2013/03/28

スリムボーイファット

旅行で落ちた体重を戻すため、毎日懸命に暴飲暴食を続けている。
毎日3食きちんと食べ、昼ご飯のあとにはキットカットと7upを摂取したり
夜9時を回ってからスナック菓子をむさぼるなど、本気で太ろうと頑張っている。
ただ初日にヨーグルトを食べたときは、その日の晩にいきなりひどい下痢をしたので
乳製品を食べられるのは、まだまだあとだろう。

腕も足も細くなってしまって、今柔道の練習に行っても
また怪我をするのが目に見えているので、もう2週間くらいは行けないだろう。
ジョギングをしても、3kmくらいで足がガクガクいってしまうくらいだし。

そして何が一番辛いかって、お尻の肉もこぞってなくなってしまったらしく
普通に座っているだけで、お尻がすごく痛い。
お尻の肉はいったいどうやってつければいいんだろう。

私が旅行から帰ってきた次の日、今度は奥さんが台湾に旅行に行ってしまった。
なのでまた一人の時間を満喫しなければならない。
まず手始めに、ずっと使ってない帽子があったので、それをリメイクしてみた。
去年マレーシアのスーパーで100円くらいで買った、小汚いキャップがあり
どうも地味すぎて、ずっと被る気にならなかったので、正面に刺繍を入れてみた。

初めての刺繍で困難を極めたが、ちょっと下手なところがまた一癖あって
なかなか良い味が出ていると自分では思っている。

これを抽選で一名の方にプレゼントしようと思うが
私が真っ先に当選したので、応募は閉め切らせていただきます。




2013/03/25

インド帰国の途


3月24日 日曜日

目が覚めると、辺りはまだ暗かったがもう5時半で、そろそろデリーに着く頃だ。
隣のオジサンもしっかり目覚めて、到着を今か今かと待っているようだった。
まだ暗いというのに、道路では子供たちが走り回って遊んでいる。
もう遊んでいるのか、まだ遊んでいるのか。

6時ちょうどにバスはオートリクシャーが溜っている所で止まり、みんな一斉に降りた。
ダラムサラに比べるとデリーはとても暖かい。
ここがデリーのチベット難民が住んでいるエリアらしい。
インドへチベット人が亡命し始めてから、もう50年以上経つ。
きっとインドのいたる所にチベット難民地区があるんだろう。

オートリクシャーは高そうだったので、サイクルリクシャーのおやじと交渉し
30Rsで最寄りの地下鉄の駅まで行ってもらう。
15分くらいで無事駅に着き、そこからニューデリー駅まで行ったが
朝から車内は満杯で出口まで行けず、朝から「降りるよー!!!」と叫んで
人ごみを突き進み、なんとか降ろしてもらった。

ニューデリー駅から電車を乗り継ぎ空港まで着いた。
すぐにチェックインしゲートをくぐったが
デリー空港は本当にキレイになっていて、心がとても落ち着いた。
小腹が減っていたのでサブウェイでバケットを買った。
ベジメニューがあまりにまずそうだったので、何ヶ月かぶりにチキンを注文したみたが
やはりあまり口に合わなかった。ごめんねチキン。
早く日本のゴマドレッシングが食べたい。

チェンナイ行きの飛行機は午前11時に出発し
機内食も出たがあまり美味しくなかった。
もう体がインド料理は勘弁してくれと言っているような気がする。
機内では眉間に皺を寄せ英字新聞を読んでみたが、もちろん内容はわからない。

午後1時半頃、飛行機はチェンナイ空港に着いた。
上空から見たチェンナイの町は、たくさんの椰子の木と
カラフルで角張った民家がちらばっていて、くすんで汚いデリーとはまた全然違った。
外気温は34度らしい。
国内線から国際線まで歩いて移動したが、私の次のフライトは午後6時で
まだかなり時間があり、一回入るともう出られないんだよと
入口警備のオジサンに警告されたので、まだ中には入らず時間を潰すことにしたが
チェンナイ国際空港は、デリー空港と比べるとほんとうにしょぼく
ちょっと気分が滅入る。
その上レストランも値段だけアホみたく高いので
搭乗受付が始まってすぐに中に入った。

私の荷物はラップトップ含めて10kgだが、手荷物の限度は7kgなので
ラップトップは隠してチェックインしたが大丈夫だった。
ちょろいなと思ってホッとしながら出国審査に向かうと
その手前で職員の女性にその荷物をチェックさせてと言われ、ギョギョッとし
重さを量られたが、これはラップトップだからと言うと
じゃあ問題ないわねと言われホッとしたが、モタモタしているとまた
ねえその荷物ほんとにラップトップが入ってるの?と確認され
さらにギョギョッとした。
結局問題なく出国審査を通り、荷物検査もパスしたが
まさしく口から心臓が飛び出しそうなのを
両肺によってかろうじて捕まえた感じだった。
やはり何かをコソコソするのは性に合ってないらしい。ドドドッと疲れた。

搭乗ゲートにやっと辿り着いたが、ほんとうに閑散としていて
食べ物もろくな物がなく、それでも腹が減ったのでカップラーメンを一つ食べた。
スパイシーベジタブル味か、マサラ味かの2択で、しょうがなくマサラ味を選んだ。
搭乗ゲートも確定しておらず、色々と気に障ることがたくさんあり
少しずつ苛立ちがつのっていった。

やっと搭乗時間になり、長蛇の列ができ、そこにしょうがなく並ぶが
インド人は列を作ったときに、後ろのやつがかなり近づいてきて
背中にくっついてくるので、非常にしゃくにさわる。
やっと機内に乗り込んだが、あいかわらず携帯をいじったり、ウロチョロしたり
他人の席に勝手に座って平気な顔をしてるヤツがいて、見ているだけでイライラする。
フライトは3時間半で微妙に長く、本や新聞を読んでいたが間が持たず
眠たくもないので、目を閉じて心を落ち着けようと思ったが
そんなときに限って隣のオヤジが、インド音楽をかけ始めた。
もう機内は真っ暗で寝ている人もいるというのに
カッコイイとでも思っているのか、ビートの聞いたクソうるせえ曲を
しかも何度もリピート。
うるせえと直接言ってやろうかと何度も思ったが、日本ではまだしも
ここはインドだし、うるさいと注意するのは筋が通らないと思い、ずっと我慢した。

現地時間0時に、飛行機はやっっとマレーシアのクアラルンプール空港に着いた。
精神的に非常に悪い状態にあり、機内から降りるというときに
うるさかったと思われるオヤジの後ろに無理矢理割り込み、オヤジをキレさせた。
文句を言いながら睨んできたオヤジを、笑顔で睨み返した。
もちろんそれで気分はスッキリするどころか、軽い自己嫌悪で落ち込んだが
何も考えずに体が動いてしまったので、後悔も何もない。
とにかくそのときは周りを気にしないインド人の性格に、腹が立ってしょうがなかった。
ただあっちの行為は悪気がないのに対し、わたしの行為は悪意の塊である。

そこからシンガポール空港行きのフライトは、ちょうど6時間後の早朝だったので
まだ搭乗ゲートには入れずに、入国審査状の前のちょっとしたベンチで
一夜を明かさねばならなかった。
しかし運良くそこもwifiが使えたので
奥さんに無事に着いたとメールを送ることができた。
ベンチは凸凹していて、どうせ熟睡できないだろうなと期待せずに横になると
意外にも軽く寝過ごすほど寝たらしく、起きて顔を洗いすぐに搭乗ゲートに入った。

まだ早朝だというのにものすごい人がいて、世界各地へ飛ぶたくさんの便があった。
ネットをしていると30分ほどで搭乗アナウンスが流れ
機内に乗り込むことができた。
機内にいたAir Asiaのチャラい客室乗務員を見て
ああやっと東南アジアに帰ってきたんだなと実感した。
飛行機は1時間ほどであっというまにシンガポールへ着いた。

とても腹が減っており、早く帰って朝飯を食おうと思い
足早に空港をあとにし地下鉄に乗り込んだ。
朝の地下鉄は満員だったが、みんな人とは触れないように微妙な感覚を保っており
各駅で人が乗り込もうとしてもまったく奥へ詰めようとはせず
多くの人が乗り込めずに見送っていた。
いつものシンガポールの光景だが、それを見たときに
もしかしたら俺がインドへ行く理由は
人の優しさを求めていってるのかもしれないなと思った。
結局また行きたいといつか思うのかとも考えたが、もうそれはないなと思った。
もう取り立てて見たいと思うものがない。

まだまだインドには私が見た事もない、遺跡や変人や奇祭があるわけだが
わたしが見たいものは全部見ることができたと思う。
インドに限らず、今回の旅はわたしの旅行へ対する好奇心に
良い感じに終止符を打ってくれたような気がする。
もちろんこの先も旅行は行くだろうが、もうあまり多くを求めたりはしないだろう。

地下鉄からバスに乗り換え、家の前のバス停で降りると
公営団地の13階にある家の窓から、奥さんが手を振っているのが見えた。
そのとき朝食で食べたスクランブルエッグは、ほんとうに美味しかったなあ。

おわり





ダラムサラ5

3月23日 土曜日

朝6時にまたも尿意で目覚めた。昨夜も何度もトイレに行ったが
どうも一回の尿の量が少ない。大だけでなく、小の方も本調子ではないようだ。

今晩バスでダラムサラを発ち、明日は一日かけて
飛行機を乗り継いでシンガポールへ帰るので、観光できるのは今日が最後だ。
まぁ観光する所もここにはもうほとんど残されていないし
あとはとにかく無事に帰国できれば、何も言う事はない。

8時頃ようやく布団から出て、また以前行った近くの滝まで朝の散歩をしてきた。
途中でバナナを2本買い、コーヒーを飲みながら休憩した。
シヴァ寺院にはプールがあるのだが
そこで朝から本格的に泳いでいるチベット人が2人いた。
さすがのインド人も、この寒いのにようやるわと、苦い顔で見守っていた。
一人は顔も体も非常にごつく、肌は色黒で髪を刈り上げ、ヌルヌル秋山そっくりだった。

滝までは行かずその手前で岩場を下り、小川のすぐ側まで行って
大きい平らな岩の上で、1時間ほど本を読んだり瞑想をしたりした。
朝から心が洗われてスッキリとした。
気がつくとチベット人のおばさんが3人、大きい荷物を背負って後ろから歩いてき
そのまま河に荷物をぶちまけたかと思うと、みんなで洗濯を始めた。

宿でシャワーを浴びていつもの筋トレ、ヨガの流れで日本食レストランへ行き
朝飯にオムライスを食べた。
食後にお茶を飲みながらしばらくダライ・ラマの自伝を読んだあと、そのまま返却した。
全体の3分の1も読めなかったが、なんとなくダライ・ラマ14世の素顔がわかった。
彼は活仏などではなく、非常に人間味に溢れる人で、聖職者というよりは
本当に優しいおじさんのような印象を受けた。
法王は、チベット仏教の最高指導者であると同時に
チベット亡命政府の最高責任者として、政治も行っていかなければならず
ただ教えを説くだけの一坊主では、とても務まるはずがない。
まっことタフな男ぜよ。
この本をこの地で読めたことが本当に嬉しい。

それからまたいつものカフェでネットをし、奥さんや家族に
インドからの最後のメールを打った。
さっさと帰りたい、でもここはインドだから何があるかわからず不安だと。

宿のチェックアウトは12時だが、連泊するからサービスしてくれと頼み
午後5時にしてもらっておいたので、部屋でバスの時間までゆっくりすることにした。
小腹が空いていたが、あともう少しなので余計なことはせず
水もあまり飲まないようにした。

やっとバスの時間になり、宿を出てバスターミナルに向かった。
バスは10台以上もあり、自分のバスを見つけすぐに乗り込んだ。
30分ほど経ってバスは出発したが、車内はガラガラで
自分の隣も空席になっていたので、これはもしかしたら横になれるかなと思ったが
次の停留所のような所でたくさん人が乗ってきて、あっというまに席は埋まった。

自分の隣は人一倍デカいチベット僧のおじさんだったが、優しそうな顔をした人で
笑顔で挨拶するとあちらも笑ってくれ、チベット語で何やら話しかけてきたが
もちろん意味はわからずにうなずいておいた。
なにやら薬を見せてくれて、それを自分で飲んでいた。
なにかなと思ったが、バスが走り出ししばらくすると、いきなり窓を全開にし
おじさんが急にうなだれだし、さっきのはおそらく酔い止め薬で
それでもなお、車に酔ってしまったような感じで、見ているのも気の毒で可哀想だった。
さらに2時間くらい走ったところで、絶えきれなくなったのか
走るバスの窓から頭を出し、ゲーゲー吐き始めた。
しかし私には彼のために祈る事しかできず、窓からの風があまりにも寒いので
頭からブランケットをかけて寝ていたら
そのうちなにかすごい音がすると思って起きると、外は雷が鳴っていて
窓から雨と一緒に、ものすごい風が入ってきていているが
おじさんは前の席に頭をつけて死んだようにうなだれている。
後ろの女性もたまらないらしく、手を伸ばして窓を閉めようとしているので
代わりに閉めてあげた。
なにが起こるかほんとにわからんなと思ったが
まぁこのまま寝入ってしまおうと思って寝に入った。

10時頃バスはレストランに立寄り休憩したので、わたしもチャイを一杯だけ頼み
ビスケットも買って、それをチャイに浸して食べ、すぐに歯を磨きバスに戻った。
他の乗客は、カレーやチャパティーなどをもりもり食べていたが
チベット僧はみんな何も食べず、だまって雨を見つめていた。
金がないのか、夜は食べないのか。

休憩後、雨の中またバスは走り出した。
しかし真夜中なにか違和感を感じ起きると、瀕死のオジサンが
トドのような体を横向きにして、頭が私の席に乗っていて
足も3分の1くらいを占領し始めている。
これが普通のインド人だったら、すぐに叩いて注意するのだが
オジサンの辛い状態がよくわかるので、注意もできず
ものすごい窮屈な状態で寝るしかなくなってしまった。
オジサンはときどき姿勢は変えるものの、それでもやはり
私の席の3分の1は常に占領している感じだ。
何かあるとは思っていたが、まさかこんな事になるとは。
一瞬シヴァとブラフマーが、私の事を大笑いしているのを想像して
二度とインドなんか来るかという気持ちが、確固たるものになった。
なぜ私にこんな試練を与える、私はこれ以上なにも望んではいないのにと問いかけると
外で雷が光り、バスの中が一瞬明るくなったと思ったら
バスの一番前に飾ってあるダライ・ラマ14世の写真が目に入り
彼が私に「彼(チベット僧)に慈悲の心を」と言っているように見えたので
しょうがなくその状況を受け入れることにして、なんとか寝る努力をした。

また次に真夜中に起きたときには、オジサンもまた
前の席にうなだれるような姿勢に戻っており、やっと普通に寝ることができた。




2013/03/23

ダラムサラ4


3月22日 金曜日

朝5時前に起き、そのまま本などを読んで時間を潰し、7時前に外出の用意をした。
昨日、日本人の若者に聞いた、トリウンドという雪山の壮大な景色が見える場所に
行こうと思ったのだが、ここから4時間かかるうえ
午前中に着かなければ午後からは雲が出て来るというので、すぐに出発した。

地図を持っていないが、人に聞いて行けば問題ないと言っていたので
20分ほど山道をひたすら登ると、微妙な分かれ道などが出て来たので
道行く現地の人に訪ねてみると、みんな揃いも揃って「トリウンド?」
そんなもの聞いたこともないよという顔をし、適当に進むと案の定道に迷ってしまい
どうでもよくなり帰る事にした。
一人だと、このように気ままに予定を変えられるので気持ちがいい。

また町に戻り一杯チャイを飲んでいると、そういえば近くに
たしか湖もあったなあと思い出し、そっちに行ってみることにした。
40分ほどゆるやかな舗装された山道を歩いた。
朝の日差しが気持ちよかったが、日陰にはいると恐ろしく寒い。

無事にそのダル湖についたが、湖と呼ぶには小さく
しょうもない池というのが相応しいと思うくらいしょうもなかった。
しかし落ち着いた公園のような雰囲気だったので、バナナとチョコを買って
食べながら1時間くらいゆっくりした。

また元来た道を歩いて帰り、町で初めてのチベット料理レストランに入ってみた。
そこで「ティントゥク」という、「きしめん」と「きりたんぽ」の
中間のような麺を食べたのだが、予想以上に美味しくおなかもいっぱいになった。

部屋に戻ってシャワーを浴び、ダライラマ自伝を読んだ。
あまりに長過ぎるので、面白そうな所だけ選んで読み進めた。
ウィキペディアではわからない、細かい事などがたくさん書いてあり、なかなか面白い。
毛沢東がダライラマに言ったとされる言葉が印象的だった。

「あなたの態度はとてもいい。だが宗教は毒だ。
宗教は人口を減少させるし、物質的進歩を無視する。」

中国が真剣に思想を持って、チベットを侵略したことが伺い知れる。中国は怖い。

3時頃スイーツでも食べようと、ガイドブックがすすめているカフェに行ったが
停電中らしく出せるものに限りがあるということで
チョコレートケーキと紅茶を頼んだ。
味はまぁ悪くはなかったし、このセットで150円しないというのは感謝するべきだ。
さきほどケーキケースの中に、わたしがまだ食べたことがない
キッシュ?という種類のケーキがあったが、もっとこういう物価が安い国で
西洋の食べた事がないものを、色々食べてみるのはいいなと思った。
シンガポールで食べると千円くらいするだろうし。
おもえば「シンガポールスリング」を初めて飲んだのも
カンボジアのレストランであった。
シンガポールの3分の1くらいの値段で。

ケーキを食べ終わり、散歩がてらに町を下ってみることにした。
ボロボロの石段を下っていくと、そこにはゲストハウスや、小さな民家が点在していた。
小川が流れ、ヤギや鶏も走り回っていてとてものどかだ。
山か見渡せる草むらに座り、一時間くらいボーッと山を眺めていた。

夕暮れ前に宿に戻って、近くでお土産等を買った。
チベット人夫婦の店で、良さげな帽子があり、店のおじいちゃんが
120Rsと言ったので、近くにいたおばあちゃんにこれ頂戴と言うと
おばあちゃんは笑顔で帽子を私の頭に深く被せてくれ
100Rs払ったところで、もういらないよという顔をし
なぜかわからないがまけてもらい、とても嬉しい気分になった。

しかし宿に戻ってくると、部屋の中に鍵を忘れたまま
南京錠をかけてしまった事に気づき、宿の人に言うと合鍵は持ってないらしく
結局金属のこぎりを貸してもらい、15分くらいかけて
なんとか一人で南京錠を切って、やっと部屋に入った。

6時に夕食を食べに、今朝と同じチベットレストランへ行った。
今朝とは違う麺料理トゥクパを頼んだが、味はいいにしろ量が多すぎて
けっこう残してしまった。

部屋に戻り就寝の用意をして、友だちにハガキを書いたり、ベッドで本を読んだりした。
11時前には電気を消して寝たが、夜中に小便で何度も起こされ
サイレントヒルのような雰囲気の、地下の廊下を歩いて
トイレに行かなければならなかった。




2013/03/22

ダラムサラ3

3月21日 木曜日 ダラムサラ

昨日はかなり遅く寝たのに、また7時に起きてしまったので
思いきって近くにあるという滝まで行ってみることにした。
宿の前の道をただまっすぐ山の方に向かって歩くこと15分。
道の脇に小さい店があったので、チャイを1杯オーダーすると
大きめのコップに2杯分くらい入れやがって、お金も倍とられた。
飲みきれないのでペットボトルに残りを入れ、また歩き始めた。

さらに20分ほど歩くとシヴァ寺院があり、こんなに寒いというのに
朝から沐浴したらしい髪が濡れたインド人がいて、案の定震えていた。
そんな男を横目に寺院を抜けると、山の斜面が急に広がり
ずっと奥の方に小さな滝があるのが見えた。
山の斜面の細い道をさらに20分ほどゆっくり登り、小さな滝に辿りついた。

帰りは反対側の山の斜面の道なき道をなんとか歩いて戻ってみた。
小川のせせらぎがあまりにも耳に心地よかったので、岩の上に座り目を閉じ
しばらく瞑想してみた。
20分ほど一人の時間を楽しみ、また元の道を戻り宿に戻った。

一度シャワーを浴び、部屋で一人ヨガをしたり筋トレをしてから、朝飯を食べに出た。
どこか美味しそうなレストランに入ろうと思ったが
路上で売っていた焼きモモ(チベット風餃子)があまりにも美味しそうだったので
芋モモとベジモモと3個ずつ買ってその場で食べた。
すると案の定お腹が一杯になってしまい、その後一応レストランにも入ってみたが
お通じの事を考えてミルクコーンフレークだけ食べた。
旅行でこんなクソ欧米人のコーンフレークなんて食べたのは初めてだったが
これでいいのだと思った。
どこに行こうが、そのとき好きな物を食べたらよかったんだ。

それから郵便局で奥さんと家族に手紙を出し、ついにダライラマ法王がいらっしゃるという
法王公邸とチベット寺院を見に行った。
入口には中国政府によって殺害されたチベット人の生々しいポスターや
弾圧に反対するために焼身自殺じたチベット人達の顔写真などが貼ってあった。
さらにすすむとミュージアムがあり
そこにも中国軍によるチベット占領に関する展示がしてあった。
チベット仏教の観点から見ると、これも因果応報ということになると思うのだが
いったいチベット人は何をしたのだろう。
寺の中はやや殺風景で、コンクリートの建物の中の数部屋に
無理矢理仏像や祭壇を押し込めたような感じのものだった。
チベットの仏像や美術はとても特徴的で、大仏はまるで少年マンガの主人公のように美少年で
全体的にとてもモダンなコミックのような感じがした。

寺院内で五体投地をやっている欧米人が少しいたので
わたしも隣で生まれて初めての五体投地を、見よう見まねでやってみた。
思ったよりキツくはなく、適度な運動で集中できて、これはなかなかいいと思った。
寺院の横にある建物の前で、たくさんの人達が出待ちのようなことをしていたが
きっとあそこが法王公邸で、もしかしたらこれから
ダライラマ法王が出て来る所だったのかもしれないが
わたしはミーハーではないので、そのまま寺院を出た。
それにしても公邸は驚くほど質素な建物で
わたしが今住んでいる宿とさほど変わらないような建物だった。
未だにあのような所に住んでるという、法王の謙虚な人柄には、非常に好感がもてる。

ところでダラムサラではチベット僧をよく見かけるが、体格がよくて人相が悪く
ごつい腕時計やらサングラスやらを身につけてるのが多く、清原和博みたいな印象をうけた。

それから先日会った、タンカを描いているという女性に会うために
彼女が描いてくれた地図を頼りに、チベット寺から山を下って降りて行ったのだが
いまいち地図がよくわからず途中で道に迷い
山の斜面を彷徨いなんとか舗装された道路に出て
そこから40分ほどかけてやっと目的地の学校に辿り着いた。
学校と行っても3階建ての民家で2階が学校になっており
チベット人の若者が10人ほどいて、各々にタンカを製作中だった。

しかし、目的の彼女がいなく、どうやら外出しているらしい。
しょうがなく他の学生の絵を見たり、学校の周りを歩いたりして2時間も時間を潰したが
結局彼女は帰ってこず、そろそろ飽きたのでおいとますることにした。
その帰り道に、スクーターを走らせ、学校に向かう彼女を見かけたが
こちらには気づかなかったので、あとでメールを送っておいた。

帰りはバスに乗って、また15分くらいかけてマクロードガンジへ帰った。
夕方にまたいつものカフェでチベタンティーを飲みながらネットをし
夜もまたいつもの日本食レストランへ行った。
そこである日本人の若者に話しかけられたが、よく見たら
昼間に違うレストランで見かけた人だった。
そのときはてっきり韓国人だと思っていた。

彼のテーブルに移り、カキアゲ丼を食べながら少し話をした。
彼は大学生で、チベットに興味があるので今回の旅は
最初からずっとここダラムサラで過ごしているらしい。
最近下痢気味でどうしたらいいかと聞かれたので、色々アドバイスしてあげたが
あとから聞くと医大の大学生らしく、それくらい自分で原因突き止めろよと思ったが
言わないでおいた。頭は良さそうだが、ちょっと抜けているのかもしれない。

借りてきた本を返し、また新たに「ダライラマ自伝」を借りて宿に戻った。
宿に戻ると便意を催し、やっといつもの勢いでモリモリっと出た。
やはり快食快便は気持ち良い。
寒いのですぐ布団に入り本を読み始めたが、読んで10分くらいで
すぐに眠くなってきたので、10時前に消灯して寝た。



ダラムサラ2

3月20日 水曜日 ダラムサラ

朝7時頃犬の鳴き声で起きる。
朝となく夜となく、一日中吠えている犬。
まだ寒いので、布団から片方の手だけ出し、昨日借りた本を読んで
9時頃やっと温かくなってきたので、部屋を出て近くでジンジャーティーを飲む。
いつものように頭から毛布のようなものを被り、ジャミラのような格好で外に出たが
ここは寒いのでみんなしっかりした防寒着を着ていて
わたしはいつも少し浮いているような気がする。
他の町ではこれで完全に町に溶け込めていたのに。

小腹が空いていたが、近くにフルーツなどが売ってなかったので
しょうがなくそのまま散歩に行くことにした。
昨日会った人に教えてもらった瞑想道場が、歩いて30分くらいの所にあるらしい。
しばらく登ると、分かれ道になっており、そこに座ってたオジサンが、どこに行くんだ?
と聞いてきたので、メディテーションの場所はどっち?と聞き返すと
ほらそこに2つもあるよと教えてくれた。
1つは有名な「ヴィパサナセンター」で
もう1つはチベット仏教の瞑想センターらしい。

最初にヴィパサナセンターの方に入ってみると、インド人のジイさんが一人いて
自由に見て回っていいよと言ってくれたので、一人でセンター内をブラブラ歩いてみた。
初めてヴィパサナセンターに入ったが、ここはとても質素な感じで
部屋なども独房のような感じだった。夜はおそろしく寒いに違いない。
10分ほど見て回り、それからジイさんに少し話しを聞くと
ヴィパサナはほかの瞑想と違って、とにかくとてもタフで
厳しいという事を強調していた。

コースはたしか最短で10日から、一日計12時間近くも瞑想するらしく
食事も朝昼の2回だけで、それからはレモン水くらいしか飲めないらしい。
隣のチベットのとは何か違うの?と聞くと
あそこは外国人が常に出たり入ったりして集中できんよと言っていた。

それから次は隣にある、そのチベット仏教の瞑想道場に行ってみた。
受付には誰もおらず、どうしようかなと中を徘徊していると
瞑想ホールのような所から急に人がたくさん出て来て
最後の方に一人日本人の若い男性がいたので
小声で話かけてちょっとだけ質問してみようとすると
今から飯を食べなければいけないので、よかったらその後で説明するから
ちょっとそこの庭で待っててくださいと言われ、時間もあるしと思い
椅子に腰掛けて猿の喧嘩などを眺めながら20分ほど待った。

みんなも色んなとこで昼ご飯を食べるらしく、わたしの周りでも
たくさんの修行者と思われる欧米人が飯を食べていたが、それがまた美味そうで
もう話なんていいからさっさと帰って昼飯を食べたいと思った。

やっと飯を食べ終わった彼が来て、こっちに来てと入り口の方まで誘導された。
やはり瞑想コースを受けている最中なので、施設内での会話はできないようだ。
施設内を出ると、そこにはかたまってタバコを吸っている欧米人が何人かいた。
施設からはだいぶ離れたので、彼がやっと小声で色々と話し始めてくれた。
彼もやはり今10日間の瞑想コースの9日目だそうで
ここもみんな泊まり込みで毎日瞑想するらしいが
最初の二日間は一日たったの3時間ほどで、3日目からは増えるが
それでも5、6時間とヴィパサナよりは断然短く
食事も3食でディスカッションの時間もあるらしい。
何をディスカッションするのかと聞くと、どうやらここは
チベタン仏教を世界に広めるための宣教者を養成するのも目的だとかで
そのための練習だと言っていた。

隣のヴィパサナと比べてみると、やはりここは外国人向けで敷居も低く
サークルの合宿みたいな感じがした。
彼が親切にコースの説明事項などもくれたので、あとで読んでみたが
コース中は会話も禁止で、タバコももちろんダメと書いていたが
さきほども隠れてタバコを吸ってる受講生がたくさんいたので
やはりあまり厳しくはないみたいだ。大乗仏教はやはり少し緩いのか。

腹が減ったので、先へは行かず引き返し、宿でいったんシャワーを浴びてから
いつもの所へ昼飯を食べにいった。日替わり定食が豆腐ステーキとなっていたので
それを注文した。豆腐ステーキはもちろんのこと
ほうれん草のおひたしなどもとても美味しかった。
日本食を食べると、前に行った北海道登別温泉の夕食バイキングをいつも思い出す。
あの鮭の蒸し焼きとカボチャの煮物美味しかったなあ。北海道が恋しいなあ。
しかし全部残さず食べきると、お腹ははち切れんばかりになり
そこに飲み物は別腹だとまたジンジャーティーを飲んだら
どうやら同じ腹に入ったらしく、今にも吐きそうになり
散歩を続けるつもりだったが、部屋に戻って休んだ。

朝方はなくなっていた左脇腹の痛みが、また急に出て来たので
どうやら腹に何かを入れると痛くなるらしい。
場所からして胃ではなく肺かどこかだと思うのだが、なぜこんな所が痛むのか。
気になるようでとくに気にならない。

夕方くらいまでゆっくり休み、それから近くの
チベット人がやっているこじゃれたカフェに行き
チベタンティー(バター茶)を飲みながらネットを楽しんだ。

日が暮れてから宿に戻り、この旅行でのお金の計算をしてみると
今まで400S$(シンガポールドル)両替したが、まだそれがけっこう余っていて
宿や交通費を抜いても、帰るまでに一日800Rs程度使えるみたいだ。
今日も全然ケチケチせずに遣ったが、それでも300Rsもいってないし
いったいどうやって遣い切ればいいものか。

寝る前に本を読もうと思い、借りてきた「オウムからの帰還」の続きを
一時間ほど読んで寝ようとしたが、けっこう面白かったので
少し心が興奮気味で寝られなくなり、結局3時までかけて読み切ってから寝た。







2013/03/20

ダラムサラ1


3月19日 火曜日 ダラムサラ

朝6時前に目覚めたが外はまだ暗く、室温もかなり下がっているので
布団からは全く出られない。さすがは標高1700m。
暖かい装備はしてないので、これから朝晩はずっと布団の中になるだろう。
お腹の調子はまずまずだが、寝返りをうつとまだ体がちょっとダルい。
しかし悪い感じではなく病み上がりで本調子ではない感じだった。

8時近くにやっと起き上がりバナナを2本食べる。
それから今日どうしようかとまた布団の中で考え込み
9時頃やっと起き上がりパソコンで日記を書いたり、音楽を聞いたりとまったりし
昼前に安い部屋に移らせてくれと宿の主人にお願いし
日当りが少し悪いトイレ別の部屋に移動することにした。

それから主人と少し話したが、おそらく自分と同じ年くらいだと思われる彼は
チベット生まれのチベット人だが、若いときに兄3人と山を超えて
ここダラムサラに亡命してきたらしい。
両親はチベットにいるが、チベットに戻るのはまだとても難しいらしい。

それから部屋で移動の準備をして、新しい部屋まで行ったが、部屋がとても埃っぽく
しばらく誰も使ってないみたいだったので、違うスタッフの
ズベ公顔のチベットネーチャンに、埃っぽいから掃除してくんない?とお願いし
自分は昼飯を食べに出た。

また昨日の日本食レストランに行ったが、すごく混んでいたので
チベット人の丸坊主のオジサンと、韓国人の若者と相席になった。
そのチベット人のおじさんも20歳のときに一人で、チベットから亡命してきたらしい。
15日間歩き続けて、ヒマラヤの険しい雪山を超えてきたらしい。
わたしの想像の範囲を超えているので、ちょっとうなだれてしまった。
今は南インドで仏僧をしているらしく、最近20年ぶりくらいに
チベットに帰ることができて、家族に会えたらしい。
これからも母国を取り返すために、中国と戦いを続けていくそうだ。

そんな話を聞きながら、わたしはタマゴうどんを食べたが
思った以上にまずく半分残してしまった。
となりの韓国人はオムライスをたいらげていた。
この勝負は完全に韓国の勝ちだ。

宿に戻って荷物を部屋に入れようと思ったら、まだ埃っぽい。
どうやら床を軽く掃いただけのようだったので
布団シーツなどを自分で洗って干していたら、シーツ洗ってるの?と聞かれたので
全然キレイになってなかったよと言うと、新しいシーツと枕カバーをくれた。
もしかしたら私が神経質だけなのかもしれないが、長く泊まりたいので
やはりシーツはキレイな方が嬉しい。

またしばらく部屋でゆっくりし、3時頃に近くのカフェでコーヒーを飲みながら
無料のwifiを使ってメールをチェックしたりしたが
facebook だけはどうにもうまく表示されず
メッセージが1件になっているのだけが見え、非常に気になったがあきらめた。

奥さんと実家にあとでハガキを出そうと思い
カフェで売っていたポストカードも2枚買った。
また宿に戻りゆっくりしてから、日が暮れた頃に
ここからデリーまで帰るバスのチケットを買った。
最初は列車で帰ろうと思ったが、ちょっと軽い恐怖症みたいになっているので
リクライニングのバスで帰ることにした。
夜の6時にここを出て、朝の6時にデリーに着くらしい。

そのまままた日本食レストランに行くと、またもや相席になり
今度は日本人の女性だった。ベジタリアンカレーを食べながら話を聞くと
彼女はダラムサラに半年くらい住みながら
ここで「タンカ」というチベットの仏教画を学んでいるらしい。
以前チベットを旅行しているときにタンカを見て、これを描いてみようと思ったらしい。
昼に会ったチベット人のオジサンも、タンカを描くのが好きだと言っていたが、
タンカにはかなり厳密な決まり事というのがあり、あまり自由奔放に描くことができず
どちらかというと、伝統に忠実に従いながら再現していく感じらしい。
ダラムサラにある小さな学校で毎日勉強しているというので
見学はできますか?と聞くと、快く学校までの地図を描いてくれた。
人に聞いたりしても絶対に辿り着けない
ここから歩いて1時間ほどかかるド田舎にあるらしい。
ところでベジタブルカレーも、あまり美味しかったとは言えない。
この2日間、消化の事を考えて食べ物を慎重に選んできたが
そろそろ明日あたりから揚げ物などもいけそうな気がするので
また違う物を食べてみようと思う。

ちなみにインド全体がそうだが、肉料理はほとんどなく
私ももちろん肉料理は食べない。
シーク教、イスラム教、あとキリスト教も肉は食べるが
ヒンドゥーと仏教は肉は基本食べない。
そういう所がまた仏教の良い所で
日本も昔のように魚と野菜だけの時代に戻ればいいのに。

レストランでは日本語の本の貸し出しもしているので
「オウムからの帰還」という本を借りてきた。
どんな経緯で人が間違った宗教道を歩みはじめるのか
わたしもやはり知っておかなければなるまいに。

今日も胃がきつくなるほど食べたので、なんとかノルマは達成したと思うのだが
一つ心配なのは、今日まだ便が一度も出てないことだ。
もっと水を飲めばいいと思うのだけど、冷たい水があまり好きじゃないので
お湯などがあれば一日3ℓはいけるんだけど。
それともう一つ、左の肋が夕方頃くらいからすごく痛いが、これはいったい何なのか。
この年になっても、自分の体の事がいまいちよくわからない。