2017/03/31

ころすぞババア

先日、味噌汁を作ろうとしたら、冷蔵庫の中に入れておいた赤味噌がない。ずっと探したがない。どうしてかはだいたいわかっていた、が探し続け、奥さんにも聞いて、奥さんもなんで失くなったのかだいたい予想がついていた。そしてついに奥さんは、お義母さんに聞いてみた。するとやはり捨てちゃったという答えが。そして「ごめんね」すらも言わず、一人でブツブツ言っている。まぁいつもの事なのでいいやと思い、白味噌だけで作ろうと味噌をこす器具を探していた。それがまたない。そう、それも捨てやがったあのババア。

理由はこんなところだろう。邪魔だ、誰も使っていないんじゃないか、そうに違いない、ポイッ。とにかく物を大事にしないお義母さん。よく物を捨て、よく新しい物を買ってくる。それは個人の自由だ。だが、まだ使える物を捨て、たいして要らない物を買ってくる、それはゴミを増やすという行為だ。こんな事をしていたらバチがあたる、そして後に地獄へ行く。正直お義母さんにバチが当たっても、地獄に行っても、まぁいいんだけど、そういう人と一緒にいる事がそろそろ苦痛になってきた。なのでその晩はじめて、軽く説法してやったが、それでヘソを曲げたらしく、そういう態度を取り始め今も取っている。それはどうでもいいし、むしろありがたい。そういう人間とはできるだけ距離を置いて生きていきたいから。

しかしそろそろ一緒に住んでいる事に違和感を感じ始めてきた。なぜこんなに考え方も好みも違う二世帯が、一緒に住んでいるのかと。この短い人生、もう二度とこれっぽっちも我慢したくない、自由にのびのび太生きていきたい。なので、そろそろシンガポールを出て、お隣マレーシアに借家でも探しに行こうと思っている。

よし善は急げだ、とすぐにでも探しに行きたいのだが、今週末からネパールに一ヶ月一人で行ってくる。2ヶ月前くらいにチケットを取っていたのだ。だからいまいち気分がネパールな感じではない、なんでチケット買っちゃったんだろうと思ったが、よく考えたらチケットがすごく安かったのだ。前は往復5万円くらいだったが、今回のチケットは半額だ。そう考えるとチケットを早めに買った自分にけして非はない。よし、じゃあ行ってやるかという気に少しはなってきた。

ネパールとマレーシア、まったく違う国のようであるが、実はあまり知られざる繋がりがいくつかある。たとえば、マレーシアには出稼ぎのネパール人が実はかなりたくさんいる。私は前回、ネパールの空港の両替所で、マレーシアのお札を大量に握りしめたネパール人を何人か見たし、街中でも以前マレーシアで働いていたというネパール人と、マレー語で挨拶し合って笑ったりした。きっとインド料理の食堂や、工場、工事現場で働いているのではないか。あとは言葉でも共通の物を少し見つけた。たとえば帽子の事をどちらも "topi" と呼ぶし、「言語」の事をネパール語で "バーサー"、マレー語だと "バハサ" である。ちなみにタイも "パーサー" なので、これとも繋がりがありそうだ。

このように、今ネパールに行くのも、マレーシアへのなにかの足がかりになるかもしれない。例えばネパールで釣りをしていたら、隣で白髪頭のネパール人が糸を垂らし始め、話してみると実は彼はマレーシアに巨大な別荘を持っていて、どうだいハウスキーパーでもやってみないかと誘われる。まぁ私は釣りをしないのでそれは実現しないが、とにかくそういう素敵なご縁もあるかもしれないから、ここは前向きに行こうという事だ。

ところで最近気づいたんだが、なぜいつも一人で旅行に行きたいのかというと、私は旅行先での自分の態度というものが非常に重要だと考えているからだ。いつも謙虚でいれば現地人とも仲良くなりやすいだろうし、おどおどしていればすぐに悪い奴に狙われる。この態度は一人では比較的コントロールしやすいが、もし誰かと二人で行くと、その人の態度が一緒に旅行をしている自分にも影響してくる。自分がニコニコしていても、隣で相棒がブスーッとしていれば、なかなか誰も話しかけてはくれない。さらに二人で現地人にはわからない外国語をペチャクチャ話しているとなおさらだ。主にこの点から私はよほど気の合う、というか同じようなスタイルで旅行してくれる人ではないと、一緒に旅行はしたくない。まぁ現地人とのコミュニケーションをあきらめるのであれば、まったく問題はないのだが。



2017/03/15

トバ湖 情報 2017年3月

トバ湖というか、スマトラ島がとにかくまだまだマイナーで、日本語の情報に乏しいので、私も今回の旅行で得た情報を記す。誰かの何かの足しになればと。


メダン空港から、旅の起点となる「アンプラス・バスターミナル」まで、空港のシャトルバス(ダムリ社のバスで、地元の人はよくDAMRIと呼んでいた)で、片道15KRp。(150円くらい?)
※ K は000で千という意味です。


アンプラスから「マスジッ・ラヤ」までミニバス(地元の人はバスではなく、「アンコット」と呼んでいました)で安く行くには、前面の道路、もしくはすぐ近くのJl.Sisingamangaraja(ジャラン・シシンガマンガラジャ)から、白いアンコットに乗れば、4KRp(40円)で行けます。おそらく一律40円なのかな。
行き先を伝えて、もし行くのであれば「乗れ」と言ってくれるはずです。
ちなみにベチャのドライバーに料金を聞くと、みんなアンプラスからマスジッ・ラヤまでなら30KRpと言ってました。


マスジッ・ラヤ周辺には、食堂がたくさんあります。とくにナシチャンプルの店が多い。
「Amaliunフードコート」も、色んな料理があって便利だと思います。




あとはアンプラス・バスターミナルからパラパッまでの公共のバス(パブリック・バスとみんな言ってます)は、片道40KRp。タクシーや割高のバスをすすめてくる人が少しいますが、やんわり無視して40KRpのバスを探してください。

パラパッから帰りの話ですが、パラパッからメダンまではツーリストタクシーが80〜100KRpで、パラパッのフェリー乗り場の前に2軒ほどそのタクシー会社があります。6、7人乗りで、好きなところで降ろしてくれるとか。でも事前予約が必要らしいです。

私は帰りもパブリック・バスに乗りました。パブリック・バスの始点はパラパッの隣の「アジバータ」のジェッティー付近からです。料金は同じく40KRp。



でも、出発してからバスターミナルの方に寄るので、そっちに行ってバスを待ってるのもありだと思います。とにかく人に聞いたほうがいいです。タクシー会社付近にいる人は、パブリック・バスの事はあまり詳しく教えてくれません。外国人にはタクシーを使ってほしいみたいなので。しかしタクシー会社以外の地元民はほぼ英語はしゃべれないので、カタコトでもインドネシア語をしゃべったほうがいいです。


パラパッからトゥットゥッに行くフェリーは1時間おきにあります。たしか 10:30、11:30、という○○時半が出発時刻だったと思います。しかし16:30 の次は、18:00。 そして 19:00 が最終です。料金は15KRp。
ホテルを予約しているのであれば、ホテル名を告げるとその近くのジェッティーで降ろしてくれます。ホテルが決まってなければ、地図でだいたいの検討をつけておき、そこを指差して見せれば、その付近で降ろしてくれます。それか最初に停まるバグースベイホテルの近くで降りて、のんびり歩いて探すか。

逆にトゥットゥッからパラパッに行きたいときは、来た時と逆方向に向かっているフェリーを見つけて手を振れば来てくれると思います。どこのジェッティーでもいいはずです。どこのリゾートも勝手に入っていいっぽいので、大きいジェッティーを持ってるリゾートに入って、誰かにパラパッに行きたいんだけどと言えば、間違いないです。

トゥットゥッからバングルランまで、スクーターでかっ飛ばすと1時間で行けます。ゆっくりだと2時間くらいかかります。バングルランの温泉宿は一カ所にかたまっています。橋を渡って右に曲がり、見晴らしの良い道を1〜2km走るとゲートがあり、そこをくぐると温泉エリアになります。料金所みたいのがありましたが、誰もいませんでした。
いつく温泉宿があるかわかりませんが、私が行った所は「エディス・ダヤント」です。土曜の正午に行きましたが、客は誰もいませんでした。まだお湯を入れている途中で、お湯がけっこう少なかったです。本格営業は午後からなのかな?
風呂は日差しがもろに当たるので、長くいると日焼けすると思います。ちゃんとしたシャワーすらないので、潔癖性の人などは不快な思いをするかも。
ここで飯食ったらタダで入れると聞いたよと言うと、そうだというのでナシゴレンを食べましたが、あまり美味しくはなかったです。食べずに温泉にだけ入ると、予想ですが10KRpくらいじゃないでしょうか。一泊いくらなのと聞くと、300KRpだと言ってました。高すぎる。ちなみに英語はほぼ通じません。
まずは大きいリゾートなどに行って値段を聞いてみることをすすめます。






トゥットゥッの町のあちこちで、おじさん達が集まり白い飲み物をグラスで飲んでいたら、それがトゥアックです。店で飲むとコップ一杯で3〜5KRpです。私は小さいペットボトルを渡して、それに入れてもらいました。英語は通じないので、minta satu tuak くらいは言いましょう。



湖では泳げます。水はいつでもぬるいです。

宿は、長く泊まると値引きしてくれる所が多いです。
湖に面しているツインベッドのバンガローで、ホットシャワー、wifiついて、一泊だと100KRpだけど、3泊で40KRp、なんてところもありました。たしかシバヤッ・ゲストハウスだったと思います。



ハッパやマジックマッシュルームもあるみたいです。値段はわかりません。

日差しがとにかく強く、けっこう乾燥しているので、クリームを持ってった方がいいです。雨が降ると夜もけっこう寒いです。メダンとは気候が全然違います。


以上


あっ、あとこれ Tuk Tuk の地図



2017/03/14

トバ湖よかったな〜

インドネシア旅行最終日。
ただいまスマトラ島、メダン。

結局今までずっとトバ湖に泊まっていた。トバ湖のD'POSというとこに5泊した。オーナーのロスさんというおばさんは、見た目はゴスペルが上手そうな黒人シンガーのようで、前に八王子のケンウッドの工場で一ヶ月働いたことがあり、朝っぱらから元気な笑顔でオハヨウゴザイマースヤマグチサン!と頭を下げて挨拶されると、まるで自分が工場長になったような気分だ。

Wi-fiもないし、シャワーもお湯がなく出も悪いので、バケツに水ためて手桶でザバーッとかぶるスタイル。200m先にロスさんのネットカフェがあるので、そこまで行けばWi-fiは使える。部屋は全部で3つだが自分の他に客は誰もいなく静かだ。一泊してみてかなり気に入ったので、ロスさんに交渉してレンタル自転車付きで一泊700Rpにしてもらった。安いのか高いのかよくわからないが、自転車乗り放題で5泊して3500円くらいというのは、やっぱ安いんじゃないか。

宿のすぐ隣にあるレストランも美味しくて、毎日通ってアボカド料理をたくさん食べた。庭にアボカドの樹がなっていて、最終日にはそのアボカドを二個だけ売ってもらった。大きいのでそれだけでも7、800gくらいありそう。イタさんというそこのシェフのおばさんは英語も上手でいつも話し相手になってくれて、島の事も色々教えてくれた。

ロスさんもイタさんも本当に優しくしてくれて、島を出るフェリーに乗る前も二人供、遅れたらバイクでジェッティーまで送ってあげるよと言ってくれた。まぁ良い客なので優しくされても当たり前だとも言えるが、それでも悪い気はしないし、客だろうがそんな事おかまいなしという人達も色々見て来たので、やはり外人観光客としては気持ちよく滞在できる島である。トバ湖、サモシール島、Tuk Tuk。

4日目はロスさんからスクーターを1日600Rpで貸してもらった。2時間ほどゆっくり走って、島の反対側にあるバングルーランという町に行った。そこは温泉がある事でも有名で、ガイドブックに書いてあった温泉宿を探した。地元の人に色々声をかけて場所を聞いた。宿の名前を連呼してもあまりすぐにわかってもらえず、結局最後に気づいたが自分は最後の母音を強く発音してなかったのだ。ここサモシール島はみんなバタック人で、バタック人はみんなキリスト教で、バタック語はおそらくスペイン語の影響を強く受けていて、聞いててもスペイン語のように聞こえる。レストランのおばさんもTVでメキシコの古いドラマを見ていたし。だから特に最後の母音は強く発音しなければいけない、のだと思う。
そんでやっと温泉を見つけたが、場末感がすごく客は誰もおらず、だだっ広い屋外の浴場に、日焼けがまだ痛いのに太陽光に照らされながら熱い湯に浸かった。まぁなかなか気持ち良かったが、その帰りに天気が徐徐に崩れていき、チョロチョロ雨も降り出したり、とにかくとても寒かったので、スクーターかっ飛ばして1時間くらいで戻ったが、帰ったときにはもんのすごく疲れていて、次の日の朝体中の筋肉が痛く、なんで筋肉痛になんかなったんだろと思ったら風邪だった。
ほいで次の日は一日中部屋で休む。アボカド食べても下痢でブァーッと出てくので、夜は一切食べずエネルギーは治癒に全部まわした。そして今朝、なんとか体調はバスに乗れるくらいにはなっており、ツーリストバスは800Rpもするので、400Rpのローカルバスに乗って4、5時間でメダンに着いた。
来るときはとても不快だったローカルバスだが、帰りは色々汗かく用の服装とか準備してったのでへっちゃらだった。

そしてメダン、ここはなかなか大きい街で騒がしい。マレーシアのペナンに似ていると聞いてたので、中国人がたくさんいるのかと思いきや、まだ中国系は一人も見ていないし、福建語を話せるという人もまだこの旅では出会っていない。そして夕方はあちこちのモスクからアザーンが聞こえ、ああやっぱイスラムの街だというのを実感した。華僑がどこに住んでいるのかはまた今度調べよう。

シンガポールに住んでいると、ジャカルタは一応首都だけど、なんか田舎っぽく感じるが、インドネシアの他の町に来ると、ジャカルタがいかにインドネシアの中心となっているのかが肌で感じられる。例えばジャカルタからの観光客を見たり、テレビでジャカルタのスタジオが映ってすっごく盛り上がってたり、みんながジャカルタについて話すのを聞いたり、あとインドネシア語を勉強しててもジャカルタの若者はこういう言葉を使うとか、そんなのから、ああジャカルタが中心なのだ、すごいとこなのだきっと、とそう感じる。知らんけど。

さて今回もインドネシアルピアがたくさんあまった。全然使わなかったのだ。安かったのだ。節約もしたのだ。また近いうちにトバ湖でもいいし、他の町でもいいし、どこか行ってインドネシア語を話して、安く楽しく旅行を楽しみたいな。

明日は朝11時頃の便でシンガポールへ帰る。無事に空港まで行けるだろうか。空港まで無事に行けなかったことなどないから、明日もきっと大丈夫であろう。














2017/03/08

はじめてのトバ湖2017

今インドネシアはスマトラ島のトバ湖に来ている。

先月バンコクに行ったきり、どこも行かずにお仕事がんばったので、来週あたりどこか行こうと、スカイスキャナーで行き先を探していた。すると飛行機チケットが安い順に見られるのがわかり、それで調べたところ、一番安いのがマレーシアのクアラルンプール、次いでインドネシアの首都ジャカルタ、その次にインドネシア、スマトラ島の都市メダンだった。往復で130ドル程度。

メダン空港に朝9時頃着き、そこから空港のバスでアンプラス・バスターミナルに行く。15,000Rp。
そこからパラパッ行きのローカル・バスに乗って4時間ほど。40,000Rp。
席に座って出発を待っていると、バスの運転手がアジア人のおじさんを一人連れてきて、俺を指差し「彼も香港人だ」と言ったが、おじさんは「いや、あなた日本人ですよね」と言っていた。オジさんは香港人で彼もトバ湖に行くらしい。前の方の座席で運転手とないやら話していたが、しばらくして私のところに来て「いくら払いましたか?」と聞いてきたので、40,000Rpですと言うと、安心して席に戻って行った。たしかに不安になるのも無理はない。そんな怪しい雰囲気がするバスターミナルである。

このローカルバスが、なかなか暑かった。もちろんエアコンはないし、窓も上のほうが少し開くだけだし、走ってないときは風も入ってこないので、非常に暑い。長ズボンをはいていたが、お尻のあたりが汗でべっちょり濡れしまった。そして車内は運転手を含め、何人かがタバコを吸っていて、インドネシアらしい感じだった。でもタバコの煙が嫌いな人もいるらしく、そういう人はちょっと煙たい顔をしていた。
きっと主要道路を走っていたにもかかわらず、道幅はとても狭く、バスは無理っぽい追い越しを繰り返しながら走った。車窓から見える町は、
家や店がボロボロで、道は砂利道で埃っぽく、どこかアフリカのような感じがした。インドネシアはマレーシアと似てると思っていたが、やっぱり全然違う。人が多いのでそれだけ貧しいのかもしれない。昼になって学生の姿が見えるようになったが、バスかなにかを待ちながらオッサンのような風貌でタバコをプカーッとふかしている。オバさんでもタバコを吸っている人をよく見た。みんなタバコが大好きらしい。

パラパッの船着き場に着くと、オジさんはトバ湖の真ん中にあるサモシール島行きのボートに乗りに行ったが、私は今日はボートに乗らずにこのパラパッに一泊することにした。色々な町を見てみたかったので。
ホテルを探しているときにオジさんに私のホテルに来いと話しかけられ、見るだけ見てみるかと思いミニバスに乗って向かったら、けっこう遠くまで来てしまったので、しかたなくそこに泊まることにした。船着き場から徒歩15分、トイレ・シャワーは共有でお湯は出ない。これで一泊、100,000Rp。高いか安いか考えようとしたが意味がないのでやめた。荷物を置き、町をブラついてみた。町の人は思ったよりきさくではなく、あまり話しかけては来ない。観光地だからかなと思ったが、たしかに前にインドネシアに行ったときも、こんな感じの距離感だったような気がする。話しかけられるのが嫌いな人はちょうどいいかもしれない。でも私はインドネシア語の練習がしたかったので、もっとガンガン来いよと思った。
夜はけっこう寒く、風邪気味だったので、体が非常に心配だった。ホテルには無料のお湯などもなさそうなので、向かいの食堂でホットコーヒーを飲んだりした。ツインベッドだったので、隣のベッドの毛布もかけて、なんとか寒い夜をしのいだ。

朝9時頃、船着き場まで歩き、サモシール島行きの船に乗った。片道15,000Rp。ボートはゆっくりで、周りの景色がきれいだった。湖は山脈に囲まれていて、どこもかしこも山だった。ホテルは決まっていなかったので、適当な船着き場で降りて、宿を探した。
人に聞いたところ、このあたりではポピーズが安いと言っていたので、そのポピーズというレストランの宿に泊まることにした。ここも一泊100,000Rpと言っていたが、おそらく定価は決めていないような感じだった。とても質素な部屋でwi-fiもホットシャワーもないし、次の日気づいたがシャワーすらも使えず、蛇口からしか水は出なかった。しかし部屋は湖に面していて、そこからの景色は素晴らしい。湖は静かで、対岸にもとくに町などはなく、山が見えるのみ。レストランの隣には独立した貸し家があり、そこはドイツ人のオジさんが貸し切って泊まっていた。けっこう長い事住んでいるらしく、桑で畑や庭をいじったりしていた。

午後からひたすら歩き、疲れてはワルン(庶民の食堂)で飲み物を飲んだりお菓子を食べたりした。天気はあまりよくなく、頻繁に小雨が降ったり止んだりしていた。インドネシアはイスラム教の国だが、この島の島民はみんなクリスチャンらしく、いたるところにキリスト教の小さい寺のようなものや、お墓があった。教会も近くにいくつかあるらしい。

夕方頃にある食堂でスープを飲んでいたら、雨が激しくなってきたので出るに出られず、店のオジさんが英語が達者なので、しばらく雑談をした。おじさんは大きい子供が3人いるらしく、長女は日本人と結婚して大阪に住んでいて、他の二人はこれから大学に入るらしい。学費のためにもっとお金が欲しいらしく、どこか連れてってあげようとか、ガイドをするよとか言ってきたが、やんわりと断った。大きい家に大きいテレビ、家族も元気でこれ以上何も要らないじゃないかと言ってみたが、とにかく子供達を大学に行かせないと未来がないような事を言っていた。

やっと雨が小降りになったので食堂を出て、帰り道にネットで見たことがある「Toba Cats Garden」というゲストハウスがあったので、ちょっと寄ってみた。小柄なオジさんがモップがけをしていて、日本語で色々話しかけてきた。聞けばオジさんは前に名古屋で働いていた事があるらしい。仕事は何だったのと聞くと「ドカチン」と言っていた。ゲストハウスには猫が18匹と犬が1匹いる。オジさんはどこかから魚を大量に持ってきて、猫達の料理を作り始め、とても忙しそうだった。やっと一息ついたので部屋の事を聞いてみると、ここには部屋は1室だけで、今はイギリス人が泊まっているらしく、もう一つ部屋があるよというので見てみたら、ベッドの枠組みだけでマットレスもなにもなく、まだ泊まれる状態には見えなかった。料金はいくらでもいいし、雑務を手伝ってくれればタダでもいいような事を言っていた。
さらに色々聞いてみると、オジさんはここの出身ではなく、もっとメダンよりの小さい町の出身で、日本で働いたあとインドネシアに戻ってきて、3年前からこの家でハウスキーパーを始めたらしい。本当のオーナーは他の所に住んでいて、オジさんはこの家の世話をしているだけで、給料はもらっていないが、ある時から捨てられている猫を拾い始め、その猫の食べ物代などを稼ぐために半年前にこのゲストハウスをオープンさせたらしく、許可はオーナーからももらっているようだ。
ゲストハウスの裏には庭があり、そこで無農薬で色々な果物なども育てていて、パッションフルーツを一つ採って来てくれた。話をしていると誰かが来て、オジさんは何度も頭を下げてお礼を言っていたようだ。来客は麻袋を一つ置いていき、中には子猫が一匹入っていた。このようにしてオジさんのゲストハウスには猫が増えていっているようだ。これで19匹になった。ずっと話を聞いていたが、本当に純粋に捨てられた猫達をほうっておけない、そんな不器用で純粋な人のような感じがした。
宿にはホットシャワーはなく、Wi-fiもないのかと聞くと、前はあったけどお金が払えなくて今はないとの事だった。しかし本当に毎日手抜きをせずに掃除しているらしく、部屋が一つにしては大きすぎるゲストハウスは、床も壁もキレイに掃除されていた。
そんなわけで、世界中の猫好きな人達がここをよく訪れるようになって、オジさんと動物達の生活ももう少し向上すればいいなと少し思った。



上記のサイトでは、けっこう15ドルくらいからと設定されているが、下記のブログでは2016年の春頃に泊まった人で、一週間泊まって一泊約170円だったとも書いてあるので、交渉次第なのではと思う。




ゲストハウスを出る頃には、外は日が暮れかけていて雨もけっこう降っていて、宿に着いたときは服が濡れていてとても寒かった。なんとか色々工夫して、風邪を引かないようにした。とにかく装備が不十分なのが今回の大きい失敗だ。こんなに寒いとは思わなかった。まだ6日間ほどあるので、気をつけないと。



↓ 写真はハウスキーパーのおじさん。名前はボンドさん。54歳。バツイチ