2012/09/26

サムイ島 〜前編〜

タイのサムイ島から今日やっと帰ってきた。
一週間の旅行だったが、久しぶりに長過ぎると感じた。

それというのもサムイ島はリゾートなので、物価が高い。
そしてリゾート向けのものしかないので、つまらない。
高いといっても一食2、3百円で、シンガポールと変わらないくらいなんだが
タイに何しに行くっつったら、安さを満喫しに行くんだろうよ。
それが同じでどうするんだって話でしょうがっ(出正月)。

さらに微笑みの国タイっつーくらいだから、人々の優しさも求めて行ったのだけれど
あの金に魂を売った銭ゲバ野郎共の感じの悪いこと。


そんなわけで大した事はしてこなかったのだけれど
サラッと旅行について書いてみよう。



【1日目】
いつもお世話になっている格安航空、タイガーエアーラインで
昼の12時にタイ南部の ”ハットヤイ” に到着。
エアポートバスで町まで行き、そこから
サムイ島行きの船がある ”スラーターニー” に行くバスを探そうとするが
誰にも英語が通じず、誰に聞いても”NO”の一点張り。
「おまえらノーしか言えんのか?」と聞いても、答えは「NO」。

拉致があかんので、じゃあバスターミナルに行こうと思い
スクータータクシーを捕まえるが、着いた先は鉄道駅。
しょうがなく近くのHOTELに入り、スタッフにタイ語で
「バスターミナル」と紙に書いてもらう。

それを見せ、なんとかバスターミナルまで辿り着き
無事にスラーターニー行きのバスに乗るが、ここまでかなり手こずったので
スラーターニーに着いたときは、すでに夜8時。

しかし運良く、夜11時発の朝6時着という
ナイトボートがあるというので、そのチケットを買い
時間まで晩飯を食ったり、町をブラつく(Black)。

時間になったので、船に乗り込む。
船は、ボロい屋形船のような感じで、板の間に一人一枚マットをひいて
そこに雑魚寝するだけという、非常にタイらしい船だった。



【2日目】
船は朝6時に無事にサムイ島の港に着いた。
そこから島の反対側にあるチャウエン・ビーチに行きたかったが
朝早いので、料金が安いバスはまだ走ってないらしく
しょうがないのでイギリス人のバックパックお姉ちゃん3人と
タクシーをシェアしたが、20分くらいで着いたのに、1500円も取られた。
バンコクだったらおそらく5、600円くらいだろうに。

なんとかチャウエン・ビーチの、予約してあった宿に着いて
先に到着していた奥さんと合流。
二人でビーチを歩いたり、町をブラつき買い食いをしたりして昼まで過ごす。
しかし食べ物は高いし、リゾートばかりで見るものが何もないので
昼からスクーターをレンタルし、二人乗りであてもなく島をドライブした。

わたしは5年前くらいに、ベトナムでスクーターで事故り
それ以来バイクは封印してきたので、超久しぶりのスクーターに少しビビり
超安全運転を心がけ、かなり神経をつかった。

2時間くらい走って、少し休憩してジュースを飲んでいたら
わたしの入れ歯がないことに気づく。
アイスを食べるときにはずして、たしかにポケットに入れておいたはずなのに
いくら探してもどこにもない・・・。
テンションがた落ちで、元来た道を戻り、
落とした可能性のある場所を探して回っていると
なんと奥さんがファミリーマートの駐輪場に落ちているのを見つけてくれた。
この人と結婚してほんとうに良かったと思い、この運が尽きないうちに宿に帰る。

夜はリゾートエリアの裏にあるローカルレストランで
二人の大好物のパパイヤ・サラダを食べビールを飲んだ。



【3日目】
チャウエン・ビーチから、港のある ”ナトン・タウン” まで移動したかったので
宿の姉ちゃんに移動方法を聞いたら、タクシーしかないと言うが
そんなはずはねえだろと思い、バスを探したら案の定すぐに見つかった。
しかしバスも高く一人300円近くも取られた。
予約してあったナトンのホテルに荷物を置き、次の日にナトンで行われる
マラソン大会会場へ、二人で登録をしに行った。

会場には、日本人ランナーがけっこうたくさんいて驚いた。
ほとんどが3、40代のカップルや家族連れという感じだろうか。

Tシャツやゼッケンなどを貰い、さあ帰ろうとすると
現地のテレビ局にインタビューされ、なんかカッコ良い事言おうかなと思っていたら
質問には奥さんが全部さっさと答え、わたしは頷くことしかできなかった。

また二人でナトンの町をブラつくが、とくに見るものもなく
奥さんは部屋で昼寝し、わたしは一人でマンゴー・スティッキーライスを食べる。

明日のマラソンのために、夜は健康的な物を食べようと二人で言っていたが
ナイト・マーケットを見つけてしまい、案の定油っこいものを食べ
ビールもたくさん飲んでしまった。
しかしビールのおかげで、ホテルに戻ってからすぐに寝ることができた。
わたしの参加するハーフマラソンは朝5時スタートなので
4時には起きなければいけないのだ。













2012/09/16

ビールとパパイヤサラダと男と女








来週の水曜日から一週間ほど、タイの「サムイ島」という島に
奥さんと二人で行ってくる。

なぜ、言いたいことも言えないこんな世の中で
いまさらサムイ島などという、あきらかに名前負けした島に行くかというと
奥さんが9月23日に、サムイ島で開かれる
「シリントーン王女杯サムイ島マラソン大会」というのに参加するというので
じゃあ面白そうだから私も応援しに行ってあげようという事になったのだ。

マラソン大会といっても、奥さんはクォーターマラソンの10kmを走る。
そして、ただ応援するだけというのもなんなので、わたしも参加する事にしたが
10kmだとおそらく今でも完走する自信はあるので
前人未到の20kmのハーフマラソンに挑戦しようと思う。
タイにはニューハーフも多いので縁起がいい。

20kmといえば、高校の校内マラソンで走らされ
なんとかゴールしたあとは歩くこともままならず
学校から駅までタクシーで帰った記憶がある。

ということで、スリランカから帰ってきてからは
ハーフマラソンを意識した走り込みをしているが
20kmというのは、私には果てしなく長い。
最近なんとか15kmまでは走れるようになったのだけれど
今はそれが限界で、もう5kmは嗚咽しながら歩かなければならなさそうだ。
いずれにせよ、参加する事にヤギがあると思うので、あまり気負わずに走ろうと思う。

ちなみに私と奥さんは、泊まる所はもちろん一緒だが、行き帰りは別々だ。
奥さんはシンガポールからサムイ島まで、飛行機で直行するのだが
そのチケットはちょっと自分には高く感じたので
わたしはマレーシアの国境付近にあるHat Yaiという町まで安い飛行機で行き
そこからバスとボートを使って、一人でサムイ島を目指す。
お金がないなら足で稼ぐ。これは捜査の基本中の基本だ。

大会までには一日余裕を見てあるので
たとえ渋滞や交通事故、沈没に巻き込まれても大会には間に合うだろう。


わたしの幸運を祈れ。

2012/09/13

スリランカ その9(おわり)

8月23日。朝6時に起き、ラジオ体操をして冷たいシャワーを浴びた。
今日は旅の最終日。夜11時の飛行機でシンガポールに帰らなければならない。
旅行中はわりと強気だが、最終日だけは無事に帰りの飛行機に乗れるかいつも不安だ。

出発の準備をして7時に宿を出た。
バス停に着くとすぐにバスが来たが、バスを見たとたんに便意をもよおしたので
大事をとって1つバスを見送り、となりにあった食堂で
ヨーグルトを紅茶をたのんでトイレを借りた。

またすぐにバスが来たので急いで乗った。
エッラ村からコロンボまで行くバスはないので、一度バンダーラウェラの町で降りた。
バンダーラウェラで食堂に入り、朝飯を食べようと思い
いつもと同じ、パンにカレーを注文したが、カレーがとても美味しく
ムスリム系の店だったので牛肉のカレーもついていて、朝から得した気分になった。

コロンボ行きのバスも見つかりすぐ乗り込み、一番後ろの席に座った。
発車まで少し時間があり、客もまだあまり乗っていなかったので
チャンスだと思い、バスの中で素早くジョギング用の格好に着替えた。
コロンボまでは最低でも6時間はかかるので、暑い天気と車内の熱気のせいで
着く頃にはおそらく汗だくになっていると思ったからだ。

バスが出発すると、たくさんの人がバスに乗ってきたが、わたしの隣に座る人は
わたしのあまりに露出の多い、初期のジャニーズのような姿に、少し戸惑っていた。

バスに乗っている間はずっと外の景色を見ていたが
2時間も経つとやはり汗だくになり、さらに暑くて窓を開けていたので
顔も腕も土ぼこりで、だんだんと汚れていくのがわかった。

外の景色はどの町に行っても大差なく、退屈でしょうがなかったが
5時間ほど経つとやっとコロンボに近づき、外の建物が近代化していった。
がそれと同時に、バスは渋滞に巻き込まれ、空気は汚くなってきた。
市内に入り乗客はどんどん降りいき、最後はわたしを含め2、3人だけになった。
バスはあいかわらず渋滞であまりすすまないので、自分も降りて歩きたかったが
ガイドブックを見ても現在地が全然わからないので
しょうがなく最終のバスターミナルまで我慢した。

やっと着いたバスターミナルは、今まで見たどこの町よりも汚かった。
喉が渇いたので何か飲もうと思い、適当に店に入って
なんでもいいから注文したら、アボカドのミルクシェイクを頼んでしまい
スカッとしたかったのに、ドロッとなってしまった。

体が汗と汚れで非常に気持ち悪かったので、シャワーを浴びたいと思ったが
浴びれそうな所が見つからなかったので、ウェットティッシュを買って
建物の影で裸になって体を拭き、短パンとYシャツに着替えた。
体はスッキリし、ウェットティッシュは真っ黒になった。

適当に街を歩いてみたが、コロンボの街はなかなか都会で
色んな店があり便利そうだが、人はやはり田舎よりは愛想がなく冷たいし
おまけに女の人はみんな、化け物みたいな顔をしていた。
キレイな人もときどきいたが、その人もどこか化け物のようだった。

空港や土産物屋は高いと思ったので、お土産は全部スーパーで買った。
けっこう買ったつもりだったが、全部で600円くらいだったので
自分がとてもセコい人間に思えた。(実際セコい)

海を見に行こうと思ってビーチまで行ったら
今日は大統領がコロンボにやってくる日だがなんだかで
街中で厳重警備をしており、軽く職務質問などされてしまい
おまけに雨が振り出し、傘は壊れ、道に迷い、散々な目に遭いながら
なんとかコロンボ空港行のバス停まで辿り着いた。

バスに乗る前に夕飯を食べておこうと思い、近くの食堂に入り
最後の夕食なので派手に行こうと思ったら、なんと所持金が400円しかなく
これで無事に帰れるのかと、とても不安になったので、一番安いパンを2つだけ食べ
紅茶も飲まずに、水道水を少しだけ飲んだ。

すぐにバスに乗り空港へ向かったが、そのバスも渋滞に巻き込まれ
2時間ほど余裕を見てバスに乗ったからよかったものの
もしものんびりしていたらと思うと、寒気がした。

現地時間21時。出発2時間前になんとか無事に空港へ着き
残りのお金でちょっとだけお菓子を買って、すぐに搭乗ゲートをくぐった。
空港内の無料のインターネットで、メールチェックなどをしていると
あっというまに搭乗時間がきて、飛行機の一番後ろの席に座った。
横には誰もいなかったので、飛行中は3席のシートに横になり
シンガポールまでの4時間ぐっすり眠った。

朝5時にシンガポールのチャンギ空港に着き、免税店でテキーラを1本買った。
免税店のオバちゃんは、ティッシュでグルグル巻きにしてある私の足の指を見て
あら偶然、わたしも昨日ドアに手の指を挟んじゃったのよ
と言って、包帯で巻かれた左手の親指を見せてくれた。
おばちゃんに、お互い気をつけようねと言って、入国審査を通り
わたしの初めてのスリランカ旅行は終わった。


家に帰る地下鉄の中で、i-pone をいじっている子供やおばさんを見て
嗚呼またシンガポールに帰って来てしまったなと実感し
来月も必ず出国してやると心に誓った。


おわり














2012/09/10

スリランカ その8

8月22日。朝6時に目が覚め、ベッドの上で小説「天使と悪魔」をずっと読む。
とてもおもしろく、上巻しか持ってこなかったのが悔やまれる。
8時を過ぎたので、そろそろ郵便局が開いてる頃だなと思い
先日買ったポストカードに、実家宛と奥さん宛のメッセージを書いたので
それを郵便局に出しに行くことにした。

足の指をカバーするために、サンダルではなく靴をはいた。
歩くとやはり痛むので、びっこを引いた状態でゆっくりゆっくり歩き
200mほど離れている郵便局に向かった。

もう8時半だというのに郵便局は閉まっていたが
裏口が開いていたので、そこから中にいるスタッフが見えたので
「何時オープン?」と聞いたら「8時からだよ」と言いやがる。
じゃあこの2枚を国際郵便でお願いしますというと、25Rs切手を2枚くれた。
1枚20円以下だが、こんなもので本当に届くのだろうかと不安になった。
(後日ちゃんと届きました)

隣にあった食堂でいつもの朝食、パンとカレーとヨーグルトと紅茶を飲んだ。
全部で120Rs(80円)。店の人は、ぜんぜん英語が通じなかったので
日本語で、あいかわらずクソ美味いくせにクソ安いな!と言ったら
ハハハ、グッドグッド!と笑っていた。

宿に戻って靴を脱ぎ、サンダルに履き替えた。
サンダルで歩くと、靴よりも痛くないことがわかった。
これはもしかしたら、ちょっとくらいなら散歩とかできるかも、と希望を持ち
洗濯をしたり本を読んだりして昼までゆっくりと過ごした。

昼になってガイドブックをもう一度よく読み
片道2時間以上かかると書いてある「エッラ・ロック」というのは無理だが
1時間以内には着けるという「リトル・アダムス・ピーク」という山なら
どれだけゆっくり歩いても着くだろうと思い、さっそく準備をして宿を出た。

行く途中で、昼ご飯用に小さいバナナを6本ほど買った。
山に向かってあるいていると、道路脇にあるレストランに見覚えのある少女がいる。
よく見ると、昨日バンダーラウェラからエッラ村に向かうバスの中で、前に座っていた
目の玉が淡い緑色をした女の子だった。まだ10歳くらいの子だが
顔立ちはとてもきれいな子で、他の子とはぜんぜん違う不思議な雰囲気を持っている。
私と目が合うと、とても控えめな笑顔で少しだけ手を振ってくれた。
またもその美しすぎる目の玉に吸い込まれそうになり、軽くめまいがした。
旅はするもんだなあ、と足をひきずりながら快晴の空を見上げた。

リトル・アダムスピークの入り口には、ほんとうに15分くらいで着いた。
農園の入り口みたいな感じで、そこからはずっと茶畑が広がっていた。
歩いていると向こうから、茶摘みが終わって帰る途中だろうオバアちゃんが歩いてきた。
話しかけてきたので、なんだろうと思ったら、カメラは持っているか?と聞いてきた。
どうやら旅行者に写真を撮らせて、それから写真料を要求する手口らしい。
俺を誰だと思ってんだババアと小声で呟きながら
残念ながらカメラはないんだよというジェスチャーでババアをいなした。
そのあともすれ違うババアみんな、写真を撮れとしつこく言ってきた。
乳でも振り乱せば撮ってやらんこともないのだが。

歩いていると、指に巻いたティッシュがどんどんずれるので
いっそはずそうかなとも思ったが、土が傷口に入り化膿でもするとマズイので
宿でもらってきたトイレットペーパーを何度も巻き直しながら進んだ。

まだかまだかと思いながら坂を登り続け、入り口から1時間経ち
ついに頂上に続く急な階段に辿りついた。
つま先をぶつけないように横向きになりながら、ゆっくりと登って行くと
なにやら頂上から誰かの歌声が聞こえてきた。
なんと頂上では、素晴らしい景色をバックに
上半身裸の白人のお兄さんがギターを持って歌っていた。
そして傍らには彼の仲間が二人いて、ビデオカメラで彼を撮影していた。
アーティストらしいが、機材から見てまだ売れてはいないみたいだ。
さらにその周りにはスリランカ人の若者が10人くらいいて
撮影を珍しそうに見ており、途中からなぜか彼らもビデオに参加していた。


※赤いTシャツを着ている子に注目してもらいたい。



















一応名前を聞いてみたら、彼はイギリス出身のアーティストで
ローレンス・パーキングさんというらしく、とてもさわやかな好青年だった。

頂上からは周りの山々が一望でき、昨日行ったエラワンの滝も遠くに見えた。
座るのに手頃そうな、平たい岩が斜面から突き出ていたので
そこに座りながらバナナを食べて、景色をずっと眺めていた。

ふと反対方向を見ると、すぐ隣にもう一つ山があったので
さらに20分ほどかけて山の斜面を這いながら隣の山に辿り着いた。
その山からはさらに遠くが見え、地球の広さが実感できるような景色が広がっていた。
さすがにここまで来る人はあまりいないらしく、周りには誰もいなかったので
年甲斐もなく「ヤッホー!」「大好きだー!」などと何度も大声で叫んだりした。

1時間ほどゆっくりしたあと、もと来た斜面を戻ろうとしたが
足が土だらけでひどい事になっていたので、頂上には戻らず
そのまま茶畑に侵入し、こんな素敵な茶畑で遭難したらどうしようと
少しドキドキしながらも、なんとか山を下り入り口まで辿り着いた。
足の具合は、なぜか朝よりも良くなっていたので、もう少し歩こうかなと思ったが
あまり調子にのると痛い目に遭いそうだったので、おとなしく宿に戻って休んだ。

夜になり、今日は奮発して少し高いものを食べようと思い
観光客がたくさんいる、シャレた感じのレストランなどに入ってみたが
メニューを見ると、ハンバーガーだのフィッシュ&チップスだの
まったくスリランカとは関係ないメニューばかりだったので
あえて全然客が入ってない店に行き、フライドライス&野菜カレーを頼んでみたら
これが完全に当たりで、この旅行で一番美味しかった。
作ってくれたオバちゃんに、これは本当に美味いと言ったら
カレーとお茶のおかわりまでくれて、吐くちょっと寸前くらいまで食わされた。

帰り道はまたも真っ暗だったので、電子辞書のライトを点けて地面を照らし
慎重にゆっくりと歩いて宿まで帰った。
明日は朝からバスに乗って、コロンボまで行き、そこから空港に行かねばならず
けっこうタイトなスケジュールになりそうだったので、ガイドブックを何度も読み
明日の計画をじっくり考え、早めに寝た。


















2012/09/07

スリランカ その7

8月21日。朝4時頃、部屋の外から聞こえる話し声で目が覚めた。
しかも一人は子供らしく、甲高い声をしていて、朝からしゃくに障る。
朝何時だと思ってたんだと思いつつも、もうすぐ終わるかもという可能性と
この国では別に非常識な事ではないんじゃないかという可能性から
話が終わるのをじっと我慢して待っていたが、30分経っても終わらず
もう我慢できんとドアを開けて、話してる家族連れを睨んでみたが
全く悪びれている様子もないので、こちらも注意するというタイミングが掴めず
そのまま彼らをスルーして宿の外に出てしまい、自分の根性のなさを噛み締めながら
10分ほど宿の周りを散歩してまた戻ってきた。

戻ってくると奇跡的にその家族がもう宿を出たみたいで
また静かになっていたのでもう一眠りした。

再び7時前に起き、隣の食堂で朝飯にパンとカレーを食べていると
5、6人の家族連れが店に入ってきて、わたしの目の前にあるテーブルに座った。
みんな私を見つけるやいなや奇妙な眼差しで私をチラチラ見てきたが
わたしが微笑むとみんなも微笑んでくれた。
とくに私の方を向いて座っている若くて微妙に可愛い姉妹二人が
こちらを見ながら笑っている。イヤな笑いではない。
これは俺に脈があるなと思い、紅茶をすすりながら二人と仲良くなる方法を考えたが
そんな方法はあるわけがなく、もどかしい想いで姉妹に手を振って店を出た。

宿に戻り出発の用意をして、8時の列車の乗り込むべく駅に向かった。
出発20分前に駅に着いたが、すでにたくさんの人が乗り込んでいた。
この "BADULLA" から 4駅ほど先にある"ELLA" という町までの電車から見える景色が
とても素晴らしいとガイドブックに書いてある。
席は相席しかなく、窓側にはもう人が座っているので
車両の間にある降車口に行き、そこから外の景色を眺めた。
電車は山の中のかなり高い位置を走っているらしく
そこから眺める景色はほんとうに素晴らしかった。
山あり谷あり川あり滝あり、民家あり畑あり鉄橋あり牛あり手を振る子供あり
最初は写真を撮ってみたが、この景色の素晴らしさは写真では撮れないと思い
だまって景色を楽しんだ。

1時間もしないうちに エッラ村の駅に到着したが、お金を両替したかったので
もう少し大きい町の方がスムーズに行くと思い
もう2つ先の "BANDARAWELA" という町で降りた。
残りのお金が1800Rs(千円弱)しかなかったので、昨日からけっこう焦っていた。
大きな銀行を見つけ3000円ほど両替した。
これであと3日過ごしお土産を買ってピッタリなはずだ。

両替したあとはまたバスに乗り、エッラ村まで戻った。
しかしバスの乗員に「エッラまで」と行ったはずなのに
どうみても村ではなく滝の前で降ろされてしまった。
人がたくさんいて、みんな写真を撮ったり滝で水浴びをしたりしている。
ガイドブックで調べるとエッラ村より6km先にある、エラワンの滝というところだった。
来てしまったものはしょうがないので、観光することにした。

滝壺の近くまで行き、自分の目の届きそうな岩場の上に荷物を置き
ランニングショーツにはきかえ、滝に打たれたり滝壺で軽く泳いでみた。
水はとても冷たく気持ちいいし、なんといってもみんなとても楽しそうだ。

さてまたバスで戻ろうと思い、バス停の前で待っていると
変なオヤジが寄ってきて、日本のコインはないかと聞いてきた。
どこのコインも持ってないが、偶然さっき滝壺で若者に
コインが落ちてるからあげると言ってインドの10Rsをもらったので
それでいいならあげると言うと、じゃあお礼に宝石をあげるといって
OMIYAGE, OMIYAGE と言いながらちょっと変わった石をくれた。
宝石ではないにしろ、インドの10Rs(20円)よりは高価な物だと思うが。

ようやくバスが来たので乗り込み、10分ほどでエッラ村に着いた。
エッラはとても小さい村で、メインであるTOWNと呼ばれている所は
脇にレストランやホテルがたくさん建っている200mくらいの一本道だけで
そこ以外は全て街灯もない山道だ。
安い宿を探し、現地の人に聞いたり、店の人に聞いたりして
色々なところを聞いてみたが、1500Rs以下のところがどうしても見つからず
小さい村の一本道を何回も行ったり来たりしているので
あいつまだ宿探してるぜ。いったいどんな宿を探してるんだ。
などという声が聞こえてきそうで、とても恥ずかしかった。
しかも宿と宿の間が離れていたり、山中なども探して回ったので
結局2時間以上も歩いて、しまいには雨も降ってきたので
やむなく最初の方に見つけた1500Rsの宿に戻り、チェックインした。

もうどこにも行く気力がなかったが、日暮れまでまだ2時間はありそうだったので
しょうがなく軽く散歩に行くことにした。
あてもなく、さきほどの滝の方面への道路を歩いてみた。
少し行くと大仏があり、いまさら旅の安全を拝んでいると
円形脱毛がたくさんある小坊主がどこからともなく現れ
英語が多少わかるようなので小話をしていると、スクールペンをくれとせがまれたので
おじさんもお金がなくて買えないんだと言っておいた。

道はどこまでも続きそうなので、もう30分歩いたら帰ろうと思ったら
30分くらい歩いたところに、「この先2kmに洞窟寺あり」という看板が立っていたので
仕方なくそのお寺を見に道路から小道へ入って山を登って行った。
早足で登っていくと小さい岩のお寺が見えてきて、中からお経を読む声が聞こえた。
中には坊一人と小坊主4人がいて、涅槃大仏に向かってお経を唱えていた。
坊さんは目をつむっていたが、小坊主たちは私の出現にかなり驚き
お経を読みながら笑みを浮かべて私の動きをずっと目で追っていた。
邪魔にならないように足早に寺を去るわたしに、小坊主たちは軽く手を振ってくれた。

さて帰るぞと思ったら、またしても
「この上に瞑想に使われた洞窟あり」という看板があり、上に登る階段があった。
これ見たらほんとうに帰ろうと思い仕方なく登っていったが
登れども登れどもいっこうに着かず、私の背丈ほどもありそうな草が
ぼうぼうに生えていて行く手を塞いでいるので、それを手でかきわけながら
さらに登るがまっっっったく着かない。
最悪だ。ハマった。マジで最悪だ。完全にハメられた。とつぶやきながら
汗まみで登ること15分、急勾配の坂と手すりが現れ
まだ行くのかと愕然としながらも、意地になり登っていくが
空はだんだんと暗くなってきており、ついに、あれか!!という真っ暗な洞窟が
20mほど上に見えたが中は真っ暗で何も見えない。
さらに階段は途中で終わっていたので、あとは手を使って急な土の斜面を登った。
やっと辿り着いた洞窟の中は真っ暗で何も見えず、地面の土は湿っていた。
あまりに気味の悪い空間と、空が暗くなっていることに身の危険を感じ
フラッシュで写真を数枚撮ったのち、すぐに同じ道を戻った。
頭の中で「とおりゃんせ」の歌が自動再生され、気が狂いそうになった。
しかしそうとう上まで登ったらしく、帰りに見た山の景色はとてもキレイだった。

山を降りる頃には完全に真っ暗になっていたが
すれ違う人がみんな声をかけてくれたので、あまり不安にはならなかった。

1時間ほどでやっとタウンに戻って晩飯を食い、宿に戻った。
小さい村なので、メインの道からはずれると、街灯ひとつなく宿の周りは真っ暗だった。
シャワーを浴びて寝る用意をすませ、明日はもっとたくさん山登りをする予定だったので
今日は早く寝ようと思い、すぐに寝る準備をしてベッドで本を読んだ。

1時間くらいしてどうしても喉が渇いたので
ミネラルウォーターを買いに宿を出て、暗闇の中を手探りで歩いたら
右足を何かに思い切りぶつけてしまい激痛が走り
これは血が出ているレベルだなと思い、すぐ部屋に戻ると
案の定足は血まみれで、親指の爪が剥がれかけていた。

血を止めるためティッシュを巻き、ベッドの上に寝て足を高く上げ
これは残念だけど、明日の観光は断念せざるをえないだろうと覚悟した。
30分ほどで血は止まったようなので、血まみれの足を洗って
消毒に唾をつけてティッシュでぐるぐる巻きにし、その上に靴下をはいて固定した。
少し心配だったが、明日の状態を見てから色々判断しようと思い
あまり気にしないようにして寝た。

喉はもう渇いていなかった。