2015/04/27

えあぽおとにて




わだすはシンガポールの空が好きだ。青い空、白い雲。入道雲っつうのか、あのニョキニョキしたやつ。あれが青い空にニョッキニョッキしてて、サングラスをかけて見ると、陰影がハッキリ見えて、見てると自分もこの晴れ渡る空の一部みたいに思えて、気分爽快。飲もう、今日はとことんつき合うわよ、今わたし気分爽快なの。

そんな事をやってるうちに気づいたら今シンガポールの空港にいる。ベトナム旅行その4、とかトロトロやってたらまた旅行に行くときがやってきた。先週はほんとに忙しくて、ブログの更新はおろか、入道雲を眺める時間もなく、ひたすら仕事をして毎日クタクタになっていた。そして昨日の夜やっと旅行の準備を終え、今朝もギリギリまで仕事をして、まだ仕事が残っているのでPCまで持ってきてしまった。PCを入れたら急にカバンが重たくなり、ジョットスター規定の手荷物制限7kgを超えてしまったので、トイレで重いと思われるものを全て身につけたりポケットに入れたりして、緊張した面持ちでチェックインカウンターに行くと、やはり何もチェックされず拍子抜けでオシッコが漏れそうになった。

奥さんは一週間前にイギリスに旅行に行ってしまったので、わたしも今回は一人。これからバンコクまで飛んで、そこからまたバスでラオスまで行くつもりだ。今回も前と同様、サウナに行ってビールを飲んでメコン川沿いでダラダラ小説でも読めたら最高だ。しかしそんな簡単な事が、なぜかうまくできないのが、貧乏旅行の一つの醍醐味ではある。と言っても今回金はジャンジャン使うつもりで割と大金持ってきた。しかしさっそくケチって、腹減ってるのに空港で何も食べないでいるのはどういう事だろうか。とても嫌な予感がする。

2015/04/14

ベトナム旅行その4

【 3月26日(木)】

ブンタウ2日目の朝。朝食は近くのベーカリーショップで、パンとマンゴースムージーを食べた。それから近くの寺に行き、クジラの骨を見た。英雄だかなんだからしく「南海将軍」という名前までつけて飾ってあった。しわくちゃのおばあちゃんが近寄ってきて、お香を一本くれて、笑顔でお金を要求してきたので、30円くらい渡した。もっとよこせと言われるかなと思ったが、また満面の笑みで去っていった。

ホテルに戻りレンタル自転車はありますかとオーナーのおばさんに聞いたら、タダで使っていいですよと言われたので、一人で自転車に乗って町をサイクリングしてみた。古着屋がたくさんあったので、いくつか見てみたが、微妙にダサいのばかりで買わなかった。

またビーチに行ってみたが、昼間なので全然人がいなく、熱すぎるほどの快晴で気持ちよかったので、30分くらい小さなカニと戯れた。

昼過ぎにホテルに戻ったがなんか頭が痛く、二人で昼飯を食べに出かけ、戻ってきたら悪化していた。奥さんが水が足りないんだよきっとと言うので、水、お湯、お茶など5杯くらいぶ飲みしてしばらく休んだ。しかしそんなに飲んでもトイレには全く行きたくならなかったので、やはり水分が足りなかったんだろう。

夜まで休み、晩ご飯を昨日と同じ店まで歩いて行き、消化に良さそうな米の麺を食べた。
また歩いてホテルまで戻ると、体の節々が痛むので、これは風邪の初期症状だと思い、持参していた薬を飲んでブランケットを被ってすぐに寝た。深夜に起きたが、汗をしっかりかいていて、具合も良くなっていたので、シャツを取り替えてまた寝た。







2015/04/11

ベトナム旅行その3

【 3月25日(水)】

7時頃起き筋トレしてからシャワーを浴び、近くの屋台でバケット(フランスパンになんか色々挟んであるやつ)を買い公園で食べた。朝から日差しがとても強く、日陰のベンチは全部占領されていた。朝から全て。

ホテルに戻り、奥さんはシンガポールのリー元首相に追悼の意を示すだかなんだかで、シンガポール領事館に一人で出かけて行った。キモい。死んでからワーワー騒ぐなよと思うが、けして口にしてはいけない。案外早く戻って来たので、11時半頃ホテルをチェックアウトして、タクシーをつかまえフェリー乗り場に向かい、12時発のブンタウ(町の名前)行きのスピードフェリーになんとか間に合った。料金は片道1000円。

フェリーは快適で、船内TVでは海外のイタズラ番組が流れていた。日本は局が多過ぎて海外番組など滅多に流さないが、シンガポールでもタイでも、どこに行っても海外のTV番組はいつでも見られて国際的な感じがする。韓国ドラマが多いのがたまにキズだが。

ボートは一時間ほどでブンタウの港に着いた。そこから歩いて予約した「サクラホテル」を目指したが、住所がわかりずらいらしく、地元の人に聞いてもみんないまいちわからないようで、見つけるまでにえらい時間がかかった。しかしようやくたどり着いたホテルは、とても小綺麗で、オーナーのおばさんも日本語が話せた。小さいベランダもあり、床にはなぜか泡が溢れていて、これもなにかの演出かと思ったら、上の階の洗濯機が故障しただけらしかった。

一息ついてから外に昼飯を食べに行き、そのままビーチに向かった。ものすごい強風と高波だったが人はたくさんいた。外国人は皆無で、みんなベトナム人だった。おんぼろパラソルの下でビールを飲み、しばしゆっくりしたが、強風のせいであまり落ち着かなかった。みんな服を着たまま海に入り、海藻を取ったり、持ち帰っている家族までいた。

また歩いてホテルに戻ったが、まわりは意外にもけっこう高級住宅ばかりたくさんあった。ホテルでシャワーを浴び、体についた潮を落としてゆっくりした。暗くなったので、晩飯を食べに行ったが、とても良いレストランを見つけることができ、そこで地元料理のたこ焼きみたいな料理を食べた。

そのあと、町の中心部にある大きい公園を散歩した。ブレイクダンス、ローラーブレード、エアロビクス、社交ダンス、芝生の上で飲み会、さらにベトナム武術の訓練をしている学生など、色んな事をする人達がいた。平日の夜とは思えないような盛り上がりだった。土日は逆に静かにしているんだろうか。かなり歩いたので、ホテルに戻ったときには腰がとても痛かった。缶ビールを一本飲んで寝た。










2015/04/08

禁酒法















先日、柔道の練習が夜10時くらいに終わり、そのあと一人で道場の近くの小汚ねえ、やくざとチンピラと借金取りと社会不適合者しかいないような店にビールを飲みに行った。そこは日本人がよく行く風俗店がある通りの入り口にあって、そこに座って道行く人やスケベサラリーマンを眺めるのが好きだった。

いつものように外に出してあるテーブルの席に座って、ねーちゃんビール一杯頼むわと言ったら、じゃあこっちに来いと店内の方に招かれたので、普通にタイガービールでいいんだけどなんかメニューでも見せられるのかなと思ったら、店内じゃないとアルコールを飲んじゃいけないらしい。外に出してあるテーブルでは飲めないのだビールを。しかも中はテーブルがあまりないので、小さいテーブルに色んなオッサン達が相席して肩身の狭い思いをしてビールを飲んでいるではないか。

しゃーないのでスタウトビールをものすごい形相でスマホ見ながら飲んでいるインド人のオヤジの前の席に座って、一人でちびちびタイガービールを飲んだ。そういや前に大使館からE-メールで、夜10時半以降は法律で、外でお酒飲んじゃいけなくなりましたから、そこんとこよろしくとメールが来ていたが、それに関係あるんだろう。前に繁華街のど真ん中にありながら、ビールを置くのをやめた店も見たから、ここはきっとまだ良い方か。しかしなんてせちがらい法律を作りやがったんだろう。まぁ健康的でいいっちゃあいいんだけど。

そんでわたしはどーしょもーないオヤジ達に囲まれてはいたが、話し相手はいなかったし、スマホもないし本も持ってなかったので、しょうがなくテーブルの隅に置いてあった英字新聞を手に取り読んでみたが、ビールを飲みながらの新聞にはんぱない違和感を感じた。新聞といえばやっぱりコーヒーかお茶なんだなあ みつを。

そんで20分くらいでビールもそろそろなくなりそうだったので、さて帰ろうかと思ったら、前の席のインド人のオヤジがかなり酔っぱらったらしく、テーブルからジョッキを落として割り、ヨロヨロ帰って行った。変なのいなくなったなと思ってたら、そのオヤジがまだ8割くらい入ったままのビール瓶を忘れていったので、これは飲んであげるしかないなと思い、さらにまた15分くらいそのオヤジのビールを一人で飲んで、ややフラフラしながらゆっくりと自転車で帰った。途中7−11でカップ麺を食べ、川沿いのベンチで寝て、家に着く頃はもう1時過ぎだった。なんてくだらない時間を過ごしたのだろうと少し後悔しながら寝ました。勘弁してください。

2015/04/06

SENSE MGAZINE

男性ファッション雑誌「SENSE」のイラストです。


2つほど。

N.E.R.D と Herbie Hancock です。

最近雨が多いです。







illustration work for Esquire

My illustration work for Esquire


雑誌「Esquire」の時計のイラストです。

このギャラのおかげで最近ようやくスマートフォンとやらを買うことができました。
ほんとうにありがとうございました。






2015/04/05

ベトナム旅行その2

【 3月24日(火)】

7時頃に目が覚め、シャワーを浴びた。朝飯は近くの屋台で麺を食べた。フォーのようでフォーではなかったが、美味しかった。奥さんがチャーシューを全く食べないので、それを二人分たいらげるのが非常にキツかった。

その後、奥さんはホテルに戻ったので、一人で床屋に髪を切りに行った。ヘアカットで200円くらいだというので、じゃあヘアカットおねがいしゃすと言うと、店の兄ちゃんにその後なにも聞かれずに、黙々と髪を切られ、襟を剃られ、おまけに顔にクリームを塗られ始めたので、何をやっているんだと聞くと、スキンケアだと言うのでおかしいなと思ったら、顔剃りもスキンケアももちろん別料金で、全部で700円くらいだというので、とりあえず続けてもらった。今度は若いおねえちゃんに交代して、彼女の色々な身の上話を聞かせてもらった。おねえちゃんは「私は自分の人生を変えたい」と真面目な顔で言っていた。とりあえずヘアカットはばっちりで、毎週でも来たいぐらいだった。

部屋に戻り一休みし、ベンタイ市場という、旅行者がよく行く有名な大きい市場に行った。一目で日本人とわかるらしく「なにか欲しい物ありますか」と、みんなに声をかけられた。小腹が空いていたので、コップの中に色々な物が入っているスイーツを食べた。

それから戦争博物館に行ったが、ちょうど昼休み中だったので、隣に併設しているカフェで、ケーキを食べたり、日本へのハガキを書いたりして開館まで時間を潰した。1時半頃やっと昼休みが終わったので、中に入った。色々な写真が展示してあったが、一つ一つ英語の説明を読んでいたら日が暮れてしまうので、サクサク見ていった。改めて戦争というのは誰も得しないもんだなと思った。こういう展示は定期的に見て、いつも心に反戦をと思った。枯れ葉剤による次世代への影響というのもあって、放射能問題を抱える日本人も人事とは言えない。

1時間ほど見て気分が重くなったところで博物館を出て、3時頃遅い昼飯を食べた。わりと高めの店で、バナナの花のサラダ等を食べた。食い過ぎて晩飯は抜きに決定。それから歩いて中央郵便局に行き、日本へのハガキを数枚出した。海外からハガキを出すのは楽しい。笹舟を川に流すのにちょっと似ている。

それからまた歩いて歩いて川辺に辿り着き、ベンチに座って、奥さんと普段は話せないような事を、じっくりボソボソと話し合った。30分ほどして日も暮れてきたので、またトボトボと歩いてホテルに戻った。やっとホテルに着き、すぐシャワーを浴びてストレッチをした。スティーブン・セガールの「沈黙の断崖」をTVでやっていて、思わず見入ってしまった。

もう寝ようかという雰囲気だったが時間はまだ9時前で、しょうがないのでビールを飲みに二人で外に出た。BARの2階席に座り、そこから路上を眺めながらビールを2本ほど飲んだ。ちょうど怪しいガールズバーみたいのが向かいにあったが、あまり客もおらず、女の子はみんな何をするでもなく、暇そうだった。ベトナムのガールズバーはどこもすこぶる人気がないようだ。そして11時過ぎにサークルKでヨーグルトを買って帰って寝た。















2015/04/03

ベトナム旅行その1

先週、奥さんと二人でベトナムのホーチミンに8日間旅行に行って、久しぶりに日記を書いてきたからここに記す。

【 3月23日(月)】

午後一時発のタイガーエアーに乗り、およそ一時間でホーチミンのタンソンニャット空港に着いた。飛行機内で東南アジアの地図を見ていたが、なるほどシンガポールとホーチミンは、とても近い。ホーチミンから首都のハノイに行くよりも、シンガポールのほうが若干近いくらいだ。

空港からは2008年のクソ古いガイドブックに従い、152番のバスに乗った。となりの席に日本人のおじさんがいて、ガンガン話しかけてくるので、ちょっと困ったなーと思っていると、途中でもう一人どんくさそうな日本人の青年が乗って来て、おじさんの隣に座ったので、なんとかおじさんのマシンガントークから逃れる事ができた。おじさんは70歳くらいで、一人でベトナムを旅行しているらしい。半端ない笑い上戸。青年は大学生くらいで、中国だかフィリピンだかを長く旅行して、今日ベトナムに着いたような事を、おじさんと話していた。一生に3度くらい美人局に遇いそうな顔をしていた。

バスは30分ほどで、市内に着き、そこから歩いて予約したホテルに向かった。腹が減っていたので、途中で適当なレストランに立ち寄った。スタッフはみんな若いベトナム女子で、一人が日本語で話しかけてきた。胸が大きく開いた服を着ていて、店員というより娼婦みたいだった。生春巻きとチャーハンを食べて、キュウリのミルクシェイクを飲んだ。味はまぁまぁだったが、値段はシンガポールとさして変わらず、やっぱ外国人が集まるようなレストランはクソ高いなと思った。

それから10分ほどで、なんとか予約したホテルにたどり着いた。小さくて古いが、エレベーターもついてるし、部屋も広くてキレイだし、窓もちゃんとついてるし、これで一泊1600円という値段から考えると、100点万満点超えて121点くらいあげたい感じだった。

荷物を置いてゆっくりしたあと、二人で周辺を散歩したが、2年前に一度来ているので、見るもの全て懐かしく、ああコレ覚えてる!という感じで、色々見て回った。しかし街はあいかわらずスクーターだらけで、排気ガスがすごくて、とても埃っぽいので、目が痒くなったり、肌もすぐベタベタしだした。

大きな公園では、足で蹴るバトミントン?をして遊ぶ人達、エアロビしてる人達、ジョギングしてる人達、忍者同好会?みたいな黒装束を着た人達もいて、とてもにぎやかだった。そして日本人もたくさん見かけた。旅行者も、仕事で来たと思われるスーツ姿のサラリーマンも。

3時間ほど歩いて、二人とも腰がすごく痛くなってきたので、ホテルに戻りシャワーを浴びてストレッチをした。そのあと、晩ご飯を食べに出かけ、とりあえず喉が渇いてビールが飲みたかったので、路上に小さい椅子をたくさん出しているBBQ屋で、オクラやサンマ、焼き鳥を食べてサイゴンビールを飲んだ。ビールは一瓶60円くらいだった。大きい白人女子が隣の席に来たので、私は文字通り肩身が狭い思いをした。

路上で飲んでいると、色々な人がやってくる。例えばスナックやフルーツを売り歩くおばちゃん、障害者の子どもを荷台に載せてお金を求めるおばちゃん、さらにガソリンで口から火を吹く少年。目の前で勝手に火を吹いてお金を求めてきたが、その火吹きを応援するような複雑な気分がしたのであげなかった。

さんざん食べてビールも飲んで、お会計は1200円くらいだった。帰りにファミリーマートで鯛焼きアイスを買って食べた。もう12時近いかなと思ったら、まだ10時前だったが、酔っぱらってたのですぐに寝た。








2015/04/01

ジョークはフェイスだけにしてくれ

先週ベトナムに旅行に行ってきたが、その間にスンガポルで初代首相であったリークアンユーというじいさんが亡くなった。もう90歳近くであったそうな。
それでフェイスブックでは次第にそのじいさんに関する記事が増えていって、彼の生い立ちだの功績だの感動の秘話だのありがとうだのさようならだのと、なんか小うるせー感じになってきて、しまいにみんな国会議事堂だかの前にお別れ言うだのといって並びだして、毎日8時間待ちくらいの列作りだしたとさ。

まあ最初の首相だし、暇だから騒ぎたい気分もわかるし、日頃から外国人になめられとるから、なんかまとまりあって愛国心あるとこ見せたいちゅーのはわかるけど、きもいな。
しかもジワリジワリとFacebookとかで周りの顔色伺いながら、あの人が追悼の意を示したから私も示さなきゃみたいな、相乗効果で盛り上がっちゃってさ。

死んでからみんなで花束持って押し掛けたってもう遅いっちゅーの。そんなに尊敬してたんなら、入院してるときに手紙の一つでも誰か送ってやったんか?送ってないやろ。入院したらしいからそろそろ死ぬなと、いつもの生活続けながら頭の片隅でそんな事考えてただけだろうがよ。それなのによくそんなに急にコロッと変わって涙流したりリスペクト示したりするよな。

さらに最悪なのが、そのじいさんを罵倒する動画をYoutubeに載せた16歳の少年を、みんなで非難して警察に通報して、終いに逮捕されちゃったんだで。たかが16歳の少年が動画で御託並べただけだべさや。そんで少年を擁護してるやつはどれだけいるか思ったら擁護する奴は皆無。おみゃーら終わってるな。

さらにその少年、動画の中でクリスチャンを怒らせるような事を言ったみたいで、そいつらも警察に心に深い傷を負ったとか言って通報したらしいんだけど、おまえらもほんと終わってるなーと。腐っても三大宗教の一つなんだからさ、どんなにひどい事言われてもさ、この少年が逮捕されたときに、いやいや私たちは全然怒ってないから、それよりもこの少年を許してやってくれないかと、警察に働きかけるのがおまえらの役目じゃないの?
なにブチ切れてトチ狂って通報しちゃってんのよ。ヨーロッパの本場のクリスチャン共はこのスンガポルの恥さらしのクリスチャン共を早めにどうにかしたほうがいいよ。
ちなみに誰かがブッダを滅茶苦茶に罵倒したとしても、本当の仏教徒は誰一人怒らないよ。ああこの人はあまり物を知らないんだなオッケーオッケー、で終わりだよ。

今回はけっこう色々ガッカリしたね。底が浅い人達だというのはわかってたけど、まさかこんな浅いとは。くるぶしぐらいまでしかないわ。
とりあえずあのでっかい金玉を持った少年が早く釈放されて他の国に亡命して、スンガポルを再びこき下ろしてくれる日がくるのを切に切に願う。