2015/07/30

怖かった話

これは本当にあった怖い、とても怖かった話である。

今月4日、奥さんが急に高熱を出した。そして次の日の朝、様子がおかしくなっていた。意識はあるがまったくしゃべらない。これはおかしいという事で救急車で病院に運ばれた。私は奥さんが熱で記憶を失ってしまったんじゃないかと思った。なので搬送されてから5時間ほどして、やっと奥さんが口を開き、この人は誰ですかという先生の質問に「わたしの旦那」と言ったときはとても嬉しかった。そして奥さんは、そのまま入院する事になった。

その夜家族みんな帰ったあと、わたしはまだ一人で病室で寝ている奥さんの隣にいた。そして先生が来て検診をしているとき、急に発作が起こった。突然なにかしゃべり始めたかと思うと、体が硬直していき痙攣が起き、口から泡を吹いた。先生が看護婦を呼び、わたしは病室の外に出された。奥さんのベッドがカーテンで囲まれ、たくさんの看護婦がカーテンの中に出たり入ったりした。わたしは奥さんが死んでしまうと思ってとても怖かった。頼む誰かどうか奥さんを助けてくれ、と心の中で何回も繰り返した。

1時間ほどしてカーテンが開けらると、奥さんの体に色んなチューブがついていて、鼻にも酸素の管をつけられて静かに寝ていた。かわいそうで仕方がなかった。しばらくして目を開けたが、やはりまだしゃべりはしなかった。わたしは奥さんの手をにぎりながら朝6時まで奥さんの隣にいた。それから一度家に帰った。病院は幸いにも家から歩いて10分の距離だった。

3、4時間ほど寝てまた病院に行く用意をしていると、奥さんの両親が外から家に帰って来た。昨日の状況を説明しようとしたら、なぜか泣いてしまって言葉にならなかった。昼からまた奥さんの両親と3人で病室に向かった。奥さんはやはり昨日と同じ、体にたくさんの管をつけられていた。それを見たとたん、また泣いてしまった。とにかく奥さんがかわいそうで仕方がなかった。奥さんも泣く俺を見て静かに涙を流していた。

それから4種類の抗生物質を使った治療が始まり、奥さんは日ごとに回復していった。2日目は私の名前も言えるようになり、3日目には先生の質問にもゆっくりカタコトで答えるようになった。さらに数日経ち色んな検査も終わり、原因が生の食べ物からバクテリアが入り、それが脳の方に行ってしまったという事がわかった。奥さんは肉はほとんど食べないので、チャイナタウンで食べた魚の刺身に違いないと言っていた。

そして1週間以上経ちやっと退院する事になり、今度は自宅で抗生物質治療を続けた。しかし定期的にひどい頭痛がまだ続き、しかも今度は右半身が麻痺して全く動かなくなるという事態が起こった。3日ほど様子を見てみたが容態は悪化する一方で、また救急車で病院へ戻る事になってしまい、また再検査が始まった。そしてMRI検査で、左の脳が腫れていて、そのせいで右半身に麻痺が始まったという事がわかった。

その後も抗生物質の治療と検査を繰り返したが、一週間ほどいしてついに先生達は手術をすすめてきた。どうやら抗生物質が効かないようなので、もっとひどくなる前に手術でその脳の腫れ物を切除しようという事らしい。奥さんもそれでいいというので、わたしも奥さんの判断に従おうと思い賛成した。先生はそんな特別で異例な手術ではないので、問題ないだろうと言っていたが、やはり場所が脳なので、わたしはとても心配だった。

手術前日は病院に泊まった。わたしは何もできないが、なんとか奥さんを安心させてリラックスした気持ちで手術に望んでほしいと思った。しかし心の中では、もしかしたら手術が失敗して、もう奥さんと話す事はできないんじゃないか、という不安で押しつぶされそうだった。それが伝わってしまったのか、奥さんも手術に向かうときは少し緊張というか、覚悟を決めたような顔をしていた。寝台車に乗って手術室に向かう奥さんの後ろを歩いているとき、まるで死刑執行に向かっている死刑囚のような気持ちだった。そして手術室に入って行く奥さんを見送ったあと、やはりまた泣いてしまった。やはり奥さんがかわいそうで仕方なかったのだ。もしかして、これで目を閉じたら、もう二度と起きる事はないんじゃないか、そんな事を考えているのかもしれないと思ったら、どうにも悲しくてしょうがなかった。

そして手術は6時間以上かかり、ついに奥さんが手術室から出て来た。奥さんは髪の毛を全部剃られ、頭に包帯を巻いていて、そのまま集中治療室に運ばれた。そして先生は、手術は成功したから大丈夫だよと言った。2時間ほどして意識が戻ったがまだ話せる状態ではなく、また眠ってしまったので、私たちもその日はすぐに家に帰った。

次の日の朝、病院に行くと奥さんは起きて笑顔を見せていた。それからは驚くほどの早さで回復して、普通病棟に戻り、よく食べ、よく話し、携帯も使い始め、昨日ついに退院して家に帰ってきた。もう頭痛もないし、30分くらいなら散歩もできるようになった。めでたしめでたし。

しかし今でも、奥さんの寝顔を見ていると、あの時の事を思い出し、せつない気持ちになる。わたしの奥さんは本当に運良く回復してくれた。しかし病院では病気で苦しんでいる人、手術室の前で心配している人、泣いている人をたくさん見た。なぜ私たちはこんなにも苦しまなければならないのか。愛すれば愛するほど、その人との別れは悲しくなってしまう。なんと皮肉なことだろう。出会いがあれば必ず別れもある、その事をみんなわかって生きているのだろうか。私は今のまま生きていたら、本当の別れが来たときに立ち直れなくなってしまうだろう。だから少し生き方、考え方を変えなければと、心の奥のどこかで、そう思っている ような気がする。

2015/07/28

works IROIRO

さて最近やった仕事をアップしますよ。

まずは筋肉モロ見えです。これはなかなか新ジャンルです。
めんどくさいですが、クセになります。






















つづきまして、スライアンドザファミリーストーンの、スライ・ストーン氏。
一見して土俵入りの様ですが、ジャンプしてるんです。


















そして最後にオメガの時計を弾丸が打ち抜きパリーーンのイラストです。


2015/07/27

スムージーアドバンス




最近始めたスムージーが「まずウマい」という新しいジャンルを確率しつつあります。人はマズいと言うだろう、しかし私はどうしても美味しいと感じてしまう。ようはあまり混ぜ過ぎなければ、そんな酷い事にはならないと思います。昨日は小松菜、セロリ、オレンジ、ビーツ、レモンを混ぜたりました。

しかしながら、先日シンガポール人の友人に、わたくし最近スムージーを始めたんですと言うと、どんな果物をお入れになるの?と聞かれたので、そうですね、オレンジやレモンを入れたのがわたくしは比較的好きです、野菜ではカルシウムの摂れる小松菜を入れますのと申したところ、やっ、やっ、野菜!?野菜を入れんのかおめえ!!と大変驚かれました。スムージーというのは野菜と果物をミックスする物だと思い込んでいましたが、こちらでは野菜は滅多に入れないのかもしれません。野菜と果物なんて混ぜたらマズいでしょ!と言われて、返す言葉もありませんでした。

カボチャはレンジで温めたものを・・などと言ったら、オエッ!と言われました。たしかに健康に良いからなんでも混ぜたれというのは、もしかしたら少し野蛮な考えかもしれませんね。






2015/07/18

スムージー始めました




先日紀伊国屋に行ったときに、スムージーの本を衝動買いしていましました。いくつかあったのですが、YOGAスムージーという本を買いました。これだけ牛乳をいっさい使わないスムージーを紹介していたので。

スムージー、流行ってるよ、美味しいよ、など噂には聞いていましたが、野菜と果物をミキサーでぐるぐるだなんて怖くて怖くて、今まで手が出せませんでした。がしかし、そろそろ大人の階段を登ってみようと思いまして。

ほんとに野菜なんかミキサーで回して美味しいのでしょうか。まずは手始めに小松菜のレシピにチャレンジしようと思いまして、今朝ちかくの市場で小松菜を買ってきて、レシピのとおりに家にあったリンゴとバナナとビーツと一緒にミキサーでぐるぐる回してみました。

するとできあがったのは深緑色をした、いかにもマズそうな、青汁よりも全然まずそうな、初スムージー。これ絶対美味しくないぞと思いながら、勇気を出して飲んでみました。すると、これまた意外に、はるかにわたしの予想を上回る、まずさ。さすがにここまでまずいとは思っていなかった、まずさ。飲み込むごとに出るため息。それでも健康にいいんだぜ明日ビンビンだぜと自分に呼びかけながら、なんとか全部飲みきりました。というのはウソで少し捨てました。

何が悪かったんでしょう。とりあえずリンゴの食感が少し残っていて、それが非常に不快だったので、今度はリンゴを入れるときは量をちょっと少なめにしようとか思っていますが、たぶんそういう問題ではないと思います。しかしこのまずさが逆にクセになってしまうのではという予感も少しあります。とりあえず小松菜がまだ残っているので、他のレシピにもチャレンジしようと思っています。

余談ですが小松菜は100gあたりで、牛乳の約1.5倍ものカルシウムの含有量だそうです。野菜からでもカルシウムが摂れるなんて知りませんでした。

ところで私が買ってきたのは本当に小松菜なんでしょうか。そっくりではあるんですが。

2015/07/10

瞳の中にレインボー



最近ふと世界的ソーシャルネットワークサービスフェイスブックなどを開いてみれば、みんなのプロフィール写真がレインボーカラーになっていたり。まぁ綺麗。
コレは同性愛者であるゲイの人達を表しているとかなんとかですが、もちろん私はゲイであろうがカタワであろうがチョン公であろうが、なんら差別をしない「洋平」だけあってフラットな男一匹でありますが、でも公衆トイレで人のティンポをあからさまに覗くやからには月に代わってお仕置きをしたい気分にもときおりなります。

なのでゲイの方に対してはなんら思う事はなく、良いとも悪いとも思わない、変だとも普通だとも思わなかったのですが、最近はちょっとむしろねえねえゲイの方がいいんじゃないかしらむしろ、なんて思うこのゴロです。
理由を申し上げますとゲイの方は子を産まぬ、故に人口を増やさぬ、からです。まぁ稀にかどうかわかりませんが、ひどく科学的な方法で子をもうけるカップルもいると聞きますが、どうしてそこまで子孫にこだわるのか私にはよく見当がつきません。子どもを自分の分身だとでも思っているのでしょうか。はたまた老後の面倒を見てもらいたいから?まぁ詳しい事はよくわかりませんが、産めぬなら産まぬというのが一番自然でいいと思うのですが。
さて人口の事ですが、わたしは世界には人口がちょっとトゥーマッチ、多すぎる、トゥーマッチだと思います。人口が増えると経済が云々、少子化はダメよダメダメとか、そういう難しい事はわかりませんが、とにかくちょっとした危機を感じております。人が増えると食料が必要、しかし食料を作るというのは大きな犠牲も伴うもの。その犠牲を他の動物が、そして貧しい人達が担わなければならない、ああそんな事を考えると胸が胃が脾臓が、ひしひしと痛むのでございます。

今年でしょうか、わたしが日本に帰ったとき、たしか東京から北海道まで飛行機に乗りまして、案の定飛行時間中ずっと窓から下界を眺めておりました。そのときに感じましたのは、あれまあ人間の住処だらけで、動物達の住処がほとんどないじゃあござんせんか。畑や田んぼなどは自然の一部だと思っていましたが、ちょっと違うのねと気づきました。あんな所にイノシシ氏やシカ氏、はたまたクマ氏が現れたら猟銃を持った権兵衛さんにヌッコロされるわけでしょう。動物さん達の本当の住処はもしかしたら山、森、原っぱだけ、しかしそんな物は東京北海道間の上空からはあまり見る事ができませんでした。ちょっとだけ山脈のような物がありましたが、またすぐに畑や田んぼが登場しました。わたしの故郷北海道においてもでした。

昔は世界中の人が農家になったら世界中がアイラブユーだと思っていましたが、それはけっこうとんでもない事かもしれませんね。

というわけで私は少子化万歳、ビリーバンバンのザイザイといった所なんですが、未だかつてそんな意見を持っている人には会った事がありません。でも私は信じています。どこかにそんな方々がぎょうさんおって、私もいつかそんな方々に出会える事を。

いつも心にコンドーム

2015/07/01

ภาษาไทย














今わりと意外にサクサク頑張ってタイ語を勉強している。まず携帯の簡単なアプリを有料でダウンロードした。これは単語を覚えるだけだが、音声が聞けて良い。タイ語は声調があってとにかく発音が難しいので、やはり音声なしでは上達しないだろう。そして、タイ語指差し会話帳というのを持っているので、それで簡単な文の組み立て方や、使い方を覚えるというわけだ。こんなシンプルなものだが、1日5分か10分くらい、ここ数週間毎日続けていた。そして、時は来た。

先日あるタイ人がよく集まる場所にフラッと行ってみたら、ちょうどタイ人と話す機会があったので、まずはサクッと数字からタイ語で言ってみたところ、周りからォォォオオオオ!のどよめきが。カ・イ・カ・ン
これに気を良くした山口は、次から次へと覚えたてのタイ語を披露し、つたない自己紹介までしてやったわけだ。と言っても文と呼べるほど長いものではなく、アナタ、クダモノ、スキ、ナンデスカ? ヤスミ、アソブ、ナニ? キコエル、オンガク、程度の物だが、やっぱタイ人てのはきさくで優しいから、笑ってくれたり、色々教えてくれたりした。

思えばタイには何回も行ってるのに、こんにちはと、ありがとうしか今まで話せなかったんだ。あのときもっと言葉を覚えていれば、みんなともっと仲良くなれたり、喜ばせてあげる事ができたのに、俺は困らせたり、怒らせたりばかりしてしまったね、タイよ、タイの人よ。

インドもそうだ。俺インド好きなんだよね〜とか言っておいて、ナマステしか知らない。そのくせあいつはインド人のくせに英語もしゃべれないだとか、あの町は英語話せる人が皆無で困ったもんだとか、よく言ったもんだよねインドよ、インドの人とサドゥーよ。今わたしは本当にすまなかった無礼だった傲慢だったコーマンの事しか考えていなかったと謝りたい。

今度からは外国に行くときはその現地の言葉を、少なくとも出発一週間前から猛勉強して、ありがとう、こんにちは、元気ですか、右ひじ左ひじ交互に見て、くらい言えるようになってから行こうと決めた。そして観光地だからみんな英語くらい話せてしかるべきだなんていう馬鹿げた考えは捨てるよ。インドでいつも病気になるのも、こないだラオスで酷い目にあったのも、全部この間違った態度が招いた物だったんだねざまーみろ俺。
とまぁそういうような事をタイ人と話終えた瞬間にピコンと思った。
日本でもコンニチワも知らないような我が物顔の欧米人をときどき見かけるが、ああいうやつは高枝切り鋏でエンコつめてやったほうがいい。