2022年11月16日(水)初日
久しぶりのマラッカ旅行。
いつもは3,4日の旅程で、ローカルバスを乗り継いで行っていたが、今回はシンガポールからマラッカまでの直行便のバスで行くことにした。
朝7時に家を出て、地下鉄でダウンタウン線のRochar駅まで行き、そこから歩いてQueens streetのバスターミナルへ。JB行きのコーズウェイリンクに乗る人の長い列ができていた。
我々は予約した707というバスのチケットカウンターへ行き、名前と降りたい場所を告げる。トイレに行ったり動画を撮ったりして待っていると、707と書かれたバスが到着。1列3人の大きいシート。座り心地は悪くないが、あいかわらずエアコン強め。
撮った動画をチェックしてみると、間違ってスローモーションで撮っていたので、仕方なくバスを降りてもう一度撮る。
乗客はほとんど中華系で、後ろの席にバックパッカーの白人の女性が2人だけいた。
8時30分に出発したバスは、高速に乗りトゥアースの国境へ向かう。途中30分くらい渋滞に巻き込まれる。シンガポールのカスタムも、マレーシアのカスタムもほとんど人がおらず非常にスムーズ。マレーシアのカスタムに小さい店があり、そこで梅干しみたいなのを買ったが、非常にすっぱかった。
そこから高速をひた走り、1時間くらいで休憩タイム。食堂のある大きな休憩所だと思ったら、トイレとショップカーが数台並んでいるだけの小さいところで、ちょっとがっかり。カレーチキンマンを買ったが、けっこう辛くて、味も微妙。焼いてきたサワードウは食べ終わり、作ってきたおにぎりを食べてみるがまずい。
それからまたひたすら高速を走り、午後2時頃に高速を降りてやっとマラッカ市に入る。マレーシアの信号はクソ長く、なかなか進まない。やっとバスターミナルに着き、人を少し降ろし、次にエスタディアホテルで降ろし、最後のCasa Del Rioホテルに着いたときは、もう午後2:30だった。6時間かかった。
バスのサイトには4時間の予定と書いていたが、これではどうやったってそんなに早く着くはずがない。早くて5時間だろう。
ホテルから歩いて、予約したD'Laksamanaへ行ったが、ドアが開いておらず、奥さんのケータイのホットスポットを使ってネットに繋ぎ、なんとかオーナーと連絡を取り、開け方を教えてもらってチェックインをすませる。部屋はキレイだが暑い。おなかが減っていたので、遅い昼飯を食べに外にでるが、半端な時間でどこも閉まっている。
結局ジョンカーストリートの有名店に行き、マレーシア人のすごい太った女性二人との相席で、ババ・ラクサを食べる。やけに揚げ豆腐スキンが多いなと思ったら、奥さんが間違って追加で注文したらしい。豆腐スキンを4枚近く食べて少し気持ちが悪い。
けっこう辛かったので、口を潤したく、ババ・チェンドルも食べた。奥さんは女性二人とけっこうたくさん話していたが、私は会話には参加せず黙々と食べた。二人が言うには、今週の金曜は選挙の投票日なので、マレーシア人は地元に帰ったりなんだりで、移動が激しくなったり色々あると言っていた。しかし観光にはさして影響はなさそう。
ラクサが11RM(330円)、チェンドルが6RM(190円)くらいだった。ここは人気店なので高い。
宿まで歩いて帰ったが、暑くてしんどい。シンガポールよりも全然暑く感じる。部屋の中も暑く、すぐにエアコンをつけてシャワーを浴びて、2時間近く昼寝した。
日暮れ近くに起き、19時に晩御飯を食べに外に出る。宿の裏にあるコピティアムのようなところで、外に出してあるテーブルに座る。涼しくて気持ちがいい。
私は水餃子スープと冷たい自家製菊茶。奥さんはロジャックと、ビールを買おうとしたが、ここはオーナーが最近変わったばかりで、アルコール販売のライセンスをまだ取得していないので酒類は販売していないとのこと。店員もミャンマー人と思われる若者が4,5人いて、中国系のスタッフに色々教わっている風だった。奥さんが頼んだロジャックにはカンコンとマンゴーが入っていて、少し不思議な組み合わせに思えたが、美味しかった。私はスープと一緒に、昼間食べなかったおにぎりも食べた。
食後は少し雨が降る中、街を少し散歩した。電飾をつけた派手なトライショーがたくさん走っていた。ロックダウン中は彼らも大変だっただろう。彼らがマラッカで一番仕事熱心のように見える。
ボートクルーズの呼び込みと見られる、キティーちゃんや、ミニー等の着ぐるみを着た人も4,5人いて、愛想よく手を振ってきた。観光客もちらほら歩いていたが、呼び込みや販売員の数のほうが多く、全体的に寂しい感じがした。雨はどんどん強くなってくるので、早々に宿に帰った。雨はすぐに土砂降りになった。暑かったので、ファンをつけて寝た。
2022年11月17日(木)二日目
7時過ぎに起き、周りの住宅街を10分くらい散歩して、インド料理の食堂でローティーチャナイ、ドーサ、ローティピサン(バナナ)、テータリック2杯を注文。全部でたったの12RM(380円)。店員はインド人で、チェンナイから来たと言っていた。ローティピサンが最高に美味しかった。
宿に戻って9時からインワイのレッスン。終わると、オーナーのMr.Keeが部屋にやってきた。コロナの前に何度か泊まったことがあるんだよというと、すぐに思い出してくれた。よかったら今日の夕方から無料で街や、地元の食べ物を案内するツアーをするけどと言われたが、もう何度も来て熟知してるので、けっこうだと丁重に断った。自転車も無料で使っていいよと言っていた。
10時半頃、奥さんは一人でカフェに行くと出かけて行き、私は11時半頃に、アヤコさん(マラッカに20年近く住んでいる年配の日本人)に会いに自転車で出かけた。
アヤコさんの家(ショップハウスの2階)はJonker Streetの真裏で、ヒッピーや、アート系の住民がウロウロしているエリアにある。
家に上がると、可愛い猫がたくさんいた。5匹いるらしい。一度来たことがあるが、あいかわらず素敵な家だ。ここに来る前は名古屋に20年住んでいて、そこの物を全部持ってきたらしい。壮絶な引っ越しだったと想像できる。
アヤコさんのご主人のピーターさんはアメリカ人で、名古屋大学の教授をして、日本映画の研究の第一人者だかなんだか。ピーターさんも奥の部屋にいたみたいだが、色々調子が悪く出てこなかった。少し前にすごく信用していたオーストラリア人に貯金を全て使い込まれたらしく、それが元で最近鬱っぽいのだとか。
今はホームダイニングという、家に予約しくれたお客さんを招いて日本風のお料理を出すという事を始めたらしく、それで収入はけっこうあるらしい。一人前65RM(2,000円)くらい取っているとか。
立ち話もそこそこに、昼ご飯を食べに外に出た。家の下のカシミールという服飾雑貨の店のオーナーと出くわし、オーナーが体調が悪いと訴えていた。店の中に入り、アヤコさんが自分で作って置いているらしいアクセサリーを2つもらった。
オーナーとも少し話したが、ジョークが好きらしく、何が本当なのかよくわからなかったが、どうやらカシミール地方で生まれたインド人らしい。カシミールはインドに占領されたからインド人とは呼ばれたくないとか、そんなところだろう。
それから5分くらい歩いて中華系のベジタリアンの店にお昼ご飯を食べに行った。外を歩くと色んな人がアヤコさんに挨拶してきた。20年ちかくも住んでいると、もう近所の人も家族同然という感じなのかもしれない。
お店ではほとんどの物が売り切れで、魚頭スープのビーフンを頼んだ。酸っぱくて、タイ料理のトムカーみたいだった。値段は5RM(150円)とすごく良心的。昼ご飯はアヤコさんが奢ってくれた。
店を出て、運河沿いの問屋通りを歩き、葯材店で乾燥ナツメを200g、2袋買って、1つをアヤコさんにプレゼントした。1kgで18RM(550円)。
中国語で話してみたが、マレーシアの中華系は非常に気が長く、寛容で話しやすい。
コーヒーが飲めそうな所を探し、運河沿いの小さな洒落た通りに入った。五號というカフェにしたが、ずっと前にタツヤさんという日本人を介して会ったことのある青年の店だった。名前はたしかオーエン。カプチーノを頼み、私の事を覚えているかと聞くと、ちゃんと覚えていた。タツヤさんともときどき連絡を取っているらしい。
店の外のテーブルに座っていると、向かいの店にスキンヘッドのごついアラブ系のおじさんがやってきた。アヤコさんの知り合いみたいで、彼は最近ここに店を出して繫盛しているけど、たぶんノービザだと言っていた。
店の家賃はいくらぐらいなのか興味があったので、アヤコさんが聞いてみてくれたが、2,000RM(61,000円)くらいだという。アヤコさんは最初800RMくらいじゃないかと言っていたので、驚いていた。
カフェの青年にも聞いたら、彼の店はお父さんの所有なのでタダだが、ここらへんは2,000RMが相場で、他のところも1,000~1,500RMがマラッカの中心部の相場だと言っていた。
コーヒーを飲み終わり、橋を渡ってバナナを売っている店で少し買い物したあと、アヤコさんの家まで歩いて戻り、別れた。
アヤコさんは出身が北海道の根室だが、もう親類は日本にはいないと言う。外国で、外国人の旦那と二人で心細いのかなと思ったが、もうマラッカが今の故郷で、しっかり地元に根付いて、周りの人達にも助けられながらやっているので、思ったより大丈夫だなと思った。これがもし放浪者だったら、誰にも頼れずもっと大変だろう。とても良い勉強になった。
自転車で宿に戻り、少し休んだ。とてもおなかが空いていたので5時半に晩御飯を食べに、昨日と同じ宿の裏の店に行ったが、なぜか閉まっており、しょうがないので、その近くにある魚鮫麺(ユイジャオミェン)の店で食べた。
基本の魚鮫麺の大が8.5RMで、それにトッピングの具を追加した。ピータンと、湯葉を揚げたやつが本当に美味しかった。スープも美味しかったが、かなりMSG強めで、食べたあとに喉が渇いた。会計は31RM。
19時からセシリアのレッスンの予定だったが、宿に帰るとなんとキャンセルのメールが。しかたないので、歩いて古着屋へ行くことにした。
その前に少し腹休めに、宿の一階でお茶を飲んでいると、向かいの部屋に今日やってきたアジア系の青年が帰ってきた。挨拶をして、少し話をしてみた。
彼は中国人で、北京から来たらしい。英語がとても上手で、物腰も柔らかく聡明そう。中国からKLに来て、7日間隔離をして、その後2日KLに滞在し、今日マラッカに着いたそうだ。冷蔵庫にワインが入っているから、よかったら飲んでくださいと言っていた。中国人嫌いの人が彼を見たら、きっと中国のイメージが変わるだろう。
30分くらい休んだので出かけることにした。日が暮れて外も涼しい。20分ほど歩いて古着屋に着いた。夜の12時までオープンしているらしい。
客はみんなマレー系。パンツを解体してトートバッグを作ろうと思い、5RMのパンツを3本と、2RMの帽子を一つ買った。奥さんも大量にTシャツやパンツを買い、全部で60RM(1,800円)もした。だいぶ満足したらしく、奥さんはテンションが高かった。
帰りは川沿いの遊歩道を歩いて帰った。奥さんが買った古着を洗いたいというので、宿の近くのコインランドリーに立ち寄り、買った物を全て突っ込んだ。20分かかるというので、朝ごはんを食べたインド料理の店に入り、またローティ―ピサンを食べて、武者小路実篤の「友情」を読む。
20分経って洗濯は終わったらしいが、今度は乾燥でもう20分待った。朝にローティ―を焼いていたインド人はまだ働いていた。いったい何時間労働なのだろう。
洗濯物を持って宿に帰り、シャワーを浴びてすぐに寝た。
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