2012/12/20

クアラルンプールにアフリカ系黒人がなぜかたくさんいる

















あれからマラッカの宿にて、日本人青年二人と会って
一緒にバスでクアラルンプールまで来て、3人一緒に同じ部屋に一泊した。
一人は知的な感じの大学生で、もう一人は大柄で明るいB-boy系青年。

二人とも東南アジア旅行は初めてなので、わたしのリードで2、3日一緒に観光した。
久しぶりの団体行動で少し疲れたけど、旅の思い出をシェアするというのは
いつも一人旅の私にとっては、なかなか貴重な経験で楽しかった。
それにみんなで食事すると色々なものが食べられるし、ビールも美味しい。

昨日も夕食のあと、夜の2時近くまで、みんなでBarでビールを飲んだり
水タバコを吸ったりした。それからついにお別れをし、一人は日本へ帰国
もう一人はマレーシアを北上して旅を続けるそうだ。
そしてわたしも今夜の深夜バスでシンガポールへ帰る。

たった一週間だったが、毎日お酒を飲んでいたせいかとても長く感じた。
さらにたいして観光にはお金を使ってないし何も買ってないのに
いつもの旅行の2倍くらいお金を遣ってしまったよ。
物価はすごい安いのにどうしてだろう。しかし深く考えるのはよそう。

マラッカもクアラルンプールも、ほんとうに居心地がよくリラックスできた。
またヒマなときはフラッとこよう。


そして今回もリラックスしすぎて写真は一枚も撮らなかった・・・。

2012/12/16

マラッカより愛を込めて

















この時期、日本語を教えている外人野郎共が、旅行だなんだと休みばかり取るので
じゃあ俺も休んだるわということで、マレーシアはマラッカに一人でやってきた。
でもまだイラストの仕事が少しあるので、今回はパソコンも持ってきた。

以前泊まったことがある、日本人客が多いゲストハウスに泊まっているが
以前とは違い日本人は全然いない。みんなわたしが着く直前に
ちょうど出て行ったらしい。つくづく日本人に縁がないわたし。
おかげで部屋にこもって仕事したり小説読みふけったりして、まったりと過ごしている。

この町はもう何回も来たことがあるので、あえて見る物もとくにないのだが
飯が超うまくて超やすい。もう一度言おう、飯が超うまくて超やすい。
だから三度の飯が毎回楽しみでしょうがない。
やっぱ飯が美味いというのは旅行にはかかせないね。
さらにシンガポールと違ってリキュール類が安いから
300円くらいのラム買って一人でチビチビ飲んでいる。

今日はバスに乗って動物園へ行ってきたけど
マレーシアの動物園はあいかわらず動物との距離が近い。
長い棒でもって、食事中のコウモリのペニスつついてやった。
めっちゃイヤな顔してゆっくり逃げてったわ。
今度は平日の客少ないときに行って、一日中ちょっかいかけてやるわ。うざいよねー。

日本では選挙が終わったらしいが、案の定自民党の圧勝らしいではないか。
やはり大半の国民には自民党が必要なのか。それならばしかたない。
過半数以上の国民がそれで幸せになれるなら、わたしは我慢しようじゃないか。
原発稼働して徴兵でも戦争でもしてくれよ。
私の好きなものもどんどんなくなっていくなきっと。

私はもういいがこれから大人になっていく子供たちはかわいそうだ。
アホみたいな教育受けてアホみたいな大人に囲まれて。
わたしたちの時代はまだよかったよ。だってブルーハーツがいたんだもの。
20代の頃は、ブルーハーツって熱いけど、ちょっと大袈裟だよな
なんて思っていたけど、今になってブルーハーツの言ってたことは
ヒロトが歌っていたことは、ちっとも大袈裟じゃないんだってわかったね。

いい大人になって、ブルーハーツの言ってることが
少しずつ自分にしっくりこなくなっているキミ。
キミはきっとよからぬ方向へ進んでいるぞ!気をつけろ!

ブルーハーツを聞いて育ったものには、ある宿命が課せられているんだ。
そのことを忘れるな。

2012/12/13

清き一票
















もうすぐ選挙。せっかく山本太郎に投票しに行こうと思ったのに
よく調べてみたら、投票する手続きに2、3ヶ月を要するみたいで
どうやら今回はこっちで投票はできないらしい。

俺が入れなくても山本さんが受かるかどうか、とても不安だ。
俺が今まで投票してきた人は例外なく当選したので
今回も俺の力でなんとかしようと思ったが、ちょっと難しそうだ。

なんでわたしがこんなに山本さん推しなのか。
わからない奴は俺のケツにキスしな。


しかし山本さんを抜かしたら、いったい誰に投票するというんだ。
今の世にほんとうに信用するに値する政治家がいるというのか。
少しはいるかもしれないが。

まさか信用できるかどうかはわからないが、なんとなく票を入れるとか
そんなわけのわからん事をする奴はいないだろうな。

「若者は必ず投票に行ってください」なんていう安いキャッチコピーにだまされて
とにかくしないよりした方がいいとか、またズルい大人にそそのかされて
なんの根拠もない事を実行するやつはいないだろうないるだろうな何万人も!

支持する人がいるなら投票する。支持できる人がいないなら投票しない。
そんなの子供でもわかるだろう。
それを変な理屈くっつけて無理矢理投票させようとしてる奴の多いこと。
原発作ったときだってそうだっただろ。
直感では、そんな危ないことしたらあかんと思ってたけど
わけのわからん理屈に簡単にだまされてこのざまじゃないか。

支持できる人がいないならどうして、俺はおまえらは信用できんと
胸をはって無投票にしないんだ。それも一つのアクションだろう。
それをたいして信用もできないのに投票するだなんて
そんなややこしい事をするから事態がどんどん複雑になっていく。
何も知らない奴がなんとなく入れた一票は、私はあなたを100%支持しますという
大きな力を持った一票となって、得体の知れない政治家に力を与えるのだ。

投票に行かなくたって政治に関われる事はたくさんある。
デモやったり、悪口いいふらしたり、家に火炎瓶投げたり。


津波のあとにどんだけバカにされたよ政治家に。
私はもう二度とあんな思いは、したくないんだなあ。

2012/12/12

stay hotel


















今日、安い食堂で一人で晩飯を食ってたら
わたしが座ってるテーブルの横のATMに、ある家族連れがきて金を下ろし始めた。
奥さんと旦那さんと、雨合羽を着た3、4歳くらいの女の子が一人。

その女の子が私の方をジッと見ている。
しかしわたしは、シンガポールの子供はあまり躾がされてなく
無愛想な子が多いと思っているので、いつものように無視していた。

すると女の子がいきなりわたしに「ハロー」と話しかけてきた。
あれ?と思ってその子を見ると、とても可愛らしく笑顔でこっちを見ている。
珍しく可愛い子もいるもんだなと思い、わたしも笑顔で「ハロー」と返事をしてあげた。

そしてまたわたしは飯を食い始めたが、女の子はまだこっちを見ている。
しばらくして、また女の子が「ミッキーマウス」とつぶやいたので
見ると右手にミッキーマウスのシールが貼られていた。
「かわいいね〜ミッキーマウス」とまた笑顔で返事をしてあげた。

さらにしばらくすると今度は「どこに泊まってるの?」と聞いてきた。
「泊まってる?」と聞こえたが、聞き間違いかと思って
「ごめん。なんだって?」と聞き返したら、やはり
「今日はどこに泊まっているの?」と、今度ははっきり聞こえた。

しょうがないので、なぜか見栄をはって
「オーチャード※ にあるホテルだよ」と答えた。
(※高いホテルがたくさんあるエリア)


女の子の両親がお金を下ろし終わったらしく、女の子は笑顔のまま
両親に手をひかれてどこかへ行ってしまった。

なぜ「どこに住んでいるの?」ではなく
「どこに泊まっているの?」だったのか。


子供にはわかるようだ。
わたしがいまなお旅を続けているということが。

2012/12/10

UNKNOWN

あるイベントのために描いたイラストですが
けっきょくイベント自体がなくなったらしく
使われることはありませんでした。

某有名ソーシャル・ネットワーキング・サービスを使って
自分の居場所を友人たちに伝えようとしている男です。




2012/12/07

ソーシャルなギフト


今月5日に発売した月刊ソトコト1月号
「ソーシャルなギフト」という特集で、イラストを描かせていただきました。
今回は、紙や布を使って物を包む、プロセスのイラストを主に描きました。
これを見れば自分で簡単に包装ができるので
もうデパートで、店員さんの手をわずらわせる必要はありません。
何事もまず自分でやってみましょう。







2012/12/02

DON'T BE AFRAID
















昨日久しぶりに冒険をした。

出先から家に帰ってきて、時間は昼の1時。
外はとても天気がよく、こんな日は久しぶりにプールに行きたいなと思った。
しかし今は雨期なので天気はすぐ変わる。
少し遠くにある大きい市民プールに行きたかったので
きっと40分かけて着いた頃には、大雨になっているだろう。
ああやっぱり今日も家でゴロゴロしよう、とあきらめかけたとき
心のどこかでもう一人の私がつぶやいた。


「本当にそれでいいのか。先週からずっとプールに行きたがっていたじゃないか。
その度に行かない理由を探して延期して。今日もまたそれでいいのか。」


そうだ。たしかに私は、せっかく時間をかけて行ったのに
雨で台無しになるという恐怖に縛られ、ここ数日まったく外に出なかった。
しかし、もしこれが旅行先だったらどうだろう。きっと私は

「雨が降ったっていいじゃないか。たとえ何が起ころうと
自分がしたいと思った事をして、結果的に後悔するなんて事は絶対にない。
当たって砕けろだ!」

そう言って傘も持たず外に飛び出すだろう。それがどうだ。
普段の生活にすっかり慣れきって、無難に生活することだけに執着してしまった
なんて恥ずかしいヒゲ坊主だろう。

起こるかどうかもわからない事に縛られて、やりたい事もやらないなんて
おまえ今までそうやって生きてきたのか。おまえが心から幸せを感じるとき
生きている事に感謝できるとき、それはどんなときだった!
思い出せ!取り戻せ!あのときの熱い気持ちを!

そしてわたしは、水着と水中メガネをカバンに詰めて
迷う事なく家を出てプールに向かった。
電車に乗っているときに、やはり雨が降り出したが
それを見てもなんとも思わなかった。わたしはまだあきらめていなかったのだ。

そしてプールに着いたとき雨は小降りになったが
プールの入り口には「悪天候のため開園は3時からです」と書かれた看板があった。
わたしはそんな事もあろうかと、用意してきた枕をカバンから取り出し
ベンチに寝転がり開園を待った。

プールは予定時刻の30分前くらに無事開園し、大勢の家族連れと一緒に
波のプールや、流れるプールで2時間くらい遊び、プールを後にした。

正直、期待していたほど楽しくはなかったが、帰りの電車の中で
再び降り始めた雨を見つめながら、勇気を出して行動を起こした自分を
精一杯褒め讃えてやった。

そう、今のわたしはもう雨など恐れない。
なぜなら勇気を持って恐怖に立ち向かったなら
その向こうには必ず何か得る物があるとわかっているから。

わたしはもう、恐れない。



~完~

新党「今はひとり」





















シンガポールでもどうやら選挙の投票に行けるみたいだけど
今回は絶対行かないぞと思っていたが
どうやらメロリンQが出馬するみたいじゃないか。

それなら行くわ。

これでふたりだね。



記者会見の模様

2012/12/01

現状維持



















今もよく柔道の練習に行っているが
行くと次の日から恐ろしい筋肉痛になる。
恐ろしく体が痛く、なかなかすぐに治ってくれない。
そして最近そのなかなかのレベルが上がってきて
このあいだは完全に筋肉痛がとれるまでに6日かかった。
これははたして筋肉痛なのだろうか。それとも打撲なのか?

しかし柔道を続けていてふと思うのは
はたして自分は強くなっていっているのだろうかということだ。
続けているんだから強くなるはずだが
筋力は1週間でもトレーニングを怠るとすぐに退化している。

たとえば懸垂が10回できてても、旅行から帰ってくると8回しかできなくなっていて
また10回できるようにトレーニングする。
筋力はそんな感じなので、スポーツにおいて筋力というのはやはり必要だから
自分が去年の自分よりも強くなっているのかどうかはよくわからない。
かといって、今以上にトレーニングを増やそうとも思わない。

ということは、私は現状の維持のために、これだけエネルギーを使っているのだなあ。

2012/11/28

朋友来星












先週から6日間、北海道の友だちが、一人でシンガポールに遊びに来てくれた。

3年間同じクラスで学び、学校を卒業してからも、よくツルんでいた悪い友だちだ。
わたしが20代前半にやった悪事は、だいたい彼と一緒にやった。
そんな友だちとの10年以上ぶりの再会だったので、積もる話もたくさんあり
毎晩遅くまで二人でビールを飲んで話をした。


わたしはこっちではあまり人と話す機会がなく、いつも非常に無口なので
年々口数が減って、無口で無愛想な男に変わってしまったと思っていたが
彼との会話はとても楽しく、ずっとしゃべりながら二人で観光をした。
ここ3年間でシンガポールで話した量よりも
この6日間で彼と話した量の方がきっと多かっただろう。


普段一人ではできなかった事も、二人でやると意外と簡単にできるもので
謎のホステスの群れを追っかけたり、ディスコに潜入したり、娼婦に声かけてみたり
二人ともタバコなんて吸わないのに、水タバコを2時間近く吸ったりした。


今日からまた少し静かな日々が始まるが、それもまたいいだろう。
この日々のおかげで、友だちがいかに素晴らしいかがよくわかる。

明日もこの調子でいこう。

2012/11/22

ヒッキー



















シンガポールは雨期だ。
毎日雨が降っている。激しい雨だ。

とてもいい天気に見えても1時間後はどうなってるかわからない。
そんな天気じゃどこかに遊びに行こうという気もおきない。

さらにもう11月末なので、この時期は飛行機のチケットも比較的高く
旅行にいく気もおきない。

それでついつい家にこもりがちになり
家の中で映画かドラマでも見ているうちに夕方になってしまう。

いかん。

いかんぞ。

ここから抜け出さなくては。

2012/11/09

フードバトル

















きのう奥さんのお母さんの誕生日だったらしく
家族みんなでレストランに行って晩飯を食べた。

予約していたらしいタイレストランの予約が取れておらず
慌ただしく違うレストランを探し、お父さんが中華系の料理しか食べられないらしく
否応なく中華料理のレストランに入り、あとからどんどん奥さんの兄弟家族が集まり
子供がきて赤ちゃんがきて、イスが足りず飲み物も皿も足りず
しかしイスに座った人からどんどん料理を注文し
乾杯もなにもなく、テーブルにきた料理に片っ端からみんなで箸をのばし食うわ食うわ。

まるでテレビでよくある大家族の子供が、早いもの勝ちだと我れ先にと
食べ物を奪いあうようなそんな勢いでみんな黙々と食べる。
誰もビールも飲まず、白飯も食わず、ただこってりとした肉料理をひたすら食べる。

こっちにきた最初の頃は、ハンパに日本人ぶって、ちょっと躊躇していたが
今は日本人である必要も、彼らに気をつかう必要も全くないとわかったので
とにかく目の前にある物をたいらげる事に集中した。

しかも私は奥さんの家族の言葉である広東語が全くわからないので
誰かと話す必要も、会話を聴く必要もない。
食べたいものを注文し、なにも気にせずただ食べる。
非常にシンプルで野性味溢れる晩餐であった。

しかしこういうのは年に一度だけで充分だろう。
月一で食べたとしても、けっこう健康のことが心配になるくらいの
コレステロールの塊のような料理だった。
今週末はたくさん走って汗をかこう。

2012/11/04

カボチャの語源はカンボジア


先月末から一週間ほど、奥さんと二人でカンボジアに行ってきました。

カンボジアといえば、世界文化遺産のアンコールワット遺跡です。
せっかくなので行ってみようと思っていたのですが、出発前日から奥さんは風邪気味で
それが首都プノンペンに着いてから悪化してしまい、最後まで風邪は完治せず
プノンペンから移動する事ができなく、アンコールワットには行けませんでした。

かわいそうに奥さんは、最初の2日間だけ軽くプノンペン観光をしただけで
あとはずっとゲストハウスのベッドで、ナショナルジオグラフィックチャンネルを見て
早くシンガポールに帰りたいと泣きべそかいていました。

しかし私は元気満々だったので、自転車をレンタルして
4日間プノンペンの街を走り回り、観光というか、ただひたすら
朝から晩まで自転車をこいでました。

あとはひたすら食べて、飲んで、ゲーセン行って、ジョギングしてとか
そんな感じでしたが、意外と楽しかったです。
それも全て、プノンペンの人達が本当に優しくて誠実だったからだと思います。
前回タイのサムイ島に行ったときに、守銭奴島民に無下に扱われたり
外国人価格などというものでぼったくられ、心に浅い傷を負ったのですが
今回プノンペンの人達がそれを癒してくれました。

もちろん畑の肥やしにもならん屁みたいな野郎も少しいたのですが
大半の人は、ほんとうに親切で、首都に住んでる人がこんなにすれてないんだったら
地方に住んでる人はさらに優しいのかと、ちょっと寒イボが立ちました。

まぁそうはいっても貧困問題は、けっこう深刻そうで
学校に行けない子供なども、まだまだたくさんいそうでした。

また今回の旅行で、ポル・ポト政権時代の大虐殺に関して色々知る事ができましたが
あの出来事は本当にかわいそうで、思い出す度に胸がしめつけられるんですが
しかしなぜか逆に、生きる力やエネルギーみたいなものも沸いてきました。
自分は、足かせも手錠もかけられていない。どこにでも行けるし、なんだってできると。

何もない街だったけど、またいつか行きたいと思います。

アンコールワットはもういいです。




写真1:飛行機から見たカンボジア。ほとんど水田。
写真2:機内で鼻ばかりかんでいる奥さん。
写真3:市場内のスイーツ屋。真ん中にはまさかの生卵。
写真4:完璧な姿勢でガイドブックを読む旅行者。
写真5:ココナッツミルクと寒天のスイーツ。うまい。
写真6:ビールをおごってくれた宴会中のオジサンたち。
写真7:日本の援助で建てられた「日本/カンボジア友好橋」
写真8:遊園地にいた謎のキャラクター。
写真9:スタジアムでエアロビクスを楽しむ人達。BGMは中島みゆきの「ルージュ」テクノver....
写真10:東南アジアの路地裏によくある風景。
写真11:歯抜けマッドサイエンティスト。












2012/11/03

ソトコト「若い農家が日本を変える」

月刊ソトコト12月号の、特集「若い農家が日本を変える」で
イラストを描かせてもらいました。

農家は私の一番尊敬する職業です。
あの方々がいなかったら、私ら生きていけませんからね。
( ※2番目は清掃員さん)

ソトコトはお近くのコンビニにも、置いてあると思いますので
ぜひ手に取って、日本を変える若い農家の方々の記事を読んでみてください。





イジメッ子はゴリラ

前にもお世話になって明窓出版さんから
また新しい書籍の表紙を描きました。
その名も「イジメッ子はゴリラ」。
人を本気で呪う方法などが書かれており、なかなか興味深いです。


イジメッ子はゴリラ




2012/10/18

Kult Magazine

シンガポールのフリーペーパー「Kult Magazine」という雑誌のために
あるテーマに沿ってイラストを一枚描きました。
テーマは「Unbreakable」” 壊せない ” というような意味です。

金持ちそうな一族の顔に、シンガポール紙幣に描かれている人の顔
ようするに「お金」を象徴する顔を置き
今の世界、とくにシンガポールなどは完全に「お金」に支配されており
それを壊すことはもうできない、というような意味のイラストを描いてみました。


この雑誌がどこに置かれているか、よくわからないのですが
見つけたら手にとってみてください。


Kult 3D

facebook




一人でできるもん























最近家でチクチクと裁縫ばかりしています。
ハマったのです裁縫に。

きっかけは自分でカバンを直した事でした。

ずっと愛用していた肩かけカバンのチャックが壊れ
これは修理に出したいけど、修理はけっこうお金がかかるだろう。
じゃあ捨てようか、いや捨てられない捨てられるわけないじゃない。
そんな葛藤を半年ほど続けたある日、自分でどうにかできないものかと思い立ち
裁縫ショップでチャックを買ってきて、手縫いで見よう見まねに
5時間くらいかけて、ついに直すことができました。
よおく見ると縫い方が荒くて雑ですが、わたしのカバンをよおく見る人なんて
税関職員くらいなので、別になんてこたあないのです。

こうして自分で直すことに味をしめた私は
それからも一人で、ジーパンの丈詰め、アロハシャツの裾詰め
短パンのサイズ直しなどなど、今まで放置してきた衣類を引っぱり出し
狂ったように切ったり縫ったり、いらない所にボタンを付けたりしました。

そして先月タイに行ったときに500円くらいで買ったハンモックがあるのですが
それの寝心地がもう最悪なので、これも全て解体して
新しく作り直そうとしたのですが、これがなかなか縫う箇所が膨大で
私一人の手ではどうにも難しそうだったので
ミシンを使える奥さんにも手伝ってもらい、5日もかかって
なんとか昨日完成させました。

まだ吊るして上に乗ってはいないので、はたして使い物になるかどうかはわかりませんが
とにかく自分で作り直すというのは非常に達成感があります。
さらにゴミを減らすこともでき、かつお金の節約にもなります。
そしてなんといっても、我が輩の辞書に不可能という文字はあまりないのだなあと実感し
なんでも挑戦してみようという活力に繋がるのです。

「消費」の時代は終わり、これからは新しい「生産」の時代がやってくるのです。
着るものに及ばず、食べる物、住む所すらも自分で作っていけるような
そんなたくましい大人になってほしいと、先生は思っています。

さあ、しばらく着ていない服を引っ張りだして、どうすればまた着れるようになるか
少し考えてみましょう。レッツ裁縫!



※ ちなみに当院では包茎手術は行っていませんのでご了承ください。

2012/10/11

SKA48






















先月からスケボーを始めた。

板は、奥さんの友だちが使ってないスケボーがあるというので、それを買った。
しかし教えてくれる人がいないので、You tubeで初心者用の動画を探し
それを覚えて、人気のない公園などで一人で練習している。

最初は学校の上履きみたいな要らない靴でやってたんだけども
なかなか上手にならないので、それを靴のせいだと考え
先日マレーシアまで行って、VANSのスケートシューズを安く買ってきた。
それを履いたら、今までよりは上手にできるようになったが
いまだにジャンプもよくできない。

街中にもスケートパークがあるが、いかにも勉強ができなさそうな
中学生くらいのマレー系の少年たちしかおらず
いい年こいた、ヒゲ面で初心者で外国人の私が
彼らに「ヘイブラザー、俺も仲間に入れてくれよ!」
と話しかけるのも気が引けるので、もう少し一人で練習して上達してから
もしおまえらが俺に興味があんなら一緒にツルんでやってもいいんだぜ的な態度で
彼らに近づき、あわよくば合コン的なものにも呼んでもらおうと思っている。


憧れのスケーターは、マイケル・J・フォックスです。




2012/10/04

イカしたナンバー

インディアン・ミュージックで踊り続けよう
くだらない事はたくさんあるけど
誰かが決めたステップなんて
関係ないんだ デタラメでいいよ

カッコ悪くたっていいよ そんな事問題じゃない
キミの事笑う奴は ナンに挟まれて死んじまえ


































FUSION INC. home page

ウェブサイトの制作などをしている会社
『 FUSION 』さんのHPのイラストを描かせてもらいました。


FUSION INC.





2012/10/03

ICON-Magazine in Singapore

シンガポールの 『ICON-Magazine』というファッション雑誌の
10月号に、世界の色々な基金についてのイラストを描きました。
左下にいらっしゃるのが、エリザベス女王です。








2012/10/01

サムイ島〜後編〜


【4日目】
朝4時過ぎに奥さんに起こされる。
奥さんは、なぜか目覚ましがならなかったけど
奇跡的にわたしが目を覚まして、ほんとうによかった~、と一人で言っている。

すぐに顔を洗って朝飯を軽く食べる。そしてトイレでウンコをしながら
時間は大丈夫かなと、自分の腕時計に目をやると、時計は「2:30」。
あれ? おかしいな? と思ったら、なんと奥さんがタイ時間を間違っていて
2時間も早く起きてしまった。ので、出発準備万端のまま、もう一度寝る。

今度は無事に4時に起き、マラソン会場まで歩いて行き
まだ暗い中で、4時半スタートのフルマラソンの選手たちを見送る。

そして5時に近づき、ついに私が参加するハーフマラソンがスタートした。
空にはまだ星が見える中、マイペースでゆっくりと走る。
道は田舎の一本道といった感じで、まだ舗装されてない箇所もたくさんあった。
30分くらい走ると次第に空が明るくなり、ニワトリが鳴き
野良犬が徘徊しはじめ、スクーターや車も増えてきた。
道路脇の民家の人達も、別に応援するでもなくボケーっと物珍しそうに
ランナーを眺めているだけで、とてもほのぼのしたマラソン大会だ。

1時間半で、やっと折り返しの10キロ地点に着く。
まだ足にも余力があったので少しだけペースをあげる。
残り3キロくらいのところで足に限界がきて止まりそうになったが、
2時間30分ちょうどで、なんとか完走。
10キロのクオーターマラソンを先に終えていた奥さんが、笑顔で出迎えてくれた。

足がガクガクのままホテルに戻り、シャワーを浴びてまたすぐに出発。
バスに乗って、わりと人の少ないラマイ・ビーチまで移動した。
予約していたバンガローに着き、奥さんは疲れていたので昼寝。
わたしは一人でビーチに泳ぎに行った。

ガイドブックには、ここのビーチでシュノーケリングができると書いてあったので
潜ってみたが、期待していたほどキレイではなく、魚もあまりいなかった。
しかし面白い岩場がたくさんあったので、その周りを1時間ほど泳いでから
宿に帰って奥さんと昼飯を食べた。

午後からも奥さんは昼寝を続け、わたしは一人で歩いて周りをブラついた。
しかしこの島はどこへ行ってもリゾートと夜のお店ばっかりで
女に飢えた白人オヤジと、金に飢えたタイ人娼婦で溢れ帰っている。
もし地元がこんな風になったらイヤだな~と、心から思った。
このタイの風紀の乱れっぷりはきっとアジア一ではないだろうか。

そんな事考えている間になぜか道に迷い、宿に着いたときはもう日が暮れており
ようやく目が覚めたらしい奥さんと、近くの食堂で夕食を食べてビールを飲み
10時前には寝た。



【5日目】
8時頃起き、二人でビーチを歩いた。野良犬がたくさんいて
一匹ひたすらにビーチで穴を掘っている犬がおり、なにやってるのかと見ていたら
穴の中からカニを見つけ出して遊んでいた。

このビーチ周辺も、昨日全て見てしまったので、もうやる事がないと思い
昼からまたスクーターを借りて、二人でドライブをした。
あてもなく走り、なにか美味しそうな物を見つけると、止まっては買い食いした。
まだ行ったことがないビーチや、変な大仏のある寺などを見て回った。
寺には、犬と猫とニワトリが仲良く共存しており
旅行者と娼婦と一般市民が、騙し合い共存している下界とは正反対の
心安らぐほのぼのとした空間があった。

島をゆっくり一周し、日が暮れる頃また宿に戻ってきた。
ガソリン代は200円程度で、とても安上がりで楽しい観光だった。

明日は二人共、ついにサムイ島を出発するので最後の晩餐に
美味しい物を食べたかったが、入った食堂がハズレで
高い割に量が少なく、味は酸っぱく、サービスは悪く、さんざんだった。
しかしそれも一つの旅の醍醐味だと割り切り、ビールも飲まず
宿に帰って水をガブ飲みして寝た。


【6日目】
朝8時、奥さんと宿の番犬に、バス停まで送ってもらい
バスに乗って、最初に来た港がある町に行った。
これから船に乗って、またスラーターニーに帰らなければならない。

その前に朝飯を食べようと、近くの食堂に行ったら
外国人はお断りだという風に、店のババアに有無を言わさず追い返された。
このリゾートアイランドは、本当に腹の立つ奴らがたくさんいる。

今度はよく店を選び、親切な店で美味しいパット・タイ(タイのヤキソバ)を食べた。

フェリー乗り場に行くと、大型バスが一台来ており
それに乗りこみ、そのまま自動車運搬フェリーに乗って
スラーターニーまで1時間半かけて着き
そこからまたハジャイまで、そのバスで移動した。

フェリーオフィスのオバハンは、サムイ島からハジャイまで6時間で着くと行ってたが
結局8時間以上はかかった。後半2時間はバスの中で
適当なこと言ってチケットを買わせるクソオバハンに天罰があたるように祈っていた。

ハジャイのバスセンターに着き、そこからまたバイクタクシーに乗り
街の中心部まで行き、200バーツの安宿にチェックインした。
宿の受付は愛想がなく、タイ語で挨拶をしても無視された。さらに
精神病院みたいな建物で、自分の部屋はその奥の奥にある、牢屋のような部屋だった。
しかし、日本人御用達の安宿らしく、日本語の情報ノートや
小説なども3、40冊近くあり、わりと良い環境の宿だった。

晩飯を食べに行ったが、今までさんざん感じの悪いタイ人に会ってきたせいで
心が閉じかかっていて、もうローカルの店には入りたくない気分だったが
渋々入ってみると、タイ語が話せない俺にも優しく注文を聞いてくれて
笑顔で、おいしいチャーハンとスープを出してくれた。
そこでやっと、基本的にタイ人は優しいのだということを思い出した。

それが今回柄にもなくリゾートなんて行ってしまったせいで
外国人慣れした、意地くそ悪いタイ人にばかり会ってしまい
タイの善良な一般市民のみなさんの事まで誤解しかかっていた。

ちょっと気持ちが楽になり、そのまま軽い足取りで宿へ戻り
なにか本を読もうと思い、拷問について書かれた
『人はどこまで残酷になれるのか』を手に取ったが
こんな本をあの牢獄のような部屋で読んだら怖すぎると思い
代わりに宮部みゆきの『理由』を、夜11時くらいまで読んで寝た。



【7日目】
7時に起き、朝飯を探しに街に出た。ブラブラと20分くらい歩いて
点心料理がある小さな食堂を見つけた。
どうやって注文すればいいのかなと思ったが、店のおばさんが
親切に片言の英語で対応してくれて、小皿4品と中国茶を頼むことができた。
味はまぁまぁだったが、なんとなく何かを達成した感があった。

宿に戻って10時くらいまで小説を読み、それから宿を出て
タイ航空のオフィスに行き、空港行のバスに乗った。
かなり早く空港に着いてしまい、出発までかなり時間があったが
ずっと小説を読み時間を潰した。

少し腹が減ったので空港内の食堂に行き
なんとなく「鶏肉カシューナッツ炒め」を注文したが
注文した直後に、フライトまであまり時間がないことに気づき
自分がいかに愚鈍な人間かをかみしめながら急いで食べ
今回最後のタイ料理だというのに、味がまったくわからなかった。

そして午後1時半、小さいアベヒロシを載せた飛行機は
シンガポールへ向けて離陸した。
飛行機の中でも、家に帰る地下鉄の中でも、宿から持って来た小説をずっと読んでいた。
家に戻ると奥さんがまた笑顔で出迎えてくれ、汚れた服の洗濯などをしてくれたので
また安心してベッドの上で小説を読んだ。

以上。


いたって当たり前のことなのだが、今回改めて感じさせられたのは
リゾート地などは色々と便利だが、旅行者から金をとることしか考えていない
あさましい奴がたくさんおり、物価も高い。
そして旅行者などが少ない所では、旅行者にとっては不便なこともたくさんあるが
人はまだすれておらず、物価も安い。

もし不便を楽しむことができるなら、どう考えたって後者の方が天国だろう。

金の稼ぎ方は知ってるが、使い方は知らんという自称セレブ共は
リゾートに閉じこもって貴重な休日を有意義に過ごせばいいさ。

わたしはもうリゾートには行かないよ。(いつか家族と行くかも)