2019/05/07

ホーチミン夜遊びの記録3

【 後編 】


さて、イケてる3人組を見ながら(一人はゲイ少年) チビチビ一人で飲んでいると、推定50歳前後白人のオバさん3人組が近くにやってきました。みんなけっこう酔っぱらって呂律がまわってないんですが、どうやらイタリアから旅行に来たそうで、その中の一人が私の横に来て、ずっと話しかけてくるのです・・・。

ホーチミン夜遊びの記録2

【 中編 】


時間は夜の0時を回った頃、我々4人はついに、ホーチミンで今最もアツいスカイトップバーChillにたどり着きました。ここはビルの屋上にあるBARで、ドレスコードもあり、短パン、サンダルはNGだと聞いていたため、我々もロングパンツに靴を着用してきました。
しかし入り口には、ベトナム人の水商売のネーちゃんを数人引き連れたオジさん二人が、スタッフともめていました。それもそのはず、オジさんたちは見事に短パン・サンダル姿。しばらくすると奥のエレベーターから、もう一人のオジさんが走ってやってきたかと思うと

ホーチミン夜遊びの記録1

先日ホーチミンに友人と4人で旅行に行ってきた。
地元の柔道クラブで練習したり、夜はナイトクラブではっちゃけたりして来た。
そしてそれを新しいブログで記事にしたのだが、一応他の友人の許可をとろうとしたら、一番はっちゃけてた香港人の友人が、彼の奥さんがどうやら私のブログをチェックしているらしく、それを載せると彼がはっちゃけまくったのがバレるのでやめてくれと、土壇場でNGが出た。しかしなかなか面白くて、お蔵入りするのはもったいないので、彼の奥さんが知らないこちらのブログへ、記録として残しておきたいと思う。

 前編、中編、後編にわたる、大作である。


【 前編 】

地元のクラブでの柔道の練習は初日の夜に無事に終わりました。
yangpingsan.hatenablog.com

22時頃、スポーツセンターを出た我々3人、さあこれから夜遊びだぜウオッホー!となるかと思いきや、3人全員ハードな練習でクタクタのボロボロでした。香港人は肩が上がらず、シンガポール人は足首捻挫、わたしもつまさきを負傷し片びっこで歩く始末。

2019/03/22

ブログランキングで一喜一憂

ここ一週間ブログの記事ばっかり書いてたんだが、気がついたら参加していたシンガポールのブログランキングで4位になっていた。ブログを始めるぞと決意したときに、いつか、いつの日か、シンガポールのブログランキングで上位に入ってやるんだ!その日までオレは書き続けるぞ!と思ってたのにさっそくの上位。まさかこんな簡単になれるとは。










1位はけっこう難しいと思うけど、この4位くらいでも、シンガポール在住者の目にはけっこう止まる位置にいると思うから、これはもう満足して、次は海外生活ブログってやつで上位に入りたい。
シンガポールのブログは、たった758サイトしかないが、海外生活ブログは34741サイトで、文字通り桁が違う。そこで今395位。

今書いててやっと気づいたけど、これは IN のやつの順位で。OUT と PV ってやつもあるみたい。でも意味がよくわからない。

勢いで始めて、今怒濤のように記事を書いてってるから、あまり他の事がよくわからないし、もしかしたらすごい重要な事をはぶいて書き進めているのかもしれない。でもとりあえずもう2、30記事書いて、それから一息つきたいところだ。そのあとに、これからの戦略的なものを練りたい。どうやったらもっとランキングの上位になったり、一見さんに読んでもらえるチャンスを増やしていくか。


昨日も記事を書こうと思ってたら、急遽奥さんから超急ぎのイラストの仕事が入ってきて、昨日の昼から夕方6時くらいまで、めっちゃ焦りながらイラストを描いてた。
しかしそれがすんごく辛くて、休み休み、ストレッチしたり、なんか食べたり、シャワー浴びたりして、とにかく体を壊さないよう、最大のパフォーマンスができるよう、その6時間に集中した。しかしほんとに死ぬ方と思った。イラストレーターの仕事は、難しいけど気楽にできていいなあと思っていたが、〆切が短くて、短期集中しなきゃいけないとなると、これは毎日やってたらすぐ死んでしまうわ。

奥さんがいつもデザインの仕事終わって家に帰ってきて、死にそうだとか、疲れた、どこも出かけたくない、と言ってた意味がようやっっとわかった。これは死ぬる。
これからは奥さんが疲れてるときは、もっと尊重して優しくしてあげようと思う。

2019/03/15

新ブログ始めました

いつものごとくだいぶご無沙汰で、ブログを更新しなかったが、最近はもう一つ違うブログを作って一生懸命そちらに書いている。こちらは旧ブログになってしまった。

新しいブログを始めたきっかけは、このあいだの台湾旅行に遡る。

台湾の古本屋で、一冊の本を手に取った。
はじめはよくわからなかったが、どうやら超人気ブロガーが、良いブログの作り方を教えてくれるような本だったと思う。
結局それは買わなかったが、そのブロガーが対談をしている本を買って読んでみた。そして、へーーこれがブロガーって仕事なのかと、その本から少しだけ感じとった。やり方によっちゃなかなかの大金も稼げるらしい。

そしてその事を、ブログを書いている友達に教えてあげた。その友達は訳合って仕事があまりできない。だから家でわりと簡単にできて、かつ小銭を稼げる方法を教えてあげたかった。それが「ブログ収益化」だ。
おまえのブログも、収益化を本気でやったったらええんじゃー!と。

そして二人でこんなのがいい、あんなのがいいと、話しているうちに、オレもやってみようかなという気になっていた。
そして本気でやるならどんなブログがいいのかなと、「ブログの収益化のシステム」を調べていくうちに、色んなことがわかってきた。
オレが今まで何の気なしに読んでいたブログ、あれらにはちゃんと意味があったのだ。そして私も、彼らの収益に少なからず協力していたのだ。
あらびっくり!

ほんとにあらびっくりで、それがわかってからは、容易にページを開いたり、クリックしたりできなくなってしまった。別にしてもいいんだけどね。

そんなわけでその友達は一足早く、新しく「収益化を目指したブログ」を開設した。
さて次はオレの番で、友達が金も多少払って(ドメイン料とかサーバーとか)先に始めたのだから、オレだけが、やっぱやーめた!なんてのは申し訳ない。
じゃあどういうブログを作ろうかな。。。と一週間くらい考え込んだ。
ほんとに色々考えて、一時は「海外風俗体験ブログ」を書こうかなとも思った。あんなの直接行って自分で体験しなくても、どっかから情報集めてきて、うまくまとめて書けばみんな信じて、ティンポおっ立てて、クリックしまくるだろうと思ったからだ。あとは現地にほんとに行ったみたいなレポートを添えておけばいいだろうと。

ほんとに色々考えて考えて考えた。そして気がついた
オレ今めっちゃ金に目が眩んでる!ということに。
ああ情けない、あんなに金じゃないよオレの人生は、浪花節なんだよ人生は
なんて思っていたのになんて情けないんだと。
そう思って、収益化ブログはとにかくやめようと思った。

それで普通にシンガポールの生活とかまぁその他色々を、無難にまとめるブログを作ることにした。しかしコンセプトはこのブログとは違う。このブログはそれこそ書きたいこと、思ったことをそのまま書いてきたが、あっちのブログでは、多くの人にひろーーく受け入れられるために
不満、愚痴、お山のてっぺんから人を見下したようなこと
は書かないと決めた。
これはとんがった一部の人にしか受け入れられないと思ったからだ。
新しいブログは、ほんとに人気が出るポピュラーなブログにしたい。そしていつかそのブログがなにか自分の役に立つ日がくるだろうと思う。

というわけでコレが新しいブログ
シンガポール漂流生活

それにしてもほんとにあのブログもこのサイトも、全部「収益」のためなんだなーと思ったら、また世間の見方が広がった。多いに広がった。

オレの友達の友達に、けっこう有名なブログやっとるヤツがいて、健康とか社会問題とかをテーマに地方に講演にも行ったりするようなヤツなんだけど、そいつもブログとかアフィリエイトとかで、月に50万以上は稼いでるらしい。それは友達が控えめに言ってるだけだから、ほんとは100万くらい稼いでいても不思議ではない。

しかしそいつは地方に講演に行くとき、やっすいカプセルホテルに泊ってるとかブログで報告してて、やっぱ金がないんだなー なんて思ってたのにてめえ。いやらしい小細工しやがって。まぁいいんだけどさ。

とりあえず自分が、「収益化はなし」という方向に落ちついた事を、心から神たまに感謝したい。

このブログも好きな事を書くために、チラシの裏的な存在でこれからも続けたい。
しかしイラストの方が、このままではいけないような気がするので、国内および海外にも向けた、イラストレーターとしての新しいバビッとしたホームページみたいのをまた別に作りたいと考えている。

2019/02/21

2019春 北海道、沖縄、台湾 その2

台湾の高雄についたの2月4日は、旧正月の前日。三多商圏駅の近くのホステルに泊まった。事前に台湾人の友達から、旧正月前日は飲食系の店は全部閉まるから気をつけろと聞いていたので、確認してみようと思い、ホステルのスタッフにそれについて聞いてみる。すると、女性スタッフは
そんなことないよ、けっこう店は開いている。とくにすぐ近くの夜市は、夜11時まで開いている。なにも心配はない。
と言うので、ほんと!?それほんと!?マジで言ってるの!?
と何回も確認したが、スタッフは自信満々で、大丈夫!!と言うので、すごく安心して、とりあえず昼寝をして、夜7時頃に起きてその夜市へ行ってみる。すると、、、真っ暗。どこも閉店ガラガラ。はめられたーーーーーと思いながら、その周りを見渡してみるも、どこも閉店。開いてるのはコンビニと、ジュースの店だけ。しょうがないので7-11でバナナ、サンドイッチ、ビールを買って、ホステルに戻り、共用スペースで食べた。
それに気づいた先ほどのスタッフが恐る恐る近づいてきて「夜市は。。やってた?。。」と聞くので、いや閉まっていたよと優しく言うと、ごめんなさい。。。と言って去って行った。まさか地元の人も旧正月イブ事情を知らないとは。久しぶりにコンビニの食べ物をしっかり食べた。まずい




次の日に奥さんがシンガポールから高雄にやってきて合流、一緒に友人が待つ嘉義に行った。友人は嘉義出身の女性で、今はシンガポールに住んでいる。マレーシア人の旦那さんと旧正月の帰省中であった。彼女の家は5階建ての豪邸で、家の中にエレベーターがあり、BMWとフォルクスワーゲンが駐車場に停まっていた。お父さんはクルーザーも持っていて、毎週海釣りに出かけるらしい。聞いた話だと、家はだいたい一億円らしい。お父さんの仕事も聞いてみたが、ビジネスマンとしか教えてくれない。私たち夫婦は、黒社会(ヤクザ)かもしれないね、と噂してみた。

その夜はお母さんが豪勢な料理を振る舞ってくれて、台北に住んでいる日本人の友達も合流した。みんなで夜市に行こうという事になったが、マイペースな我々夫婦は、疲れているから寝ると行って、先に部屋に帰らせてもらった。
その夜、奥さんは強烈な生理痛に襲われ、次の日は寝込み、他の4人でスクーターを借りて嘉義を観光して回った。スクーターは50ccで、一日たったの200元(800円程度)。ちょうど4人、2組で2ケツできたので、奥さんも良いときに寝込んでくれたなと、あとから感心した。






次の日、日本人の友人も台北に帰ったので、我々もそろそろおいとましようと思い、次は阿里山か台南にでも行こうと思ったが、旧正月でホテルの値段がアホみたいに高く、色々検討した結果、選択肢が多い台北に行くことになった。昼過ぎに嘉義の駅に着いたが、台北行きの電車は売り切れ、バスの唯一あるのが午後4時出発ということで、4時まで待ってバスに乗りこんだ。しかし高速道路も渋滞で、台北に着いたのは夜の12時前。とっても疲れた一日だった。

次の日は「淡水」観光。しかし天気は小雨で風が強く、えらい寒かった。
次の日は宜蘭県の「羅東」というところに行ったが、予約したホテルが見つけられない。というかその住所がない。ウロウロしたり人に聞いたりしたが見つからず、なんとか電話番号を見つけ、電話をかけ迎えに来てもらう。結局ホテルは看板も出ておらず、あるブティックの横から入っていくという秘密基地さながらの隠れっぷり。1時間近く無駄にしてしまった。荷物を置いて、蘇澳という冷泉で有名な町を訪ねてみたが、冬なので誰もいなかった。






その次の日は、九份観光のため、朝9時前からバスと電車で「瑞芳」という町に移動したが、何回も乗り換えたりして、またえらく時間がかかった。2時頃にやっと瑞芳のホステルにチェックインし、バスで九份へ。しかしあいにくの雨で、服も靴も濡れるし、景色はまったく見えなかった。金瓜石というところにも行ったが、そこでも大雨。ホステルに帰って、新聞紙などを買って、なんとか靴を乾かした。その夜はホステルに置いてあった「まんがでわかる三国志」を読み切って寝た。これが非常に面白かった。






その次の日は奥さんは先に一人で台北に帰り、私も一人で「平渓線」という路線にある町をいくつか見てまわった。猫がたくさんいる鉱山の町や、大きな滝を見てきた。夕方頃に私も台北に戻り奥さんと合流した。その夜はまた一人で出歩き、龍山寺駅の怪しいエリアを一人で探索してまわった。あそこは台北でも一番怪しいエリアらしい。ピンクのネオンがきらめく怪しい路地に辿り着くと、おばさんに声をかけられて、場末のカラオケみたいな所に連れていかれて、女の子を二人ほど見せてもらった。台湾人と香港人で、20代後半といったところ。おばさんは1500元だと言っていた。断って帰ろうとすると、怒って背中をたたかれた。





その次の日、観光最終日は、朝は「公館駅」の付近で、古本屋散策。日本語の本もあり、なかなか厳選されている感じで、3、4冊買ってしまった。昼は嘉義で会った日本人の友達と合流し、美味しい小籠包を食べて、陽明山の温泉に行った。とても良いお湯で、奥さんも女湯で長風呂していた。帰りに台湾スイーツを食べて、友人とは別れてホテルに戻る。夜は私一人でまた今朝と同じところに古本を見に行き、また4、5冊買ってしまった。





そして帰国日、朝は中正記念堂まで、また小籠包を食べに行き、市場でからすみを買う。12時にホテルに戻り、本がたくさん詰まったクッッソ重たい荷物を背負って空港へ。

というわけで今回の長い旅行は終了。
台湾ドルがまた2万円ちかく余ってしまった。台湾の食べものは安すぎるのだ。というか我々が高い物を全然食べないから。。。



2019/02/20

2019春 北海道、沖縄、台湾 その1

1月の20日くらいから、北海道に帰りました。そして2月1日に、北海道から沖縄へと飛びました飛びました。そして2月4日は沖縄から台湾の高雄へ。そしてようやく2月14日に台北からシンガポールへと帰国。とにかく長かった。途中で心が折れそうになった。
シンガポールから北海道へは、Scootの直行便で、たしか17,000円くらい。北海道から沖縄へはANAで14,300円。これはハッキリ覚えている。そして沖縄から高雄へはPeachで8,300円だったかな。そんで台北からシンガポールがJet Starで10,000円くらいか。こんだけ飛んで合計で5万くらい。これはかなりやったったんじゃないでしょうか。

少し覚えている事を書き留めてみましょう。

シンガポールから北海道への飛行機は朝6時発。国際便は2時間前にチェックインなので前日の夜に荷物を持って、地下鉄で空港へ行く。二階の到着ロビーのエレベーターの近く、ここが人の動線が非常に少なくなっているので、ここにブランケットを敷き荷物を枕に横になる。12時頃はまだ人が3分に一回くらい通っていたが、1時を過ぎるとほとんど人が通らなくなり、うとうとと眠りに着いた。3時頃にふと目が覚めると、さっきまでは自分一人しかいなかったのに、けっこうたくさんのホテル難民の旅行者が、床の上で同じように横になって眠っていた。



北海道では前半が札幌探索、後半が実家のむかわ町で過ごした。
札幌では清田区にある妹の家に泊めてもらい、夜に友達と飲むときは札幌中心部のゲストハウスに泊まった。北海道でゲストハウスに泊まるのは初めてだったが、色んなホテルがあり、値段も手頃でなかなか楽しかった。宿泊客は、韓国人と中国人がメイン。
泊まったのは
タイムピースアパートメント
The Stay Sapporo NAGOMI
Erry's Guesthouse

妹の家に泊まったときは、毎晩甥、姪とテレビゲームやらボードゲームをやった。

実家に帰ったときは、父の5年祭をやり、親戚のおじさん、おばさん達と、食事をしたり酒を飲んだりした。そして柔道少年団の練習も見に行き、少し練習もしてきた。練習のあとは柔道のみんなと居酒屋へ。その次の日も、また柔道の集まりがあるというので参加。久しぶりのバリバリ体育会系の飲みだったが、まぁなかなか下品で豪快でエネルギッシュだった。飲み会の2次会はスナックに行きカラオケだったが、シンガポールへ移住して以来だったのような、カラオケやったのは。久しぶりにLOVE IS OVERを歌った。

平日昼間に、苫小牧に移り住んで主婦をしている幼なじみの女の子と、イオンで待ち合わせ、イオンのミスドで、コーヒー1杯で4、5時間話した。そろそろ暗くなるので仕方なく解散にしたが、もう1、2時間くらい話せそうな感じだった。お互いとりわけ仲が良いというわけではなく、今までもまともに話したことはあまりなかったのだが、今回北海道に帰るにあたって、どうしてもこの子と会って話してみたい。そう思って、思い切って連絡をとってみたが、本当によかった。








沖縄では、ジャスミン山下というレンタルバイク屋で、50ccのスクーターを借りた。3日間で5000円くらい。今回は本島だけだったが、本島だけと行ってもなかなか広く、結局ちゅらうみ水族館も行けず、那覇市のあのあたりだけを3日間(正味2日間)スクーターで回ってきた。
2日目の朝に、泊いゆまちという市場に行ってきた。そこで海鮮茶漬けのようなのを食べ、市場の外の八百屋でりんごを一個買った。ズボンのポケットに入っていた財布を取り出し、その中から150円をとっておばさんに手渡した。するとおばさんは小銭を持ち、笑顔で「あったかいさー」と言った。なんだかとても心がほっこりして、沖縄の人が急に好きになった。
おきなわ博物館に行ったときも、展示物を見ていると、橋田壽賀子とオノヨーコを足したような学芸員のオバさんが話しかけてきて、20分近く話し込んで、色々と沖縄について聞かせてもらったが、色々聞き過ぎてほとんど覚えていない。
沖縄のゲストハウスには、旅行者以外にも、出稼ぎ労働者や、わけありそうなオジさんオバさんなど、色んな人が泊まっていた。一度、金髪の30くらいのねーさんが、向いの部屋の前で、部屋の戸を見てブツブツ言いながら、10秒おきくらいに戸を軽く蹴っていて、自分の部屋に戻ってからも、その蹴る音が3、4分近く廊下から聞こえてきたので、かなり気持悪かった。
よもぎソバというのがあったので食べてみたが、ほんとそのまんまよもぎを沖縄ソバにどーんと盛ったという感じで、なかなか斬新だった。さほど美味しいものではないが、体に良さそうな、そんな気もする。
おきなわワールドに行った帰りに、飯を食う所が全然見つからず、ようやく見つけた店に入ってみてびっくり。メニューがやぎ料理しかなく、かなり高い。入ってすぐにオジさんが話しかけてきて、色々話してしまったので、出るに出られず、しかたなく1,500円のやぎ汁を頼んだ。「あんたはないちゃーかい?」と言われた。料理が来る間も、オジさんや後からきたオバさん、それに店のおばさんもみんな話しかけてきて、お菓子までくれた。オバさんに歳を聞かれ40だと言うと、「あら若そうな顔してるねー」と言われた。一瞬「?」と考えてしまった。
やぎ汁がやっとテーブルに運ばれてくると、後から来たオバさんが「あらおにーさん、ヤギ食べれるの!?」
食べてみると、シンガポールで食べたことがある、ヤギ肉と同じ味だった。少し臭いが、しょうがも入っていて、体がすごくあったまった。味付けを聞いてみると、ヤギ肉と塩のみ。わたしたちはヤギを食べるおかげで健康なんだよーと言っていた。
食べ終わったあとも会話は続き、仕事を聞かれたので細々と絵を描いてると言ったら、サイン書いてってとお願いされた。そんな全然有名じゃないからと言うと、そのうち有名になるかもしれないさーと言ってしつこくねだられたが、なんとか断った。
この方達のおかげで、さらに沖縄の人が好きになった。

沖縄から台湾まではPeachだったが、Peachの乗り場は国際線とはまた別の建物で、大きな倉庫のような建物で、まるでゲレンデのロープウェイ乗り場のようで、とても殺伐としていた。荷物は7kgまでだったので、服を着込んだり、重いものは服のポケットに入れたりして、なんとか重量制限はクリアーしたのに、荷物検査で北海道で買った手動ドリルを没収されてしまった。久しぶりに悲しかった。