2012/09/10

スリランカ その8

8月22日。朝6時に目が覚め、ベッドの上で小説「天使と悪魔」をずっと読む。
とてもおもしろく、上巻しか持ってこなかったのが悔やまれる。
8時を過ぎたので、そろそろ郵便局が開いてる頃だなと思い
先日買ったポストカードに、実家宛と奥さん宛のメッセージを書いたので
それを郵便局に出しに行くことにした。

足の指をカバーするために、サンダルではなく靴をはいた。
歩くとやはり痛むので、びっこを引いた状態でゆっくりゆっくり歩き
200mほど離れている郵便局に向かった。

もう8時半だというのに郵便局は閉まっていたが
裏口が開いていたので、そこから中にいるスタッフが見えたので
「何時オープン?」と聞いたら「8時からだよ」と言いやがる。
じゃあこの2枚を国際郵便でお願いしますというと、25Rs切手を2枚くれた。
1枚20円以下だが、こんなもので本当に届くのだろうかと不安になった。
(後日ちゃんと届きました)

隣にあった食堂でいつもの朝食、パンとカレーとヨーグルトと紅茶を飲んだ。
全部で120Rs(80円)。店の人は、ぜんぜん英語が通じなかったので
日本語で、あいかわらずクソ美味いくせにクソ安いな!と言ったら
ハハハ、グッドグッド!と笑っていた。

宿に戻って靴を脱ぎ、サンダルに履き替えた。
サンダルで歩くと、靴よりも痛くないことがわかった。
これはもしかしたら、ちょっとくらいなら散歩とかできるかも、と希望を持ち
洗濯をしたり本を読んだりして昼までゆっくりと過ごした。

昼になってガイドブックをもう一度よく読み
片道2時間以上かかると書いてある「エッラ・ロック」というのは無理だが
1時間以内には着けるという「リトル・アダムス・ピーク」という山なら
どれだけゆっくり歩いても着くだろうと思い、さっそく準備をして宿を出た。

行く途中で、昼ご飯用に小さいバナナを6本ほど買った。
山に向かってあるいていると、道路脇にあるレストランに見覚えのある少女がいる。
よく見ると、昨日バンダーラウェラからエッラ村に向かうバスの中で、前に座っていた
目の玉が淡い緑色をした女の子だった。まだ10歳くらいの子だが
顔立ちはとてもきれいな子で、他の子とはぜんぜん違う不思議な雰囲気を持っている。
私と目が合うと、とても控えめな笑顔で少しだけ手を振ってくれた。
またもその美しすぎる目の玉に吸い込まれそうになり、軽くめまいがした。
旅はするもんだなあ、と足をひきずりながら快晴の空を見上げた。

リトル・アダムスピークの入り口には、ほんとうに15分くらいで着いた。
農園の入り口みたいな感じで、そこからはずっと茶畑が広がっていた。
歩いていると向こうから、茶摘みが終わって帰る途中だろうオバアちゃんが歩いてきた。
話しかけてきたので、なんだろうと思ったら、カメラは持っているか?と聞いてきた。
どうやら旅行者に写真を撮らせて、それから写真料を要求する手口らしい。
俺を誰だと思ってんだババアと小声で呟きながら
残念ながらカメラはないんだよというジェスチャーでババアをいなした。
そのあともすれ違うババアみんな、写真を撮れとしつこく言ってきた。
乳でも振り乱せば撮ってやらんこともないのだが。

歩いていると、指に巻いたティッシュがどんどんずれるので
いっそはずそうかなとも思ったが、土が傷口に入り化膿でもするとマズイので
宿でもらってきたトイレットペーパーを何度も巻き直しながら進んだ。

まだかまだかと思いながら坂を登り続け、入り口から1時間経ち
ついに頂上に続く急な階段に辿りついた。
つま先をぶつけないように横向きになりながら、ゆっくりと登って行くと
なにやら頂上から誰かの歌声が聞こえてきた。
なんと頂上では、素晴らしい景色をバックに
上半身裸の白人のお兄さんがギターを持って歌っていた。
そして傍らには彼の仲間が二人いて、ビデオカメラで彼を撮影していた。
アーティストらしいが、機材から見てまだ売れてはいないみたいだ。
さらにその周りにはスリランカ人の若者が10人くらいいて
撮影を珍しそうに見ており、途中からなぜか彼らもビデオに参加していた。


※赤いTシャツを着ている子に注目してもらいたい。



















一応名前を聞いてみたら、彼はイギリス出身のアーティストで
ローレンス・パーキングさんというらしく、とてもさわやかな好青年だった。

頂上からは周りの山々が一望でき、昨日行ったエラワンの滝も遠くに見えた。
座るのに手頃そうな、平たい岩が斜面から突き出ていたので
そこに座りながらバナナを食べて、景色をずっと眺めていた。

ふと反対方向を見ると、すぐ隣にもう一つ山があったので
さらに20分ほどかけて山の斜面を這いながら隣の山に辿り着いた。
その山からはさらに遠くが見え、地球の広さが実感できるような景色が広がっていた。
さすがにここまで来る人はあまりいないらしく、周りには誰もいなかったので
年甲斐もなく「ヤッホー!」「大好きだー!」などと何度も大声で叫んだりした。

1時間ほどゆっくりしたあと、もと来た斜面を戻ろうとしたが
足が土だらけでひどい事になっていたので、頂上には戻らず
そのまま茶畑に侵入し、こんな素敵な茶畑で遭難したらどうしようと
少しドキドキしながらも、なんとか山を下り入り口まで辿り着いた。
足の具合は、なぜか朝よりも良くなっていたので、もう少し歩こうかなと思ったが
あまり調子にのると痛い目に遭いそうだったので、おとなしく宿に戻って休んだ。

夜になり、今日は奮発して少し高いものを食べようと思い
観光客がたくさんいる、シャレた感じのレストランなどに入ってみたが
メニューを見ると、ハンバーガーだのフィッシュ&チップスだの
まったくスリランカとは関係ないメニューばかりだったので
あえて全然客が入ってない店に行き、フライドライス&野菜カレーを頼んでみたら
これが完全に当たりで、この旅行で一番美味しかった。
作ってくれたオバちゃんに、これは本当に美味いと言ったら
カレーとお茶のおかわりまでくれて、吐くちょっと寸前くらいまで食わされた。

帰り道はまたも真っ暗だったので、電子辞書のライトを点けて地面を照らし
慎重にゆっくりと歩いて宿まで帰った。
明日は朝からバスに乗って、コロンボまで行き、そこから空港に行かねばならず
けっこうタイトなスケジュールになりそうだったので、ガイドブックを何度も読み
明日の計画をじっくり考え、早めに寝た。


















2012/09/07

スリランカ その7

8月21日。朝4時頃、部屋の外から聞こえる話し声で目が覚めた。
しかも一人は子供らしく、甲高い声をしていて、朝からしゃくに障る。
朝何時だと思ってたんだと思いつつも、もうすぐ終わるかもという可能性と
この国では別に非常識な事ではないんじゃないかという可能性から
話が終わるのをじっと我慢して待っていたが、30分経っても終わらず
もう我慢できんとドアを開けて、話してる家族連れを睨んでみたが
全く悪びれている様子もないので、こちらも注意するというタイミングが掴めず
そのまま彼らをスルーして宿の外に出てしまい、自分の根性のなさを噛み締めながら
10分ほど宿の周りを散歩してまた戻ってきた。

戻ってくると奇跡的にその家族がもう宿を出たみたいで
また静かになっていたのでもう一眠りした。

再び7時前に起き、隣の食堂で朝飯にパンとカレーを食べていると
5、6人の家族連れが店に入ってきて、わたしの目の前にあるテーブルに座った。
みんな私を見つけるやいなや奇妙な眼差しで私をチラチラ見てきたが
わたしが微笑むとみんなも微笑んでくれた。
とくに私の方を向いて座っている若くて微妙に可愛い姉妹二人が
こちらを見ながら笑っている。イヤな笑いではない。
これは俺に脈があるなと思い、紅茶をすすりながら二人と仲良くなる方法を考えたが
そんな方法はあるわけがなく、もどかしい想いで姉妹に手を振って店を出た。

宿に戻り出発の用意をして、8時の列車の乗り込むべく駅に向かった。
出発20分前に駅に着いたが、すでにたくさんの人が乗り込んでいた。
この "BADULLA" から 4駅ほど先にある"ELLA" という町までの電車から見える景色が
とても素晴らしいとガイドブックに書いてある。
席は相席しかなく、窓側にはもう人が座っているので
車両の間にある降車口に行き、そこから外の景色を眺めた。
電車は山の中のかなり高い位置を走っているらしく
そこから眺める景色はほんとうに素晴らしかった。
山あり谷あり川あり滝あり、民家あり畑あり鉄橋あり牛あり手を振る子供あり
最初は写真を撮ってみたが、この景色の素晴らしさは写真では撮れないと思い
だまって景色を楽しんだ。

1時間もしないうちに エッラ村の駅に到着したが、お金を両替したかったので
もう少し大きい町の方がスムーズに行くと思い
もう2つ先の "BANDARAWELA" という町で降りた。
残りのお金が1800Rs(千円弱)しかなかったので、昨日からけっこう焦っていた。
大きな銀行を見つけ3000円ほど両替した。
これであと3日過ごしお土産を買ってピッタリなはずだ。

両替したあとはまたバスに乗り、エッラ村まで戻った。
しかしバスの乗員に「エッラまで」と行ったはずなのに
どうみても村ではなく滝の前で降ろされてしまった。
人がたくさんいて、みんな写真を撮ったり滝で水浴びをしたりしている。
ガイドブックで調べるとエッラ村より6km先にある、エラワンの滝というところだった。
来てしまったものはしょうがないので、観光することにした。

滝壺の近くまで行き、自分の目の届きそうな岩場の上に荷物を置き
ランニングショーツにはきかえ、滝に打たれたり滝壺で軽く泳いでみた。
水はとても冷たく気持ちいいし、なんといってもみんなとても楽しそうだ。

さてまたバスで戻ろうと思い、バス停の前で待っていると
変なオヤジが寄ってきて、日本のコインはないかと聞いてきた。
どこのコインも持ってないが、偶然さっき滝壺で若者に
コインが落ちてるからあげると言ってインドの10Rsをもらったので
それでいいならあげると言うと、じゃあお礼に宝石をあげるといって
OMIYAGE, OMIYAGE と言いながらちょっと変わった石をくれた。
宝石ではないにしろ、インドの10Rs(20円)よりは高価な物だと思うが。

ようやくバスが来たので乗り込み、10分ほどでエッラ村に着いた。
エッラはとても小さい村で、メインであるTOWNと呼ばれている所は
脇にレストランやホテルがたくさん建っている200mくらいの一本道だけで
そこ以外は全て街灯もない山道だ。
安い宿を探し、現地の人に聞いたり、店の人に聞いたりして
色々なところを聞いてみたが、1500Rs以下のところがどうしても見つからず
小さい村の一本道を何回も行ったり来たりしているので
あいつまだ宿探してるぜ。いったいどんな宿を探してるんだ。
などという声が聞こえてきそうで、とても恥ずかしかった。
しかも宿と宿の間が離れていたり、山中なども探して回ったので
結局2時間以上も歩いて、しまいには雨も降ってきたので
やむなく最初の方に見つけた1500Rsの宿に戻り、チェックインした。

もうどこにも行く気力がなかったが、日暮れまでまだ2時間はありそうだったので
しょうがなく軽く散歩に行くことにした。
あてもなく、さきほどの滝の方面への道路を歩いてみた。
少し行くと大仏があり、いまさら旅の安全を拝んでいると
円形脱毛がたくさんある小坊主がどこからともなく現れ
英語が多少わかるようなので小話をしていると、スクールペンをくれとせがまれたので
おじさんもお金がなくて買えないんだと言っておいた。

道はどこまでも続きそうなので、もう30分歩いたら帰ろうと思ったら
30分くらい歩いたところに、「この先2kmに洞窟寺あり」という看板が立っていたので
仕方なくそのお寺を見に道路から小道へ入って山を登って行った。
早足で登っていくと小さい岩のお寺が見えてきて、中からお経を読む声が聞こえた。
中には坊一人と小坊主4人がいて、涅槃大仏に向かってお経を唱えていた。
坊さんは目をつむっていたが、小坊主たちは私の出現にかなり驚き
お経を読みながら笑みを浮かべて私の動きをずっと目で追っていた。
邪魔にならないように足早に寺を去るわたしに、小坊主たちは軽く手を振ってくれた。

さて帰るぞと思ったら、またしても
「この上に瞑想に使われた洞窟あり」という看板があり、上に登る階段があった。
これ見たらほんとうに帰ろうと思い仕方なく登っていったが
登れども登れどもいっこうに着かず、私の背丈ほどもありそうな草が
ぼうぼうに生えていて行く手を塞いでいるので、それを手でかきわけながら
さらに登るがまっっっったく着かない。
最悪だ。ハマった。マジで最悪だ。完全にハメられた。とつぶやきながら
汗まみで登ること15分、急勾配の坂と手すりが現れ
まだ行くのかと愕然としながらも、意地になり登っていくが
空はだんだんと暗くなってきており、ついに、あれか!!という真っ暗な洞窟が
20mほど上に見えたが中は真っ暗で何も見えない。
さらに階段は途中で終わっていたので、あとは手を使って急な土の斜面を登った。
やっと辿り着いた洞窟の中は真っ暗で何も見えず、地面の土は湿っていた。
あまりに気味の悪い空間と、空が暗くなっていることに身の危険を感じ
フラッシュで写真を数枚撮ったのち、すぐに同じ道を戻った。
頭の中で「とおりゃんせ」の歌が自動再生され、気が狂いそうになった。
しかしそうとう上まで登ったらしく、帰りに見た山の景色はとてもキレイだった。

山を降りる頃には完全に真っ暗になっていたが
すれ違う人がみんな声をかけてくれたので、あまり不安にはならなかった。

1時間ほどでやっとタウンに戻って晩飯を食い、宿に戻った。
小さい村なので、メインの道からはずれると、街灯ひとつなく宿の周りは真っ暗だった。
シャワーを浴びて寝る用意をすませ、明日はもっとたくさん山登りをする予定だったので
今日は早く寝ようと思い、すぐに寝る準備をしてベッドで本を読んだ。

1時間くらいしてどうしても喉が渇いたので
ミネラルウォーターを買いに宿を出て、暗闇の中を手探りで歩いたら
右足を何かに思い切りぶつけてしまい激痛が走り
これは血が出ているレベルだなと思い、すぐ部屋に戻ると
案の定足は血まみれで、親指の爪が剥がれかけていた。

血を止めるためティッシュを巻き、ベッドの上に寝て足を高く上げ
これは残念だけど、明日の観光は断念せざるをえないだろうと覚悟した。
30分ほどで血は止まったようなので、血まみれの足を洗って
消毒に唾をつけてティッシュでぐるぐる巻きにし、その上に靴下をはいて固定した。
少し心配だったが、明日の状態を見てから色々判断しようと思い
あまり気にしないようにして寝た。

喉はもう渇いていなかった。





















2012/09/06

▲ナホさん▲

わたしの良きお友達、桑原奈穂さんが
札幌の中央区にあるアートスペース「SYMBIOSIS」というところで
9月2日から、9月30日まで、一ヶ月にも渡り個展を催しております。


奈穂さんは
グラヒックデザイナー/イラストレーター/アートディレクター/刺繍アーティストと
色々な顔を持つ、多彩な女性であります。

奈穂さんのBLOG


奈穂さんとの初めての出会いは東京の学芸大のカラオケBOXでありました。
マイクを持った屈強なアメリカ兵5、6人にからまれてる菜穂さんを
わたしが得意の琉球空手でメリケン共を叩きのめし、救ってあげたのです。
後日その米兵の一人が私を背後から銃で撃ち
肩甲骨に2発名中するという騒ぎもありましたが
今では彼も私の会社で清掃員として真面目に働いております。

話がそれましたが、その奈穂さんの色々な作品を展示してある個展が
真っ最中でありますから、札幌近郊にお住まいの方は
ぜひ会場に足を運んでみてください。

火曜、金曜、日曜日の夕方からは、ご本人も会場にいらっしゃるようなので
ぜひお声をかけて、米兵がいかに屈強かというのを直接聞いてみるのもよいかと。


ちなみに奈穂さんの旦那さんも、札幌の北区で粋なヘアサロンを経営しております。
東京の美容最前線で何年も活躍された人ですから、その腕前はもう見事なものです。
お値段も非常にリーズナブルで良心的でございますので
髪型も人生も再スタートしたいという方は、そちらにもぜひ足を運んでみてください。

SOU理美容所





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2012.09.02~09.30
12:00~19:30 (最終日は17:00迄)
入場無料/無休
札幌市中央区南2条西4丁目 SYMBIOSIS 1F
お問合 011-211-0280(AI KOMORI)
































2012/09/05

ひつまぶし























先月キャンプ用のテントを買ったので
ここ2週連続、週末はイーストコーストパークにキャンプをしに行っている。
しかしキャンプといっても、別に何をするわけでもなく
テントをはり、ハンモックを吊り、あとは時間を潰すだけ。

いつもお気に入りの場所があり、そこから晩飯を食べるフードコートは少し遠く
歩くと時間がかかるので、キャンプには私は必ず自転車で行って
移動手段とならねばならない。

よってキャンプに行くときは、まず自転車の荷台にテントを乗せ
ハンモックや着替えやシーツや本や食べ物、さらにキャンプのあとに
日本語のレッスンに行かなければならないので
それに必要なものまでをバックパックに詰め
それを背負って自転車で1時間半くらいこいで現地に向かわなければならない。

もちろん着く頃にはもうけっこう疲れている。
しかしせっかく来たのだからという貧乏根性で
2時間ほど走ったり筋トレしたりし、あっというまに晩飯の時間は訪れる。
次の日も朝飯をフードコートに買いに自転車で往復し
シャワーを浴びたり、散歩などをしたりしてから
さとやっとハンモックで一休みできたと思ったら
その30分後には出発してレッスンに行かなければならないという、まさに苦行。


まぁしかし、まだキャンプ生活はスタートしたばかりなので
これからゆっくり、持って行くものを減らしたり
テントを木の上に隠しておいたり、調理器具を揃えたりと、改良していこうと思う。

まず手始めにハンモックで夜も寝られるように
取り外しできるような蚊帳を、2時間かけて自分で裁縫してみた。
これは短い旅行などにも持っていって、宿が見つからなかったときの最終手段にしたい。
イースト・コーストパークでも、ホームレスのおじさんを数人見かけたので
その人たちに売りつけるのも悪くない。


さて今週も苦行まであと3日。
今日も一日安全作業でがんばろう。

2012/09/04

スリランカ その6

8月20日。朝6時頃に起きるが、フランス人はまだ隣のベッドで寝ている。
ブリーフパンツ一枚で股間をもっこりさせて寝ているのを見て
なぜか、彼がゲイではなくてほんとうによかったと胸をなでおろした。
起こさないように静かに着替えて、町の中心にある湖の周りを一周した。
KANDYの町は少し標高が高く、朝はやはり寒いので
汗が冷える前に早めに宿に戻ってホットシャワーを浴びた。

フランス人も起き、二人で出発準備をし7時過ぎに宿を出て、バスセンターに向かった。
途中で食堂に寄り、パンとカレーを食べて、仕上げにセイロンティーを飲む。

バスセンターで、南海岸に行くという彼と最後の別れをした。
名前はまだ聞けずにいたが、メールアドレスを交換して再会を誓った。

わたしも自分が乗るバスを見つけたが、彼と別れの挨拶をしている間に
満席になってしまったらしく、一人寂しく次のバスを待った。

突然便意を催し、トイレに行こうと思ったが、近くにあったホテルなどは
トイレを貸してくれず、しょうがないのでバスセンターの公衆トイレを使うことにした。
バスセンターや駅の公衆トイレといのうは普通とても汚く、あまり使いたくないのだが
驚いたことに、そこのトイレは古くて祖末なものの、とても清潔に保たれていて
とても気持ちよく脱糞することができた。これがスリランカのとても良い所である。

これがインドや中国などになると、公衆便所のみならず
中級ホテルのトイレや、デパートのトイレなども○○まみれで
床はおろか、ときには壁にまでも○○がなすりつけられており
いたるところから○○の臭いがし、足の踏み場もない。
彼らならダイイングメッセージさえも○○で書きそうなものだ。

ようやくバスが来て、曲がりくねった山道を4、5時間くらいかけて
次の目的地 "BADULLA" に着いた。
窓側に座って窓を開けていたので、土煙や排気ガスなどで
顔を指でなぞると指が真っ黒になるほど、顔が汚れていた。

外はとても暑かったが、いつものごとく日傘をさして
1時間ほど歩きまわり、1100Rsの宿を見つけチェックインした。
宿のオジサンと軽く世間話をしたり町の事を聞いたが
あまり英語が得意ではないらしく、話があまり噛み合ない。
しかしこれもスリランカ人の素敵なところで
普通は英語がわからない人は、はぁ?何言ってんの?みたいなリアクションをするが
ほとんどのスリランカ人は、あまり理解してなくても、うんうんうなずいたり
話をそのまま進めたりする。そう、日本人のように。だから好感がもてる。

とりあえずガイドブックに載っていた近くの滝を見に行くためバスに乗った。
バスは20分もかからず滝の入り口に着き
そこから山道を20分くらい歩き、ついに滝の前の展望台に辿り着いた。
ジュースを売っているオジサンが、滝壺に降りていっても大丈夫だと言うので
誰一人降りる人はいなかったが、小さい道があったのでそこをなんとか下って
滝壺の付近の岩の上などを歩いたり、川に足をつけて休んだ。
泳ごうかとも思ったが、濁った水の中に
恐ろしい生物がいないこともないと思ったのでやめておいた。

入り口までまた戻り、バスを待ったがなかなか来ないので
歩いて町まで戻ることにしたが、時間はもう夕方5時を過ぎており
歩けども歩けども全然着かず、あたりはあっという間に真っ暗になってしまった。
道はあっているし、もう30分以内には絶対に着くだろうという確信はあったが
暗闇の中にいると、どうもテンションが下がり不安な気持ちになってくる。
そこへ一台のバスが自分を追い抜かして行ったので
全速力で走ってバスに追いつき必死の形相で飛び乗った。
するとバスは2分もしないうちに町に着いた。

晩飯は適当に食べて、近くのお寺で何か催し物があるようだったので行ってみた。
お寺にはイルミネーションが施してあり、みんなわりと白っぽい服装をして
たくさんの人が思い思いに地面に座り、お経を唱えていた。
邪魔にならないようできるだけ静かに、こそこそと寺院内を拝観した。

敬虔な人達を見て心が洗われたかのように思ったが
無償にビールが飲みたくなったので、宿のオヤジに聞いて近くのBARに行った。
少し疲れていてめんどくさかったので、適当に注文したら
間違えて、自分の嫌いなスタウトビールを買ってしまった。
仕方ないので頑張って飲み干そうとしていると、悪そうなオヤジ達が集まってきた。
よくわからない英語で色々質問をされたので
こちらも適当に答えながら一緒にビールを楽しんだ。

オヤジたちは旅行などは全然した事がないと言っていたので
私は全く金持ちではないが、やる気さえあれば旅行などは簡単にできると熱く語った。
オヤジ達に少しでも希望を与えられたかなと思ったが
とりあえずオマエのおごりでもう一杯飲まないかと言われたので
すぐにおいとまさせてもらった。

まずいスタウトビールのせいで、けっこう酔いが回っており
宿に戻るなりすぐに眠ってしまった。















2012/09/03

すりらんか その5

8月19日。また夜明け前に起きてしまったので、ベッドの上で小説を読み終わらせる。
せっかくランニングシューズを持ってきたのだから、一回くらいランニングしようと思い
運動用の格好をして6時に家を出て、目的もなく走り出す。
歩道もない田舎道なので、車道の横の砂利道を走り、人がいなさそうな道を選んで進む。
20分くらい走ったところで、クリケットスタジアムというのを見つけ
その横に脇道があったので入っていくと、だんだん空が開けてきて
牛がたくさんいる平原のようなところに出た。
さらに平原をすすむと、いまにも枯れそうな湖が現れ、周りに白いサギがたくさんいる。
サギに近づこうと土の上をすすむが、湖に近くなると土がぬかるみ始め
足が泥に埋まってしまったが、もう後ろには引き返せない。

さらに奥に進むともう一つ湖があり誰かがボートに乗っているのが見える。
さらに横には小さな林があり、そこに黒いカラスと白いサギが大量にいて
なんとも異様な光景になっていた。完全なる異国。
ボートの方に近づくと、漁師の人が何人かいて、今朝この湖で釣ったという
「ゴールデンカープ」という80cmくらいある巨大な魚を見せてくれた。

周りを見渡すと、ドラゴンボールのナメック星のような風景で
もう少しゆっくりしたかったが、風が強く汗が冷えて寒くなってきたので
しかたなく折り返して、元来た道をまた走って宿に帰った。

出発準備をしてベッドでゴロゴロしていると
11時頃に昨日のフランス人が私の宿までやってきたので
一緒にバスセンターへ行き、再び KANDY 行きのバスに二人で乗り込んだ。
バスは激混みだったが、フランス人は後ろの席にちゃっかり座り
私は席を確保できず、ずっと立ちっぱなしでバスの荒い運転に身をまかせた。

昼過ぎにまた KANDY に着いたが、わたしは2回目で地理は把握していたので
バスセンターまで行かず、宿が密集してそうなエリアで降りた。
今回は一人じゃないので、気を遣ってあまり汚くない宿を探そうと思ったが
フランス人は、自分は床で寝てもいいから安いところにしようと言いだした。
なかなか見所のあるフランス人だ。
しかしどうしても彼の名前が昨日から思い出せなかった。
(でも会話では相手のことは "YOU" でいいので、名前を呼ぶ必要はない)

3、4つ見てみてから、丘の上にある1部屋2000Rsのツインルームに決めた。
シャワーを浴びゆっくりしてから、二人で町をブラブラ歩いた。

しかし残念ながら、その日はイスラムの断食明けだか何かの記念日で
ほとんどの店は閉まっており、しかもお酒はどこの店でも提供していなかった。

フランス人が、あのホテルが気になるといって
イギリス風のおしゃれなホテルに入っていって、支配人らしき人に
ホテルの中を案内させはじめた。
こうやれば高級ホテルの中にでも簡単に潜入できるのだなと感心した。

それからわたしはインターネットカフェに行くので彼と別れ
一時間後に待ち合わせたが、待っている途中に
酒を共同購入しないかという男にしつこくつきまとわれ
いつもやられっぱなしでは腹立たしいと思い
わたしは日本で人相を見る仕事をしているが、あなたの顔はとてもひどくて
内蔵がもうグチャグチャで、早く病院に行くか毎朝ヨーグルトをたくさん食べないと
近い将来とんでもないことになるぞと脅してやったが
おそらくあまり信じていないようだった。
今度は偽造の医師免許みたいなのを作って持っていこうと思った。

二人で宿に戻り、近くで晩飯を食べようと思ったが良い店が見つからず
宿で特別にビールとお菓子を出してもらい、それで我慢した。
明日の行動について話し合ったが、彼は南の海岸に行きたいし
わたしは山奥に行きたかったので、明日からは別々に旅を続けることにした。

明日の朝も早く起きてランニングをしようと思ったので、11時前に消灯した。