2013/09/25

What a F-1

先週末、シンガポールで例年通りF1のナイトレースが行われました。
F1の観覧席のチケットはとても高いと聞いていたし、あまり興味もなかったので、わたしには一生縁のないものだわんと思っていたのですが、なんと思わぬラッキー!チャチャチャ!ウゥッ!!が舞い込んできたのであります。

わたくしの愚妻(ほんとうはよくできた方です)の兄が、ちょうど今年のF1最終日に誕生日を迎えるということで、兄の奥様がF1レースが見えるホテルの一室で、みんなでお誕生日を祝いましょう!ということで、なんとまぁ豪勢にF1レース会場の真横にあるホテルの、53階の部屋をとられたのです。

当日夜8時近くに、日本語のレッスンが終わったあとで行ったのですが、ホテル付近はF1を観戦しに来た人たちで溢れ帰っておりました。(「し」を一つ増やすと、「感染死しに来た」になります。なんとも不吉ですねえ。)
ホテルのロビーに到着し、先に着いていた奥さんが部屋から迎えにきてくれるのを待っていたのですが、ロビーはおそらくお半端ねえ金持ちの欧米人客たちでごった返しておりました。中には明らかに娼婦と思われる中国小娘などを連れている方々もいまして、ほんとうに欧米の方々は恥知らずだなあと思いました。ちなみに彼らはホワイト・トラッシュ(白いゴミ)という呼び名で私に親しまれております。東南アジアには本当にホワイト・トラッシュがたくさんおります。


さて部屋に着きますと、奥さんの家族や親戚、さらには義理母のお友達まで、たくさんの方々が集まって、ベランダに出て生でF1を見たり、はたまたTVで中継を見たりと、思い思いに楽しんでおられました。わたしも用意されていた夕飯を早々に食べ終え、ベランダからレース会場を見下ろしてみたのですが、さすがに53階なので、レース会場の半分以上が見渡せる景色に驚愕いたしました。もう4年近くこちらに住んでいるので、第一声はもちろん「ワァーオ!!」です。シャレていますでしょう。

初めて生で見るF1カーは、直線などは恐ろしいスピードで走っていましたし、なんといってもあの爆音は凄かったです。日本の暴走族をすぐ思い出しましたが、せっかくの雰囲気が台無しになってしまうので、彼らの事は頭の隅に追いやりました。

それから2時間ほどでしょうか。赤ワインなどを飲みながら、ずっとベランダから双眼鏡などを使ってレースを眺めておりました。わたくし実はF1のルールをよく存じ上げないのですが、それでもすごいなあとブッたまげましたのは、やはりF1カーが前の車を直線で追い抜かすところでしょうか。
おそらく時速200km以上出てると思うのですが、そのスピードで前の車にほぼ車間距離なしでくっついて走って、隙を見て横に出て抜かしてしまったり、何百mもピッタリ横について走ったり、彼らはほんとうに命知らずのアルカトラズです。あれは正気の沙汰でできる事ではないと感じましたが、彼らにとっては雑作もない事なのでしょうか。いやはや、ほんとうに驚きました。これはたしかに大金を出しても見る価値があるなと思いました。

そして今年のF1は、傲慢ちきなドイツ人レーサーの優勝で幕を閉じたのですが、その勝利の瞬間にレース会場の奥に見える、マリーナベイサンズ前の池から、豪快に花火が何百発も打ち上げられました。
わたしたちの部屋は53階なので、花火を若干上から見下ろしているように見えました。花火の音もかなり大きかったですが、F1の後では屁のつっぱりのようなものです。

さてレースが終わったあとは、メリケンの歌手、リアナさんと、ジャスティン・ビーバーさんのコンサートが、すぐ近くに見えるライブ会場であるようでしたが、みなさんあまり興味がないようでさっそうと部屋をあとにするので、わたしも渋々おいとますることにしました。ジャスティン・ビーバーに上から赤ワインを投げつけてやりたかったのに残念です。
ホテルのロビーに下りますと、みんな酒が入ってホワイト・トラッシュの数が倍になっておりました。清掃員の方々、こいつらもよろしくお願いいたします。

以上、わたしの最初で最後であろうF1観戦でございました。かしこ




↓ いつもはもっと凛々しい表情をしていますが、皆様をイラつかせるために、わざとこのような表情をしてみました。



2013/09/21

NIGAOE

最近、似顔絵を描く仕事がいくつかありました。
隠し事ではありません。描く仕事です。もちろん隠し事も少しありますが。












2013/09/20

悲しいことはいつもある


かなり古いんですが、先日小説「青の炎」をやっと読み終えました。
後半、読んでいて胸が締めつけられて、とても辛かったです。この小説は犯人探しの推理小説ではなくて、犯人側の視点で書かれているので、犯人の心理がわかるんですね。あらすじは主人公の男の子が家族を守ろうとして殺人を犯し、それをだんだん後悔し始めるんですが、そのときの描写が非常にせつないんです。もちろん自業自得なんですけど、でもできることなら過去にもう一度戻ってやり直したいと、切に切に願う少年がほんとおおにせつない・・・。正直、途中でもう読み進めるのやめようかと思いました。

実はわたしも人を殺す夢をよく見るんです。そして、嗚呼とりかえしのつかない事をしてしまったと嘆いてるところで目を覚まして、ああそうか・・・夢だったか。ほんとうによかった。俺はまだなにもとりかえしのつかない事をしていない世界で生きていけるんだ。なんて胸をなで下ろすんです。ほんとうによくとりかえしのつかない事をするんです夢の中で。

そういえば、これもせつなかったです。漫画「寄生獣」でシンイチが、自分のお母さんが死んだのを再確認するところ。母親を殺して体を乗っ取ったパラサイトにシンイチが胸を刺されて倒れ、次の日なんとか死なずに目覚めたが、自分の刺された傷を見て、「夢じゃ・・・なかったのか」というあのシーン・・・。
















人生というのは、ほんとうに残酷なことがあるものです。誰だってあるでしょう、例えば昔本当に好きだったけど別れてしまった恋人の写真を見つめて、もうあの頃には戻れないんだと嘆いたり。

わたしはもっとひどい体験もあります。20代前半の頃、原付バイクに乗っていたことがありまして、そのときに自分の不注意で車にはねられたことがあるのです。あとから聞かされた話だと、7mも吹っ飛んだそうです。それで地面に叩き付けられて虫の息で数分後に救急車に乗ったんですけど、その救急車の中でやっと意識が正常に戻ってきて、あれ?もしかしてこれ現実なの?おれほんとにはねられたの?そしてこのまま死んじゃうの?これで人生終わり?あれ?あれ?って、あのときはほんとおおおにせつなく悲しく寂しかった。いまにも自分の見ている視界がテレビが消えるみたいに何もなくなって、「無」になってしまうんじゃないかと思って。結局なんとか助かったんですが、肝っ玉が小さいので過剰にビビッてしまいました。

本の話にまた戻りますが、わたしは感情移入しやすいのか、フィクションだとわかっていてもとても辛くなるんです。なのでじつはテレビ番組などの「どっきり」系も見られません。ああいう番組ってかなり精神的に追い込むじゃないですか。だからだまされてる人があまりに可哀想で見ていられないんです。
あと「ロンドンハーツ」の「ブラックメール」もひどかったなあ。あれも一切見られません。なんでみんなあんなの直視できるんでしょうか。ちょっと無神経すぎるんじゃありませんか?バーバリアンじゃございませんか?

この世界から悲しい事がなくなる日は、きっと来ないでしょう。しかしわたしは信じています。全ては因果応報からなりたっていて、けして誰にでも偶発的に悲しいことが訪れるわけではないと。ようするに、悲しみを招いているのは自分で、やりようによっちゃあ悲しい事が訪れないようにもできるのだと。「悲しい事」というのは、ようは「自分が悲しんでしまう事」ですから、一番簡単なのは悲しいことを悲しいと感じなければいいんですよね。
親が死んでも、恋人にフラれてもけして悲しまない。こんな事を言うと、それで人間と言えるのか!なんて言う人がたくさんいます。まるで悲しむことを望んでいるかのようです。悲しんだ分だけ人に優しくなれる、なんて歌もありますし、わたしもその通りだと思いますが、じゃあ一生悲しみに怯えながら生きていくのでしょうか。
わたしは今年で35歳になりますが、そろそろ悲しみとは縁を切りたいと思っています。現実をしっかりと正面から見つめ、何事にも同時ない静かな「凪」のような心を持ちたい。きっとあなたが死ぬときには、わたしはあなたの死を悲しまなくなっているかもしれない。そのかわり、また生まれ変わるあなたがもっと幸せであるようにと、祈ってやろう ほととぎす

2013/09/17

ファック オリンピック ファック

オリンピックが2020年に東京で開かれるみたいですが
もちろんわたしは反対です。でも反対と言ったってもう決まってしまったんだからもう遅いですよね。じゃあ招致が決まる前に反対だ!って言ったほうがよかったのでしょうか。おそらくその前にもうすでに東京に決まっていたんじゃないでしょうか。ものまね王座決定戦だって、今思えばあれはデキレースだったんじゃないかと。淡谷のり子が清水アキラに何点をつけるかも決まっていたんです。正確に言うなら、淡谷先生はよくわかっていなかったがいつも隣に座っていた生田悦子はわかっていて、代わりに押していたんです。いやそもそも点数ボタンすらもなかったのかも。まぁたとえそうだとしても、別にそれはそれでよかったと思います。しょせんテレビ番組ですから。

まあそれはいいとして、なぜ反対か。もちろんフクシマとかがまだあんな状態なのに、国をあげて他のことに取り組んで、原発問題とかうやむやにする気でしょう。まぁ人として当たり前の事を言っていると思っているんですが、違うのでしょうか。もう決まったんだから後ろ向きな事ばっかり言ってないで応援したらどうよって、言われるんでしょうか。

けっこうよく見るんですが、オリンピックが決まってしまったのは残念だが、結果的に原発に対して今までよりもチェックの目が厳しくなるから良かったんじゃないかって、そう言う人がいるんですが、わたしは違うと思うんです。結果さえ良ければいいと言うんだったら、それこそ安倍総理と同じですよ。自分が正しいと思ったことを行うことが一番大事であって、結果が思ったとおりになりそうだから、正しくないと思うことも良しとするって、わたしはいけない事だと思います。そんな事で出た結果は、きっとあまり意味のないものだと思います。だから安倍総理が私たちのリーダーだと言う事も、うなずけます。あの人は紛れもなく、結果オーライ日本人のリーダーです。いつから日本人は手段を選ばなくなったんでしょうか。日本人の美学は金で買われてどこかへ捨てられたの?

そもそもわたしはオリンピック自体が最近嫌いなんです。なんなんですかあのIOC委員会の怪しさは。オリンピック招致したい国に接待させたり、レスリングなくすとか言い出したり、スポーツマンらしくない行為をちゃんと処分しなかったり。審判だって買収されてるようなのがたくさんいるし。どの口がオリンピックは子供に夢を与えるなんて言うんでしょうか。あきらかに金(きん)じゃなくて金(かね)が欲しいような怪しい選手もいるでしょう。「夢を与える」って言葉がそもそもすごく嘘くさいです。意味わかんないです。一流選手を見て、ああ僕もああなりたいなって。なればいいじゃないですか。勝手になればいいんですよ。そんなちっぽけな事思わすためにいくら金使ってるんだよ馬鹿。菅直人が飲まず食わずで一週間泣きながら八十八カ所巡りしてる方がまだ感動するわ。

わたしスポーツは大好きですし、一流選手のプレーとか見てたらほんとに面白いし興奮するんですけど、オリンピックはなにか違うと思います。すごく大切なものを欠いている。じゃあ世界選手権はいいのか。全日本選手権はどうだ。そういうのはよくわかりませんが、小さければ小さいほど良いと思います。大きい組織になればなるほど、筋の通らないことが増えていくと思います。だって一人一人の事なんて無視しなきゃならないようになりますから、次第に人を見なくなっていくと思うんです。

スポーツってのは本当に素晴らしいものだと思ってるので、こういう金稼ぎの片棒を担がされているのを見るのは、心が痛みます。わたしの好きな柔道だって、ルールころころ変えられて、今となっては私が得意な技ほとんど禁止ですよ。わたしのような人間は柔道やるなって事ですよね。こんなに歴史の長い競技のルール変えるって、おかしくないですか。

まだまだ思うことはあるんですが、キリがないしたいして面白くもないので。
しかし本当にオリンピックやるんですか2020年。できるんですか本当に?
というか今からでも遅くないから辞退して、原発問題に100%取り組みましょうよ国をあげて。わたしこっちで、恥さらしの日本人として後ろ指さされてもいいですから。旅行の先々で鼻で笑われて石投げられてもいいですから。
それで10人に1人くらい、「日本人がとった行動って、おれはすごい事だと思うな」
なんて言われてみたい。ぽっ



全然知らない人のブログなんですけど、こういうのってコメント欄が一番熱いんすよね
オリンピックにちょっと違和感を持っている他の人のブログ

2013/09/09

ペルヘンティアン島その3

9月5日(木曜日)

朝11時に宿をチェックアウトしまして、それからロング・ビーチに行き、「Mohsin Chalet(モーシン・シャレー)」違うシャレーにチェックインいたしました。山の斜面に建っているオシャレなシャレーでして、部屋やカフェからはロングビーチが一望できますので、もちろんお値段もそれなりで、一泊4000円と聞いていましたが、なんとその日はプロモーションらしく半額で泊まることができました。そんなものだまっていらっしゃればこちらは大人しく4000円払ったものを、なんともまあ正直で誠実な人たちだこと、そしてなんとまあラッキーな私たちでしょうと、いたく感動いたしました。

さらに部屋に入ってみると、とても清潔そうですし、シャワーの出も素晴らしく、ベッドシーツもまったく臭いません。ほんとうに宿選びというのは重要ですが、なんとも難しいものですね。

ロングビーチからは、山の上に建っている風車が見えるのですが、そこまで歩いて行ける道があると聞いたので、じゃあ午後からそこに行こうということで、2時から二人で山道を登りましたが、日陰もなにもない道で、ほんとうに日差しがキツく、登山帽を持って来るのを忘れた事を深く後悔いたしました。一応頭に白いタオルをかけておいたのですが、その甲斐虚しく、顔が真っ黒に焼けてしまいました。白いタオルや、薄い日傘などは、この殺人太陽様の前ではなんの役にも立ちません。

しかし山道自体はそんなに長くはなかったので、20分ほどで頂上の風車を見る事ができたのですが、ほんとうにただの風車で、これを見てどう納得すればいいのか困っていたのですが、どうやらその先にも道がまだ続いているようで、恐る恐る進んでみますと、なんと展望台に辿り着きました。
けっこうモダンな建物で、山の下の海岸までずっと階段が続いていたのですが、海の近くだからでございましょうか、手すりから何から鉄の部分はほとんど錆びてボロボロで、廃墟の展望台といった感じで、我々のほかには旅行者や地元の人など誰もいませんでした。

眼下に広がる海はほんとうにコバルトブルーで綺麗でございました。シュノーケリングツアーで来ているようなマレー系の若者さんたちがたくさんいて、ライフジャケットを着て遊んでおりました。バナナボートに乗りながらいつも同じ所でみなさん転落されるのですが、あのような事を繰り返していったい何が面白いのかと少し不思議に思いました。

それから夕方になりましたので、山を降りて宿に戻り、夕方からわたしは一人で岩場を一人で泳いでみました。お魚さんたちも夕食の時間なのか、色とりどりの魚の巨大な群れが岩場をつつきながら少しずつ移動していましたが、その光景は「白い巨塔」の東教授の総回診を連想させました。

夜はまた静かで質素なレストランで、二人でBBQセットを頼みました。わたしはバラクーダ(オニカマス)の包み焼きを食べましたが、これも大変美味しゅうございました。周りはほとんど欧米人の客で、だいたいカップルか3、4人の友だちでみなさん来ていらっしゃるのですが、たまに一人でポツネンと食事をされている人がいました。わたしも今度一人で来たらこういう図になるのだなあと肝に銘じておきました。

9月6日(金曜日)

さて今日はついに島を出る日なので、朝飯をゆっくり食べて11時にチェックアウトしました。帰りのボートは夕方4時なので、わたしは一人でまた昨日の展望台に行ってみることにしました。けっこう登りがキツイので、長い木の枝でストック(杖)を2本作り、それを使って登りました。昨日と同じく展望台には誰もいなかったので、汗で濡れた服を全部脱いで素っ裸になり、タオルを一枚だけ腰に巻き、ハンモックを吊るして寝ました。
素晴らしい景色を眺めながら、槇原敬之ベストを聴きましたが、ほんとうに槇原さんの「どうしようもない僕に天使が降りてきた」は名曲だなあと思いました。

時間が早かったせいか、昨日のように海で泳いでる人たちもいなかったので、日焼け止めを脚の裏にしっかり塗ってから、一人で泳いでみましたが、水深は6、7mほどで海底は真っ白な砂になっており、超巨大なプールといった感じでした。しかし一人でこの広大な海で泳ぐというのはもちろん気持ち良いのでございますが、もし鮫のような危険な生物に遭遇したらどうしようという思いは常にあり、あまり手放しでは楽しめない感じもありますが、アウトドアというのはそれぐらい気を張りつめていた方がいいのかもしれません。

それからまた昼寝などをして、3時前には宿に戻り、トイレで無理矢理体を洗って、4時にジェッティーからボートに乗ってペルヘンティアン島をあとにしました。島はとても良い天気だったのですが、大陸の方は巨大な雨雲が町を覆っており、遠目からみても雨が降っていることが確認できました。やはり島と大陸の気候はまたちょっと違うようですね。

クアラブスのジェッティーに着いてから、またタクシーでジェルテという町に戻りましたが、帰りのバスは夜9時で、まだ5時間以上も時間があったので、町をジャランジャラン(マレー語でブラブラ)したり、古着屋でズボンを買ったりして時間を潰しました。このジェルテの町も、マレー系の人たちがメインの町ですから、猫が多いのなんの。視界の中に必ずいつも猫が一匹は居るのであります。なんと素敵な所でしょうかマレーシアという所は。

晩ゴハンも食べ、バスステーションでバスを待っていたのですが、そこで一人面白い方を見かけました。バスが到着する度に拡声器を持って歩き回りアナウンスをする青年なんですが、この方が異様にハイテンションで「さあみんなクアラルンプール行きのバスがついにやってきたよぉ!乗り遅れないでくれよイヤッホウ!」などと延々と宣っていらっしゃって、周りの方もクスクス笑っておられました。さしずめマレーシアのエディー・マーフィーといったところでしょうか。ひょうきんな方というのはどこにもいらっしゃるものですが、この方からは比類なきシュールなセンスを感じました。
また来年もこの方を拝見できるかしらんと思っているうちにバスが来て、11時間後には今回も家に無事に着くことができました。それにしても改めて鏡で自分を見てみると、体だけが白く顔と脚は真っ黒になっていて、燃やし方を間違えたマッチ棒のようで、非常に気味が悪くなっておりました。

今回は移動から宿から全部含めてたった15000円の出費でございます。バリ島やプーケットなどへ行くと一日でなくなってしまう額ですが、マレーシアでしたら工夫をされればもっと遊べるはずでございます。ぜひ皆様も機会がございましたら、足を運んでみてくださいませ。以上、わたしのささやかな自慢話でございました。





写真1:バナナ・ローティチャナイ(パンケーキ)。左にあるカレーにつけて食べます。
写真2:モーシン・シャレーの部屋から見たロング・ビーチ。
写真3:ライフ・ジャケットをつけて遊ぶマレー系の若者たち。基本カナヅチ。
写真4:フィレオフィッシュ・バーガーとツナサンド。
写真5:自作のストックでドヤ顔。
写真6:ここでハンモックに寝ながらチンチンをしごいた。
写真7:一番下から見上げた光景。上に風車が見える。
写真8:傾いて入水場と化した廃墟ジェッティー。
写真9:まるで露天風呂のよう。











ペルヘンティアン島その2

9月4日(水曜日)

朝8時頃に起きて、砂浜を一人で散歩をしましたところ、一匹の人なつこい猫が寄ってきまして、しばらく一緒に戯れて遊んでおりました。マレーシア、とくに中華系ではなくてマレー系の人々が住んでいるところは猫が非常に多いです。なぜならマレー系の人々はイスラム教ですから犬を忌み嫌っておるのであります。どうしてかはわかりませんが、聞いたところによると、「鼻がいつも濡れているから」だそうであります。
そしてここペルヘンティアン島も、マレー系の方々が住んでいるところでありますから、このように猫が非常に多いわけで、猫好きの我々にはたまらんのであります。

さて前日申し込んだシュノーケリングツアーが朝10時半から始まるということで、その店の前で待っていますと、マレー系の若者たちや、ワクワク欧米人たちが集まってまいりました。一人ずつ足ヒレのサイズ合わせをして、各自のボートに乗り込みました。わたしたちのボートには、フランス人のカップル2組とマレー系仲良し男子3人が乗り込みました。ガイドもマレー系のお兄さんです。

まずは大きい島の近くにある、珊瑚のキレイなポイントに行きました。色とりどりのお魚さんたちがいました。なかでも私の大好きなのは、イソギンチャクの中に隠れているクマノミちゃん達であります。潜っていってちょっかいをかけると、小さい体でプイプイと怒っているのであります。嗚呼かわいい。

そして次に移動したるは、タートルポイント。そう、あの海亀さんについにご対面というわけです。ガイドが申しますに、これからガイドさんが海亀をボートの上から探すので、見つけたらばみんなで海に入ろうと、こういうわけです。するとさっそくフランス人の男が、あ!あそこにいる!と亀さんを見つけましたところ、ガイドさんがまぁ落ち着け落ち着けと、あんなのじゃなくてもっと大きいのを俺が今探すから待っとけよと、こうです。
そして2、3分ボートをゆっくり移動させているとついに、いたぞ!みんな海に入れ!と合図がかかりましたので、みんなで一斉に潜ると、いましたいました。おそらく水深7、8mくらいあろう海の底で、1.5mほどの大きさの海亀さんが海底に生えている藻をモシャモシャ食べておりました。
潜水ができる私はさっそく下まで潜っていって頭をナデナデしてあげました。感動です。わたしなどは十数秒潜っているのがやっとですが、ガイドさんはゆっくりと潜っていって一分近くも写真をとったり亀さんと戯れておりました。しかし亀さんはずっと海底で藻を食べているばかりで、ガイドさんもそこを動こうとしないので、ただずっと上から見ているだけのツアーなのかと思ったら、5分くらいしてついに海亀さんがゆっくりと浮き上がって泳ぎ始めました。するとみんなも一斉に亀さんを追いかけるのですが、その光景がまるでしつこいパパラッチのようで異様でした。亀さんはゆっくり浮上したかと思うと、頭だけ水面から出して空気を吸っていました。その水面から出た顔がなんともミイラのようで不気味なんですがなぜか可愛らしくて、とても印象的でした。
そんなこんなでその後も2匹くらい違う亀さんをみんなで追い回しました。

続いてシャークポイントに移動したのですが、わたしは前回ティオマン島でも偶然一人で鮫と遭遇したのですが、それが実はかなりのトラウマになっていて、海を泳いでいるきはいつも向こうから鮫が出て来るんじゃないかといつもビクビクして泳いでいるのです。
そんなわけで今回も、できるだけみんなと離れないでコバンザメのようにしていたのですが、なんと現れた鮫は体長60cmくらいの赤ちゃん鮫でした。子供と老人にはすこぶる強いわたしなので、追いかけ回してやろうと思いましたが、すごい速さで逃げられてしまいました。その直後に、もしかして母親でも呼ばれたらえらい事だぞと思い、わたしも一目散でその場を離れました。

それから今度は近くの漁村に行って、みんなでお昼ゴハンを食べました。わたしはマレー風チャーハンを食べましたが、これもほんとおに美味しゅうございました。
昼ご飯のあとは、小さな灯台に行き、そこからジャンプをしたり、パンクズを魚にあげたりしてエンジョイしました。それにしてもフランス人の女性お2人はとてもスタイルがよく、ビキニがとてもお似合いで、わたしはよくお2人の後ろに周り、目の保養をさせていただきました。メルシーボークー。

そして最後に「ロマンティックビーチ」というなんともハイカラな名前がつけられたビーチの近くで泳ぎましたが、ここでも赤ちゃん鮫がたくさんおりました。さらにみんながなにやらワイワイやっているので、なにやつなにやつと駆けつけてみると、なんと岩の隙間から、これまた体長1.5mはありそうな黄色いウツボ様が、ガイドさんの持っている魚の切り身欲しさに体をひねり出しているじゃあございませんか。さらにみんなもガイドさんから切り身をもらい、岩の間からおびき出す事に成功していましたが、わたしも最後に挑戦させていただいた所、ウツボ様もいい加減に飽きたようで、さっぱり出て来ていただけませんでした。わたしは恥ずかしさのあまり、隙間があったら入りたい気分になりました。

これでようやくツアー終了ということで島に戻ったわけでありますが、時間はもう夕方5時を回っていまして、一人たった1000円ちょっとのこのツアーで、半日近くもエンジョイさせていただいたわけで、なんとも素晴らしいツアーだとガイドさんにお礼を言い宿に戻ったわけであります。

しかし宿に戻ってシャワーを浴びてみますと、なんとも太ももの裏側が痛みますので、見てみましたところ、たいそう真っ赤に焼けており、そういえばここはサンブロックを塗っていなかったではないかと、奥さんも私もたいそう後悔したのであります。

その夜も昨日と同じレストランへ行き、奥さんは500円ほどのBBQセットなるものを注文しましたが、これに出て来たキングフィッシュなるものの蒸し焼きがたいそう美味しく、魚は寒い所に限るだろうとばかり思い込んでいた北海道民の自分をひどく恥じたわけでございます。

宿に帰るともう10時を回っておりましたので、一日泳ぎまくりさすがに体もたいそう疲れていたので、すぐ消灯して寝たわけでありますが、日頃の行いが悪かったのか、フランス女性にうつつをぬかしたのがいけなかったのか、夜中の3時頃にハッと目が覚めて寝れなくなってしまい、一人で夜の浜辺を散歩したり、夜空を眺めたりと、一人で無駄にロマンティックな時間を過ごし、5時くらいにようやくまた眠りについた次第でございます。



写真1:シュノーケリングツアーの一例。
写真2:巨大な貝に興奮する妻。
写真3:漁村に降りた最後の天使。
写真4:灯台から思い思いに飛び込む面々。
写真5:海中でオシッコをする妻。
写真6:船に上がってこようとする海坊主。
写真7:やりきった感を漂わせてオシッコをする私。
写真8:サンブロックを塗らないとこんな事に。











2013/09/08

今週の人々1

今週の人々






ペルヘンティアン島その1
















先週奥さんと二人でマレーシアはペルヘンティアン島なる所に行って参った。
日本人には知名度はまだ全然ないが、去年どっかでその島のことを知ってからずっと行きたかった。だって海亀見られるって書いてたんだもん。

マレーシア半島の北東に浮かぶ島で、よく行くティオマン島と同じでモンスーン時期は店もホテルも全部閉まっちゃう島だ。なのでシーズンは5月から9月までで8月がピーク。われら夫婦が行った9月頭がハイシーズンのちょうど終わり頃。これからはどんどん海も荒れてきて水の透明度も悪くなっていくんだろう。

ペルヘンティアンはマレーシアの上の方にあるので、シンガポールからは飛行機で近くまで飛ぶ人が多いが、足で稼ぐ我が夫婦はもちろん長距離バスに乗った。しかもシンガポールからではなく、一度マレーシアの国境を超えてそこからバスに乗る。こうするとバス代も半額程度になるのだ。ちなみに片道2000円ちょいで、10時間バスに乗り、そこからタクシーでジェッティー(船乗り場)まで20分程度。


さて今回も少しかいつまんで説明しよう。

9月2日(月曜日)、夕方5時くらいに家を出て、マレーシアの国境の町ジョホール・バルまで行き、夜9時のバスに乗り、朝の7時過ぎにJERTEH(ジェルテ)という町に着き、そこで我々だけ降ろしてもらい、そこからタクシーに乗って、ジェッティーのあるKUALA BESUT(クアラ・ブス)に着いた。
とてもちゃっかりしたタクシーで、運転手のオヤジの娘もなぜか助手席に乗っていて、これからついでに近くの学校まで送ってあげるらしい。

そこから乗り合いのスピードボートに乗って2、30分でペルヘンティアン島の小さい方の島に着いた。ペルヘンティアン島は、大きいのと小さいのの2つ島のことを言い、大きい方にはリゾートがたくさん。小さいのには安いシャレー(ロッヂ)みたいなのがたくさんあって、バックパッカーに人気がある。

しかもその小さい方の島にも、様々なビーチがあり、一番人気があるのは「ロングビーチ」という島の東側に面しているビーチだが、アホ欧米人で騒がしそうなので、そのロングビーチのちょうど真裏にある「コーラルビーチ」という所に2泊だけ宿をとっておいた。
Maya Chalet(マヤ・シャレー)」という所で、1泊3000円もしたのでたいそう良い所だろうと思いきや、ボロい汚いしでマイった。シャワーの出悪いし、シャワー室のバケツぬめぬめしてるし、蚊帳もボロボロ、ベッドは臭う。わたしはマヤ・シャレーの限界を見た。しかしスタッフは気のいい兄ちゃん達で、なんか憎むに憎めない。それがマレーシア人。
コーラル・ビーチはちょっと小さくて浜辺もあまりキレイとは言えなかったが、珊瑚も少しあって魚もたくさんいた。コーラル・ビーチは、山を挟んでロング・ビーチの真裏にあるので、山道を15分くらい歩けば行き来できるようになっている。なのですぐ荷物を宿に置いてロングビーチにも行ってきた。

ロング・ビーチは名前の通り長く、白くてキレイな砂浜が広がっていて、パラソルなんかがたくさん立ててあって、日焼けしている欧米人がたくさんいた。ほとんどがパリス・ヒルトンみたいな頭悪そうなネーチャンだったが、ときどきアン・ハサウェイのような肌が真っ白で田舎で育ちましたみたいな可愛い女性もいた。
しかしロング・ビーチは白い砂だけで、海の中は珊瑚も魚もあまりいなかった。シュノーケリングならコーラル、砂遊びならロング、これで決まりだ。

しかし驚いたのが、どこのレストランもメシがすこぶる美味しかった。ティオマン島などはほんとに何食べても微妙だったのだが、ここはなんでもイケル。独島価格なのでやや高めになっているものの、それでも普通のレストランならば一品300円てなところだ。

どこのビーチにも「シュノーケリング・ツアー」の看板が立っていて、それぞれコースも値段も微妙に違う。前日に申し込まないといけないので、いったいどこにしたらいいのか迷いに迷っていると少し憂鬱な気分になってしまった。どんな些細な事でも人間は不幸せになることができる。わたしは人間の可能性を見た。結局てきとうに目があった兄ちゃんのところに申し込んでしまった。

夕飯を食べようと思ったが、どこのレストランも下品な音楽や、しょーもない映画を大音量で流しているので、うるさくないレストランを消去法で探したら、けっきょく宿の隣の一番質素なレストランに来てしまったが、そこがやはりまた美味しかった。そして食後にはライム・ジュースを頼み、家からわざわざ持参してきたウォッカをこっそり入れて、さらに持参してたカシューナッツを食べながら、けっこう酔っぱらってしまった。

部屋のボロさや、暑すぎる天気などで、昼間は少し不機嫌だったが、じっと辛抱したおかげで夜はこうやってまた元気になれた。そんなことを考えながら臭いベッドで寝た。



写真1:ジェッティーのトイレ(1回10円)
写真2:スキューバダイビング・ツアー
写真3:ロング・ビーチを行進する妻
写真4:小心者な魚の群れ
写真5:セクシーなポーズでバントのサインを送る高校球児
写真6:浅瀬でスキューバの初心者講習を受ける欧米人
写真7:砂遊びに飽きたあたし
写真8:宿の隣のレストラン










2013/09/02

ソトコト「びざん大学」


月刊ソトコト10月号(9月5日発売)の「ソーシャル系大学案内」という特集の
徳島の「びざん大学」を紹介しているコーナーで
阿波踊りなどのイラストを描かせてもらいました。

わたしは大学に行かなかったので
「キャンパス」とか「ゼミ」とか、いまいちなんのことかよくわかりません。