8月18日。またも朝4時に目覚めるが、外はまだ暗いので
ベッドの上で小説のつづきを読み、ついに一冊読み終え
8時くらいに近くの食堂で朝ゴハンを食べた。
この町の近くに、もう一つ有名な観光ポイントがあるので
今日は移動せず、バスで見に行くことに。
サロンはもう懲りたので、普通の短パンを穿いて宿を出た。
バスターミナルで "SIGIRIYA" 行きのバスに乗りこんだ。
バスは満員できつきつだったが、優しい兄ちゃんが席を詰めて座らせてくれるも
次のバス停でババアがたくさん乗ってきたので、仕方なく席を譲る。
それでも観光客には優しくしようという掟があるのだろうか
運転手の横に呼ばれなんとか小さい席に座らせてもらう。
バスにはエアコンなどないのでぎゅうぎゅう詰めのバスは熱気がすごく汗がとまらない。
さらにバス停など無視して、道で手を上げてる人はみんな拾ったり
材木をバスの上に乗せたいオヤジのために15分近くも停車したり
道が工事してて反対方向の車に道をゆずったりで
30分ほどで着くはずの道を1時間以上もかけて、やっとシギリヤに着いた。
シギリヤにはシギリヤ・ロックと呼ばれる文化遺産があり
山のような大きい岩の上に、王宮跡があるというもの。
国立公園内なので、おそらく中では何も食べられないだろうし
あってもバカみたく高い値段だろうと思い
入る前に周りの食堂で飯を食ったが、その周りの食堂がすでに高かった。
せいぜい50円か100円そこらの違いなんだろうが
いくら安かろうが100円で買えるものに200円払うというのは愚かであろう。
たとえ自分はよくても、現地の人が、本当は100円のものを
観光客なら200円で買ってくれるという事を知ってしまえば
そりゃ観光客ばかりをつかまえて楽に金を稼ごうと思ってしまうのは当然だ。
通貨が高い国の人が、低い国の人達の心さえも腐らせていく。嗚呼イヤだイヤだ。
と言いながら入場券を買おうとしたらさらに高額の連鎖は続く。
わたしの05年版の古いガイドブックには、「2000Rs」と書いてある入場券が
なんと「3900Rs」にまで値上がりしているではないか。
しかもこれは外国人だけで、現地人はたったの「100Rs」だとか。
この差別主義の黒んぼ共がぁ!と思いながらも顔には出さず、すぐに購入し入場する。
しかし値段は高いが、その価値は充分にあった。
その岩に近づくにつれ、その岩の圧倒的な巨大さがひしひしと伝わってきた。
さらに頂上までの道のりでは、今にも壊れそうな螺旋階段や
頼りなさそうな錆びた手すりがついた、急勾配の階段などがあり、スリル満点であった。
頂上からは素晴らしい眺めが見え、王様は毎日この景色を見ながら
何を想ったのだろうと想像すると、感慨深いものがあった。
3時間近くダラダラと色んなところを見て周り、またバスで帰ることにした。
バスに乗りこむと、次のバス停から乗ってきたフランス人の男性が
英語で話しかけてきた。一人で旅行しているらしく
期間も旅程も自分と似たような感じだった。
あまり突っ込んだ話をして、難しい英語を使われるとイヤだなと思い
無難な返答をしていたのだが、どうやら一緒に酒でも飲もうと言ってるので
もしかしてゲイの方かな?と思ったが
今はインドネシアに住んでいて、彼女が3人いると自慢してきたので
たぶん大丈夫かと思い、一緒に行くことにした。
ダンブッラの町に着き、酒屋を探していると、違うフランス人のカップルと遭遇し
なぜか意気投合し、4人で酒屋へ行くことになり
ビールを飲みながら、彼らのフランス語の会話を延々と聞かされた。
ビールを飲み終わると、そのカップルとは別れ二人で晩飯を食った。
二人共次の日の朝 "KANDY" に行く予定だったし
食べ物や宿の趣味も同じっぽかったので、それじゃあ一緒にバスで行こうという事になり
その日は別れてお互いの宿に戻った。
宿に戻り、今度は「西村京太郎サスペンス/紀勢本線殺人事件」を読み始めた。
明日の出発までになんとか読み切ろうと思い、夜2時くらいまで読み続けた。
2012/08/29
スリランカ その3
8月17日。目が覚めるとまだ朝の4時だったが、外が若干明るいので
この町はなぜこんなに朝が早いんだ!?と不思議に思いながら
2度寝する気にもなれなかったので、外に散歩に行くことにした。
宿の裏に山があったので、ひたすら登っていくと、途中に寺があって
白い服を着たじいさんばあさんが朝もはよからお参りをしたり、お経を唱えていた。
さらに登ると国立公園入り口の門があったが
ここも入るのに金がかかるというので入らずに違う道へ行った。
さらにしばらく歩くとワイワイ人の声が聞こえてきて
屋外の学校(寺子屋みたいな)があり、大学生くらいの若者がたくさんいた。
時計を見るとまだ朝5時だったが、そのときにようやく
スリランカに着いて時計の時刻を変えてないことに気がついた。
2時間違うのでようするに今は朝7時だった。
校内に寺もあったので、中に入ってグルグル見ていると
そこを縄張りとしている犬が吠えて威嚇してくるので
こちらも威嚇して追い払うが、追い払うたびに犬が増えてきて
最後は10匹くらいの犬に吠えまくられて学校を後にすることとなった。
ほんっっっとうに忌々しいクソ野良犬共め。
俺がニホンオオカミだったらおまえらを一匹残らず噛み殺して小便かけてやるのに。
帰りにすれ違う学生たちが
みんな俺の穿いているサロン(腰巻き)を見てニヤニヤしやがる。
年配の人や労働者は、「お!サロンいいね〜 似合うね〜」なんて声かけてくれるのに。
これだからちょっとインテリかじったような若者はいけすかん。
俺がこの国の人たちに敬意を払って同じ格好をしているのが理解できないのだろうか。
と怒りにふるえ、若者にガンを飛ばしながら歩いていたが
サロンというのは労働者のオジサン達が身につけたりするような物なので
もしかしたら、日本で外国人がフーテンの寅さんのような格好をして
外を歩いているようなものかもしれない。
やっと宿に着き、シャワーを浴びて出発の用意をした。
自分で持ってきた蚊帳をバッグにしまおうとすると
蚊帳にノミみたいな小さい虫がついていたので
まさかと思いつぶしてみたら、見事に血がたくさんでてきた。
気がつかなかったが、けっこう吸われていたらしい。
宿を出て市場の食堂で朝飯を食べた。
現地の人は朝は何を食べるのかと見渡してみると
みんなソウメンの塊のような物を食べてるので、指をさして自分もそれを注文してみた。
ソウメンではなくて米粉を使ったライスヌードルみたいな物らしいが
見た目よりも美味しく、カレーと一緒に食べると、すぐオナカいっぱいになった。
またバスに乗り、3時間ほどかけて "DAMBULLA" という町に着いた。
むらがるタクシーの客引きを無視して、ガイドブックに載っている宿まで
炎天下の中を20分ほど歩き、なんとか見つけてチェックインした。
その町の見所である ”ダンブッラ石窟寺院” というのが宿の目の前にあったので
懲りずにサロンにはき替え、さっそく行ってみた。
時間帯のせいか全然人がおらず、受付のねーちゃんもヤル気がなくだらしない。
またもやサロンを見て鼻で笑われたので
ムカついて、そのねーちゃんの声マネをしてバカにしてやったが
そのあと非常に虚しくなり、もう無益な争いはやめようと思った。
巨大な岩山を登っていくと、岩を削って作られた部屋がいくつもあり
その中にたくさんの大仏が置かれ、天井と壁には仏陀の絵が所狭しと描かれていて
想像以上に素晴らしかった。
さらに岩山からの景色もなかなかだったので、帰りは岩場で少し昼寝をした。
しかしダンブッラの町は見所はそれだけで、町には目新しいものは特になかった。
宿に日本の小説が何冊かあったので、そのうちの一冊「告白」を
ベッドに寝転がりながら夜まで読んでいた。
夜になり腹が減ったので、15分くらい歩いて飯を食いに行った。
帰りにインターネットカフェに行こうと思い、近くにないか人に聞いてみたら
そのお兄ちゃんが20分近く一緒に探してくれた。
結局見つからなかったが、お兄ちゃんの優しさがとても嬉しかった。
外はもう真っ暗だったのでバスに乗って帰ろうと思い
バス停で人に聞いて、石窟寺院前行きのバスに乗った。
しかしバスは分かれ道で寺院とは違う道に進んだので、あれ?と思ったが
どこかで曲がって合流するんだろうと思い、バスの行き先を注意して見ていたが
いっこうに曲がる気配はなく猛スピードで直進していく。
乗客に英語でお寺お寺!と言ってみたが、みんな何のことかわからないらしく
やっと一人の若者が後ろからやってきて、これはお寺行きじゃないと教えてくれた。
すぐにバスを降りたが、やはり相当走ったらしく
街灯もまったくない真っ暗闇な田舎道に一人残されてしまった。
悪態をついみても始まらず、ときどきやってくる車やバイクの光に親指を立てるが
誰も止まってくれず、さらに悪態をつきながらも頑張っていると
10分くらいしてやっと一台のバイクが止まり、後ろに乗せてくれた。
バス停でよかったのに、わざわざ宿の前まで送ってくれたので
いらないと言われたが、バス代なんですと言ってなんとか20Rs受け取ってもらった。
とても疲れたが、小説が面白かったので夜2時近くまで読んで寝た。
この町はなぜこんなに朝が早いんだ!?と不思議に思いながら
2度寝する気にもなれなかったので、外に散歩に行くことにした。
宿の裏に山があったので、ひたすら登っていくと、途中に寺があって
白い服を着たじいさんばあさんが朝もはよからお参りをしたり、お経を唱えていた。
さらに登ると国立公園入り口の門があったが
ここも入るのに金がかかるというので入らずに違う道へ行った。
さらにしばらく歩くとワイワイ人の声が聞こえてきて
屋外の学校(寺子屋みたいな)があり、大学生くらいの若者がたくさんいた。
時計を見るとまだ朝5時だったが、そのときにようやく
スリランカに着いて時計の時刻を変えてないことに気がついた。
2時間違うのでようするに今は朝7時だった。
校内に寺もあったので、中に入ってグルグル見ていると
そこを縄張りとしている犬が吠えて威嚇してくるので
こちらも威嚇して追い払うが、追い払うたびに犬が増えてきて
最後は10匹くらいの犬に吠えまくられて学校を後にすることとなった。
ほんっっっとうに忌々しいクソ野良犬共め。
俺がニホンオオカミだったらおまえらを一匹残らず噛み殺して小便かけてやるのに。
帰りにすれ違う学生たちが
みんな俺の穿いているサロン(腰巻き)を見てニヤニヤしやがる。
年配の人や労働者は、「お!サロンいいね〜 似合うね〜」なんて声かけてくれるのに。
これだからちょっとインテリかじったような若者はいけすかん。
俺がこの国の人たちに敬意を払って同じ格好をしているのが理解できないのだろうか。
と怒りにふるえ、若者にガンを飛ばしながら歩いていたが
サロンというのは労働者のオジサン達が身につけたりするような物なので
もしかしたら、日本で外国人がフーテンの寅さんのような格好をして
外を歩いているようなものかもしれない。
やっと宿に着き、シャワーを浴びて出発の用意をした。
自分で持ってきた蚊帳をバッグにしまおうとすると
蚊帳にノミみたいな小さい虫がついていたので
まさかと思いつぶしてみたら、見事に血がたくさんでてきた。
気がつかなかったが、けっこう吸われていたらしい。
宿を出て市場の食堂で朝飯を食べた。
現地の人は朝は何を食べるのかと見渡してみると
みんなソウメンの塊のような物を食べてるので、指をさして自分もそれを注文してみた。
ソウメンではなくて米粉を使ったライスヌードルみたいな物らしいが
見た目よりも美味しく、カレーと一緒に食べると、すぐオナカいっぱいになった。
またバスに乗り、3時間ほどかけて "DAMBULLA" という町に着いた。
むらがるタクシーの客引きを無視して、ガイドブックに載っている宿まで
炎天下の中を20分ほど歩き、なんとか見つけてチェックインした。
その町の見所である ”ダンブッラ石窟寺院” というのが宿の目の前にあったので
懲りずにサロンにはき替え、さっそく行ってみた。
時間帯のせいか全然人がおらず、受付のねーちゃんもヤル気がなくだらしない。
またもやサロンを見て鼻で笑われたので
ムカついて、そのねーちゃんの声マネをしてバカにしてやったが
そのあと非常に虚しくなり、もう無益な争いはやめようと思った。
巨大な岩山を登っていくと、岩を削って作られた部屋がいくつもあり
その中にたくさんの大仏が置かれ、天井と壁には仏陀の絵が所狭しと描かれていて
想像以上に素晴らしかった。
さらに岩山からの景色もなかなかだったので、帰りは岩場で少し昼寝をした。
しかしダンブッラの町は見所はそれだけで、町には目新しいものは特になかった。
宿に日本の小説が何冊かあったので、そのうちの一冊「告白」を
ベッドに寝転がりながら夜まで読んでいた。
夜になり腹が減ったので、15分くらい歩いて飯を食いに行った。
帰りにインターネットカフェに行こうと思い、近くにないか人に聞いてみたら
そのお兄ちゃんが20分近く一緒に探してくれた。
結局見つからなかったが、お兄ちゃんの優しさがとても嬉しかった。
外はもう真っ暗だったのでバスに乗って帰ろうと思い
バス停で人に聞いて、石窟寺院前行きのバスに乗った。
しかしバスは分かれ道で寺院とは違う道に進んだので、あれ?と思ったが
どこかで曲がって合流するんだろうと思い、バスの行き先を注意して見ていたが
いっこうに曲がる気配はなく猛スピードで直進していく。
乗客に英語でお寺お寺!と言ってみたが、みんな何のことかわからないらしく
やっと一人の若者が後ろからやってきて、これはお寺行きじゃないと教えてくれた。
すぐにバスを降りたが、やはり相当走ったらしく
街灯もまったくない真っ暗闇な田舎道に一人残されてしまった。
悪態をついみても始まらず、ときどきやってくる車やバイクの光に親指を立てるが
誰も止まってくれず、さらに悪態をつきながらも頑張っていると
10分くらいしてやっと一台のバイクが止まり、後ろに乗せてくれた。
バス停でよかったのに、わざわざ宿の前まで送ってくれたので
いらないと言われたが、バス代なんですと言ってなんとか20Rs受け取ってもらった。
とても疲れたが、小説が面白かったので夜2時近くまで読んで寝た。
2012/08/28
スリランカ その2
8月16日。朝6時に起きたが、肌寒い。外を見ると雨が降っている。
ああもうこの町には用はないと思い、ゆっくり身支度をして出発。
バスターミナルで朝飯に、しょっぱいドーナツみたいなのを2個食べお茶を飲む。
スリランカはお茶の産地だけあって、どこに行ってもお茶はウマい。
3時間ほどバスに乗り、次の目的地 "KANDY" に着いた。
ここはスリランカの古都と呼ばれており、日本でいえば京都のような位置づけだ。
オナカが減っていたので、さっそくバスターミナルで昼飯を食べようと思ったが
小汚くて小さい店ばっかりだ。その中でも一番人が入ってそうな所に入り
オジサンがすすめてくれたライス&カリーを頼む。
しかし食べてみると、なんか変な臭いがする。
店のトイレが臭うのかな?と思ったが店にトイレはなく
カレーかなと思って慎重にかほって味わってみるが、どうやらカレーでもない。
そしてやっと、ご飯がかなり危ない状態にあることに気づく。
カレーを大目に口にほおばっても、ご飯の臭いがムッとくる。
しかし店のオジサンがやけにフレンドリーで、どうだ俺のカレーは美味いだろ〜と
ニコニコしながらこっちを見ているので、途中棄権は許されない。
そういえば南インドでもこうやって最後まで無理して食べて当たったんだよなと
思い出し、やはり米はやめてカレーだけ食おうと思い
しょっぱいのを我慢しながらなんとかカレーだけを完食し
いや〜ついさっき朝飯食べたばかりだからオナカがきつくってさと言い訳をする。
ガイドブックに載っていたYMCAホステルに行き
シングルルームが600Rsで一部屋空いているというので、すぐにチェックイン。
久しぶりに牢屋みたいな部屋で、ちょっと興奮、ちょっと後悔。
他の客は全部現地人か出稼ぎインド人で、外国人旅行者の姿はない。
荷物を置いて町をブラブラするが、スリランカの京都というわりには
町自体は非常に小さく、2時間ほどで全部回りきれてしまった。
王宮や、仏陀の歯がある寺など、見る所もたくさんあったが
高い入場料払ってまで見たいとも思わずどこにも入らなかった。
観光客がとても多いので、声をかけてくるうさんくさい奴もとても多く
いちいち断るのがめんどくさかった。
飲屋街を見つけたので、晩飯を食べてからビールでも飲もうと思って行ってみたが
途中で変なオヤジにつかまり、追い払おうとしたがBARまでついてきて
俺に酒の飲み方を指南しようとするもんだから、飲まずに帰るふりをしてオヤジをまき
オヤジがいなくなった所で再びBARに戻ってきて瓶ビールを一本注文した。
なんでいちいちこんなめんどくさい事しなきゃいけないのか。
BARの中は、どうしようもなさそうな連中で溢れ返っていて
とても良い雰囲気をかもしだしている。
誰かこの世間知らずの旅行者にピーナツでもおごってくれるかなと思ったが
やはりみんな珍しがるだけで誰も話しかけてこず、しまいには
完全に泥酔しているジジイが耳かきを売りつけてきて、1つ20Rsだというので
1個買ってやったら、違う200Rsだとか言い出したので
じゃあ要らないからやっぱり20Rs返せとか、軽いコントみたいな事を二人でして
嗚呼、やっぱり異文化交流っていいなと自分に酔っていた。
ちなみにビールは1本190Rsと、とても安かったが
後味が少し変で、やたら酔いが回るので
ちょっと変なアルコールを使っているんじゃないかとにらんでいる。
ビールは1本でやめて、牢屋に戻りすぐに寝た。
2012/08/27
スリランカ その1
先週スリランカに一人旅行に9日間行ってきた。
その旅行の内容をちょっとだけ書きましょう。
8月14日。夜8時半発の飛行機に乗り、スリランカに現地時間の夜11時ころ着く。
シンガポールとの時差は2時間。日本とは3時間。
スリランカ空港が思ったよりキレイだったので、空港のベンチで一泊する。
朝6時頃空港を出て、バスで最初の街 "NIGAMBO" へ移動。
みんな最初は空港を出たらまず "COLOMBO" へ行くが
しょーもない街だと聞いていたのでパスした。
NIGAMBOへ着き、歩いて町をブラブラし宿を探すが全然見つからない。
荷物も軽いので焦ることはないと思い、ガイドブックに書いてあった
浜辺での朝市を見に、海へ行く。
浜辺に大きなゴザがひかれ、その上に大小様々な魚がゴザいっぱいに乱雑に並べられ
魚を日干しにしているようだった。
魚を並べるオバちゃんたちや、波打ち際で魚を洗うオッサンらがたくさんいて
魚を狙うカラスの群れが空を飛び回っている。
さらに干している魚のニオイがすさまじく、軽く吐き気を催すほどだった。
浜辺に無数に並べられたゴザと、カラスと、臭いで
なぜか御巣鷹山飛行機墜落事故の現場検証が連想された。
それからまた1時間くらい歩くが、ついに宿を発見できず
バスに乗って、ビーチ沿いのリゾートホテルエリアまで行く。
リゾートホテルに混じって安宿もたくさんあり、1000Rsの宿にチェックイン。
100Rs(ルピー)でおよそ60円なので、1000Rsは600円ほど。
シンガポールで買ったサロン(腰巻き)とタンクトップを着て日傘をさし
なんとも異国情緒漂う格好で、また町を目的もなくブラブラ歩く。
ビリヤーニ(スパイスの効いた炊き込みご飯みたいな米料理)を食べたり
昔懐かしい瓶のコーラやスプライトをたくさん飲んだ。
ローカルの食堂で食べれば、高くても300Rs以内で腹いっぱい食べれるようだ。
しかも瓶のジュースは30Rsほど。食べ物はほんとうに安い。
道を歩いていると、とにかくほとんどの人に声をかけられたり
ニコッと笑顔をもらったり、車でクラクションを鳴らされたりした。
日本人だからか、それともこのサロンのせいか。
さらにある家の前を通りかかると、家のオジサンに家の庭に招かれ
熱いコーヒーをごちそうになった。
オジサンはこの町やスリランカについて片言の英語で教えてくれた。
この国では仏教とキリスト教とヒンドゥー教とイスラム教が共存している。
オジサンはクリスチャンだが、仏教もヒンドゥー教も認めている。
しかしイスラム教だけは別だ!と言っていた。
ここではムスリムはあまり好かれていないのかもしれない。
会話もなかなか続かないので10分くらいでおいとました。
コーヒーは美味しかったが、とても熱い日だったので本当は冷たい飲み物がほしかった。
夕方頃宿に戻り、シャワーを浴び、歩き疲れていたのでちょっと仮眠。
起きると外は暗くなっており、近くのシャレたレストランで
ライス&カリーを食べた。海老のカリーが美味しかったが
全体的にちょっとしょっぱかったので、具に対しご飯が足りなくなり
食べるのをやめ、マンゴーラッシーを飲んだ。
レストランから家に帰る途中、けっこう日本語が上手なジジイに話しかけられた。
ジジイは昔、広島で働いたことがあると言っていたが、話半分で聞いておいた。
最後におやすみなさいと言って握手したら、ヨボヨボジジイのくせに
手がやけに大きくてごっつく、手を褒めてあげたら少し照れていた。
宿に戻り、持ってきた小説「天使と悪魔」を読みながら23時頃眠りについた。
その旅行の内容をちょっとだけ書きましょう。
8月14日。夜8時半発の飛行機に乗り、スリランカに現地時間の夜11時ころ着く。
シンガポールとの時差は2時間。日本とは3時間。
スリランカ空港が思ったよりキレイだったので、空港のベンチで一泊する。
朝6時頃空港を出て、バスで最初の街 "NIGAMBO" へ移動。
みんな最初は空港を出たらまず "COLOMBO" へ行くが
しょーもない街だと聞いていたのでパスした。
NIGAMBOへ着き、歩いて町をブラブラし宿を探すが全然見つからない。
荷物も軽いので焦ることはないと思い、ガイドブックに書いてあった
浜辺での朝市を見に、海へ行く。
浜辺に大きなゴザがひかれ、その上に大小様々な魚がゴザいっぱいに乱雑に並べられ
魚を日干しにしているようだった。
魚を並べるオバちゃんたちや、波打ち際で魚を洗うオッサンらがたくさんいて
魚を狙うカラスの群れが空を飛び回っている。
さらに干している魚のニオイがすさまじく、軽く吐き気を催すほどだった。
浜辺に無数に並べられたゴザと、カラスと、臭いで
なぜか御巣鷹山飛行機墜落事故の現場検証が連想された。
それからまた1時間くらい歩くが、ついに宿を発見できず
バスに乗って、ビーチ沿いのリゾートホテルエリアまで行く。
リゾートホテルに混じって安宿もたくさんあり、1000Rsの宿にチェックイン。
100Rs(ルピー)でおよそ60円なので、1000Rsは600円ほど。
シンガポールで買ったサロン(腰巻き)とタンクトップを着て日傘をさし
なんとも異国情緒漂う格好で、また町を目的もなくブラブラ歩く。
ビリヤーニ(スパイスの効いた炊き込みご飯みたいな米料理)を食べたり
昔懐かしい瓶のコーラやスプライトをたくさん飲んだ。
ローカルの食堂で食べれば、高くても300Rs以内で腹いっぱい食べれるようだ。
しかも瓶のジュースは30Rsほど。食べ物はほんとうに安い。
道を歩いていると、とにかくほとんどの人に声をかけられたり
ニコッと笑顔をもらったり、車でクラクションを鳴らされたりした。
日本人だからか、それともこのサロンのせいか。
さらにある家の前を通りかかると、家のオジサンに家の庭に招かれ
熱いコーヒーをごちそうになった。
オジサンはこの町やスリランカについて片言の英語で教えてくれた。
この国では仏教とキリスト教とヒンドゥー教とイスラム教が共存している。
オジサンはクリスチャンだが、仏教もヒンドゥー教も認めている。
しかしイスラム教だけは別だ!と言っていた。
ここではムスリムはあまり好かれていないのかもしれない。
会話もなかなか続かないので10分くらいでおいとました。
コーヒーは美味しかったが、とても熱い日だったので本当は冷たい飲み物がほしかった。
夕方頃宿に戻り、シャワーを浴び、歩き疲れていたのでちょっと仮眠。
起きると外は暗くなっており、近くのシャレたレストランで
ライス&カリーを食べた。海老のカリーが美味しかったが
全体的にちょっとしょっぱかったので、具に対しご飯が足りなくなり
食べるのをやめ、マンゴーラッシーを飲んだ。
レストランから家に帰る途中、けっこう日本語が上手なジジイに話しかけられた。
ジジイは昔、広島で働いたことがあると言っていたが、話半分で聞いておいた。
最後におやすみなさいと言って握手したら、ヨボヨボジジイのくせに
手がやけに大きくてごっつく、手を褒めてあげたら少し照れていた。
宿に戻り、持ってきた小説「天使と悪魔」を読みながら23時頃眠りについた。
2012/08/13
倫敦おりんぴっく
オリンピックが終わってしまった。
日本にいたときは何かと忙しかったり、違う事を優先して
ニュースでダイジェストだけ見たりしていたが
今回は開会式も朝4時半に起きて見たし、毎日夜はテレビつけて色んな競技を見た。
といってもこちらのテレビで放送されるものは決まっているので
一番見たかった柔道などは放送されず見れなかった。
でもインターネットで柔道の試合を少し見てみたら
なんかもうルールが色々変わって、レスリングみたいになってしまい
全然おもしろくなかった。嘉納治五郎が見たら嘆き悲しみそうだな。
意外と面白かったのは卓球だった。
昔は散々バカにしてたが、あれは本当に良いスポーツだと思う。
まずスピード感があるし、心境が伺える選手の表情とかもたまんないね。
あとルールがすごくシンプルで、決着に対し因縁のつけようがない。
でもちょっと中国から移住してきた選手が多すぎるね。
なんとかもう少し地元の選手で賄えないもんだろうか。
あと毎回そうだけど、微妙な判定で選手が嫌な想いをした選手がとても可哀想だった。
終わったあとに笑顔で握手できるような、そんなルールを作ってほしい。
今の時代、メダル獲ったら色々と良い事があるようなので
死にものぐるいで手段選ばずに勝ちにくるやつがいっぱいいるでしょう。
そんな中でどうスポーツマンシップを守らせ、世界にスポーツの素晴らしさを伝えるか
それに一番力を入れてほしい。あまり近代化とかに力入れてほしくない。
まぁなんにせよスポーツって素晴らしいね。
4年後のオリンピックがまた楽しみだ。
でもオリンピックのタトゥー、あれはマジでダサイわ。
2012/08/05
オチのない今週末の話
土曜日に、奥さんと近くのホームセンターに行って、キャンプ用のテントを買った。
2人用のテントで、大きさは 210cm × 210cm 。値段は3500円とお手頃。
その勢いで、そのままイーストコーストビーチまで行って
さっそく使ってみる事にした。
週末は家族連れや若者でごった返しているので
なるべく人気の少ないはずれの方に行って、テントを広げてみた。
思ったよりも作りはしっかりしていて、大事に使えばけっこう長く使えそうだ。
近くの木にハンモックをぶら下げて
テントの中で蚊取り線香を焚き、キャンプ気分に浸りながら
夜まで、思い思いの時間を過ごした。
暗くなったので、2km近く離れたフードコートまで自転車に二人乗りして行き
二人でシーフードをたらふく食べて、また二人乗りでテントまで戻ってきた。
電気ランプを持ってきたが、あまりに光が小さく、本も読めなさそうなので
まだ10時前だったが、近くのシャワー付き公衆トイレで歯を磨いてすぐ寝た。
マットも何もなかったので、寝心地はあまりよくなく
深夜にはマレー人の若者たちが、近くで夜釣りをしていたので
話声が気になり、何度も起きてあまり寝付けなかった。
7時頃起きて、朝日を見ながらラジオ体操し
また二人乗りでフードコートへ行き朝飯を食べ
帰ってきてからはハンモックで本を読んだり、ジョギングをしてシャワーを浴びたりして
昼の12時頃、全部片付けて、私は自転車で、奥さんはバスで家に帰った。
あーすればよかった、次はこうしようというのがたくさんあったので
また来週末も行こうと思う。というか毎週末行きたい。
奥さんにいたっては、ねえベトナムにもキャンプ場ってあるのかな、と言ってる始末。
2人用のテントで、大きさは 210cm × 210cm 。値段は3500円とお手頃。
その勢いで、そのままイーストコーストビーチまで行って
さっそく使ってみる事にした。
週末は家族連れや若者でごった返しているので
なるべく人気の少ないはずれの方に行って、テントを広げてみた。
思ったよりも作りはしっかりしていて、大事に使えばけっこう長く使えそうだ。
近くの木にハンモックをぶら下げて
テントの中で蚊取り線香を焚き、キャンプ気分に浸りながら
夜まで、思い思いの時間を過ごした。
暗くなったので、2km近く離れたフードコートまで自転車に二人乗りして行き
二人でシーフードをたらふく食べて、また二人乗りでテントまで戻ってきた。
電気ランプを持ってきたが、あまりに光が小さく、本も読めなさそうなので
まだ10時前だったが、近くのシャワー付き公衆トイレで歯を磨いてすぐ寝た。
マットも何もなかったので、寝心地はあまりよくなく
深夜にはマレー人の若者たちが、近くで夜釣りをしていたので
話声が気になり、何度も起きてあまり寝付けなかった。
7時頃起きて、朝日を見ながらラジオ体操し
また二人乗りでフードコートへ行き朝飯を食べ
帰ってきてからはハンモックで本を読んだり、ジョギングをしてシャワーを浴びたりして
昼の12時頃、全部片付けて、私は自転車で、奥さんはバスで家に帰った。
あーすればよかった、次はこうしようというのがたくさんあったので
また来週末も行こうと思う。というか毎週末行きたい。
奥さんにいたっては、ねえベトナムにもキャンプ場ってあるのかな、と言ってる始末。
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