2015/05/03

ラオスより怒りを込めて

※この日記はただの異常に長い愚痴です。暇な方以外読まないでください。


【5月2日夜】

おい、おい、おい!
ちょっと聞いてくれ。今日はひどい日だった。俺は今泣きたい。冗談じゃなく本気でちょっと泣きたい泣いてスッキリしたいくらい大変だった今日は。
まず私の今回の旅行の一番のポイント、それはコンロー洞窟に行くこと。そしてわたしが今泊まっているのはナヒーン村。ナヒーン村からコンロー洞窟までは、ソンテウ(乗り合い小型バス)で約1時間。今朝わたしは宿の女主人に、コンロー洞窟行きのソンテウは何時ですかと聞いたら午前10時だという。始発のくせにずいぶん遅いなと思いながらもそれに乗った。わたしの他に現地人が一人と、ニュージーランドからのカップルが二人乗り込んだ。情報が欲しかったので積極的に話しかけてみた。二人はベトナムから来て、今晩はコンロー洞窟のあるコンロー村に一泊して、次の日にビエンチャンに行くらしい。ソンテウは1時間ほどで無事にコンロー洞窟に着いた。そして降りるときにソンテウの運転手が、またナヒン村に戻るのかと聞いてきたので、うんそうだよと言ったら、じゃあ2時にまたここで待ってるからと言われて、これで帰りは大丈夫だなと思って少し安心した。

コンロー洞窟はとても長い洞窟で、3人乗りのボートをチャーターして中に入っていかなくてはならない。そのカップル、ジョージとニコラがよかったら一緒にボート相乗りしようと言ってきたので、あたり前田の塗装店と言わんばかりにOK。
一人当たり400円払いボートに乗り込む。そしてコンロー洞窟は、すごかった。中は真っ暗、その中を懐中電灯を照らしながら船頭さんがボートを運転してズンズンガンガン進んでいく。中はとにかく広く天井が高く、100mとは言わずも50mくらいあったんじゃないか天井まで。とにかくものすごい「のびたと地下帝国」みたいになっていて、壮大だった。ボートは往復で3時間かけてまた入り口に戻ってきた。その時ちょうど2時。

さてどこにソンテウが来てるのかなと思って見回すがまだ来ていない。すると違うソンテウが来たので、ナヒンまで乗せてと言ったら1500円ならいいよという。250円で来たのに、同じ道のりを1500円で帰るなんて、はなはだおかしいと思ったので断る。しょうがないので洞窟の公園の入り口付近にあるレストランで、ソンテウが現れるのを待ってみた。しかし待てども来る気配なし。レストランのオーナーに、ソンテウ全然来ないねと聞いてみると、ちょっと待ってろと言って、どこかに電話をかけてくれた。そして電話をかけ終えたねーちゃんの一言、今日はもうフィニッシュ。え?っていうか、は? じゃあどうやって帰ればいいの?と聞くと、さあ?と。。。。ラチがあかないので、なんか適当に歩いてみてヒッチハイクでもするかと思って5分くらい歩いてみたけど、この暑さの中ありえないし、ヒッチハイクってほんとに成功するのか、こいつら英語も全然通じないのに。そして一番最悪だったのが、財布の中を確認したら、残りたったの500円。だってソンテウで帰って来れると思ったんだもん。片道250円なんだから、全然余裕じゃんと思ってたけど、こうなるとギリギリ。万が一の事を考えて、これは飯には使わない方がいい。

とりあえず近くの小さい商店に寄って、ソンテウ来ないのかな?と聞いてみる。全然英語通じないが、店のオジさんはソンテウはあるよ、そのうち来るよと言う。じゃあここで待ってもいいかと聞くと、快く椅子を出して座らせてくれた。そして私は不安に押しつぶされそうになりながら待った。ソンテウ来なかったらどうしよう、ここの近くの宿に泊まるか?いや、最低でも500円はするぞ。500円使ったら、次の日ソンテウにも乗れないじゃん。ATMないのかな、あるわけないよこんな世界の外れみたいなとこに。これってすごいピンチかな、夜まで待って来なかったら店のおじさん寝床用意してくれるかな、世の中にはもっとピンチの人がたくさんいるはずだ例えば末期癌の人とかもっと絶望のはず、いやそんなのと比べてる場合じゃねえ、マジで頑張って帰らないと。

そして待つこと1時間半ほど、ソンテウどころか車がほっっとんど通らない。おじさんはあいかわらず頼りない笑顔でソンテウ来るんじゃないと言ってるが、マジで頼りない顔しとる。そして俺は思った。このオヤジはもしソンテウ来なくても俺を助けて泊めたり、なんか手を打ったりは絶対してくれないと、直感で。そのとき腹が減って倒れそうだったけど、俺は無意識のうちに立ち上がっていた。そしてけっしてここを通る車を見逃すまいと、神経を集中させた。そして待つ事15分、ヨーロッパ人らしい人を乗せた一台のバンが店の前を通りすぎた。おれは車の後ろに手を振るも、車はブーーーンと行ってしまった。ダメだったかと思いきや、5分くらい経ってまたその方向を見てみると、さっきのバンが300mくらい向こうで停まってる、まだ停まってる。これはもしかしてと思って走って行ってみた。

白人の男が一人、そのバンの横にいる。すいませんと話しかけ、事情を説明してみた。すると、わかったちょっと待っててと言って、横のレストランに入って行った。おれも着いていくと、白人の女性が8人、テーブルに座ってい談笑している。聞くと、ターケークの町からここまでみんなでバンを一台チャーターして、みんなで来たらしい。そして一人の女性が、帰り道はたぶんそのナヒーン村を通るはずだから、もちろん乗っていっていいわよ、ただし今からみんなでご飯を食べるところだから、それまで待っててねと言ってくれた。ありがとう!!!!マジでありがとう!!!!と、お礼を言いつつみんなと少し話した。そして待つ事3、40分。ついにバンは動きだし、わたしは運転席と助手席の間に乗せてもらった。運転はラオス人の無愛想な雇われドライバーで、助手席はイスラエル人のおねーちゃん。安堵と、そしてせめて無愛想にだけはするまいと、積極的におねーちゃんに話しかけた。どれくらい旅行してるの?これからどこ行くの?イスラエルではどんな仕事してたの?とか。つたない英語だけど、必死に話した。そして走ること40分。あるT字路で車が停まったけど、どこだここ?と思ってると、ドライバーがここで降りろ、あっちの方に歩けばナヒン村だという。野暮な事は言わずパッと降りて、みんなにお礼とお別れを言う。ほんとーーーーにありがとうございました!どうぞ良い旅をみなさん!!ありがとーーー!さようならーーーー!!そして、、、いったいここはどこだ?

近くに人がいたので、ナヒン村は?と聞くと、あっちだ。4kmくらい先だ、と言う。そして日はもう沈みかけている。しかし今まで散々適当なこと言われて、ほんとうに4kmで着くのか。。。ってか4kmっていうのも相当だぞ、おれ腹減りまくってるし、水ももうないし、足もガクガク。。。よし、ヒッチハイクっきゃない!と、すぐにやってみました。が、だーーーれも停まってくれない、減速すらしてくれない。というか車がそもそも少ない。歩いては手振って、歩いては手振って、しかし振れども振れども、誰も停まってくれないよ。もう20台くらい通り過ぎて行った。そして日は暮れて真っ暗。さらに絶望的なのが、見たこともない山が目の前にそびえている。これは村からは見えなかったよ、ということはやっぱりまだまだ先なんだよ、絶望だよ。しょうがないので軽く走ってみる、喉乾いたよ。ヒッチハイクを続けるがやっぱり誰も停まってくれないよ。一人やっと若い奴のスクーターを停めれたけど、英語まったく通じないし、なけなしの40タイバーツ(120円)を見せたけど、結局逃げられたよ。独り言で冗談を言ってみるも、全然笑えない。そしてもうダメか、どうなっちまうんだ今夜はぁぁ!!?と思いかけたそとのき、やっっと一人のヒゲ坊主の兄ちゃんが停まってくれたよ、そして乗っていいよと言ってくれたよ。
兄ちゃん、ハッッップチャアアアイイ!!(ありがとう)
そしてやはりまだまだ遠かったんだね、10分ほどブーーーーンと走って、なんとかナヒン村に着いた。おれは兄ちゃんに金を渡そうとするが、要らない要らないと断る兄ちゃん、あんたほんとうに良い人だ、しかしそれじゃああたしの気が済まない!と凄んで、ようやく20バーツだけ受け取ってもらった。ほんとは全部もらってほしかった。

降ろしてもらった場所から宿まで約10分、おれはずっと下を向いて歩いた。もう正直ラオス人の顔なんて見たくなかった。とても酷い目にあったよ、じゃあ誰が悪いんだ、いや誰も悪いわけじゃないんだよ、そんな事はわかってる、でもね、もうラオスはこりごりなんだ、君たちが助けてくれないという事はわかった。助けてもらったんだけどね、でも彼以外はどんだけ俺が困ってても、夜に倒れててもきっと素通りするだろう、俺は本当に心からそう思う。そう感じとったんだ君たちの態度から。でもラオス人はひどくて血も涙もないなんて言わない、ただ助けてはくれないだろう、それだけだ!バキャーロー!!

宿に戻っておれは宿の女主人とその家族に、簡単な英語とジェスチャーを交えてこの話をダイナミックにして聞かせた。みんな大爆笑していたよ。でもさ、笑い事じゃないんだよ。。。
そして腹がとにかく減っていたので、フライドライスを注文した。とても美味しかったよ。マジで料理は上手いねオバちゃん。そしてビールを飲んだ。ビールを飲みながら向かいの壁に這いつくばっている無数のヤモリを見ながら、色々考えた。今回は俺でよかった、がしかし、もし俺の奥さんに同じ事が起こり、奥さんが泣いたら俺はラオス人を殴り殺す。または焼き殺す。そしてもしこの話を奥さんにしたら、俺の奥さんもラオス人を殴ってくれると思うよ。そんくらーい今日は酷い目にあったと自分では思っている。そして今もちょっと泣きたい。なんとかなるよで今まで旅行をしてきたが、今日はなんとかならなかった。なったよなんとか、でもならなかったよ。これはなんとかなったとは言わないよ。「結局なんとかなった」とは、こんな時には使わないし使いたくない。もう二度と、誰にも、俺と同じような目には遭ってほしくない、だから俺はなんとかなったよ、みんなもやってみてねとは言わない。頼むから、ラオスでなんとかなるよと言って公共交通機関を使わないでくれ、頼む!!まず旅行代理店に行ってくれ!!!

っていうか早くこの村を出たいんだけど、どうやったら確実に出られるのか誰か教えてくれ!!!


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