2017/12/17

初めてのミャンマー2

五日目【12/13(水)】

朝4時頃に目が覚める。なんとか腹は良くなったが、今度は下痢が始まった。消化に良いお粥を食べようと思ったが、店があまり近くにはないので、あきらめてホステルの朝飯を食べることにした。
シャワーを浴びにトイレに行くと、髪がカツラみたいになっていた。ダサい。ホステルの朝飯は3つのセットの中から選べる。私はミーフンにオムレツがのっかったのと、スイカのセット。味は悪くないが、消化の事を気にしてとにかくしっかり噛みまくって食べた。この値段のホステルで、このレベルの朝飯がつくのはなかなかすごいと思う。
朝食後にテーブルで仕事を少しやったが、混んできたので部屋へ戻り休む。3時くらいにそろそろなにか食べた方が良さそうな気がしたので、スーレーの近くにあるカフェにパンを食べに行く。クイニーアマンとレモンハーブティーで4300k。テーブルで本を読みながら食べるが、それだけでは足りなかったので、クロワッサン2000kも追加で買って食べた。1時間後にホステルに戻り仕事を再開。6時くらいにやっと終わり、外もちょうど暗くなっていたので、着替えてシュエダゴン・パゴダに行くことに。歩いてスーレーまで行き、そこからバスに乗って一番近いところで降りた。i-phoneのGPS機能がなかったらどこで降りたらいいかわからなかっただろう。そこから歩いて行く途中、一つキレイなお寺があったので立ち寄る。寺の中に各国のお札が陳列されていたが、その中に日本のサウナのサウナ券、壱億円札もいっしょに展示されていた。本気でお札だと思われてるっぽい。
そのお寺を出てついにシュエダゴンへ。靴を入れるビニール袋を渡そうとする少女がいて、金をせびられるだろうからもらわないで行こうとしたらしつこくビニールを渡そうとついて来る。いくら?と聞いたら、たった100kというので、200k渡して袋はもらわないで行こうとしたら、困惑してどうしても袋を渡そうとするので、笑ってもらってあげた。たいていこういう役の少女はすれていて小憎たらしいのが多いが、その少女のリアクションは純粋で可愛かった。
パゴダの入場料は10000k。今年の12月に8000kから、また値上がりしたみたいだ。
パゴダの中は仏像だらけで金ピカで、なかなかすごかった。これは昼間に来たら暑いだろうなと思った。夜に来て正解。東門からゆっくり一歩一歩時計回りに歩いた。北の方まで来たとき、地元の男性二人に日本語で話しかけられ、騙す感じではなさそうな雰囲気だったので、少し話しをした。私の生年月日から生まれた曜日を調べて、あなたは金曜日生まれで、ブッタや安倍晋三さんと同じだねスゴいよと言われた。そして金曜日の人はあそこで仏像に水をかけるといいと教えてくれた。とても感じの良い二人だった。ガイドさんか何かだろうきっと。
そしてそこで仏像に水をかけてお参りをし、時間はもう9時近くになったので寺を出た。帰りはバスがなさそうだったので、タクシーに交渉して2000kでスーレーまで行ってもらった。適正価格だと思う。
タクシーの中で、着いたらもっと高い値段を請求されるのではと少し心配していたが、そんな事はなく、笑顔で去って行った。昔どこかでそういう騙される経験をしたんだろうか。タクシーは軽いトラウマのようなっている。たぶんインドだ。
よく眠れるように部屋で少し瞑想をしてから寝た。


六日目【12/14(木)】

朝6時頃目が覚める。ドミトリーのくせにけっこうよく眠れた。宿の朝食はフライドライスとスイカ。牛のようによく噛んで食べた。朝食後トイレに行くと便は少しだけ固くなっていて、安心した。
レセンプションで、今晩9時半発のELITEマンダレー行き夜行バスチケットを買った。ノーマルで13300k。15000k渡すと、細かいお釣りがないからといってミネラルウォーターをくれようとしたので、要らないと断った。
11時過ぎにチェックアウトし、荷物を置かせてもらい、ボージョーアウンサン市場へ行く。傘を買おうかと思ったが傘の店は見つけられなかった。13時までブラブラし、そこから歩いて10分くらいのEast Cafeに行き、フランス人のヘンリーに会い色々話す。食べ物はお粥を注文したが、来るまでに15分以上かかった。ヘンリーはまだヤンゴンに来て4ヶ月ほどだが、ここの暮らしがかなり気に入っているみたいだ。小声で、自分はシンガポールの会社だから給料はかなり良い、それにここの物価は安いし、シンガポールにもミャンマーにも税金は払っていない、最高だ、と言っていた。家はヤンキン地区にあるらしい。
1時間くらい色々話し、二人でタクシーに乗り、私はヤンゴン動物園で降ろしてもらった。入園料は3000k。ヤマアラシがすごくかわいかった。
5時まで時間をつぶし、歩いて帰った。けっこう歩き回ったので、帰り道は辛かったが、微妙にタクシーに乗る距離でもなかった。
ホステルに戻り8階の今朝まで泊まっていた部屋で勝手にバスルームを使わせてもらい、顔を洗ったりしてすっきりした。
6時にホステルを出て、ミニバスに乗るためにスーレーに向かった。ミニバスがどこにあるか、どんな車なのかまったく情報がなく、知っていたのは1000kだということだけだったが、行ってみると2000kと言われた。1000kのミニバスはなく、これは車体が小さいから2000kだと言われ、しょうがなくそれに乗り、後部座席に4人押し込まれ出発した。バスターミナルまでの道中、ずっとどうして2000kなんだろうと考えていた。
ミニバスは渋滞にハマりながらも一時間ほどで、アウンミンガラ・バスターミナルに着いた。巨大な、難民キャンプのようなバスターミナルだった。バスのチェックインまで一時間ほどあったので、裏手の食堂でスープヌードルを食べた。美味しかったが、ミートボールが20個近く入っていてびっくりした。食べ終わったがまだ時間があったので、缶ビールも一本注文した。しかし飲みきるのは病み上がりのお腹に悪そうだったので、半分入った缶を持って店を出た。無事にチェックインし、9時半にバスに乗り込んだ。1列4席のシートで、ほぼ満席だったが、わたしの隣だけ誰もいなくラッキーだった。バスは寒かったがなかなか快適で、最初は映画やKポップのPVなどを見ていたが、すぐに寝てしまった。12時過ぎに巨大なパーキングエリアで30分の休憩、たくさんの人がいて、みんな飯をガツガツ食べていたが、わたしはなにも食べず、バスに戻ってから、バス会社から出た小さいパンケーキを少しだけ食べた。
その後はノンストップで、朝5時過ぎにマンダレーのバスターミナルに着いた。


七日目【12/15(金)】

バスを降りると、すぐ青年に声をかけられ、2500kで事前に調べておいたホテルまでバイクタクシーで乗せて行ってもらった。英語が上手で賢そうな青年だった。
マンダレーの朝はおそろしく寒く、バイクに乗っている間震えていた。15度くらいだそうだ。そしておそらく蚊だと思うが、すごく虫が多く口の中にもたくさん入った。
目当てのゴールデンシティーホテルに着き、ドミトリーの料金は10USD。決めかねて一度外に出て、向かいのタイレストランでコーヒーを1杯飲んで考え、結局また戻りチェックインした。ホテルのフロントは蚊がたくさんおり、部屋の中も心配だったが、結局蚊は朝だけで、その後は現れなかった。
ドミは4ベッドだが客はなしで、少し湿っていたがTVもあり快適そうだった。荷物を置き、ホテルの近くの朝市を見て歩いた。ヤンゴンの野菜よりも新鮮そうに見えた。シャン州が近いせいか、タイっぽい感じもしたし、黒いもち米も売っていた。露天で名前はわからないがスープヌードルを食べた。いくら?と聞いたら、もちろんビルマ語で答えられたので、わからないでいたら客のおばさんが英語で800kと教えてくれた。さっきそのおばさんが中国語で話していたように思ったので、そのおばさんに中国語で、この店の人も中国語が話せるのと聞いたら、できるよと言っていた。人によっては中国語でコミュニケーションをとったほうがいいのかもしれない。
それからホステルに戻って、自転車を借りた。一日2000k。
とりあえず北の王宮の方に向かってみた。やはりミャンマー第二の都市だけあって、ショッピングモールなどもある。違う朝市を通ったとき、ロンジー一枚の男がスクーターに乗って、なんかオレの方を見てるのかなと思ってたらフラフラしだして目の前で転倒した。ロンジー1枚でパンツもはいてなかったので、こけた拍子に肛門と玉袋が思いっきり見えた。大丈夫かと思って自転車を降りバイクを起こしてやろうとすると、少し怒ったようすでオレになにか言ってきて、え?どういうこと?と思ってると、あっちへ行けという仕草をしたので、かまわずその場を去った。
何が起こったかよくわからなかったが、もしかしたら、オレの自転車のせいで転倒したと思ってるのかもしれないが、よくわからないし、全然危ないような運転はしなかった、ので、すごい変なやつだなと思った。
王宮の外堀に着いたが、王宮の敷地の広さがはんぱい。シュエダゴンパゴダくらいのサイズに考えていたので、王宮を見てこの街がものすごい大きいとわかった。
それからシュエナンド僧院と、チーク造りの寺に行った。入場料は10000k。それからまたすぐ隣にある、よく名前のわからない2つのパゴダに行った。
パゴダを歩いていたら、女性にタナカを頬に勝手に塗られて、タダだというのでまぁいいかと思ったらお土産やに連れていかれた。お面が可愛いと思ったが15000kと高かったので(値切れるはずだが)刺繍してある布を3000kで買った。あなたは今日の最初の客だと笑っていた。ここは物売りも感じがいく、買わなくても邪険にされることはない。
そのパゴダはすごく居心地がよく、しばらくゆっくりした。
それからレストランで昼食を食べ、また近くの寺を見てまわり、3時近くからマンダレー昼に登った。途中でいくつものパゴダがあり、これか、これが頂上か、と何度も思ったがその度にがっかりし、頂上にやっと着いたときにはけっこう疲れていたし足の裏も汚さマックス。
頂上からの景色はとくに感動はしなかった。メインの街の方向には樹があってよく見えなかったし。少し休んでからまた元来た道を降りた。おそらく頂上から夕日を見に来たんだろうと思われる観光客と何人かすれ違ったが、暗くなってからまた徒歩で降りるのはかなりキツイと思う。中腹あたりでも夕日がキレイそうな場所もあった。
日も暮れて寒くなったので、自転車で急いでホテルまで帰った。シャワーを浴びてから晩飯を食べに出た。地元の人気あるレストランで食べたが、珍しそうな食べ物を頼んでみた。黒もち米と揚げ豆腐。それにシャン風お好み焼きみたいなもの。悪くはなかったが、量が多過ぎて完食はできなかった。ミルクティーは意外にもすごく美味しかった。
部屋に戻ると、白人の女性が一人チェックインしてきた。がっくりきたが、翌朝3時に出て列車に乗ると聞いて、ラッキーと思った。部屋はすごく湿っぽかったので、クーラーをきかせて寝た。


八日目【12/16(土)】

彼女はちゃんと3時過ぎに部屋を出て行った。私は再び寝て起きたら8時半だった。シャワーを浴びてから、6階の朝食ブッフェを食べに行った。もうあまり残っていなかったが、炒飯や、スープ、果物を食べた。なかなか美味しい。
11時前にまた自転車を借り南に向かって、できるだけマイナーな道を走る。どこも交通量は多く、道は土ぼこりが舞っている。小さなブティックに寄ってみた。MA-1や、似た形の薄手のジャンパーが多い。値段は高くても15ドルほど。中国製だと思われる。何も買わなかったが、店の女性は愛想が良かった。
喉が渇いたので、小さな食堂でミルクティーを飲む。たったの200k。インドのチャイと同じ感じなんだろうか。甘いがなかなか美味しい。飲み物だけの店で食べ物は全くなさそう。
湖の周りのスラム街のような所を走ったが、水の近くはどこも貧しい人達が集まるのだろうか。しかし危ない雰囲気はなく、むしろ好奇心の目が見て来る人や、笑顔をくれる人が多い。
大きい幹線道路に出ると、道の脇にはまた祖末な家がたくさん立ち並んで、凝視するのも憚られる。しかしその向こう側には広大な畑が広がっており、牛などの群れもいるようで、とても美しい。そちらに繋がる小さな道を見つけたので、向こうの小さな村にも行ってみたが、言葉がわからないので、挨拶もろくにできず、勝手に立ち入って申し訳ない感じがしたが、笑顔をくれるオジさんも何人かいた。畑の野菜はまだ小さくて何の野菜かはわからなかった。
元の道へ戻り目的地の湖まで行ったが、どうやら私が行きたかった湖とは違う事に気づき、もう帰ろうかどうか迷ったが、正しい方の湖まで行くことにした。けっこう遠いので本気で自転車をこいだ。頑張ってこいだおかげで20分くらいで湖に着いた。有名な桟橋があるので、人がたくさんおり、お土産やもたくさん出ていた。
湖が見えるレストランで鶏肉野菜炒めとレモンジュースを飲んだ。ご飯も頼んだが来なかったので、ご飯なしで食べた。レモンジュースは酸っぱかった。
自転車を押して東西にかかる木造の橋を渡った。西側にはすごい人がいたが、東へ進むにつれ人はだんだん減っていった。橋の下には漁をする人や、鴨を放牧?しているや、牛で畑を耕している人がいた。橋をわたりきり、近くのパゴダに少し寄った。パゴダ内の壁や天井には、色あせた素晴らしい壁画が描かれていた。名のある寺なのかもしれない。天使の絵や、星座の描かれていた。ミャンマーの仏教では星座が重要なのかもしれない。
時間は5時くらいで北に向かってまた自転車をこいだ。リヤカーでゴミを運んでいるお姉ちゃんと弟がいて、見ているとお姉ちゃんのほうが手を振ってくれたので、こちらも笑顔で手を振り返したが、そのあとずっと、あそこでお金をあげれば良かったなぁと後悔した。

ホテルに着くと、ドミトリーには新しいゲストが来たらしく、ベッドは全部埋まっていた。シャワーを浴びて、また昨日のシャンレストランに行き、もち米面を食べた。なかなか美味しかった。部屋に戻ると、他のゲストがいたので、9時前には寝た。が、11時頃にまた起きて寝られなくなった。

2017/12/13

初めてのミャンマー1

一日目【12/9(土)】

朝8時過ぎに家を出て、バスに乗りクーライからスクーダイへ。バス代は2.5RM。
スクーダイから、TUN AMINAHのバスターミナルまでは歩くが25分もかかる。けっこう遠い。時間は9時半ちょい前。
バス・ターミナルでチェックインをすませ、隣の市場で朝飯と、昼飯、晩飯も兼ねて打包する。
バスはさほど寒くもなく快適だが、やはり5時間は長い。途中で一度だけオシッコタイム。
2時過ぎにKLIA1へ着き、KLIA2には2時半過ぎに到着。Web-check in を事前にしてたので、マシーンで航空券を印刷し、カウンターでスタンプを教えてもらい出国審査場をくぐる。
空港の中はやはり寒い。搭乗時間少し前に、昼飯兼晩飯を半分だけ食べておなかいっぱい。
飛行機内では坊主と若者に挟まれた、真ん中の席。機内はあいかわらず極寒で、最後の方は坊主も袈裟を頭に巻いていた。私も後半から鼻がおかしくなってきた。機内で入国カードを書き、到着後はとてもスムーズに入国審査を通る。到着ゲートには、ロンジーをはいた人達がたくさんいて、テンションが少し上がる。両替所で100ドルだけ替えるが、レートは1000ちょうど。悪くないと思う。
100ドルあげて、100000チャットをもらう。
空港の外はいきなり車道になっていて、開放感がある。歩いてホステルへ向かう途中、キンマの出店をよく見かける。町中キンマの臭い。シンガポールのペニンシュラプラザと同じ臭いだ。
ホテルが見つからなかったので、人に聞いてやっとたどり着く。ドミトリーは人はいないが、蚊がたくさんいたので、とりあえず殺しまくると、蚊が全然いなくなる。
外でなにか食べたかったが、晩飯の残りを食べるとお腹は7分目になったので、近くの細道を歩き散歩。住宅地を歩いたが、とても面白い。二階がやけに低く感じるし、道を歩いていると家の中がなぜだかよく見える。家には色とりどりの小さなランプがたくさんついており、みんな道ばたで遊んだり和んだりしていて野良犬も多い。見た事はないがALWAYS3丁目の夕日だかなんだかみたいな、時代もののセットのような感じ。しかし日本の風景とは違っているし、タイやラオスなどとも違う。なぜだかよくわからないが、水木しげるの漫画のようだなとずっと思っていた。この世ではなく、妖怪の世界に迷い込んだような。
まだビルマ語は全然覚えてなかったので、人と話すのが怖く、みんなの顔は見ないで歩いたので話しかけられはしなかったが、注目は浴びていた。ただ散歩しているだけだと、コミュニケーションは難しい。なにか買物など目的があれば、話しかけれるのだが。
3、40分ほど散歩したのち、ホステルに戻り寝てみるが、津波の夢を見て夜中1時頃に起きた。
ヤンゴンで馬車に乗っていたら津波が来て、波の中を馬と逃げるが波に流されそうになる夢。
起きたら鼻がおかしい。風邪をひいたらしい。ちゃんとしっかり着ていたのになと思ったが、朝からずっとエアコンの中にいたせいだろう。体に悪いことをした。
色々着込むが汗は出ない。夜は思ったより寒いのかもしれない。
朝目が冷めると時計は5時半。そしてマレーシアは7時。改めて1時間半の時差を感じる。


二日目【12/10(日)】

朝6時前に目が覚める。7時前に宿の朝食を食べ、暑くなる前に散歩に出かける。昨日の夜通った道をさらに先に進んでみる。ある公園に出たときに、
ミャンマーの町並みに対する謎が氷解する。ミャンマーはインドに似ている。というかタイやラオスより、かなりインドに寄っている。土埃舞う、殺風景な公園を見てそれがわかった。建物にやたら張ってあるタイルや、縦に長い4、5階建ての細い建物、黒く濁った川、貯められていくゴミの山、朝から大音量でスピーカーから流れてくる意味不明の音楽や民謡、ストリートフードもパンの揚げ物系が多いし、みんなで集まって飲んでいるのもチャイっぽい。そう思ったらもうインドにしか見えなくなってしまった。
散歩は市場を突き抜け、線路を越えて、また違う大きな市場へ出て、また線路を越えて、2時間近くゆっくり歩いてホステルへ戻った。線路では電車も見たが、久留里線と書いてあった。千葉にある路線らしい。
ホステルを10時過ぎにチェックアウトし、空港まで歩きSIMカードを買う。30日プラン2GBで5000K。お金を崩したので、セーマイまでのミニバスを捕まえようと思ったが、よくわからず、炎天下の中15分くらい粘るが断念し、セーマイまで歩く。腹が減っていたので、大衆レストランに入りフライドライスとティーを頼む。油っこくてあまり美味しくなかったが、店の子供たちが興味深そうに見てくるので、食べ終わったあとに、ミャンマー語を話して、コミュニケーションをとってみた。トイレはどこ?と聞くと、みんなで一斉に指を刺してくれた。会計は2300Kだったので、ミャンマー語で発音してもらったが、よくわからず、発音もすごく難しい。
セーマイの反対側のバス停で51番のバスを待ったが全然来ず、ネットで調べてみると、それは古い情報で、51番は37番に変わったらしい。
37番のバスに乗ったが、乗車率110%。途中で少し空いたので後ろの方へ行ったが今度はエアコンが強烈で寒い。みんなも寒がっている。
途中で降りようと思ったが、なんとか40分近く乗り切りチャイナタウンへ着く。アゴダで予約したホステルに無事チェックイン。少し休んだあと街を散歩する。高いビルがひしめいていて、香港のようだ。外国人はあまり見かけず、英語表記も少ない。日本人は皆無。
パンをひたしたココナッツミルク系のデザートを食べたら入れ歯がまた折れた。旅でお決まりのパターン。とくに慌てず接着剤を買った。
それから公園へ行き、スーレーパゴダも通り、2、3時間かけてホステルへ戻る。シャワーを浴びて少し休み、また6時過ぎに晩飯を食べに出かける。近くでカオスエ?的な面を注文したが、予想に反して冷麺だった。食べ終わったら皿が黄色い。ターメリックを入れてるのかもしれない。値段はたったの500k。店のお兄さんも英語を話し、フレンドリー。またしばらく歩き、行きたかったBarに行ってみたが、人がたくさんいて入りづらかったのでパス。
肉や臓物を串にして食べる屋台があったので、挑戦してみた。味はまあまあだったが、無事に注文できた事で達成感を得る。串は10本近く食べ、ビールも1肝飲み、4500k。それからタバコを買い、エッグプリンを食べてホステルに戻る。時間はもう9時。少し仕事をやり、日記を書く。晩飯に出る前に洗って、ベランダに干しておいたTシャツはもうほぼ乾いていた。外はけっこう乾燥しているのかもしれない。
チャイナタウン付近はインド人が本当に多い。3、4割がインド系、場所によっては半分以上がインド系だった。どうなっているんだろう。


三日目【12/11(月)】

朝5時頃に目が覚めるが、エアコンがガンガンきいていて喉が痛い。腹が立ったのでエアコンを消したが、それはまずいかなと思い、30分後にまたつけて寝る。7時頃また起き朝食を食べ、スタッフと少し英語で会話。どうしてヤンゴンはこんなにインド人が多いのかと聞くと、チャイナタウンだけ多いんだと言っていたが、街中いたるところ多いという気がするが。ヤンゴンの変化をどう思うと聞いたら、いい事だ、自分はハッピーだと言っていた。
部屋に戻ると中国人がうるさい。実はそんなにうるさくないのだが、声がやけに耳につく。ホステルを変えようかなと思ったが、荷物をまとめてるので、もう出るのだなと思い、思いとどまった。しかしベッドのロッカーが壊れていると思ったので、延泊するがベッドを変えてもらった。しかしロッカーは壊れておらず、私が使い方を知らないだけで恥をかいた。
シャワーを浴びてから、サロンをはいて街へ出た。まずはスーレーパゴダへ行った。外で小坊主に寄付を要求され50k入れたら、1000kくれとボソっと言われた。あまりありがたくないような気がしたので、もうそれきり小坊主には金はあげないようにした。パゴダは時計回りに回るんだよなと思い、右に回っているつもりが、よく考えたら左に回っていた。こういうのが頭おかしい。パゴダを出るときに、靴を預けた警備員に1000kだと言われ、それは先に言わなきゃ詐欺だろうと思った。
スーレー・パゴダ前から37番のバスに乗ろうと思ったがバスがない。勘違いしていたらしい。しょうがないので歩いてヤンゴン駅まで向かった。途中でオシャレなベーカリーで、どう見てもガーリックトーストなのにチーズケーキ味というトーストと、カフェモカを飲んだ。店内が暑いし、BOSEのスピーカーからは音が最高に悪い音楽が流れている。
暑い中歩いてヤンゴン駅に着く。やっぱりインドの駅みたいだった。
それからまた炎天下を歩いてアウンサン市場に行くが今日は休み。途中で変な親父に日本語で話しかけられ、サロンをはいてるのに、ミャンマーに着たらロンジーを買ってはきなよ郷に入って郷に従うだよとか言われ、やっぱり俺のサロンはロンジーとは全然違うように見えるんだなと、少しショックを受ける。アウンサン市場の前の市場で、日傘を買おうかなと思ったがなんとなくやめた。少し後悔している。
そこからまた暑い中を歩いてシュエダゴン・パゴダに向かう。途中の道ばたで、昨日歯を折られたデザートをまた食べる。味はともかく、場所が小便臭くてまいった。
途中で名もなきパゴダに立ち寄る。小さな鏡がちりばめられていて、素敵なパゴダだった。疲れていたので、中で10分くらいボーッとする。そろそろ出るかとパゴダの外を最後に一周したら、ここは靴脱がなくちゃと言われて謝る。パゴダの外も靴は禁止。ほかの仏教国より禁止エリアが広い、そしてわかりにくい。
もう一つ、シュエダゴンの手前のパゴダに入ってみるが、ここもよかった。パゴダの天井にミャンマー風の星座の絵が描かれていた。けっこう見入ってしまった。ここでも一般人の親父に靴を脱げと注意される。範囲がようわからん。
やっとシュエダゴン・パゴダに着いたが、もう見る気力がなく帰ろうと決意して、パゴダ敷地内を横切って、隣の公園まで行ったが、この途中でも靴を脱げと注意される。完全に寺とは関係ない敷地外だと思ったのに。それに坊主が一人靴はいてるし。ミャンマーは靴には厳しい。
隣の公園に入る前に、入り口にあったショッピングモールの地下で、シャン・ヌードルを食べた。しょっぱすぎる。そしてレモンソーダも酸っぱすぎる。なにかと味が濃いミャンマー。たぶん塩の代わりに使っている塩化ナトリウムがしょっぱすぎるんだ。
公園には遊園地もあり、デートをしているカップルが多い。私のサロンが注目を浴びているような気がした。やはり変なのだきっと。
中国系とインド系のカップルに話しかけられ、グッドモーニングは日本語でなんと言うのと聞かれた。話しかけられると嬉しい。
公園を出て、バスに乗ろうと思ったがバス停がない。しょうがないので一番近くのバス停まで歩いたが、そこには唯一知っている37番のバスはないので、人に聞いてなんとかスーレー行きのバスに乗った。中は暑く、バスは渋滞で遅い。なんとかスーレーに着き、歩いてホステルに戻ったときには、疲労困憊。すぐにシャワーを浴びて休んだ。
少し元気になったので、共用スペースで少し仕事をする。後ろでホステルのスタッフが画面を見ている気配を感じる。
また部屋で休み、8時近くに晩飯を食いに出る。経済飯を食ってみたが、予想に反して悪くなかった。でも衛生面が少し心配な気がした。インドのトラウマ。帰りにタバコとビールを買って、ホステルのベランダで飲んだ。共用スペースのネットの調子があまりよくなく、韓国か中国の男子が一人、病的にイライラしていた。


四日目【12/12(火)】

朝飯は近くの露天でヌードル。味はまぁまぁだが、やはり不衛生っぽい。帰りにポメロを一つ買う。1000k
ホステルで一時間ほど仕事。違うホステルにも泊まってみようと思い、B&B(ブレッドアンドブレークファスト)というホステルのドミトリーを予約。今のとこは一泊14ドルだが、そこは10ドル。
12時前にチェックアウトし、歩いて新しいホステルに行く。ホステルの近くには小さい宝石の店がたくさんあり、すごい数の親父達が道ばたにたむろしている。競馬場のような雰囲気。
新しいホステルのドミトリーは8階。眺めが良くレストランもある。さっそくフィッシュカリーを頼むと、2500kにも関わらず、カボチャのスープもついてきた。味もなかなか美味しいが、カレーはすごく油っこい。ウェイターの少年が眉毛が繋がっていて、何を考えてるのかわからない良いキャラをしている。
タバコを一服してから、近くのシナゴーグを見に行く。ペンキ塗りの工事をしていてすごくペンキ臭い。シナゴーグに入ったのは初めてかもしれない。以前インドのコーチンでも入ったかもしれないが、当時はシナゴーグがなにかも知らなかった。長椅子の座るところも、編んでいる模様が六芒星になっていて面白かった。
それからまたゆっくり歩いて港まで行ってみた。行くまでには食事の露天がたくさんありサラリーマン風の人達が飯を食っていた。丸の内的なエリアなのだろうか。
港では女性に声をかけられ、日本人はタダで船に乗って向こう側に行けるから乗れと言われたが、パスポートも持ってなかったし断った。あんなに強くすすめられると怪しく思ってしまう。いや間違いなく何か企んでいるに違いない。
港で少しゆっくりしてから、近くの中央郵便局に行ってみる。ポストカードは10枚セットで1000k。10枚も要らない。
かなり疲れたので、そろそろ帰ろうと歩き始めるが、ここらへんでお腹の異変に気づく。消化がちゃんとできてないようで、痛いほどではないが、気持悪い。なんとかホステルに戻り、ベッドで休む。夜にシュエダゴンパゴダに行きたいと思っていたが、それどころではないと判断し、できるだけ何もせず、何も食べずベッドで夜まで寝ていた。


2017/11/22

ひさしブリバリ2

今日はレンボンガン島から帰ってきたの。とっても疲れちゃった。
レンボンガン島は、ガイドブックにあまり情報が載っていなかったので、とりあえず行ってみたんだけど、なんか想像してたのと良くも悪くも色々違っていて、すっごく疲れちゃった。

予約していたホームステイはすごくキレイで、テレビもある、湯沸かしもある、ファンもある、宿のオーナーも親切で悪くはなかったんだけど、なんせ今の時期のせいか部屋の中の湿気というか熱気がすごい。

そこに夜は急に停電になってしまって、真っ暗な中ファンが止まって電気も消えてしまって大変。オーナーの家に行ったらそこは電気がついていたんだけど、どうやらオーナーがいなくて英語の話せないおばあちゃん一人だけ。なんとか状況を説明したら、なにか言いながら拝むようなポーズを何度もするので、停電になったのが神様の仕業だから神様に祈ろう!と言ってるのかな~と最初思ったんだけど、どうやらよく聞くとオーナー夫妻は今お寺かどっかに参拝に行っていて、まだ帰ってこないんだと言ってるのがわかったの。
それでようやくオーナー夫妻が帰ってきて、なんとか直してくれたんだけど。

もう一つはシャワーがしょっぱいの。おそらく海水を混ぜた水なんじゃないかと思うんだけど、シャワーも洗面台の蛇口も全部しょっぱい。だからその水で髪を洗ったら、石鹸をつけたのにもかかわらず髪が接着剤をつけたみたいにバリバリになってしまって、体もなんかベトベトするし、それでもう早くバリ島に帰りたいと思ってしまったの。

あと驚いたのは、昼間は中国人を8人くらい乗せたミニバスが、すごくたくさん走っていて、
どうやらバリ島から日帰りツアーで来た中国人みたいなの。ビーチでは子供みたいにはしゃいで写真を撮りまくって、キレイな服も靴も砂や波でよごしちゃって、ちょっとかわいかったわ。

私が海を眺めてたら、オバさんが一人私のすぐ隣に来て、スカーフを手にもってヒラヒラさせながらポーズをとり始めたけどかまわずにいたら、ちょっとすいませんけどどけてくださいって柔らかく言われて、ちゃんとハッキリ物を言うのねと感心したの。

そして島では9割くらいの旅行者がスクーターを借りて移動してるんだけど、私はよくわからずに借りそびれちゃったから、移動するのが大変だった。おまけにボロボロのサンダルはいてたから、急いで歩くと鼻緒が取れちゃうからゆっくりしか歩けないし。
そんなこんなで今朝逃げるようにボートに乗ってバリ島に帰ってきた。

サヌールってところからクタっていう空港の近くに帰るのに、ちょっと試しに一番安い手段でトランス・サルバギタっていうバスに乗ろうとしたんだけど、20分間隔で来るってガイドブックには書いてたんだけど、結局一時間近く待ってもうほんとにぐったり。それで行き先もよくわからず当初の予定より遠くの所で降りてしまって、ほんとに情報がないとやっぱりスムーズには行かないわね。というより初めての事だから、何事もまずは失敗から始まるのかもしれない。

他に面白かったことと言えば、全然面白くないんだけど、海で死にかけたの。
レンボンガン島に行く前に、レギャンってビーチ沿いの所に泊まって、そのときに一人で昼間に海水浴に行ったの。それでビーチに荷物を置いて、水中メガネだけかけて大波に立ち向かって行ったの。水泳禁止ってサインがあったけど、別に泳ぐわけではないし、他にも数人普通に波に立ち向かって遊んでいたから、わたしもそれをやったわけね。
でももちろん海の怖さはわかってるつもりだったから、けして深い所には行かずに、足がつくところで大波にもみくちゃにされて遊んでたの。でもちょっと気を抜いて波に身を任せて浮かんでいたの、2、3分だと思うんだけど。
そして気づいたら浜辺からはけっこう遠ざかっているし、足もつかないのよ。かなり焦ってしまって浜辺に向かって必死でクロールしたわ。それでもなかなか距離は縮まったようには見えないし、周りには誰もいないしで、どんどん焦ってしまって。こんな時こそ冷静にならなきゃいけないと思ってはいるんだけど、でもそんな悠長なことしてたらどんどん沖に流されてしまう、そんなムードでやっぱり必死にクロールをしたわ。それで焦ってるもんだから海水はガボガボ飲んでしまうし、そろそろ浅瀬かなと思って足を着こうとしたらまだ着かない。その恐怖は本当にたとえようがないくらい怖かった。そしてなんとかかんとか、ようやく足がつく所まできて、体は寒さか恐怖からかガタガタ震えてるし、そんなときに後ろから一発大きい波がきて水中メガネは流されてしまって。でももうそれどころじゃないから、すぐに荷物をとって震えながら帰ったの。

でも帰り際に人が集まってるからなにかと思って近寄ってみたら、大きいウミガメが一匹横たわっていて、現地のちょい悪ガングロ親父達が色々触って確認してるんだけど、完全に死んでるみたいだった。それで親父たちが砂場に穴を掘ってウミガメを埋めてあげてた。もしかしたら私の代わりに死んでくれたのかしら、なんて事はさすがに思わなかったけど。

とにかくとっても怖かった。原因なんだけどおそらく、私が遊んでたところは浅瀬だったけど、波で少し横の方に流されて、そこは最初のところよりも深かったんじゃないかと思うの。だからなかなか足がつかなかったんじゃないかなと思うんだけど。でもほんとに沖に流される恐怖といったらほんとうにハンパじゃないわね。もう二度と波の高いところでは遊ばない。サーフィンもいつかやりたいと思ってたけど、これじゃあできそうにないわ。
本当に全然面白い話しじゃない。ちなみにこの話しをするとみんな心配すると思って、まだ誰にも言ってない。また一つ秘密が増えてしまったわ。

ところで今回なぜバリに来たかというと、それは私の奥さんの元上司がここで結婚式を挙げたの。それで私もちゃっかりそのパーティーの2次会に参加してきたの。2次会は言い方は悪いけど、ただDJが音楽をかけて、みんなダラダラと飲んだり踊ったりするっていう感じで、メリハリのある日本の結婚式に比べると、ちょっとまとまりがなくどうしようもない感じで、私の奥さんにとってはほぼ拷問みたいな感じで、すごく疲れていた。私は途中からシャンパン片手に、タバコ吸いながらずっとゆるーく踊っていたんだけど、ちょうど調子が上がりかけて来たところで帰らなきゃいけなくなって、なんか不発って感じだった。

それでそこの会場の近くのヴィラに二人で泊まったんだけど、そこがなかなか素敵な所で、今までで二人で泊まった中で一番格式が高いように私は思った。でも値段にすると一部屋4000円程度で、実は全然高くないんだけど、普段2000円くらいの所に泊まっているもので。それでそこのプールでたくさん泳いだんだけど、一度だけ見てしまったの。ホテルのスタッフが白い粉みたいなのをプールにまいてて、そこまでは予想もしてたんだけど、スタッフが自分のシャツで鼻と口を覆いながらまいてるのよ。そんなに体に悪いものなんだーって思って、それからプールには入ってない。

明日の昼の便でシンガポールに帰るんだけど、もうバリ島は私にはなにもする事がないような気がする。またあのレンボンガン島は行ってみてもいいかもしれないけど、でもバリはいたる所で工事をして新しい建物が建っていて、ゴミがたくさんあって、なんか申し訳ないような気がする。ゴミは処理できてないし、スクーターや車は増えて渋滞は年々ひどくなるばかり。

でも人は全然すれてない。どんなに大きい観光地でも、みんな笑顔ですごく優しいの。どうしてかしらすごく不思議。ローシーズンで人が少ないから、心に余裕があるのかな。それとも私にだけ?謙虚で笑顔の素敵なとっつきやすい私にだけ?

やっぱりまた来てみたいような気もするけど、もっと他のインドネシアの町にも行ってみたい。じゃあやっぱりインドネシア語をもっと勉強しなきゃ。













2017/11/17

ひさしブリバリ

久しぶりにバリに来ている。

さっそく旅のお役立ち情報を一つ。
バリ空港には市内に向かうバスはないので、空港に降り立った旅行者は、たいていタクシーに乗ってそれぞれのホテルや市内に向かうが、バリ空港内ではある一つのタクシー会社が占拠していて、他の一般のタクシーは入れない。そしてその空港タクシーが実に割高である。
じゃあどうすればいいのかとネットで調べた結果、要は空港を一度出てから、一般のタクシーなりオジェ(モーターバイクタクシー)を捕まえればいい。そしてこれをやってみたら、実に簡単にできた。難易度は高いと書いてあったが、実に簡単にできたので、お金を少しでも節約したい人は迷わずこれをやるべきだと思う。
やり方はここに書いてるが、実にシンプル。


私の体験談を書こう。
フライトが1時間ほど遅れ、夜10時近くに空港に到着する。さっさと手続きをすませ到着ホールに出て、空港を出る道のスタート地点となる門を探すが、その写真を何度も見ていたおかげですぐに見つかる。そこをひたすらまっすぐ、駐車場も突き抜き、すぐにフェンスにぶつかり左折。空港内に向かう西洋人旅行者とも数人すれ違う。彼らは相当なバリ通に違いない。そして5分とかからずフェンスの外に出られる。しかしここまでに相当声をかけられたが全部無視。

フェンスの外に出てさっそく声をかけられるが、もうちょっと離れた方がよさそうだと、道もわからずただ暗がりを100mほどすすんで、そろそろよさそうかなと思い、顔を上げあたりを見渡すと、道路の向かいからオジェッドライバーが即行で声をかけてきた。よしこれにしようと思って行き先を告げると、ドライバーに「じゃあいくら?」と聞かれた。値段を自分で決めるという事は考えていなかったので、面食らってしまったが平静を装い、25,000Rp.から始めてみて、なんとか30,000Rp.で、ホテルのあるクタスクエアまで行ってくれるということに。
(ということはやはり25か、20でも行けたのかもしれない)

そしてバイクの後ろに股がって出発したが、バイクが何度も何度も曲がり道に入るので、最初は、もしかしたら遠回りしてる?などと思ったが、しばらくしてクタエリアには一方通行がとてもたくさんあるんだと気づきホッとする。
やっとホテルに着いて100,000Rp.渡すと、釣りがないと言い始め、しばらく言い合ったが、結局財布の奥から細かい金を見つけ30,000Rp.ちょうど渡す。
お釣りがないといい多めにもらう魂胆もあるのだろうが、それ以外にも単純に、みんなできるだけ細かい紙幣でもらいたいらしい。

以上が私の体験談である。

そしてうちの奥さんは2日遅れてバリに着いたのだが、彼女は空港から歩いて10分くらいのところのホテルを予約していたし、昼間のフライトだったので、難なく空港を歩いて出て、一人でホテルまで徒歩で辿りついた。
私もそのホテルに行ったが、そのあたりはローカルの安い食堂が多く、クタ中心部までも歩いて行けないことはないので、非常に便利なエリアだと思う。

クタは嫌いだと思っていたが、今回クタでは比較的楽しく過ごせた。
2日目の晩、掘建て小屋みたいな所で、晩ご飯を食べたあとに、となりでゴザを敷いて宴会している人達がいて、トゥアック(インドネシアの酒)を飲んでいたので、加わって少し飲ませてもらいタバコももらった。その変わり20,000Rp.ほど置いてきたが。

彼らはてっきりバリ人だと思ってたが、聞くところによるとジャワ島など、他の地方から出てきて出稼ぎをしているらしい。仕事はなにかを洗う仕事で(それがなにかはわからなかった)朝8時から夕方5時まで働いて、一日わずか70,000Rp.
家は借りているらしく、一年で2,000,000Rp.だと言っていた。日本円にすると1万6千円くらいだ。なかなか安いが、おそらく小さくて汚いところなんだろう。
私の給料を聞かれたので正直に言うと、羨ましいなと言われたが、家賃を言ったら本当に高いなと言われた。


恐らくバリ島、それも観光地には相当数の出稼ぎ労働者が、わずかな給料で働いているんじゃないかと思う。ウブドでも朝7時頃に町を散歩したが、スクーターに乗った人達が次々と、各ホテルの従業員用の駐車場に入って行くのを見た。みんな頑張って働いている。

明日から旅行の後半だ。私も頑張るよ






2017/09/18

おれの庭

ここKulaiに家を借りてから、もう4ヶ月くらい経った。この町の暮らし、マレーシアとシンガポールの往復の暮らしにもだいぶ慣れてきた。

週末のシンガポールでの仕事も、だいぶ定着してきた。金曜日の午後にシンガポールに着き、レッスンを3つやり、土曜日も朝から夕方まで4つやり、日曜も柔道の練習の前に1つ、午後からも1つ、そして日曜日の夜か、月曜日の早朝にマレーシアに帰ってくる。これで多いときで、500ドル、4万円ほど稼げる。これでもう家賃分は稼いだ事になるし、旅行も行かず毎週真面目にシンガポールに帰り、自炊して質素に暮らしていれば、月に10万は貯金できるかもしれない。もちろん貯金する気もないので、やはり旅行などで散財するが。

そしてシンガポールからマレーシアに帰るときは、必ずバックパックに15kgくらい詰めれるだけ物を詰めて、マレーシアに色々運んでいたが、最近やっと運ぶものもなくなってきた。それでも軽いと損した気分になるので、なんやかんや詰めてしまうが、本当はもう必要ない。

Kulaiの家の庭も、先週あたりからやっと草むしりを始めたが、一度入ってみると、土いじりはクセになるのか、やる事がなくても庭に降り立ち、ジッとパパイヤの木を見つめていたりする。そうしてる間に身体中を蚊に刺されるのだが。
しかしパパイヤ以外は全然実をつけてくれないので、庭に肥料でもと考えていたが、最近読んだ自然農の本に、人間の分際で余計なことすんなカス、と書いていたので、やはり温かく見守るだけにしよう。

こうなってくると本当にやる事がなくなり、なぜオレはこの地球に生まれてきたのだろうと、そんな事を考え始めるのが人間である。私とは立場が全く違うが、超お金持ちの御曹司や、やっと退職した大企業の元社長なんかも、きっと同じジレンマを抱えているんじゃないかと思う。やるべき事が見つからないと、人生とはほんとに虚しいものだ。簡単すぎるゲームはクソゲーである。

しかし最近いくつかの面白い本と出会い、なんとなくだが、なぜ私は生きているのか、なぜこの地球にこの時代に生まれ落ちたのかが、その意味が少しずつだが明らかになってきたような気がする。これまで右往左往の人生だったが、ここらでゆっくりと上昇していきたい。シンガポールの生活が落ちつき始めてからは、もうさほどこの世にも未練はないかもなと思っていたが、今はもっと生きたい、生きてこの世界の真理を見たい。その真理を見つけるための第一ステップがここKulaiの家なんだと思う。そして鍵となるのはこの庭のような気がしないでもない。


とりあえず今月は毎週シンガポールに帰って、お仕事がんばったので、今週はシンガポールには帰らず、バスでマレーシア国内をフラつくつもりだ。これでバスで事故って死んでもしたら、未練タラタラで地縛霊にでもなってしまうかもしれない。



2017/08/31

北海道 2017 〜後半〜

8月20日(日)
母に車で苫小牧のウトナイ湖まで送ってもらい、一緒に登山をした友達と合流。車を乗り換え、奥さんと3人で江別の友達の家へ行く。ここは3つ子が2組いる奇跡の家族で、実はほぼ毎年、子供たちの顔を見に行っている。上の子達は12歳、下の子達は6歳。みんなでスーパーに買物に行き、友達の家の庭でまたBBQをした。上の子達はほとんど顔を見せなかったが、下の子達は元気いっぱいに食べ物を食べたり、道路で遊んだりを繰り返していた。わたしはここの家の子達は世界で一番かわいいと思う。この愛くるしい3つ子が3人揃ったときの破壊力たるや凄まじい。
暗くなるまでBBQをして、帰るときに、大家族から手紙をもらった。去年シンガポールからちょっとしたお菓子を送ってあげたのだが、そのお礼だという。一人一人かわいい絵やメッセージが書いてあった。感激である。下の子達はもう1、2年はまだよーちゃんよーちゃんと、懐いてくれるんじゃないかと期待している。だから来年もまた来よう。
帰りは友達に北広島駅まで送ってもらい、そこまで母に迎えに来てもらって妹の家に帰った。

8月21日(月)
妹家族が昨日から、長沼のマオイオートキャンプ場で、キャンプをしていたので、朝から母と奥さんと3人でそこに合流した。こじんまりとしたキャンプ場で、まわりにもとくに何もなく、平日で人も少なかったので、少し寂しい感じだった。人が多いなら多いで、また一言言いたくなるものなのだが。とりあえずゆっくりとBBQをしたり、本を読んだり、奥さんと周りの田園などを散歩したりした。
夜はシンガポールから買ってきた「トム・ヤム」スープを作ってあげた。それから近くの温泉に入り、母は泊まらず一人で妹の家に帰った。9時をまわる頃になると、キツネがキャンプ場の中を、食べ物を求めてウロウロしていた。11時頃までダラダラとお酒などを飲んでいた。寝る間際には少し小雨がぱらついていた。

8月22日(火)
朝5時頃、奥さんがテントの中に水が入ってきているのに気づいた。外はしとしと雨が降っており、入り口や窓付近に小さい水たまりができていた。眠たい目をこすりながらもタオルで拭いたり色々と対応していたが、雨は止む気配がなく、再び眠りにつける状況ではない。絶望を感じていたが、6時過ぎに隣のテントにいる妹からLINEが入り、母がカッパなどを持ってこっちに向かっていると教えてくれた。妹グッジョブ!と思った。
30分くらいで母が到着し、傘をさしながら撤収作業。雨はだんだん強まり、1時間ほどでなんとか全て車に詰め込み、逃げるようにキャンプ場をあとにした。
妹の家に戻って、お昼ご飯に、またもやシンガポールで買ってきた「トム・カー」スープを作ってあげた。やはりトム・ヤムより評判が良かった。
それから夕方くらいまでゆっくりして、5時くらいに奥さんと二人で街に行き、札幌の友達に会った。狸小路にある「ベンベラ」という店でスープカレーを食べ、近くの居酒屋で酎ハイなどを飲んで3人で話しをした。店の近くにはシンガポール料理を出す店もあったが、その日は休みだった。
10時頃までそこで飲み、地下鉄とバスを乗り継いで妹の家まで帰った。

8月23日(水)
朝は奥さんと、姪を連れて甥っこを幼稚園まで送って行ってあげた。
それから奥さんは一人で街に繰り出し、私は家の近くを自転車でまわった。まずBook-Offで3時間くらい本を物色して、昼過ぎに回転寿しトリトンに行った。1年ぶりの寿司は死ぬほど美味かった。ネタはいつもきまって、サーモン、〆鯖、エンガワ。
それからイオンに行き、夜に作るタイ・カレーの材料を買って家に帰った。
7時頃に、奥さんはシンガポールから持ってきたバスマティー・ライスで炒飯を作り、私はグリーン・カレーとイエロー・カレーを作って、妹家族とみんなで食べた。
夜は妹夫婦に麻雀を教えてもらった。二人供麻雀が大好きなので、私もなんとか覚えて来年は一緒にやってあげたい。

8月24日(木)
今日も甥っこを幼稚園まで送り、そのまま奥さんと大きい荷物を背負って、札幌駅に行った。銀行で150万下ろし、駅前の「ピカンティー」という店でスープカレーを食べた。朝から観光客などで混んでいたが、味はまぁまぁだったし、皿が上げ底みたいで少しイラッとした。けっこう上げ底にしている食べ物を札幌ではよく見る。あんな人を騙すような事をして、恥ずかしくないんだろうか。
それから札幌駅で電車に乗り千歳駅まで行き、母と合流した。千歳のGEOでDVDを少し借りた。私は「アポカリプト」と「シャッターアイランド」。そのまま実家に帰り、すぐにアポカリプトを見た。昔一度見た事があり、そのときは面白い!と思ったが、今冷静に見てみると、とんだプロパガンダ映画だった。

8月25日(金)
何も予定がなく、久しぶりに実家でゆっくりするかなと思ったが、急遽母と3人で静内町までドライブすることに。昼前に家を出て、海沿いをドライブし静内町に着いたが、何も見るものがないので、駅の観光案内所で情報を得て、競走馬のセリ市を見に行った。綺麗な馬がたくさんいて、金持ちもたくさんいた。初めて見る世界だった。異様な雰囲気に緊張したり興奮している馬もいて、少しかわいそうだった。安い馬は150万、高い馬は1300万くらいで売れていた。
それからまた展望台に寄ったり、海に寄ったりしながら2時間ほどドライブして、やっと家に着いた。
夜はGEOで借りてきた「シャッター・アイランド」を見てみた。ディカプリオの演技がウマ過ぎて逆に違和感があった。もう少し安い俳優でいいのではないか。

8月26日(土)
また朝から母と3人で、車で札幌に向かい、妹達と合流してモエレ沼公園に行く。妹と母はレンタル自転車を借り、甥と姪を乗せて公園を走ってまわり、私は噴水近くに張った簡易テントで寝っ転がって、ずっと本を読んでいた。
なかなか綺麗な公園だが、非自然すぎてなんかちょっとこわい。3時頃に妹の家に戻り、少し仮眠をしてから、また地下鉄に乗って一人で街まで行った。夜7時に、昔アルバイトをしていた7-11の先輩達と飲んだ。みなさん若干老けていたが、しぐさや、話す内容は、15年前と何一つ変わっていない。面白いものだなと思ったが、上下関係もあのときのままで、うまく言いたい事も言えずに、もどかしさを感じた。ギリギリ終電に間に合い、家に着いてすごくホッとした。やはり日本にはもう住めないかなと、少し思った。

8月27日(日)
9時くらいに奥さんと二人で、ドニチカ切符を買って、また地下鉄で札幌の街に行く。ジュンク堂で本を買って、北18条のカフェで絵の個展をやっている後輩に会いに行った。少し肥えていたが元気そうだった。また大通りへ戻りしばらくブラブラ歩いたあと、すすきのの回転寿司屋「魚一心」でまた寿司を食べる。奥さんは魚が食べられないので、イモモチや納豆巻きを食べていた。
夕方頃妹の家に戻り昼寝をする。夜は妹の旦那がAmazonで買ったカードゲーム「人狼」をみんなでやってみた。4、5人しかいなかったので、人狼と人民しかおらずシンプルだったが、なかなかスリリングだった。頭の回転が早い妹の旦那が一番上手かなと思ったが、意外と妹と母の方がするどく、女の勘は怖いなと思った。

8月28日(月)
また甥を幼稚園に送って、午前中に母と3人で実家へ戻った。帰り際に姪がずっと泣いていたのが可哀想だった。まだ2歳だが、別れの雰囲気はしっかり感じ取る。
帰る途中に、奥さんが最後にスープカレーがもう一度食べたいと言うので、千歳の「ラマイ」に寄った。ちょうどお昼時で混んでおり、1時間近く待った。こんなに人気があるとは知らなかった。
家に着いた頃にはみんな疲れており、とりあえず昼寝をした。夕方前に近所に住む親戚の家に、奥さんと二人で顔をだし、夜は私一人で最後の温泉に行ってきた。同級生に似ている人がいたが、100%の確信が持てず、話しかけなかった。

8月29日(火)
朝6時頃に、町内アナウンスの気味の悪いサイレンで起こされた。最初津波が来たかと思ったが、北朝鮮がミサイルを発射したと言っている。わけがわからなかったので、テレビをつけて状況を把握した。まさかほんとに攻撃とかはして来ないだろうとは思っていたが、あの不気味なサイレンが耳について、少し不安になった。飛行機が無事に飛ぶかどうかが一番気がかりだったが、空港に電話をかけてみたところ、どうやら飛行機の発着には影響がなさそうだった。
8時に家を出て母の車で空港に向かった。空港は何事もなかったかのように、ひっそりとしていた。カウンターで荷物を預け、ロイズのチョコレート工場を少し見学してから、ゲートの中に入った。母との別れが少しだけ悲しかった。
帰りの飛行機は空席がけっこうあったので、横並びの席に横になってずっと本を読んでいた。ワインを3、4杯飲み、邦画「淵に立つ」を早送りで見た。
バンコクを経由して、飛行機は夜9時頃に無事にシンガポールに着いた。
税関で、後輩にもらった巻きタバコ(30g)を申告したら、1000円近く払わされた。タバコ自体は300円くらいのものなのに。
早く滅びちまえこんな国


以上



















北海道 2017 〜前半〜

8月9日から、29日まで3週間、奥さんと二人で故郷北海道へ帰省してきた。
奥さんは大病を患ってから久しぶりの北海道で、実に3年ぶりくらいになる。こうやってまた夫婦一緒に帰れることに感謝する。命あっての物種だね〜。
今回は半分休んで半分活動という、良いバランスがとれていたように思う。あと、せっかく日本に来たんだからと、色々買い込む、ような事もあまりしなかった。友達にも、会えそうな人には会ったし、会えない人には会わなかった。執着をはしないぞと、いつも心にとめていた。

8月9日(水)
タイ・エアウェイズの、バンコクを経由するナイト・フライトで新千歳空港に向かう。4人がけの席に我々二人だけ。二人供寝ようとして、一人2席ずつ占領し横になってみるも、微妙に長さが足りず、二人供寝不足ではまずいと思い、奥さんに3席ゆずって、自分はシートを倒して寝ようとするが全然眠れず、寝不足のまま朝8時に新千歳空港に着く。

8月10日(木)
空港まで車で迎えに来てくれた母と、札幌の妹の家へ行く。荷物を置いてすぐに昼寝する。6時頃、地下鉄で街まで行き、ノルベサの地下の居酒屋で、ヨサコイチーム・OBの飲み会に奥さんと参加する。みんなが居酒屋でタバコをガンガン吸い出すのを見て驚く。日本ではこんな密閉された室内でも、タバコを吸うことができるなんて、けっこう野蛮な国だね、と感じてしまった。2次会にも参加し、ビールや、カクテルをたらふく飲んだ。奥さんは2次会の途中から寝てしまった。言葉もよくわかんないのに、頑張って私につき合ってくれて、本当にありがとう。終電もないので、同じ方向のトモちゃんに買ったばかりの新車で、妹の家まで送ってもらった。

8月11日(金)
朝11時から、北24条駅近くの、SOU理美容所で髪を切ってもらった。長めでおまかせしたのだが、見事にこうなりたい!という風に仕上げてもらった。ヘアスタイリストってすっげーなと感動した。それから札幌駅の地下で、「天丼てんや」の野菜丼を食べる。大好物。それからヘアスタイルを民衆に見せびらかすために、意味もなく街をブラつき、Book-offで古本を買う。本日は妹夫婦が、旦那の実家宅に遊びに行っていて、夕食は出ないので、イトーヨカドーで焼きそばの材料を買って妹宅へ帰り、二人で勝手に夕食を作らせてもらった。

8月12日(土)
母は前日に帰ったので、妹夫婦の車に乗り、実家むかわ町へ帰る。父の5周忌で、家に神主がやってきて、なにやらちょろっとやって、金をもらって帰っていった。なんか設備業者かなんかみたいだった。それから墓参りに言ったが雨が降り出したので早々に切り上げ、昼飯は家族みんなで外食し、帰ってきて甥とUNOをやったり、神経衰弱をやったりした。子供の記憶力はすごいと思った。

8月13日(日)
母の車を借りて奥さんと二人で、厚真町の山奥にあるShijima-Cafeへランチを食べに行った。自宅の畑で穫れた無農薬野菜の、ベジタリアン食、とても美味しかった。ランチのあとに、Cafeの前にあるその畑を案内してもらった。蝶蝶がたくさん飛んでいて、足下にもコオロギや色んな虫がたくさんいて、まるで楽園のような畑だった。それに薪割り体験もさせてもらった。予想以上に難しかったが、けっこうクセになりそうな運動だ。
帰りに厚真町の古民家を改造したパン屋、去年わたしの前歯を折ったすっごい固いパン、あれをまた買って帰った。奥さんも一口かじって、かったーーーい!と言っていた。

8月14日(月)
また母の車で奥さんを乗せて、平取「二風谷」のアイヌ文化博物館へ行った。ちょうどアイヌの歴史の本を読んでいるところだったので面白かった。アイヌの伝統家屋の中に囲炉裏があり、これはマレーシアに帰ったら作ってみようと思った。帰りに二風谷ダムにも寄ったが、これは意外としょぼかった。

8月15日(火)
午前中に一人で車に乗って、町の浜辺へ行ってみた。なかなか汚く、寂しい浜辺で、人っ子一人いない。少し散歩をしながら、波打ち際をよく見てみると、小さな羽蟻のような虫がたくさんいて気持悪かった。なぜこれだけ大量の虫が波に運ばれて、ここで瀕死の状態なのか、まったくわけがわからない。
昼から母と奥さんと3人で苫小牧まで行く。私は柔道部の先輩がやっているイタリアンレストランへ行き、母と奥さんは二人でスープカレーを食いに行った。先輩の店では、イタリアンなのにもかかわらず、鯖定食みたいなものを出してもらい、ビールやツマミなどもたくさんごちそうになった。店はとてもアットホームな雰囲気で、お客さんは常連さんばかり。今変な後輩が来てるから見に来いと、営業の電話もかけたりしていた。
3時頃母達と合流し、苫小牧のイオンに行く。久しぶりにビレッジヴァンガードへ行ったが、以前ほどパンチのある物は置いてなかった。

8月16日(水)
朝から汽車(電車)で一人で、30分ほどかけて苫小牧駅まで行く。高校の時はずいぶん長く感じたもんだが、今は本当にあっという間という感じ。駅で高校の友人と待ち合わせて、二人で樽前山に登る。意外と人が多く、駐車場も満杯だった。登り始めるのがたしか7合目からだったので、登り始めて5分ほどですでにかなり良い景色だった。途中から天候が一気に悪くなったが、友人と色んな話しをしながらゆっくり登っていくのは、とても楽しかった。頂上では違う高校の友達にも遭遇。
友人が買ってきてくれたカップラーメンを頂上で食べていたら、また入れ歯が折れた。旅行中に歯が折れるのは、もはや定番となっている。樽前山は活火山なので、硫黄の臭いがたちこめ、噴火口は鬼が島のような形をしていた。
山を下りて、スープカレーを食べ、実家まで車で送ってもらった。

8月17日(木)
午後に母と奥さんと三人で、門別競馬場へ行く。幼なじみがピザの移動販売をやっており、そこで出店していた。パドックを見ながら、友人の作った、オーガニック・ピザを3人で食べた。ピザはとても美味しく、けっこう人気があるみたいで、なんか安心した。

8月18日(金)
ピザ職人の友人と、地元の後輩と3人で、農家の友人の家をアポなしで訪ねて回った。畑中を探して回るのが楽しかった。イモを収穫する男と、トマトを収穫する女。みんな美味しい野菜を作るのに頑張っていた。
夕方頃からピザ職人の家の納屋で、他の地元の友達もたくさん集まり、みんなでBBQをした。人が大勢集まると、集団心理かなにかわからないが、昔のやりつくしたパターンの、いつもの会話のスタイルになってしまう。せっかく其れ其れ成長したのだから、違うパターンの会話もしたかったが、うまくできなかった。殻を破るのはどうにも難しいなと、改めて感じた。それでも、みんなが元気そうで、割と幸せそうな事を感じられて良かった。

8月19日(土)
午後から地元の図書館へ行き、はだしのゲンを読む。久しぶりに読んだが、こんなに突っ込んだ事を描いていたのかと感嘆した。賛否両論あるだろうが、いつまでも無くならず、外国の人にも是非読んでほしいと思った。ところで鮫島伝次郎というのは、鮫島又次郎のことを言っているのだろうか。
図書館のあとで温泉に入り、温泉から出て家に帰ろうと思ったら、施設の外で盆踊りをやっており、友人もピザ屋を出店していた。懐かしい顔をいくつか見かけたが、急いでいたのでピザだけ買って持ち帰った。