今日もきっちり6:00起き とても目覚めの良い朝
昨日の夜にスーパーで買った
「練乳フランス」(練乳クリームの入ったフランスパン)を食べる
これ昔っから大好物で 迷ったらとりあえずこれを買ってた
ラジオ体操終了後 今日はどこに行こうか迷っていたが
大槌町の「まごころの里」という被災者のために作っている農園で
また畑仕事をすることにした
そこも山に囲まれた地域で 周りには仮設住宅がたくさんあった
もうほとんど農園はできあがっていたので 仕上げとして
土手の草を刈ったり 石を運んだり 桑で畑を耕したりした
昼休みには川沿いを散歩したりして 田舎を満喫した
はたしてこの農園は 被災者さん達に喜んでもらえるのであろうか
わたしには知る由もない
夜は勇気を出して仮設シャワーを使ってみた
きちんと熱いお湯が勢いよく出て 石けんなども置いてあり非常に快適だった
インドで旅行したときは 冬なのに水しかでないシャワーで
バケツ一杯の熱湯をもらい 手桶で水と混ぜながら体を洗ったりしたことがあるので
それに比べるとほんとに天国のようだ
晩飯は友達に「さとうのご飯」とレトルトの蟹玉丼をもらった
それから他の長期のボランティアさん達の仲間に入れてもらい白ワインを飲ませてもらった
みんなアラフォー世代で ふざけててくだらない話しばっかりしてんだけど
ボランティアや被災地に関してはしっかり考えてて
メリハリがあるとても良い感じの人達だった
深くは突っ込んで聞けなかったけど みんな仕事を辞めて来てて
これからもかなり長く続けていきそうな感じがした
その夜は歯も磨かずホロ酔いのまま寝袋に入って寝た
2011/11/06
ボランティア1日目
6:00にチャイムでちゃんと起きる
めちゃんこ冷たい水で顔を洗い 朝飯ってどうすればいいのか考えながら
結局答えを見つけられず朝飯抜き
7:20にラジオ体操
シンガポールでも毎朝かかさずやっているので
俺の華麗な体操を見よといわんばかりに前の方に立ちのびのびと背伸びの運動
色々な活動があるみたいだが とりあえず基本の瓦礫撤去をやろうと思い
陸前高田での作業を希望し長靴やゴム手袋を持ってバスに乗り込む
途中で小さな商店に寄り 昼飯のおにぎりと唐揚げを買う
現場に着く前に被災地を通り はじめて生で津波にやられた現場を見る
今までネットやテレビで見ていたままそのもので
津波の前の姿がいくら考えても想像できず ここに以前町があったとは思えなかった
バスが着いたのは山間にある畑
今日は瓦礫撤去ではなく もうだいぶ前に瓦礫は取り除いたものの
塩害によってダメになってしまった畑の整備だ
塩を取り除くために以前畑にひまわりを大量に植え 今はもう枯れたので
その塩をたくさん吸ったひまわりの根っこを畑から取る作業など
総勢20人くらいで 休憩をはさみながら夕方4時近くまで 4、5時間汗を流した
この付近では震災のときに海沿いの水産加工場から8万匹のサンマが流れてきて
夏にはそれが腐ってすさまじい悪臭を放っていて
それをボランティアがゲロ吐きながらも全部手作業で回収したらしい
すさまじいね
夕方4時には遠野に戻ってきて 全体ミーティングのあと
自転車を借りて 一人で近くの銭湯に行った
520円の良い銭湯があるとすすめてもらったにもかかわらず
ケチなので390円の安い銭湯の方に行った
とても古い銭湯で 浴槽は小さく3人くらいしか入れないようなとこで
お湯は45度くらいありとても熱くて入れたもんじゃなかった
風呂上がりは役所広司と友達だという番頭のオバちゃんと10分近く世間話をし
しっかりと湯冷めしたあと 梅の飴玉を一個もらい銭湯をあとにした
帰りにスーパーで半額の弁当を買って食べ
また22時にそのままの格好で寝袋に入り寝た
めちゃんこ冷たい水で顔を洗い 朝飯ってどうすればいいのか考えながら
結局答えを見つけられず朝飯抜き
7:20にラジオ体操
シンガポールでも毎朝かかさずやっているので
俺の華麗な体操を見よといわんばかりに前の方に立ちのびのびと背伸びの運動
色々な活動があるみたいだが とりあえず基本の瓦礫撤去をやろうと思い
陸前高田での作業を希望し長靴やゴム手袋を持ってバスに乗り込む
途中で小さな商店に寄り 昼飯のおにぎりと唐揚げを買う
現場に着く前に被災地を通り はじめて生で津波にやられた現場を見る
今までネットやテレビで見ていたままそのもので
津波の前の姿がいくら考えても想像できず ここに以前町があったとは思えなかった
バスが着いたのは山間にある畑
今日は瓦礫撤去ではなく もうだいぶ前に瓦礫は取り除いたものの
塩害によってダメになってしまった畑の整備だ
塩を取り除くために以前畑にひまわりを大量に植え 今はもう枯れたので
その塩をたくさん吸ったひまわりの根っこを畑から取る作業など
総勢20人くらいで 休憩をはさみながら夕方4時近くまで 4、5時間汗を流した
この付近では震災のときに海沿いの水産加工場から8万匹のサンマが流れてきて
夏にはそれが腐ってすさまじい悪臭を放っていて
それをボランティアがゲロ吐きながらも全部手作業で回収したらしい
すさまじいね
夕方4時には遠野に戻ってきて 全体ミーティングのあと
自転車を借りて 一人で近くの銭湯に行った
520円の良い銭湯があるとすすめてもらったにもかかわらず
ケチなので390円の安い銭湯の方に行った
とても古い銭湯で 浴槽は小さく3人くらいしか入れないようなとこで
お湯は45度くらいありとても熱くて入れたもんじゃなかった
風呂上がりは役所広司と友達だという番頭のオバちゃんと10分近く世間話をし
しっかりと湯冷めしたあと 梅の飴玉を一個もらい銭湯をあとにした
帰りにスーパーで半額の弁当を買って食べ
また22時にそのままの格好で寝袋に入り寝た
遠野初日
朝8時半に八戸を出発し 昼の12時過ぎにやっと遠野の駅に着き
駅前のタクシー会社でボランティアセンターの場所を聞く
おじさんにどこから来たのかと聞かれ 北海道からと答えるととても驚かれ
いや〜近いですよけっこう と言いながらもちょっとドヤ顔になる
20分ほど歩いてやっとボランティアセンターに着く
遠野市の福祉センターを貸して使わせてもらい本部としており
建物の外には大量の洗濯物が 仮設の干し場にかけられていた
近くには大きなドラッグストアや スーパー コンビニなどがあり
環境はとても良さそうだった
受付を済ませたが 活動は明日からなので館内を見てまわる
仮設シャワーや洗濯機に調理場所 さらには無線LANまで飛んでいて
思ったよりも快適そうだったが どの部屋にも暖房がないので
寝どころとなる体育館で寝袋を出して入る以外に
寒さをしのぐ場所がない それだけが唯一大変そうだなと思った
http://tonomagokoro.net/lets-volunteer/facilities
その日は 被災地に行ってるボランティアさん達が帰ってくる5時くらいまで時間を潰し
やっと帰ってきた友達と久しぶりの再会をし ここでの活動などについて話を聞いた
友達もそうなのだが 長期でボランティアをしている人達の大半は
バックパッカーか 登山愛好家らしい
寝泊まりは寒い体育館で寝袋で 生活は自己完結が鉄則というこの暮らしに耐えられるのは
そういう人達でなければ無理だということだろうか
それにしても 会社を辞めてまで来ているという人が多くてビックリした
それぞれに色々事情はあるんだろうが 活動中の資金や 家族の理解など
色々な物をクリアーしてここで活動している人達は やはり選ばれた人達なんだろう
やりたいと思ってもできない人達がたくさんいるはずだし
ボランティアの一日の流れはこうだ
6:00 起床(体育館でも大きなチャイムがなる)
7:20 ラジオ体操
7:30 朝礼(朝礼後に現場の振り分けが行われ バスで現場へと向かう)
16:00 活動終了
17:00 全体ミーティング
22:00 消灯(消灯後は体育館では寝る以外の行動は厳禁)
初日の夜は 友達にもらったカップラーメンを食べ シャワーは浴びなかった
風邪をひかないよう ももひきをはいてダウンジャケットを着てマフラーを巻き
まったく普段着と同じ格好で寝袋に入って寝た
駅前のタクシー会社でボランティアセンターの場所を聞く
おじさんにどこから来たのかと聞かれ 北海道からと答えるととても驚かれ
いや〜近いですよけっこう と言いながらもちょっとドヤ顔になる
20分ほど歩いてやっとボランティアセンターに着く
遠野市の福祉センターを貸して使わせてもらい本部としており
建物の外には大量の洗濯物が 仮設の干し場にかけられていた
近くには大きなドラッグストアや スーパー コンビニなどがあり
環境はとても良さそうだった
受付を済ませたが 活動は明日からなので館内を見てまわる
仮設シャワーや洗濯機に調理場所 さらには無線LANまで飛んでいて
思ったよりも快適そうだったが どの部屋にも暖房がないので
寝どころとなる体育館で寝袋を出して入る以外に
寒さをしのぐ場所がない それだけが唯一大変そうだなと思った
http://tonomagokoro.net/lets-volunteer/facilities
その日は 被災地に行ってるボランティアさん達が帰ってくる5時くらいまで時間を潰し
やっと帰ってきた友達と久しぶりの再会をし ここでの活動などについて話を聞いた
友達もそうなのだが 長期でボランティアをしている人達の大半は
バックパッカーか 登山愛好家らしい
寝泊まりは寒い体育館で寝袋で 生活は自己完結が鉄則というこの暮らしに耐えられるのは
そういう人達でなければ無理だということだろうか
それにしても 会社を辞めてまで来ているという人が多くてビックリした
それぞれに色々事情はあるんだろうが 活動中の資金や 家族の理解など
色々な物をクリアーしてここで活動している人達は やはり選ばれた人達なんだろう
やりたいと思ってもできない人達がたくさんいるはずだし
ボランティアの一日の流れはこうだ
6:00 起床(体育館でも大きなチャイムがなる)
7:20 ラジオ体操
7:30 朝礼(朝礼後に現場の振り分けが行われ バスで現場へと向かう)
16:00 活動終了
17:00 全体ミーティング
22:00 消灯(消灯後は体育館では寝る以外の行動は厳禁)
初日の夜は 友達にもらったカップラーメンを食べ シャワーは浴びなかった
風邪をひかないよう ももひきをはいてダウンジャケットを着てマフラーを巻き
まったく普段着と同じ格好で寝袋に入って寝た
新郎シンプル
先週我が祖国お寿司が生まれた日本から こちらシンガポールに帰ってきました
全部で3週間ほどいました
まず北海道は札幌で妹の結婚式がありました
とてもオシャレな結婚式でね レストランでフランス料理とか食べたんです
いいでしょう フランス料理なんて食べたことないでしょうみなさん
わたしはそれを食べたんですよ いいでしょう はははは
親族の結婚式は初めて出たんですが
やはり友達の結婚式に出席するのとは少し違いました
なんというか 下手なことができない
妹のハズバンドのご家族もこちらを見ていることでしょうからね
と言いながらも 丸坊主 チビ ヒゲ 前歯なし と座ってるだけで充分に醜態でした
しかしこれといって緊張や心配もなく式は無事に終りましたが
これは妹のハズバンドやそのご家族が ほんとうに良い方達だったからであり
もしも新郎が柄の悪い寺島進みたいな奴で その父親が悪役商会の八名信夫みたいな奴で
乾杯のシャンパン飲んで「まずい!もう一杯!」とか言ってたら
もう妹と我が家族の将来が心配で式どころじゃありませんからね
我が家族は 長男の自分が非常にキチガイクソ野郎な反面
妹がとてもしっかりしているので 昔から色々と妹のおかげで助かっています
式が終わってからはまた実家に帰り一週間ほど家に引きこもって過ごしました
それから どうしても行きたかった東北にボランティアに行くために
苫小牧港からフェリーに乗り 八戸港まで行きました
フェリーは4500円で6時間ほどです
本当に快適で こんなに簡単に青森に行けるのかと感動しました
北海道に住んでいたときにこれを知っていたなら
ねぷた祭りを見に行ったり 春には弘前に桜を見に行ったり
林檎も直接買い付けに行ったことでしょう
八戸港はキャットフードの臭いがしており 警備員は志村けんにそっくりでした
八戸から新幹線に乗り 盛岡で乗り換え新花巻へ
そして岩手県の遠野市という所に行きました
ここには「遠野まごころネット」という被災地支援ボランティアグループがあり
震災後からずっと たくさんのボランティアを受け入れて活動しています
http://tonomagokoro.net/
僕の友人がちょうどここで長期のボランティアをしており
前からここの話しを聞いていて 一度行こうと思っていました
そしてここで4日間 被災地のボランティアをさせてもらいました
つ づ く
2011/10/19
2011/10/13
ひさしぶりでしゅよ
へきゃきゃ 帰国ぶぁい帰国ぶぁい
妹の結婚式に出席するのに北海道に帰るとでしゅよ〜
久しぶりの日本は楽しみぶぁ〜い
ぽっくんすしばっか食べよるでしゅよーーー!!
28日頃に東京に行くかもしれましぇんが
うーーん どんだけ時間があるか 正直わかりま千円・・・
ぽっくんはいそがしか男ぶぁーーーい!
かっこよーーーーっしゅ!!
へきゃきゃきゃ! おとうちゃま 褒めてクリクリーーーー!!!
2011/10/08
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