2017/08/31

北海道 2017 〜前半〜

8月9日から、29日まで3週間、奥さんと二人で故郷北海道へ帰省してきた。
奥さんは大病を患ってから久しぶりの北海道で、実に3年ぶりくらいになる。こうやってまた夫婦一緒に帰れることに感謝する。命あっての物種だね〜。
今回は半分休んで半分活動という、良いバランスがとれていたように思う。あと、せっかく日本に来たんだからと、色々買い込む、ような事もあまりしなかった。友達にも、会えそうな人には会ったし、会えない人には会わなかった。執着をはしないぞと、いつも心にとめていた。

8月9日(水)
タイ・エアウェイズの、バンコクを経由するナイト・フライトで新千歳空港に向かう。4人がけの席に我々二人だけ。二人供寝ようとして、一人2席ずつ占領し横になってみるも、微妙に長さが足りず、二人供寝不足ではまずいと思い、奥さんに3席ゆずって、自分はシートを倒して寝ようとするが全然眠れず、寝不足のまま朝8時に新千歳空港に着く。

8月10日(木)
空港まで車で迎えに来てくれた母と、札幌の妹の家へ行く。荷物を置いてすぐに昼寝する。6時頃、地下鉄で街まで行き、ノルベサの地下の居酒屋で、ヨサコイチーム・OBの飲み会に奥さんと参加する。みんなが居酒屋でタバコをガンガン吸い出すのを見て驚く。日本ではこんな密閉された室内でも、タバコを吸うことができるなんて、けっこう野蛮な国だね、と感じてしまった。2次会にも参加し、ビールや、カクテルをたらふく飲んだ。奥さんは2次会の途中から寝てしまった。言葉もよくわかんないのに、頑張って私につき合ってくれて、本当にありがとう。終電もないので、同じ方向のトモちゃんに買ったばかりの新車で、妹の家まで送ってもらった。

8月11日(金)
朝11時から、北24条駅近くの、SOU理美容所で髪を切ってもらった。長めでおまかせしたのだが、見事にこうなりたい!という風に仕上げてもらった。ヘアスタイリストってすっげーなと感動した。それから札幌駅の地下で、「天丼てんや」の野菜丼を食べる。大好物。それからヘアスタイルを民衆に見せびらかすために、意味もなく街をブラつき、Book-offで古本を買う。本日は妹夫婦が、旦那の実家宅に遊びに行っていて、夕食は出ないので、イトーヨカドーで焼きそばの材料を買って妹宅へ帰り、二人で勝手に夕食を作らせてもらった。

8月12日(土)
母は前日に帰ったので、妹夫婦の車に乗り、実家むかわ町へ帰る。父の5周忌で、家に神主がやってきて、なにやらちょろっとやって、金をもらって帰っていった。なんか設備業者かなんかみたいだった。それから墓参りに言ったが雨が降り出したので早々に切り上げ、昼飯は家族みんなで外食し、帰ってきて甥とUNOをやったり、神経衰弱をやったりした。子供の記憶力はすごいと思った。

8月13日(日)
母の車を借りて奥さんと二人で、厚真町の山奥にあるShijima-Cafeへランチを食べに行った。自宅の畑で穫れた無農薬野菜の、ベジタリアン食、とても美味しかった。ランチのあとに、Cafeの前にあるその畑を案内してもらった。蝶蝶がたくさん飛んでいて、足下にもコオロギや色んな虫がたくさんいて、まるで楽園のような畑だった。それに薪割り体験もさせてもらった。予想以上に難しかったが、けっこうクセになりそうな運動だ。
帰りに厚真町の古民家を改造したパン屋、去年わたしの前歯を折ったすっごい固いパン、あれをまた買って帰った。奥さんも一口かじって、かったーーーい!と言っていた。

8月14日(月)
また母の車で奥さんを乗せて、平取「二風谷」のアイヌ文化博物館へ行った。ちょうどアイヌの歴史の本を読んでいるところだったので面白かった。アイヌの伝統家屋の中に囲炉裏があり、これはマレーシアに帰ったら作ってみようと思った。帰りに二風谷ダムにも寄ったが、これは意外としょぼかった。

8月15日(火)
午前中に一人で車に乗って、町の浜辺へ行ってみた。なかなか汚く、寂しい浜辺で、人っ子一人いない。少し散歩をしながら、波打ち際をよく見てみると、小さな羽蟻のような虫がたくさんいて気持悪かった。なぜこれだけ大量の虫が波に運ばれて、ここで瀕死の状態なのか、まったくわけがわからない。
昼から母と奥さんと3人で苫小牧まで行く。私は柔道部の先輩がやっているイタリアンレストランへ行き、母と奥さんは二人でスープカレーを食いに行った。先輩の店では、イタリアンなのにもかかわらず、鯖定食みたいなものを出してもらい、ビールやツマミなどもたくさんごちそうになった。店はとてもアットホームな雰囲気で、お客さんは常連さんばかり。今変な後輩が来てるから見に来いと、営業の電話もかけたりしていた。
3時頃母達と合流し、苫小牧のイオンに行く。久しぶりにビレッジヴァンガードへ行ったが、以前ほどパンチのある物は置いてなかった。

8月16日(水)
朝から汽車(電車)で一人で、30分ほどかけて苫小牧駅まで行く。高校の時はずいぶん長く感じたもんだが、今は本当にあっという間という感じ。駅で高校の友人と待ち合わせて、二人で樽前山に登る。意外と人が多く、駐車場も満杯だった。登り始めるのがたしか7合目からだったので、登り始めて5分ほどですでにかなり良い景色だった。途中から天候が一気に悪くなったが、友人と色んな話しをしながらゆっくり登っていくのは、とても楽しかった。頂上では違う高校の友達にも遭遇。
友人が買ってきてくれたカップラーメンを頂上で食べていたら、また入れ歯が折れた。旅行中に歯が折れるのは、もはや定番となっている。樽前山は活火山なので、硫黄の臭いがたちこめ、噴火口は鬼が島のような形をしていた。
山を下りて、スープカレーを食べ、実家まで車で送ってもらった。

8月17日(木)
午後に母と奥さんと三人で、門別競馬場へ行く。幼なじみがピザの移動販売をやっており、そこで出店していた。パドックを見ながら、友人の作った、オーガニック・ピザを3人で食べた。ピザはとても美味しく、けっこう人気があるみたいで、なんか安心した。

8月18日(金)
ピザ職人の友人と、地元の後輩と3人で、農家の友人の家をアポなしで訪ねて回った。畑中を探して回るのが楽しかった。イモを収穫する男と、トマトを収穫する女。みんな美味しい野菜を作るのに頑張っていた。
夕方頃からピザ職人の家の納屋で、他の地元の友達もたくさん集まり、みんなでBBQをした。人が大勢集まると、集団心理かなにかわからないが、昔のやりつくしたパターンの、いつもの会話のスタイルになってしまう。せっかく其れ其れ成長したのだから、違うパターンの会話もしたかったが、うまくできなかった。殻を破るのはどうにも難しいなと、改めて感じた。それでも、みんなが元気そうで、割と幸せそうな事を感じられて良かった。

8月19日(土)
午後から地元の図書館へ行き、はだしのゲンを読む。久しぶりに読んだが、こんなに突っ込んだ事を描いていたのかと感嘆した。賛否両論あるだろうが、いつまでも無くならず、外国の人にも是非読んでほしいと思った。ところで鮫島伝次郎というのは、鮫島又次郎のことを言っているのだろうか。
図書館のあとで温泉に入り、温泉から出て家に帰ろうと思ったら、施設の外で盆踊りをやっており、友人もピザ屋を出店していた。懐かしい顔をいくつか見かけたが、急いでいたのでピザだけ買って持ち帰った。




























2017/08/01

ルアパバーン・レポート2 〜ノーンキャウ〜

昨日までナムウー川の上流にあるNong Khiaw(ノーンキャウ)という村に行っていたが、そこも良かった。どでかい山がたくさんあって、孫悟空はここで育ったんじゃないかという感じの村だ。

ナムウー川にかかる橋を境に、二つのエリアに分けられるのだが、私はうるさいのが嫌だったので観光客が少なめの方の Nam Ou River Lodge という所に泊まった。部屋のベランダの目の前には、ナムウー川と巨大な山がそびえ立っている。ここが比較的新しく清潔で一泊80,000Kp。昼間はとても静かで川の音すら聞こえてきそうだったが、部屋の壁が薄いのか、部屋の前で宿の兄ちゃんがギターを弾いたり、隣の部屋のおばはん達が夜に川の反対のBARの方にでも飲みに行って、毎晩11時くらいに帰ってきてペチャクチャしゃべるのが癪に障った。

私は3日間、半日以上部屋にずっといたが、宿の西洋人達は、ほぼ全員、ほぼ毎日、なにかしらのアウトドア・ツアーに参加して、夕方頃に帰ってくる。そしてする事がなくなるとすぐに次の町へと旅立つ。せわしなくてウザい。イナゴか。

ノーンキャウの情報がネットにあまりなかったので、微力だが少し記す。

~洞窟について~

町の中心部から東の方へ3kmくらい、歩いて3、40分かかったような気がするが、そこに洞窟がある。看板みたいのがあるので、バイクでかっ飛ばしでもしていなければ、それは見落とさないとは思う。
しかし問題はそこからで、まず子供が二人ほどたむろしていて、私を見るなり奥の方に一人走って行き、中学生くらいの兄ちゃんを連れてきた。彼が私に20,000Kp要求するので、これは入場料かと確認し、高いと思うがまぁいっかと思い払った。チケットの類いはくれない。そして彼が去って行ったほうに一緒に行くと、変なオヤジが現れた。酒臭い、間違いなくアル中だ。彼が変な英語で書かれた案内を見せてきたので、ああ入場料ならさっきもう払ったよ、とあしらった。すると今度は大学生くらいの小さいあんちゃんが、こっちだついてこい、という感じで私の前を進み出す。なんだこれガイドかなめんどくせーなと思いながらもついていく。結局彼に2つの洞窟を案内してもらった。とくに説明みたいのはなく、暗い所は手を引いてくれ、懐中電灯で照らしてくれたくらい。洞窟二つは互いに離れており、看板もないので、一人だと二つ目の洞窟に辿り着くには時間がかかるかも。洞窟自体は実にしょぼい。そして二つ目の洞窟を見終わったときに、案の定ガイド料をくれと言われた。もう払ったというと、さっきとは打って変わってキツい目で睨まれる。ガイド料はいくらかと聞くと10,000Kp、じゃあ入場料はと聞くと10,000Kp、じゃあやっぱりさっき払ったわと説明し、事なきを得た。なんの事ない、最初の中学生くらいの兄ちゃんが、ガイド料を払わないかもと気をきかせて、最初に徴収したのではないだろうか。しかし、けっこう凄まれたので、ガイド料も余分に払っちゃう人もいるかもしれない。
ガイドは正直要らないし、その方がゆっくりできると思うが、ガイドを断れるのかどうかはわからない。彼ら一家?があの洞窟をしきっているようだし。帰りにアル中おやじがまた歩み寄ってきて、なにかわけのわからないお願いをしてきた。しかし英語がまったくわからないようで、カム・バック?トゥモロウ、カム・バック?と言っていたが、私に何を伝えたかったのか、未だにわからない。この洞窟にまた明日も来いと言うのだろうか。酒で脳みそが溶けてしまったのだろうか。来る訳ねえだろこんなクソ洞窟。まぁ優しい私はわかったよわかったよと握手をしてジェントルにその場を去った。

~View Point について~

町の中心部からこれまた東のほうに、今度は1kmくらい行ったところだろうか。ある民家の脇道から、山に登ることができる。その民家の脇を通るとおばさんが出て来て入場料20,000Kpと言われ、洞窟の例もあったので、チケットちょうだいと言うと、そんなもんありゃしないというので、仕方なく信用する事にして入場料を支払った。そこからは山をひたすら登ること1時間。頂上までちょうど1時間かかった。そんな急いでは登っていないが、蚊が多いので途中で休憩する事はできなかった。足もとはぬかるんだ所が多く、サンダルだとちょっと大変だが、逆に靴を履いていっても汚れるだけなので、やはりサンダルがいいと思う。
頂上からの景色は素晴らしい。本当に素晴らしかった。
私は11時頃に宿を出て登ったが、山には人っ子一人いなかった。みんなは夕方に登って、夕焼けを頂上から見るらしいが、それだと帰りはけっこう暗い中を下って来なければいけないので、私はお断りだ。しかも懐中電灯がなかったら本当に危険だと思う。なので昼間が割とオススメ。というか私が夕焼けに全く興味がないので。

服装は長袖長ズボンがいいと思う。蚊が多いので。











2017/07/24

ルアンパバーン・レポート1

今私はラオスに来ている。ラオスが私に来られていると言ってもいいだろう。
ラオスは今までビエンチャンに2、3回、あと中部のタム・コンロー洞窟を見に行ったことがある。しかし一番有名なルアンパバーンには来たことがなかった。行くのに手間がかかるからだ。

シンガポールからバンコクまで行き、そこからラオ・エアウェイズかなんかで100ドルも払って行くか、ビエンチャンからバスで8時間以上かけて行くか。そこまでして行きたくねーわ、と思っていたが、今回たまたまマレーシアからのフライトを探してみたら、エア・アジアがクアラルンプールから往復で1万円前後で行きやがるというのを知って、これはずっと行かなきゃと思っていた。
しかし日程の都合で今回は往路はシンガポールからにしたので、KL乗り継ぎでやや割高になってしまったが、それでも片道1万ちょい。これは絶対に安い。

ということで先週の月曜日に、ルアンパバーンに着いた。特に期待していたわけではなかったが、一言で言うとガッカリ・プレイスかもしれない。なんというか、世界遺産に登録されたところで、やはりまだラオスであって、全然垢抜けていない、どちらかというとみんながつまらないという首都ビエンチャンの方が、垢抜けているし、いい感じだと思う。別に垢抜けているところがお気に入りなわけではないのだが、前評判と全然違うというのがちょっと引っかかるだけだ。
そしてたいして垢抜けてもいないし、観る物も全然ないのに、物価はなんか高い気がする。いや高いだろう、とくにホテルが、飯が、レンタル自転車が。まぁいいんだけど。

そして観光客は、もちろん欧米人がメインだが、次いで韓国人が多い。それから中国人だろうか。タイ人もちょっといる。韓国のソウルから、ビエンチャンに直行便があるので、それがラオスに韓国人が多い理由だと聞いた。知らんけど
欧米人はみな一緒に見えるが、フランス人が多いかもしれない。フランス語の本とか雑誌とか、宿によく転がってるし。知らんけど

そして深刻なのが中国人の問題だ。ラオスに中国人が多いのは知っていたが、ルアンパバーンにもこれだけいるとは思いもよらなかった。それも観光客ではなく、住んでいる中国人だ。観光客が行くような店に中国語表記があるのは、タイでもどこでもおなじみだが、やや中心を離れると、今度は観光客のみならず、在留中国人のための中国語表記が増えてくる。というか中国人による中国人のための店がたくさんあるのだ。商店、整備工場、不動産会社、病院まで。ラオス語表記がなく中国語のみ。これは異常な事態だ。
この中国比率が日本のどこかの町であったとしたら、そこはもう日本ではなく、中国村と我々は呼ぶだろう。ということはルアンパバーンはもう中国村なのだきっと。知らんけど

バスに乗って、ある小さい村まで行ったときは、途中で中国の企業が大きな橋だのダムだの作っているのをよく見た。そしてそこには決まって中国語のみでなにやらメッセージが書かれている。あまりよく見えなかったが、だいたい中国を絶賛するような事が書かれていたと思う。偉大な中国人は恐ろしいほどずうずうしい。

そんなルアンパバーンさんであるが、とくにする事もなく観る物もないので、毎日ブラブラして美味そうなものを食べて、夕方から薬草サウナに行って一汗かいて、ビア・ラオを飲んで部屋でYoutube見て寝るという、結局ビエンチャンでの過ごし方と寸分違わない。
飯は美味しい。とくに山、川と巨大な自然に囲まれているので、食べ物が新鮮な気がする。気がするだけだけど。でもこの気が、飯をより美味しく感じさせてくれるのは確かだ。

お気に入りの宿は、ちょっと高めだが Sakura Guest House という宿のオーナーとおばちゃんが、感じがよかったし、部屋もテレビ、エアコン付きで綺麗だった。使わんけど
一泊100,000キープ。今は雨期だが、ハイシーズンはもっと高いかもしれない。
あとはナムウー川沿いの Mao Phashok Guest House 。ここは60,000と50,000の安い部屋があるし、薬草サウナのすぐ近くで、わりと便利な場所にある。












2017/07/10

平岡さんがやってきた

先週の柔道の練習に、柔道男子60kg以下級の銀メダリスト、平岡選手が来ていた。オレより小柄だがもちろん体はがっしりしていて、聞けば現在は69kgあるらしい。あまり話す時間がなかったので、ざっくりとしか聞いてないが、今回は個人的な旅行でシンガポールに来たらしい。
普通に我がクラブの練習に参加し、快く色々な技を披露してくれた。そして光栄な事に、私がその技の受け役をやったのだが、最初に背負い投げで投げられた瞬間、なんというか素晴らしい絵画を見たときのような幸福感に包まれた。とにかくすごい背負いだった。

平岡選手は人柄も素敵で、真面目で優しい好青年という印象を受けた。どうやったら強くなれますか?という誰かの質問に、僕は自分はまだ全然強くないと思う。本当に強い人というのは、柔道が強い弱いは関係なく、柔道で培ったものを、いかに柔道以外のところで世のため人のために役立てれるか、そういう面では私はまだまだ弱い人間です。そんなような事を言っていた。
たしかに柔道は強いが精神面はたいした事ない奴というのが、けっこうたくさんいるもんだ。とくに上に行けば行くほど、強欲さも持ち合わせる事になりがちで、欲と筋肉の塊みたいな輩がけっこういる。

そんな中で平岡選手は本当に誠実で素敵な柔道家だと思う。まぁ知らんけどね。





2017/07/01

初めての週末滞在

今日は初めてここマレーシアの家で週末を過ごす。今までは毎週末シンガポールに帰り金土日と忙しく仕事をしていた。本当は先週末、もうすでに休もうと思っていたのだが、なぜか生徒達がみんなヤル気満々で、来週末も帰って来ますよねー レッスンしたいなー なんて言うもんだからしかたなく帰ったのに2つもドタキャンされて、嗚呼信じた俺がバカだった。この仕事は自分がやりたい時にフラッとやるくらいがちょうどいい。もちろんその分収入は減るが、その程度の仕事なのだ。金がどうしても欲しいならフルタイムの仕事をすればいいだけの事。

先週はラマダン(断食)が終わったところで、マレー系の店が全部閉まったり、お隣さん(インドネシア人)の家に友達らしき人達が毎日訪れでワイワイやっていた。しかしシンガポールのように街中を飾り立ててるわけでもなし、ステージが組まれて音楽ライブが始まるというようなものは見なかった。そう、これでいいのだ。アッラーはそんな事すれとは言ってないし、キリストもクリスマスにケーキを食えとも言ってないし、ブッダもお経を書けとも私を崇めよとも言っていない。

世界中のいわゆる”先進国”では、そういった宗教やら伝統やらを名目にした販売促進的行事がビジネスとして行われ、それが環境破壊を推し進める、嗚呼そういうのすごくイヤ。
そんなしょーもない事はなかなか起こらない、非常に質素なマレーシアの田舎。一つだけ気になるのは車とスクーターにみんな頼り過ぎ。どうせおまえらたいした距離じゃないんだろ、そんならチャリか歩きでいいじゃないかと言いたくなる。しかしこれは元はと言えば、自動車やスクーターを戦略的に販売し普及させた日本の自動車会社とマレーシアの政府が悪い。あの太ったおばちゃんや、育ちの悪そうな兄ちゃん達は何も悪くない。むしろ被害者だよ。
まぁそんな事はどうでもよく、じゃあ今日は何をして過ごそうかなというのが一番の問題だ。携帯を盗まれてから、あまり自転車で無意味にフラッと出かける事もなくなったので、大概キッチンで料理をしているか、裏庭で筋トレしたりハンモックに揺られたりしているかだ。そして夜は10時には寝て、朝はできれば7時前には起きて太陽がカンカンになる前に市場で料理の材料を買って帰りたい。
昨日は午後にハンモックでうとうとしていたら、ハチドリが2匹やってきて、バックヤードをチョロチョロしていた。それを見ながら私は言い表し用のない安心感というかやすらぎのようなものに包まれた。と同時に、この生活が果たしていつまで続くのだろうという、疑問のようなものも最近よく感じる。けして不安や心配ではないのだが、単純にいつまで続くのだろうかという事が気になる。これは私が決めれるような事ではなく、外因に左右されるのだろう。要は神のみぞ知るところ。

という事で今日もできるだけ悪い事をせずに、地球に存在させていただいている生命体の一つでございますという謙虚な心で、ハンモックに揺られよう。

ヒマだぞ







2017/06/24

ひったくられる

先日、携帯を盗まれるというマレーシアの洗礼を浴びた。盗難被害とかオレはには無縁だと思っていたが、どうやら誰にでも起こるらしい。

夕方頃家から2、3kmほど離れたショッピングセンターに自転車で行き、そこで浄水機の写真を撮った。奥さんに見せてあげようと思って。そして携帯を後ろポケットに入れたまま家に帰る途中でそれは起こった。けっこうなスピードで自転車をこいでいたら、なにやらスクーターかなにかがすっごく近づいている気配がある。前を向いてこぎ続けながら、なんだ?オレの知り合いか?えっ?もしかして蹴り倒される?そんな事をその一瞬で考えたが次の瞬間、ポケットから何かをシュッと抜かれた。右側をフッと見ると、スクーターにインド人が二人乗っていて、後ろの奴がオレの携帯を持っている。そしてその携帯をオレにパッと見せたかのようなしぐさをしたかと思うと、スクーターはスピードをあげて遠ざかっていく。私はなにも言うことができず、待ってくれーというポーズを手でとり、そのあと我に返り自転車を全速力でこぐが、スクーターはどんどん遠ざかっていく。そして全力で自転車をこぎながら、もし追いついたところでどうする?服掴んで転倒させる?そのあとは?相手がナイフ持ってたらどうする?無傷で奪い返せるか? そんな事を考えて全力でこぐのをやめた。意気消沈というよりは、マズい事になったのかもと、心臓が高鳴って軽い興奮状態だったような気がする。

携帯はロックしてなかったので、家に戻ってからは、色々ログアウトしたり、友達にお知らせしたりとけっこう忙しかった。
やはりあの高そうな自転車に乗っていたのが目立ってしまい、途中から目をつけられてやられたのではないかと思う。しかしまさか自転車乗ってるときにひったくられるとは思ってもいなかった。今はボロい自転車が欲しい。カッコいい自転車や、カッコいい服なんてここでは命取りにしかならない。

まぁ色々疲れたが良い勉強になったし、それにこのひったくりの話をみんなにしたところ、ある生徒(日本語を教えている)の父親が、「それは大変だったね、もしよかったら私の携帯をあげようか、スペアが8台もあるんだ」と言って、i-phoneをくれた。しかもけっこう新しいやつで、前の携帯よりバッテリーは長持ちするし、カメラも高性能だ。まさに災い転じて福となす。盗られて結果良かったかも、なんて事は言うもんじゃない。






2017/06/06

2017年6月6日ダミアン

マレーシアに家を借りてから、数週間経つ。今のところ毎週金曜にシンガポールに帰って、日曜日まで仕事して柔道もして、月曜日の朝に帰るというパターンだ。金曜日は、マレーシアへ入国する方は大渋滞だが、シンガポールへ入国するルートはあまり混んでいない。月曜日は家を朝6時前に出て、国境に7時30頃に着く事ができれば、ガラ空きである。9時くらいになると、週末は混んでいるから月曜の朝にマレーシアに入ろうという考えの人が割とたくさん押し寄せるので逆に混む。というのがここ数週間の経験から感じた印象。これに休日の事なども考慮して色々考えて国境に挑まないと、大渋滞に巻き込まれてとんでもないストレスを感じる事になる。

毎回シンガポールからマレーシアに帰ってくる度に、大量の荷物をバックパックに詰め込んで持ってくる。推定15、6キロはあるだろう。さらにもう一つ大きめのバッグにも詰め込み、合計で20キロほどの荷物を毎回運んでいる。おかげでだいぶ物が揃ってきた。調味料、ミキサー、蒸し器、スピーカー、ギターも、ハンモックも2つ持ってきた。だいたい必要なものは揃ったので、次回からお酒や本や服などを少しずつ持ってこようと思っているが、性格上また20キロくらい詰めて持ってきそう。

もうすでに外食はあまりせず、朝に市場で材料を買って自宅で料理を初めている。外食も、野菜も、ニヤニヤしちゃうくらい安い。そして間違いなくシンガポールより新鮮なはずだ。前にシンガポールの中医さんと食べ物の話をしてて、市場で野菜を買ってるので比較的新鮮な物を食ってますと言ったら、それでもすでに3、4日は経ってはずよと言われ、軽くショックを受けたことがある。

マレーシアでは正直やる事が今のところあまりない。奥さんはパソコンでよく仕事をしているが、私はとくに仕事もないので、掃除したり、なんか変なものを作ったりしている。要らなくなったカーテンが物置部屋にたくさん置いてあるので、それを縫い合わせて巨大な日除けを作ったり、レースのカーテンでハンモック用の蚊帳を作ったり、あとは今ハーブサウナ用のテントを作成中だ。そんな事だけで毎日を消化できるわけもないので、しょっちゅう自転車で近くのホームセンターやジャスコに行っているが、残念な事にここで自転車はちょっと危ない。ちょうど家の前の道路が、道幅が狭く交通量が多い。あの道路のせいでだいぶ外出がおっくうになった。そしてそのような道路がけっこう他にもある。そういう所を通るときは、こちらもどうしても過激な運転をしてしまうので、そうすると目立つ。ビアンキの高級チャリだけでも目立つのに、そこに地元人らしからぬ輩が乗っていて、しかも頻繁に見かけるとなると、変な噂がたって住みづらくなるならまだしも、警察でも来られたらヤバいし。周りからはスクーターを買えと薦められているので、もし買わずとも早いところ国際免許に書き換えたほうがいいだろう。


そしてここは暑い。シンガポールでは13階に住んでいたからか、扇風機さえ回していれば、そんなに暑さで死にそうになることはまずなかったが、ここは地上階だからなのか、家の造りなのか、気候なのかわからないが、とにかく暑い。エアコンは環境的にもコスト的にも問題外なので、やはり扇風機、あとは日陰をうまく作って工夫していくしかない。適応能力と問題処理能力が自称ハンパないので、なんとかなるだろう。昨日ははじめてスーパーでビールを買ってきて、バックヤード(家の裏の屋外スペース)で飲んでいたら、野良猫がやってきたので、小魚の煮干しをあげて餌付けした。今晩も来てくれるだろうか。