2018/12/28

ラヨーンからトラート、トラートからパタヤ "2018"

【 ラヨーンからトラートまで 】

私はラヨーンからトラートまで行きたかった。
トラートは英語ではTratと書く。しかし現地の人達の発音は、ッタ(ラ)ーッである。
ラのRはかすかに聞こえるだけ。

ラヨーンからトラートに行くには、ラヨーンの新しい方のバスターミナルからロットゥーに乗ると良い。(トラートには行かないでチャーン島に直接行きたい人のバスも、ラヨーンからちゃんとあるらしい。)
時間と値段は失念してしまったが、1、2時間だったような。150Bくらいだったような。ロットゥーはトラートのバスターミナルに着き、そこからゲストハウスが密集しているエリアに行くには、ソンテウ型のタクシーで60B、バイタクがいれば30B、歩いても20分くらいで着く。1.8kmだそうだ。



私は夕方頃着き、Baan Jaidee Guesthouse に行ったが満室で、他の安いとこなら、Sanjun Guesthouse か Pop Guesthouseに行ってみればと言われ、Sanjunに泊まった。安くて清潔そうだったが、共用のシャワーがちょっと壊れていて使いずらい。しかし宿の娘さんがものすごくキレイだった。子持ちだが、顔が小さくてスタイル抜群。

2日目にはその近くにある Basar Guesthouseに泊まった。Sanjunより若干高くなるが、部屋は素敵だった。蚊がたくさんいるが。オーナーは、バンコクはオンヌット出身のおばさん。色々話したが、そこは賃貸らしく月10,000 THBと言っていた。
レンタル自転車は置いてなかったが、近くの家から自転車を借りてきて一日50Bで貸してくれた。
レンタルバイクは、そこからスクンヴィット通りに出たところにあるYAMAHAの店で、一日150Bで借りられる。タイの免許ないんだけど、借りられないよね?と一応聞いてみたが、街中で乗るなら問題ないよと言って貸してくれた。

3日目はそのバイクで、Center Point Ferry Pierまで約20kmを走り、そこからフェリーに乗ってチャーン島に行った。フェリーは一時間に一便くらい。料金はバイクも乗せて片道130Bくらいだったような。そしてチャーン島を3時間くらい走り、また同じ方法でフェリーに乗りトラートまで帰った。非常に簡単だったので、これはオススメ。あとLeam Ngopにあるマングローブの森もよかった。




【 トラートからパタヤまで 】

トラートからパタヤまでは、バスターミナルからバスとロットゥーがある。バスはたしか一日2便だけだったような。わたしは14:30発のに乗ったが、そのバスは最終目的地はピッサヌローク。料金はパタヤまでで150Bくらいだったような。230Bだったかな。。。
しかしこのバス、各駅停車みたいな感じで色々なとこに立ち寄るもんだから、パタヤまでえらい時間がかかった。結局4、5時間かかったような。早く着きたい人はロットゥーに乗ってみたほうがいいんじゃないかと思う。

トラートはとてものんびりした良い町。もう一週間くらいのんびりしてみてもいいかなと思った。チャーン島もバイクで朝一に行って、夕方帰ってくるくらいで私には充分。島は物価も高いので、お弁当なんか持ってってもいいかも。
あとはゲストハウスのオバさんが、チャーン島以外にも、Mak島や、Koot島もいいわよと言っていた。


Basar Guesthouseの部屋、トラートの町、近所のイサーン料理





チャーン島行きのフェリーと、Khlong Phluの滝、Leam Ngopマングローブの森










トラートのプチ地獄寺と、パタヤの友、大好物プラードゥックフー







2018/12/27

パタヤからラヨーンまでロットゥーで "2018"

もうちょっとで今年も終わり
と言いたいところだが日本人なら旧暦だろー と最近思うのであるからして。

このあいだ一人でまたタイに行ってきた。パタヤーとラヨーンとトラート、それにちょっとチャーン島。
あのあたりは、パタヤーより東はネットにも情報が少ない。ので私も微力ながらまた情報を記そう。

【 パタヤ → ラヨーン 】
パタヤーからラヨーンまでの、おそらく一番安い行き方。それはおそらくロットゥー。
まずセントラル・パタヤ・ロードからソンテウに乗って、スクンビット通り手前(終点)まで行きます。その交差点のやや北側にある歩道橋を渡り、反対側に降りると、バイクタクシーがたくさんいます。そこにラヨーン行きのロットゥーが、けっこう頻繁にやって来ます。どれくらいかはわかりませんが、15分くらいなのかな。心配ならバイクタクシーに、「ロットゥー・パイ・ラヨーン?」と聞けば、うんここだよ、と言ってくれるはず。
ラヨーンまでは1時間くらいだったかな。お金は100Bくらいだったかな。たしか




しかしロットゥーはラヨーンの「新しくできたバスターミナル」に着きます。古い方のバスターミナルに行きたかったら、乗り合いソンテウがあるので、それに乗ると15Bくらいで古い方に行けます。
新しいバスターミナルは、「ボーコーソー・マイ」
古いのは、「ボーコーソー・ガオ」
で通じます。

私は古いバスターミナルのすぐ横にある「White square Rayong」 というモーテルみたいなとこに泊まりました。
英語はまったく通じません。スタッフはとても感じが良いです。ファンルームで一泊250Bだったかな。清潔ですが、夜に蚊がちょっと出ました。でも蚊がいない保証のあるホテルなんて今日日ありませんぜ。



古いバスターミナルからは、紺色の乗り合いソンテウで、「ハート・レムチャロン」という浜辺まで行きました。15Bだったかな。ソンテウは5番だったような・・・。自信はないです。
なぜか途中で下ろされたんですが、あれは悪いソンテオで、客も少なくめんどくさいから終点まで行かず、わけがわかってない外国人の私を途中で下ろしたんだと思います。
しかし途中でまた来た同じソンテオを捕まえて結局終点まで行けましたが、そこらへんは臨機応変に。終点からもバスターミナルに向かうソンテオがどこかにあるので、「パイ・ボーコーソー?」と確認して乗って帰ってください。
浜辺は、とくになんもないけど、時間がゆったりしててサバーイサバーイです。





【 ハート・レムチャロン 】
※ Haat はタイ語で「砂浜」の意味です。









2018/11/19

ペナン柔道合宿

今月の頭にマレーシアのペナン島に行ってきた。シンガポール柔道クラブの柔道遠征旅行だ。メンバーは全部で8人。今回は柔道クラブのオフィシャル旅行ではないので、各自が飛行機、ホテルを自分たちで予約した。私はみんなより2日早く着き、一人でのんびり観光などをした。
2日後にみんながそれぞれ到着し、やっとみんな揃って一緒に昼食を食べた。しかしホテルもバラバラで、いつも仲が良いというメンバーではなく、今回初めてゆっくり自己紹介ができたというメンバーなので、統率が取れているんだかいないんだかで、けっこうてんやわんやだった。最初は非合理的な移動やスケジュール調整などにうんざりしそうになったが、みんな不満な顔一つせずニコニコしていた。そんな彼らを見ていると、自分はとても心が狭いなと反省した。私は彼らに柔道を教えているが、彼らも私に大切な事を教えてくれる。我が柔道クラブのメンバーは本当に良いやつが多い。彼らのおかげで私もシンガポールが少しずつ好きになっていく。
今回はペナン柔道クラブで一回だけ練習させてもらった。若いメンバーばっかりで、とても元気があって、かなり疲れたが非常に楽しかった。可愛い子も少しいて、ちやほやされ鼻の下をのばしてしまった。柔道以外はみんなで飲んで食って移動しまくって、かなり疲れたが、たまにはこういうのも刺激になって良いかもしれない。ここ一年ずっと一人でのんびりやってきたので、少しメリハリや刺激を自分が求めているのかもしれない。というかこの旅行で自分の中の眠っていた何かが目覚めてしまったかも。これが進化なのか退化なのかよくわからないが。











2018/10/14

ふるさとへ ~2018~

ヨウヘイは先月末から、実家北海道に帰ってきた。
帰国の前にペナン島、キャメロンハイランドを旅行、そしてクアラルンプールの空港から、新千歳空港行きのエアアジアに乗った。機内は極寒で、真夜中のフライトだというのに、機内食を販売したりなんだりで、なかなか電気を消さないし、本当に拷問かと思った。今でも本当に意図的な嫌がらせなんじゃないかと思っている。

空港に朝方着くと、車椅子の後輩が自分の車で、空港まで迎えに来てくれていた。日本で使う外国人用のSIMカードを探して回るが、適当な価格の物が一向に見つからない。シンガポールのSIMカードと比べても以上に高いし、マレーシアのSIMカードと比べると10倍くらい違うような気がする。結局その日は買わなかった。後輩を観察していたが、車椅子生活のなんとすごい事。車の後部座席に車椅子を積み、それを運転席から引っぱりだして車の外に置きそれに乗り移る。一つ一つの動作が丁重で力強く、すごいな〜と感動した。実家にも上がってもらったが、母も感動していた。

実家にはインターネットがないので、7-11まで行き無料Wifiに接続する。面倒くさいが、7-11には久しぶりに感謝した。結局SIMカードは後日札幌に行ったときに、BICカメラで1880円のものを見つけて買った。これは今までで最安値だ。次回のときのためにまとめ買いしようと思ったが、期限が三ヶ月しかないのであきらめた。

まずは厚真町の被災した友人に会いに行ったが、家は壊れていないものの、まだ帰ることができずにずっと避難所暮しをしていたらしい。状況はなかなか難しそうだった。それでも前向きに考えようとしているところに、正しい人達の強さを見た。

ボランティアができるかなと思って帰ってきたが、私が帰省したなりボランティア受け入れが週末に限られるという変更があり、平日は何もできなかった。というか我が故郷むかわ町はもうだいぶ落ち着きを取り戻し、ほとんどの人が日常生活に戻っているという感じであった。がしかし、余震は毎日のようにあり、私がいる間だけでも震度4が二回、震度5も一回あった。ほとんどの余震は日中に起こったが、一度だけ小さいのが真夜中に来たが、それは日中の震度5のよりも怖く感じた。夜は恐怖心をよりいっそう強くする。

ボランティアもできないので、SIMカードを買いがてら札幌の妹家族に会いに行ったが、甥と姪の成長が微笑ましかった。ゲームが大好きな一家で、夜はみんなでカードゲームやマリオカートで、甥の気がすむまで遊んだ。子供たちが寝てからは、大人達だけで夜中までグダグダと話をする。いつもの恒例行事のようなものだが、妹夫婦と色んな話をするのはいつも面白い。何事も本音で話してくれるので、こちらも本音でなんでも話せてしまう。近頃は本音を話してくれる友達もなかなか減ったように思う。原因はどちらかというと、私が彼らと違う世界に飛んで来てしまったせいではないかと感じている。諸行無常である。

金曜日に札幌から地元に戻り、土曜日は念願のボランティアに参加した。その日は小雨が降っていたが、全国各地から50人ほどのボランティアがわが町に集まっていた。わたしは7人ほどの男性と一緒に、ある民家の壊れたブロック塀などを集める作業、揺れでずれでしまった物置を元に戻す作業などに従事した。午後3時に終わり、無料のシャトルバスに乗って、隣町の温泉に行き、被災者でもないのに無料の温泉入浴券までもらってひとッ風呂浴びてきた。

あとは古い友達にも数人会ってきたが、どれも非常に素晴らしかったので、これは自分の心に中に留めておく。今回はあまり周りに流されることなく、自分の意志というものをいつも以上に意識しながら行動したので、このうえなく素晴らしい帰省になった。いつだってこうありたいもんだなあ。