はぁぁ!!?と思いかけたそとのき、やっっと一人のヒゲ坊主の兄ちゃんが停まってくれたよ、そして乗っていいよと言ってくれたよ。
兄ちゃん、ハッッップチャアアアイイ!!(ありがとう)
そしてやはりまだまだ遠かったんだね、10分ほどブーーーーンと走って、なんとかナヒン村に着いた。おれは兄ちゃんに金を渡そうとするが、要らない要らないと断る兄ちゃん、あんたほんとうに良い人だ、しかしそれじゃああたしの気が済まない!と凄んで、ようやく20バーツだけ受け取ってもらった。ほんとは全部もらってほしかった。

降ろしてもらった場所から宿まで約10分、おれはずっと下を向いて歩いた。もう正直ラオス人の顔なんて見たくなかった。とても酷い目にあったよ、じゃあ誰が悪いんだ、いや誰も悪いわけじゃないんだよ、そんな事はわかってる、でもね、もうラオスはこりごりなんだ、君たちが助けてくれないという事はわかった。助けてもらったんだけどね、でも彼以外はどんだけ俺が困ってても、夜に倒れててもきっと素通りするだろう、俺は本当に心からそう思う。そう感じとったんだ君たちの態度から。でもラオス人はひどくて血も涙もないなんて言わない、ただ助けてはくれないだろう、それだけだ!バキャーロー!!

宿に戻っておれは宿の女主人とその家族に、簡単な英語とジェスチャーを交えてこの話をダイナミックにして聞かせた。みんな大爆笑していたよ。でもさ、笑い事じゃないんだよ。。。
そして腹がとにかく減っていたので、フライドライスを注文した。とても美味しかったよ。マジで料理は上手いねオバちゃん。そしてビールを飲んだ。ビールを飲みながら向かいの壁に這いつくばっている無数のヤモリを見ながら、色々考えた。今回は俺でよかった、がしかし、もし俺の奥さんに同じ事が起こり、奥さんが泣いたら俺はラオス人を殴り殺す。または焼き殺す。そしてもしこの話を奥さんにしたら、俺の奥さんもラオス人を殴ってくれると思うよ。そんくらーい今日は酷い目にあったと自分では思っている。そして今もちょっと泣きたい。なんとかなるよで今まで旅行をしてきたが、今日はなんとかならなかった。なったよなんとか、でもならなかったよ。これはなんとかなったとは言わないよ。「結局なんとかなった」とは、こんな時には使わないし使いたくない。もう二度と、誰にも、俺と同じような目には遭ってほしくない、だから俺はなんとかなったよ、みんなもやってみてねとは言わない。頼むから、ラオスでなんとかなるよと言って公共交通機関を使わないでくれ、頼む!!まず旅行代理店に行ってくれ!!!

っていうか早くこの村を出たいんだけど、どうやったら確実に出られるのか誰か教えてくれ!!!


2015/05/02

ラオスより何も込めないで

【5月2日】

わたしは今ラオスのナヒン村という所にいる。昨日着いたばかりだ。村というだけあって何もないが、しかし自然はたくさんある。大きな山に囲まれていたり、町中を牛が歩きまわり、空はばかでかく開けていて、部屋の前には小さな蛇がいた。

4月27日の夜にバンコクに飛行機で入り、2、3日一人で豪遊し散財し、29日の夜に深夜バスで12時間以上かけて、ラオスとの国境にある街、ナコーンパノムに着いた。わりと大きな町だったが、とくに見るものはなくメコン川沿いを自転車で行ったり来たりした。夜は一人で町をブラついていたら、店の掃除をしている同じ年くらいのタイ人の兄ちゃんが、つたなすぎる英語で話しかけてきた。ビールは好きか、パーティーは好きかと聞いてくるので、「うーん。。。まぁまぁかな。あんま好きじゃない」と答えたが、じゃあこれから一緒にパーティーに行こう、しかももう一人日本人の友達がいるんだぜ、名前はリオっていうんだ。リオー、リオーー!とものすごく嬉しそうに話しているので、まぁ悪い人じゃないし、店も特定してるんだから騙されはしないだろうと思い、しぶしぶ承諾。誘ったんだから奢ってくれるんだろうと思ったら、向かいの7-11でビールを4本とお菓子を買わされた。そして店先で待つこと20分、スクーターでタイ人二人と、若い日本人男性一人が登場。挨拶もそこそこに店先にテーブルを出し、みんなで俺の買ったビールを回し飲みし始める。リオと呼ばれている青年は、本名は「りょう」で今は大学を休学し一人で長期旅行をしているんだとか。タイ人は全部で5人ほどになったが、わたしに声をかけてきたのはその店(板金屋)の社長で、他の四人(男1女3)はそこの従業員らしい。英語が少しできるのは小さいダンプ松本のような、太ももに大きい鯉の刺青が入った女だけで、社長はリオー!リオーー!しか言わない。30分ほど経つと社長がものすごく辛いパパイヤサラダを作り始め、それを食わされた。1時間少し経つと従業員もかなり眠そうだったので(社長だけ元気)りょう君と二人でおいとました。

帰り道にそのりょう君が、あの社長は実はホモで、昨日も一緒に飲んだが、立ちションしてるときに後ろから襲われてチンコを揉まれたと言っていた。

そして次の日の朝9時半、ナコーンパノムからバスで国境を越えて、ラオスに入った。そしておんぼろバスに乗りビエンカムという町に向かう。バスはラオス人で満員でわたしの隣には若い仏僧が二人座っていたが、二人で焼き鳥を食べていた。タイの仏僧は肉オッケーなのだろうか。噂には聞いていたが、ラオスの道はほんとうに凸凹で、縦揺れがハンパない。そして周りには何もなく林や山が広がっているだけ。繁栄度をタイと比較すると、タイが5でラオスが1だ。バスは一時間ほどすると小さい出店がいくつか並んでいる所で急に止まり、何人かが降りたので自分も降りる。店にはどっかで勝手に採ってきたのであろう、野草、蛙、大きい蟻、ナマズ、大きいトカゲ、黄色い鳥、子鹿、ハクビシン?、巨大なムササビ等が売られていた。ものすごく雑に並べられて。それからまたバスで凸凹道をさらに2時間くらい走り、ビエンカムという何もない村で降り、そこからソンテウという乗り合い小型バスのようなのに乗ろうとするが、待てども待てども出発せず1時間ほど経ってやっと動くかと思ったら、色んな荷物を積み始め足下にも目の前にも野菜やら砂利やら置かれて、他に現地人10人ほど乗せてやっと出発。あいかわらず道は凸凹、砂埃や排気ガスがすごくてみんな口を押さえていた。そして山の中をトロトロと登ったり降りたりで、心が折れそうになったが、山の上の方まで登ったときの景色はすごかった。なんというか中国の風景区のような、仙人がいそうな山々の連なりを見下ろしていて、ラオス恐るべし!と思った。しかし車はぎゅうぎゅうでガタガタのゴホゴホで、正直景色を見るのも辛い体勢を強いられていた。

そのソンテウで一時間半は耐えたであろうか、やっと終点のここナヒン村に着いた。しかし本当の目的地はさらにここから、またソンテウで一時間のコンロー村なので、バス停でまたソンテウの出発を待つ。時間はもう午後4時半。今回は人に聞いて、あと30分で出発すると聞いたので、じゃあその前に飯を食おうと思い近くの「英語フランス語話せます」という看板が立っているレストランに入って、フライドライスを注文した。しかしいつまで経ってもフライドライスは来ない。あと10分くらいでバスは出発だというのに、しびれをきらし厨房を覗くと、まだなんか材料を洗ったりしている。おじさん時間ないんだけど。。。と言ってみるが、せかしてもどうにもならない雰囲気。どうしようかなと考えていると、店の前にゲストハウスの看板がある。オジさんにこの近くはゲストハウスあるのと聞くと、たくさんあるよというので、今日はここに泊まろうと決め、冷蔵庫から勝手にビールを出して飲んだ。すると急に気が楽になって、おじさんのフライドライスもやっと出て来て、それと同時にソンテウは出発し、目の前を通りすぎて行った。フライドライスは思いのほか美味しく、店にはwifiもあったので、ネットで調子の良さそうな宿を調べ、そこにチェックインした。値段は600円ほどで、小ぎれいな所だった。wifiもあると言っていたが、全然繋がる気配なし。すぐに風呂場で服を洗濯したら、水が茶色くなった。土埃のせいだろう。


外を散歩したらすぐに日が暮れ、店も全部閉まり、7時前には村はシーンとなり犬の吠える声しか聞こえなくなった。宿で瓶ビールを一本買い、部屋で飲んでいたらすぐに眠くなったので、8時頃にはもう寝てしまった。そうとう疲れていたんだと思う。朝から晩までただ乗り物に乗っていただけなのに、この冒険した感、やりきった感はいったい何なんだろうか。これがラオスの一つの魅力なのかもしれない。今日はそのコンロー村まで行って、全長7.5kmあるというコンロー洞窟の中に入ってこようと思う。今日は大丈夫だろうか。。。