2015/12/22

プチ激動の2015年




もう12月ですか。早いものです。
今年もまったく抑揚のない一年、と思いきや一つだけ、8月の奥さんの病気、あれだけがとても大変でした。最愛の人を失い一人ぼっちになるところでした。なんて恐ろしい。ほんとうに思い返しただけで、怖くて悲しい気持ちになります。でも思い返す度に、奥さんが自分にとっていかに必要かということを再認識させてくれるので、ときおり思い返すようにしています。

奥さんの容態は、とても順調に回復している、と思いたいところですが、いまだに、大好きだったジョギングができる段階には至っておりません。奥さんの手術をしてくださった病院とは別の、中国医がおっしゃる所によると、やはり入院のときにたくさん服用した抗生物質の影響で、いまだ体が弱っているとのこと。延命のために仕方なかったとはいえ、やはり現代医療の薬というのは恐ろしいものです。

それでもウォーキングをしたり、食べ物にも気をつけたり、しっかり休んだり、できる限りの事はずっとしているので、完全回復もそう遠くはないと信じております。なにはともあれ生き延びれた事に感謝です。

ところで、今年の11月初旬くらいでしょうか、パリで同時多発テロがありました。あの事件をきっかけに、私は急に一人で憤り始めました。なんなんだこの世の中はと。なんだこの胡散臭い世の中はと。何だこの上っ面だけの野郎共はと。何かが狂っているんだけど、何が狂っているのか今一よくわからない。
しかしこのネット社会、調べれば色々と出て来るもので、かなり興味深い情報をここ数ヶ月でかなり手に入れました。おかげで今までモヤモヤしていたものが、ストーンと腑に落ちて、自分のするべき事がだんだん見えてきたように思います。

今まで自分が持っていた常識なんて、実は全然常識でも真実でもなく、少なくともこの腐敗と自由と暴力の真っ只中(By TOM CAT)を生きてくには役に立たないどころか、命取りになりかねない。大事なのはまずは全てに疑ってかかる事です。赤信号をみんなで渡るのはいいですが、必ず運の悪い人何人かが轢き殺されてしまいます。長いものに巻かれるのはいいですが、長いものの意思一つで、簡単に絞め殺されてしまいます。

せめて家族と友達は守ってあげたいと思っていましたが、こんな小さな阿部寛に守れるものなんてせいぜい自分と奥さんくらいです。みなさん自分の身は自分で守りましょう。

とりあえずこれからは世界平和のために、私はお金の使い方をもっと考えていこうと思いました。私が思うに、お金を一カ所に集めるのは非常に危険な事です。たくさんお金が集まれば権力が生まれ、権力は必ず暴走を始めます。なので私はもう大きい会社、企業、とくに戦争を支援しているような所には、ビタ一文払わないつもりです。もともと旅行以外にはお金は滅多に使わないので、私にとっては以前からしてきた事なのですが、それでもApple製品や大手銀行とどう向き合って行くのかが今後の課題です。

ほかには、病院にはなるべく行かない、医者の言うことは話半分に聞く、病気の原因になるような物は一切食べない、食べる量を減らす。そして、情報を得るのも大事ですが、最期には自分の経験や勘を信じる。

わたしはこれで来年もサバイバルしてやろうと思っていますが、どうなることやら。

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ここ数ヶ月でやった仕事をアップしますよ。
最近ほんと暇ですよ。








2015/12/03

ジョグジャ

先週インドネシアのジョグジャカルタに、奥さんと二人で旅行に行ってきました。インドネシアの首都ジャカルタが東京なら、ジョグジャカルタは京都みたいな所だと言われています。

日程は
1日目、昼過ぎにジョグジャカルタに着き、街をブラブラする。
2日目、博物館、美術館、市場などを見て回る。
3日目、朝から公共バスを乗り継ぎ、ボロブドゥール(ユネスコ世界遺産)のある村に移動する。
4日目、朝8時頃からボロブドゥール見学。昼からまたバスでジョグジャカルタ市内に移動。
5日目、朝からまたバスで、プランバナン寺院群(ユネスコ世界遺産)のある村に移動。私は自転車を借り、村の周りをグルグル。夜にラーマヤナ舞踏を鑑賞。
6日目、朝からプランバナン見学。昼からまたバスでジョグジャカルタ市内に移動。
7日目、鳥市場、王宮、博物館などを見て回る。
8日目、朝4時にタクシーで空港へ行き帰国。

こんな感じでした。ジョグジャカルタの街は車とスクーターで溢れていて、排気ガスの臭いがすごく、街全体が少し白くかすんでいました。さらに街から数十キロ離れた田んぼだらけの田舎のほうでも、町中で同じ臭いがしたので、たぶん車自体が古いか安いかで、悪いガスを大量に放出しているのかもしれません。

人はとても親切で優しかったです。街にはいたる所にグラフィティ(落書き)があり、音楽のストリートパフォーマンスもしていました。食堂でメシを食べていると、よく流しの弾き語りの人がきて、みんな小銭をあげていました。わたしがバスに乗っていたときも、おじさんが一人乗り込んできて、なんと日本語の歌を歌い始めました。別に私がいたからというわけではなく。知らない歌でしたが、サビの所は「アイハ イツモ ララバイ」
と歌っていました。あとで調べてみたら、五輪真弓の古い歌でインドネシアで人気があるようです。汚い格好をしたオジさんで、ギターもボッロボロで、歌も下手くそなんですが、すごく癒されました。こういう人をアーティストと呼ぶのは邪道なんでしょうか。日本語の歌でしょと話しかけたら、これはわたしの一番好きな歌なんですと言ってはりました。




街中に「ベチャ」という自転車の人力車がいて、メインの大通りだったら、10m歩けば2、3人から乗らないかと声をかけられます。けっこう積極的で、50mくらいずっと後ろについてきて勧誘を続けたオヤジもいました。かなりうざかったです。でも料金はかなり安く、奥さんと二人で1、2km乗っても100円しないくらい。でも私たちは観光客なので、ときおり倍くらいの値段を言われますが、それでも笑顔で払いました。なんせ相手はけっこう年のいった、40〜70歳くらいのおじいちゃんなんです。そんな方々が坂道では自転車降りて、一生懸命後ろからベチャを押してくれるのです。

肝心の食べ物ですが、とても良かったです。我々夫婦は菜食なんですが、「テンペ」という大豆を醗酵させた食べ物や、温野菜にピーナッツソースをかけた「ガドガド」という料理ばかり食べていました。あとは外を歩いていると、いたる所にマンゴー、パパイヤ、ジャックフルーツ、ランブータンの木があって、美味しそうな果実がたくさんなっていました。本当に美味しいのかはわかりませんが。

ボロブドゥールとプランバナン寺院群ですが、言うまでもなくすごかったです。なんてったってデケェ。デカいってやっぱすごい事なんだなと思いました。しかもただ石を積んだだけで作ったっていうんだから、昔の人はすごいなぁと感銘を受けました。しかしこれのために何人の労働者が死んだのかと思うと、仏教もへったくれもないなと思いました。あとけっっこう入場料が高いので少しイラッときます。

そしてもう一つとても印象に残っているのが、鳥市場です。鳴き声がきれいな、カナリヤとかウグイスとか、他にもニワトリ、鳩、カラス、フクロウ、キツツキまで売られている市場に行きました。しかもそこは鳥だけではなく、大きなヤモリ、イグアナ、コウモリ、アナコンダ、そしてもちろん猫や犬も売られていて、とても小さな檻に入れられていました。そして一匹の不細工だけど毛なみの良い猫が、私が近づくと急に鳴き出して、檻に何度も頭をこすりつけるんですが、それを見てものすごく胸が苦しくなりました。もちろん犬もそうだし、フクロウもほんと可愛くて、だからなおさら悲しくて。そのときに、こんな残酷な事をしてるのだから、人間はやはり罪深く、我々の世界から苦しみ悲しみが消える事は絶対にないのだなあと思いました。いつか人間以外の動物が協力し合って、人間を皆殺しにし人類を滅亡させてくれる日がくればいいなあ。さっさとくればいいなあ。
でもフクロウが本当に可愛くて、これ家で飼えたらどんなに幸せだろうと一瞬思いましたが、そうやって動物を買うという行為が、きっとこういう残酷な商売を続けさせる原因なのだろうと思って深く反省しました。

そんなわけで、少し長いかなと思っていた一週間も、終わってみればけっこうあっと言う間でした。とくにジョグジャカルタ発の色んなツアーがあったので、友だち2、3人で数週間くらい休み取って行ったら、さいっっこうだろうなと思います。




















最後に貧乏旅行の旅人へのジョグジャカルタ情報を少し。ガイドブックにもネットにも意外と情報が少なかったので。

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【 ジョグジャの安宿街 】
ジョグジャカルタには、安いホテルが集まっている所が2カ所あって、一つは駅前の「ソスロウィジャヤン通り」もう一つが「プラウィロタマン通り」ですが、私が行ったときは「ソスロウィジャヤン通り」の方は完全にすたれていて、旅行者が全然いませんでした。「プラウィロタマン通り」は宿のバリエーションもピンからキリまで色々あり、オシャレなレストランやカフェもたくさんあって、旅行者と地元の若者で大変にぎわっていました。さらに一本裏の通りや、一つ西に行った区画は静かで、安くて居心地良さそうな穴場のホテルがたくさんありました。なので、特にマリオボロ通りや駅に用事がない人は、ひとまず「プラウィロタマン通り」の方に宿をとってから、「ソスロウィジャヤン通り」をあとで見に行くといいと思います。

【 ボロブドゥール と プランバナン寺院群 】
日帰りで行くのもいいですが、日中に行くと日差しがとても強く、人も多くて大変なので(しかも私達が行ったときはまだ雨期が続いていて、午後は毎日強い雨が降っていました)時間があるなら現地のホテルで一泊し、朝一で行くとまだ暑くもなく人も少ないので、落ち着いて観光できると思います。どちらもたしか6時から開くはずなので。私達が行ったときは、朝5時半には外はもう明るくなっていました。

でも、ボロブドゥールとプランバナンも、観光地の割には旅行者向けのレストランやカフェなるものがほっとんどありません。ですから、地元のワルン(食堂)などでは食べたくないという人は、レストラン併設のホテルに泊まった方が便利かもしれません。

ちなみに私達は、ボロブドゥールではagodaで見つけた「Cempaka Borobudur Guest House」に泊まりました。部屋はそこそこキレイでしたが、狭くて少しジメジメしていました。でも隣に有名なロータスゲストハウス1という宿があって、いつもそこの併設されたレストランでご飯を食べましたが、とても美味しかったです。

プランバナンでは、「Candi View Hotel」に泊まりました。少し古いホテルですが、部屋は広くてホットシャワーもありました。料金はさほど安くありませんでしたが、レンタル自転車はタダだし、ラーマヤナ舞踏鑑賞の予約もしてくれて、私と奥さんをスクーターで劇場まで送ってくれました。プランバナン寺院群を見に行くときも、帰りにバス停まで行くときも、またスクーターで送りましょうかと声をかけてくれたし。あと朝ご飯もとても美味しかったです。そんな感じで色々お世話になったので、ここで少し宣伝させていただきました。よかったら行ってみてください。

【 ジョグジャカルタ発のツアー 】

プラウィロタマン通りにある旅行会社でもらったパンフレットの画像です。だいたいこんな感じのツアーがあるという参考にしてください。ちなみにこの旅行会社は「Hotel Kirana」の向かいにあった旅行会社です。





2015/11/13

ドームイン夜

昨晩スンゲポール対大日本帝国のサッカーW杯予選だかなんだかの試合を観戦しに行った妻と。チケットは二番目の安い席で28ドル。ゴールの斜め後ろであったが全く問題なく、18ドルの一番安い席でも良かったかなと思う。

初めてナショナル・スタジアムの中に入ったが、なるほど素敵でした。広くてトイレたくさんあってビールやファーストフードの店もあって、なにより音の響きがよかった。
選手が準備運動しに出て来たが、本田だけ金髪なのですぐわかった。生で見る本田は、足がすごく太く、その太さのせいでやや短足に見え、なんかゴリラみたいな、他の選手とは違う異様な感じがした。これは褒めています。とにかくただ者じゃない感じがした。

そしてまだベンチにも客がチラホラだというときに、一人の日本人のおっさん、ちょっと太っててラフにスーツ着てるオッサンが、練習する選手の方に向かって「本田!頼んだぞー!」と叫んだ。その瞬間なにかすごくしっくりこない変な物を感じた。頼んだぞ?本田、頼んだぞ?
たくさん人がいて、みんなで応援してて、その中でどさくさに紛れての頼んだぞー!なら違和感なかったと思うが、一人でポツーンと立ってるオジさんが急に本田頼んだぞー!
普段から日本語を教えている身として、頼んだぞの真意を考えてしまった。もちろん要するに頑張って勝利に導いてくれよ!という意味なのはわかってるが、私もつられて本田!おまえ今頼まれたぞー!このオッサンに頼まれたぞー!と叫びたかった。

まぁそんな事はどうでもいいんだが、サッカーの試合というのを生まれて初めて生でちゃんと見たけど、なかなか面白く90分全く目が離せなかった。地元民の席に座っていたので、日本に点を決められたときは、みんなでアラマーー!(偶然にもマレー語であらまぁという意味)と叫び、シンガポールが好プレーをしたら手を叩き、本当に楽しい90分だった。やはり素人目に見ても日本チームは上手で強かったので、シンガポールは負けてしまったが、とても良い雰囲気で試合が終わり、日本人もシンガポール人も笑顔でスタジアムを後にしたと思う。日本代表にはあまり興味がないが、サッカーがなかなか面白いスポーツだとわかったので、また今度日本やシンガポールチームや、他のなじみのあるチームの試合を見てみたいと思った。チケットが30ドル以下ならば。



2015/11/11

ソープにさよなら

2週間前にレボリューションをしました。
そのレボリューションとは、石鹸を使わないこと。シンガポールへ来てから、なんとなくシャンプーを止めて、洗顔クリームもやめて、頭も顔もオーガニック石鹸で洗ってきました。それで以前よりやっぱりなんかよくわからんけど良いような気がする〜と思っていたのですが、こないだ日本に帰ったときにテレビで、堺正章の元嫁の名前はわからないですがクソ可愛いオバハンが、わたし顔洗うときは何もつけないんですよとか言いながら美肌の自慢をしていたのを見て、それを急に思い出しいきなり止めてみた次第です。それを信じたというよりは、けっこう前からやってみたかったんですが。

最初の2日間くらいは、ちょっと抵抗があり、まだなんかヌルヌルしてんじゃんという肌と頭をタオルでぬぐうのが躊躇われたんですが、もう慣れて全然平気です。調子がよくなったとまでは言いませんが、悪くはなってない気がするし、今度北海道へ帰ったときも、前みたく肌がカサカサにならないんじゃないかな、ならないよ、きっとならないよこんな大胆な事してるんだから、という希望的観測をしています。なんにせよ石鹸代浮いたぜラッキー。



2015/11/03

岸辺のシロー



先週末エスプラネードで、舞台「海辺のカフカ」を見てきました。村上春樹原作で、主演は宮沢りえさん。
前から3列目だったしきっとチケットはお高かったと思うんですが、もちろん私が買ったわけではなく、日本語を教えているフランス人の方からいただきました。お連れ様が行けなくなったみたいで。なのでその人と二人で見ました。
エスプラネードで舞台を見るのは初めてだったのですが、今回の舞台が行われるところはオペラハウスみたいな4階席まである劇場でした。お客さんはおそらく半分以上が日本人だったはず。それもそのはず、劇は全部日本語で、ステージの両端に小さいスクリーンがあって、そこに申し訳程度に英語字幕が流れるだけなので。

劇は午後8時ちょうどに始まり、いきなり舞台の奥からガラス張りの箱に入った宮沢りえさんが出て来ました。わたしはなぜだかものすごく興奮して、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。けっこうミーハーだったみたいです。そのあとも藤木直人さんが出て来ましたが、藤木さんの時はとくに感動もしませんでした。やはり宮沢リエは特別です。

ほかの役者さんは、知っている人はいませんでしたが、でも宮沢さん藤木さんを筆頭にみんなとてもいい演技で、すぐに劇に引き込まれました。ものすごく長いセリフもたくさんあって、逆にわたしがハラハラしましたが、みなさんきちんと演じきっていました。内容もとても難しく、小説を読んでなかった人はチンプンカンプンだったと思います。難しいというか、猫と話したり、カーネルサンダースが出て来たりと、とてもエキセントリックな内容です。
わたしは村上春樹の小説はほとんど読んだことがないのですが、奇跡的に「海辺のカフカ」だけは読んでいたので、なんとかついていけました。

おそらくこの小説を読んでいない、しかもみんなシンガポール人だと思うのですが、私にとっては全く笑う必要のないシリアスな場面で、なぜか会場から笑いが巻き起こったりしました。たとえば脇役のおっちょこちょいな女性が諺を忘れてしまったときとか、藤木直人が自分の身体の秘密をカミングアウトしたときとか。
となりのフランス人の方も、なぜみんな笑うのかやはり不思議だったと言っていました。

そして3時間はあっというまに過ぎ、役者さんがみんな出て来て、頭を下げたり手を振っていましたが、このときも私は宮沢りえさんだけを見ていました。ほんとうに綺麗でした。5分くらいずっと拍手をして、劇は終わったんですが、フランス人の方が、フランスだとこれが30分くらい続くんですよと言っていました。フランスで舞台は見ないようにします。


2015/10/24

引き蘢る日々













また元のシンガポールに生活に戻りました。そして今日もヘイズがひどく、お外が真っ白でお外に出られないので、お内で中国語の勉強したり、インターネット・サーフィンなどをしています。

今日はあまり何も考えずに「北海道」「自給自足」というキーワードで検索していました。もしかしたら北海道が恋しいのかもしれません。

そこで「北海道移住ブログ」というブログを見つけました。ブロガーさんは、神奈川県の川崎に住んでいたらしいですが、東北地震を機に北海道に移住したらしいのです。このブログがなかなか面白くて、もう3時間くらいずっと読んでしまいました。とにかく行動力があり前向きな人で、なかなか読んでいて痛快です。北海道に移られてからも、北海道の事を道外の人からの目線で、とても的確に書かれているので、元道民としては意外な事や納得させられる事がたくさん書いてあって、非常に面白いです。

私も十分に北海道が大好きですが、もしかしたら、私が思っている以上に北海道は魅力的な所かもしれません。道内旅行編はまだ全然読んでいないのですが、またときどき読ませてもらおうと思っています。北海道にちょっと帰ってみたくなりました。

もし帰ったら、すごく安い所に住んで質素な生活して、またあまり働かないで、家庭菜園とかもしてみたいです。もっと欲を言えばヤギを飼いたい。

2015/10/21

おれたちのJAPAN -2015 秋-

先月末から2週間ほど日本に帰りました。
東京に6日ほどいて、そのあと北海道に渡り、札幌に行き、旭川に行き、実家に帰り、青森にも行ってきました。かなり久しぶりに会う友達がたくさんいました。変わっている人もいれば全然変わっていない人もいました。

日本はどこもあいかわらず平和そうで、食べ物は美味しく、人は優しかったです。しかし正直に言うと、食べ物は放射能の問題もあり、やや心配しながら食べなければいけなかったし、こんな不安定な社会状況においても、あまり我関せずと言う感じのマイペースな人達には、ちょっと心配になりました。でも東北地震以降、そんな事ばかり考えて生きてきて、もう自分ができる事は全部やった気がするし、そろそろ終わりにして、また自分の危なっかしい人生に集中しようと思いました。

シンガポールもヘイズ(煙害)が年々ひどくなってきてるし。北京の空気汚染を哀れんでいた頃が懐かしいです。毎日お外が真っ白になっていて、もう以前のように気軽に自転車に乗って遠出するという事もできなくなってしまいました。そろそろシンガポールも去り時なんでしょうか。

ところで、日本で食べて美味しかったものを自慢がてらに羅列しようと思います。

まず鎌倉の「麻心(まごころ)」というマリワナ好きが集まりそうなオーガニック系?レストランで食べた、なんたらかんたら定食。肉食べてたときはベジ料理なんて全然美味しいと思わなかったけど、ベジ人間になってからは、レストランのベジ料理がもう美味くてたまんねー。たくさん食っても胃にもたれんし、健康にも環境にもいいべさ。

青森の浅虫温泉「秋田屋」の夕ご飯、朝ご飯。俺は天下の北海道からいらっしゃったんだから、青森ごときの料理じゃ満足せんよと思ってたけど大間違い。海鮮、総菜、白米にリンゴジュース、全部泣けるくらい美味かった。青森さんすごいっす。

北海道、美瑛町の丸太小屋のレストラン「木のいいなかま」で食べた坊ちゃんカボチャのシチュー。小さい坊ちゃんカボチャそれ自体が器になってて、そん中にシチューが入ってて、その器のカボチャも食べれる。野菜は近所の農家さんが作ってて、どれもこれも美味かった。とくにカボチャ、トマトは、東南アジアではぜっったいに食べられないクオリティだった。こんなの毎日食える北海道人は幸せだなーとか上辺では言ってみるが、ときどき食べる俺の方が幸せ度高いに決まってる。

札幌ススキノ、ロビンソンの地下2階にある回転寿司「魚一心(さかないっしん)」。とりたてて有名な店ってわけじゃないと思うけど、前にたまたま来たらすごく美味しくて、札幌に来る度に一人で来てしまう。ほんとは放射能とか気にしてるし、普段から肉も魚も全く食べないんだけど、やっぱ寿司だけは別で、年に一回程度だからいいかと食べてしまう。他にもっと美味しい店もあるんだろうけど、この店で俺は十分泣き、震え、舌鼓16連打できるので、もう札幌で寿司と言ったらここにしか来ない。

他にも色々美味しかったけど、そりゃ北海道だから美味いに決まってる。

でもちょうど帰ったときにTPPがなんたらかんたらテレビでやってたから、これから日本の食も色々変わってくるんだろう。どうでもいいけどね、もう原発爆破で日本の食は十分レイプされちまったから。日本の料理が食えなくなったら、他の料理を食うまでさ。おれはなんだって食えるし、どこでだって生きていける。もっと自由に、執着せずに生きてかなきゃいかんね、そんな事を思った今回の帰省でした。