2013/11/07

タイ人地雷禁止条約(3)

タイ3日目です。

10月25日(金玉)

 さすがに疲れたのか11時まで寝ていました。12時チェックアウトなので、急いで出発の用意をして宿を出ました。昨日の夜のこともあり、一刻も早くバンコクを離れどこかに行きたかったです。

 出発前に宿の下の食堂で、コロッケカレー定食を食べました。揚げたてのサクサクコロッケに、日本風のとろみのあるカレールー。これで250円なんて、あんた価格破壊もいいとこやで!と一人で壁に向かってブツブツ言っていました。
 食べる終わる頃には、よし、じゃあ南の方の近場に行ってみようかと思い立ち、バンコクのメインステーション、フアランポーン駅に行ってみました。昼の1時頃に着いたのですが、受け付けでバンコクの南にある町「ペッチャブリー」行きの列車はありますか?と訪ねると、次の列車は3時半だということで、チケットを買い、待つことにしました。
 駅構内にもネットショップがあったので利用したのですが、10分60円と超割高で、急いで奥さんにメールを打ちました。しかも高い割にスピードは遅く、ほんまボッタクリもいいとこやで!とスクリーンに向かってブツブツ言っていました。なんとか20分で終わらせ、急いで店を出ました。

 列車は1時間遅れでやってきました。しかも乗り込んでからもトロトロ点検しくさって、水やお菓子を買うタイミングも逃してしまいました。わたしは2等席という、割と高めのチケットを買ったのですが、リクライニングは壊れて倒れないし、席のテーブルのストッパーも壊れてて、頭を屈めてたら急に後頭部にテーブルが倒れてきたりと、もうひどいのなんの南野陽子。極めつけは、夜になっても窓が開けっ放しなので、光を求めて小さい虫が車内に入ってきて、もうすごいことになりました。1立法メートルの中に、常に虫が4、5匹いる状態です。みんな慣れてるのかなと思いきや、ほとんどの人は顔をしかめて虫を払っていました。ほんとうにタイ鉄道省は無能、無能、無能と思いました。

 そしてようやく夜8時過ぎにペッチャブリーの駅に着いたのですが、もうあたりは真っ暗でした。ガイドブックを見ながら歩くこと20分、ようやくお目当てのゲストハウスを見つけました。第一印象は、あらオシャレなお宿。すごく古くてボロいんですが、木造で壁にたくさん額物がかけてあって、おまけに併設しているレストランでは、タイでは珍しいとても古い洋楽やジャズがかかっていました。そして宿屋の女主人が80年代みたいな格好して、旦那さんが地井武男そっくりでした。しかもわたしのシングルルームも蚊帳付きで400円ほど。そのかわり道路沿いなので、車の音は半端なくうるさかったですが、耳栓ハードユーザーのわたしには屁のつっぱりです。

 すぐシャワーを浴びてレストランに行き、おすすめの白いタイカレーを食べました。はい、美味しかったです。そして部屋に戻ろうとしたら、後ろのテーブルで飲んでいた、常連と思われるタイ人のおじさん達に、ウィスキーを一杯飲まないかと誘われ、日本人らしく一度断っておいて二度目の誘いですぐに食いつき、待ってましたとごちそうになりました。おじさん達は英語はほんとにカタコトしか話せないので、会話は拙いものでしたが、宿のオバさんがときどき通訳してくれました。

 よくわからなかったのですが、わたしの名前はヤマグチだと言うと、一人のおじさんが「キミは「ヤマグチ」わたしは「ヤマグテ」だ!」というと、みんなで爆笑。「ヤマグテ」の意味が最後までわかりませんでしたが、わたしも会話が詰まると、そのオジサンを指差して「ぼくは「ヤマグチ」あなたは「ヤマグテ」!」というとみんな大爆笑。タイで鉄板ギャグを見つけました。

 そして酒が少なくなると、もういいと言ってるのに注ぎ足してきて、結局10回ちかく注がれて夜1時まで飲んでいました。みんないい年なのに結婚していないと言っていたし、とくに僕の隣にいたオジサンは、よく僕の手に触れてきたので、たぶんそっちの方の人たちだったのかなと思います。
 部屋に戻って、それにしても「ヤマグテ」とはいったい何だったんだと思いながら寝ました。




2 件のコメント:

  1. おまえ南野陽子になんか恨みでもあんのか

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  2. 南田洋子には貸しがあるがな

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