2018/11/19

ペナン柔道合宿

今月の頭にマレーシアのペナン島に行ってきた。シンガポール柔道クラブの柔道遠征旅行だ。メンバーは全部で8人。今回は柔道クラブのオフィシャル旅行ではないので、各自が飛行機、ホテルを自分たちで予約した。私はみんなより2日早く着き、一人でのんびり観光などをした。
2日後にみんながそれぞれ到着し、やっとみんな揃って一緒に昼食を食べた。しかしホテルもバラバラで、いつも仲が良いというメンバーではなく、今回初めてゆっくり自己紹介ができたというメンバーなので、統率が取れているんだかいないんだかで、けっこうてんやわんやだった。最初は非合理的な移動やスケジュール調整などにうんざりしそうになったが、みんな不満な顔一つせずニコニコしていた。そんな彼らを見ていると、自分はとても心が狭いなと反省した。私は彼らに柔道を教えているが、彼らも私に大切な事を教えてくれる。我が柔道クラブのメンバーは本当に良いやつが多い。彼らのおかげで私もシンガポールが少しずつ好きになっていく。
今回はペナン柔道クラブで一回だけ練習させてもらった。若いメンバーばっかりで、とても元気があって、かなり疲れたが非常に楽しかった。可愛い子も少しいて、ちやほやされ鼻の下をのばしてしまった。柔道以外はみんなで飲んで食って移動しまくって、かなり疲れたが、たまにはこういうのも刺激になって良いかもしれない。ここ一年ずっと一人でのんびりやってきたので、少しメリハリや刺激を自分が求めているのかもしれない。というかこの旅行で自分の中の眠っていた何かが目覚めてしまったかも。これが進化なのか退化なのかよくわからないが。











2018/10/14

ふるさとへ ~2018~

ヨウヘイは先月末から、実家北海道に帰ってきた。
帰国の前にペナン島、キャメロンハイランドを旅行、そしてクアラルンプールの空港から、新千歳空港行きのエアアジアに乗った。機内は極寒で、真夜中のフライトだというのに、機内食を販売したりなんだりで、なかなか電気を消さないし、本当に拷問かと思った。今でも本当に意図的な嫌がらせなんじゃないかと思っている。

空港に朝方着くと、車椅子の後輩が自分の車で、空港まで迎えに来てくれていた。日本で使う外国人用のSIMカードを探して回るが、適当な価格の物が一向に見つからない。シンガポールのSIMカードと比べても以上に高いし、マレーシアのSIMカードと比べると10倍くらい違うような気がする。結局その日は買わなかった。後輩を観察していたが、車椅子生活のなんとすごい事。車の後部座席に車椅子を積み、それを運転席から引っぱりだして車の外に置きそれに乗り移る。一つ一つの動作が丁重で力強く、すごいな〜と感動した。実家にも上がってもらったが、母も感動していた。

実家にはインターネットがないので、7-11まで行き無料Wifiに接続する。面倒くさいが、7-11には久しぶりに感謝した。結局SIMカードは後日札幌に行ったときに、BICカメラで1880円のものを見つけて買った。これは今までで最安値だ。次回のときのためにまとめ買いしようと思ったが、期限が三ヶ月しかないのであきらめた。

まずは厚真町の被災した友人に会いに行ったが、家は壊れていないものの、まだ帰ることができずにずっと避難所暮しをしていたらしい。状況はなかなか難しそうだった。それでも前向きに考えようとしているところに、正しい人達の強さを見た。

ボランティアができるかなと思って帰ってきたが、私が帰省したなりボランティア受け入れが週末に限られるという変更があり、平日は何もできなかった。というか我が故郷むかわ町はもうだいぶ落ち着きを取り戻し、ほとんどの人が日常生活に戻っているという感じであった。がしかし、余震は毎日のようにあり、私がいる間だけでも震度4が二回、震度5も一回あった。ほとんどの余震は日中に起こったが、一度だけ小さいのが真夜中に来たが、それは日中の震度5のよりも怖く感じた。夜は恐怖心をよりいっそう強くする。

ボランティアもできないので、SIMカードを買いがてら札幌の妹家族に会いに行ったが、甥と姪の成長が微笑ましかった。ゲームが大好きな一家で、夜はみんなでカードゲームやマリオカートで、甥の気がすむまで遊んだ。子供たちが寝てからは、大人達だけで夜中までグダグダと話をする。いつもの恒例行事のようなものだが、妹夫婦と色んな話をするのはいつも面白い。何事も本音で話してくれるので、こちらも本音でなんでも話せてしまう。近頃は本音を話してくれる友達もなかなか減ったように思う。原因はどちらかというと、私が彼らと違う世界に飛んで来てしまったせいではないかと感じている。諸行無常である。

金曜日に札幌から地元に戻り、土曜日は念願のボランティアに参加した。その日は小雨が降っていたが、全国各地から50人ほどのボランティアがわが町に集まっていた。わたしは7人ほどの男性と一緒に、ある民家の壊れたブロック塀などを集める作業、揺れでずれでしまった物置を元に戻す作業などに従事した。午後3時に終わり、無料のシャトルバスに乗って、隣町の温泉に行き、被災者でもないのに無料の温泉入浴券までもらってひとッ風呂浴びてきた。

あとは古い友達にも数人会ってきたが、どれも非常に素晴らしかったので、これは自分の心に中に留めておく。今回はあまり周りに流されることなく、自分の意志というものをいつも以上に意識しながら行動したので、このうえなく素晴らしい帰省になった。いつだってこうありたいもんだなあ。
















2018/08/21

組長さん

もう8月20日である。8月後半は一人でどこかに行く予定であったが、結局どこにも行けず真面目に仕事をしている。奥さんは8月頭からカナダへ行って、まだ帰ってこない。マレーシアの家には、なぜか中国人家族が間借りしていて、一回行ってはみたが、一緒に住むのがちょっとしんどそうなので、すぐにシンガポールに帰ってきた。それからもう2週間くらいシンガポールにいる。

久しぶりに一人でシンガポールに住んでみると、割と居心地はいい。やっぱ街はキレイだし、欲しい物や食べたい物はだいたい手に入る。最近はいっしょに飯食いに行ったりする友達も増えたので、全然孤独感もない。マレーシアに比べると飯は少し割高だが、そう言ったって300円ほどで飯一食は賄える。唯一ネックなのは奥さんの親と一緒に住まなきゃいけないことだ。奥さんと二人だけで住めればほんと言うことなしなんだけど、新しい家に引越すにはまだ二年ほど待たなきゃいけないらしい。彼らと住むのはほんとしんどいわ。

こう考えてみると自分はほんとに気難しいというか、寛容さがないというか。マレーシアでもシンガポールでも、みんな親と同居してちゃんとやってるのに。しかし元々そういう性格なんだからしょうがないだろう。

先月末にとても懐かしい人に再会することができた。もう5、6年以上前に、マラッカの安宿で友達になった元ヤクザの組長さんだ。しばらく連絡が取れない状態だったが、去年ついに消息がわかり、先月ついに組長さんからシンガポールに仕事で行くから、飯でもどう?と誘ってもらった。とても元気そうで、私の事もちゃんと覚えててくれて嬉しかった。飯をごちそうになり、今までの消息不明だったことの話なども少し聞かせてもらった。

組長さんは本も出版しているので、その本を今月買って読んでみた。話を聞いてもよくわからなかった彼の素性が、ようやく半分くらいだがわかった。そして本の内容も非常に興味深かった。私は一時期、陰謀論などにハマったことがあるが、しかしいまいちそのスケールのでかい陰謀と、自分の庶民的な生活をうまく結ぶことができなかったが、その本はそれをうまく繋いでくれたように思う。その本の内容を全て鵜呑みにはしないが、とても腑に落ちることばかりだった。

面白かったのは、さすがにマラッカでお会いしただけあって、私が行ったことのある場所について色々書かれていたことだ。ラオス、タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中国、インド。のんびりした田舎の裏側でけっこう堂々と行われている、人身売買、臓器売買、麻薬、偽札の流通などなど。そしてそれに絡む、政府、役人、企業、慈善団体、国連。思った通りに、実は思っていたよりちょっと以上に世界はおどろおどろしく、救いようがないらしい。豚肉にされる豚がかわいそうと、動物の心配をしている場合ではないかもしれない。それくらい人身売買、臓器売買の闇は深く、そして実は我々の生活とも接点があったりするかもしれない。

今度から旅行をするときは、そこらへんをもっと注意深く観察したい。そう考えると、不謹慎だがちょっとワクワクしている自分がいる。世界は一つしかないが、実は様々な顔を持っていて、違う角度に立つ事ができれば、今まで気づかなかった新たな顔が見えてくる。そして自分の中で点と点だったものが、一本の線で結ばれる。私はそれが人生で一番の快感だ。点と点が線に、そしてその線の集合がいつか何かの形に見えてくるのかもしれない。死ぬ前にそれが見えたら上出来だと思う。

2018/07/31

イサーン、ラオスの旅 / 2018雨期 その2

朝起きて色々考えた末、パクセーには行かずムクダハンに戻って、それから他のマイナーな県に一泊してみて、それからウボンラチャタ二の友達に会いに行こうと決心する。
一階に下りて見るとフランス人の父、ラオス人の母、そのハーフの娘と思われる3人が朝食を食べていた。母親が私に笑顔でボンジュールと言うので、ハーイと返事を返しながらも心の中でなんでラオスでボンジュールやねんと突っ込んでいた。
朝食は籠の中にフランスパンがたくさん、それにやっすいマーガリンとジャム、それにふっといバナナ。あとラオッ子が目玉焼きも焼いてくれた。ラオッ子は素朴で可愛い。

朝ご飯を早々と食べ自転車を返しに行き、出発の準備をして小雨が降る中トゥクトゥクを捕まえてバスターミナルへ。それからまた国際バスに乗りムクダハンへ戻る。ムクダハンのバスターミナルでヌードルを食べながら、ウボンの友達にメッセージを送る。これからヤソートン県に行こうか、アムナートチャロン県に行こうか迷ってるんだけど、どちらがいい?と聞くと、ウボンにおいでよ!と言うので、それもいいかと思いウボン行きのロットゥーに乗る。2時間と少しでウボンのバスターミナルに着く、そこへもう一人の友人が車で迎えに来てくれた。いまいちこれからの予定がわからないのだが、とりあえず流れに身を任せ車に乗り込む。

彼に最近調子はどうだと聞くと、来月実家に帰って裁判所に行かなきゃいけなく憂鬱だと言うので、何があったか聞いてみると、韓国企業にお金をだまし取られて3年間の仕事が全部水の泡になったとため息をついていた。よくわからないが大変らしい。
それから彼が住んでいるという、彼の働いている工場の敷地内にあるオフィス兼住宅に行く。どうやら今晩はここで寝なきゃいけないらしい。工場の広大な庭には、水牛とニワトリが放し飼いにされており、麦わら帽子を被った警備員さんが面倒を見ていた。こういう所が癒される。
彼の仕事が終わるのを待ち、二人で車に乗り彼のバドミントンの練習場に行く。途中で彼の弟を乗せた。ウボンの市街に入っていくと夕方の渋滞。やっと屋内コートに着きクラブのメンバーと合流、練習開始。もちろん私は練習などしないし、彼らのレベルが高過ぎて、軽く遊ぶ気にもならない。その6時の時点でもうお腹がぺこぺこだったが、結局夜11時半までその練習をただじっと見ていることになった。悪夢でしかない。
やっと練習が終わり、帰りに弟と3人で屋台に寄ってヌードルを一杯だけ食べる。ほんとに死ぬかと思った。
会社に戻るともう一人の友達がやってきた。どうやら3人で寝るらしい。久しぶりの再会だが疲れきっていたので軽くあしらった。お前がウボンに来いなんて言うからと、少しうんざりしていた。

次の日、7時前に起き3人で屋上へ上がると、工場の入り口の前に10人くらい人が集まっている。朝っぱらから交通事故が起きたらしい。道の端を逆走していたスクーターに軽トラックがぶつかったらしい。死人が出るほどではなかったらしい。タイの交通事情について友達に聞いてみたが、もし飲酒で轢き殺したら刑務所に行くが、そうではなく轢き殺したら罰金だけで刑務所には行かなくていいらしい。罰金の金額は忘れてしまったが、たしかそんなに高くはなかった。。

それから昨日の夜来た友達(大学生)のスクーターに乗り街方面に行く。なぜかスーパーの駐車場に停まったが、そこでもう一人と合流し、3人で朝飯を食いに行く。飯屋ではあるおじさんがラオスの洪水災害の募金を募っていて、二人は500Bずつ寄付したが私はしなかった。募金は嫌いだから。ラオスでは洪水の話は全く聞かなかったが、逆にタイでは色々な所で募金を募っていた。
それから今晩私が泊まるホテルを3人で探したが、週末にある祭りのせいでどこも料金は割高になっている。やっとホテルを決め荷物を置き、またスーパーに戻って今度は大学生と二人で、スクーターでウボン観光。まずは有名なお寺へ行き、祭りのパレードに使うキャンドル山車と、踊り子の練習を見学。それからカフェに行き一休みしてから、彼の大学のキャンパスを回る。やっとホテルにチェックインできる時間になったので、ホテルまで送ってもらい、友達と別れる。彼も疲れていたが、私も相当疲れていたのでホテルでぐったりする。夜になり、8時頃に3人で晩飯を食う予定だったが、8時を過ぎても連絡が来ない。しかし私は逆にラッキーと思い、とくに連絡もせず一人で飯を食いに出かける。あまり良い店がなかったので、屋台でソムタムなどを買ってホテルで食べる。辛くしないでねと言ってのに、ソムタムの中から大量のチリが出て来る。
やっと食べ終わった頃に、友達から今起きたと電話がかかってきて、気にするな、明日昼飯でも食おうという事になってさっさと寝る。

翌日はチェックアウトぎりぎりまでホテルで休み、11時にチェックアウトしソンテウで近くのショッピングモールに行き、友達二人と彼の弟、計4人でイサーン料理を食べに行く。飯は美味しかったが3人で楽しく話をしているので、おまえらもっとオレをもてなせと心の中で思う。午後1時くらいに友達とようやくわかれ、一人でソンテウに乗り街の方へ行き祭りの準備を見て回る。3時頃に小雨が降る中、またソンテウの乗りホテルへ戻る。ソンテウでは地元の人に色々話しかけられた。ちゃんとタイ語で会話が成立している事がすごく嬉しい。ホテルに戻り荷物を取り、タクシーを拾おうとするがなかなか捕まらず、しょうがないのでGrabタクシーを呼ぶ。空港に無事着き、ノックエアーでウボンにさようなら。

午後7時近くにバンコクに着いたが、国内線なので入国審査などもなくすぐに外に出られた。そこからバスとタクシーでチャイナタウンのホステルに行く。12人部屋のドミトリーでまだ誰もいなかったが、これから9人の団体がここに来ると聞かされ、あからさまにイヤな顔をしてみる。
ホステルの隣の店で晩飯を食い、戻って洗濯などをして外に出ると、ホステルの中を除き込むタイ人の大家族を発見。電話をかけてるが誰も出ないというので、ドアを開けてやり、スタッフは4階にいるから呼んでみろと、色々教えてあげるが、こいつらがその9人のグループだなと思い、かなり不安になる。どこからどう見てもDQNな大家族で小さい子供も2、3人いる。
少なくともこの子供達が眠ったあとじゃないと、うるさくて眠れないだろうなと思いながら、とりあえずチャイナタウン散策に出かける。初めての夜のチャイナタウンだったが、驚くほど観光客が多くびっくり。みんなトゥクトゥクでヤオワラート通りまで乗り付けて来るし、道は大渋滞。驚くべき人の数。
裏道をブラブラ歩き、娼婦やガラクタ売りを見て回る。12時近くにホステルに戻ると、案の定大家族がドミトリールームにおり、まだギャーギャー騒いでいる。これはヤバいなと久しぶりに思ったが、ベッドの上にメモを発見。読んでみるとスタッフのねーちゃんが、こいつらはかなりうるさいので、もし良かったら4階の違うドミルームに行ってねと、カードキーも添えてある。地獄に仏とはこの事で、すぐに荷物をまとめ4階の4人部屋ドミに移る。そこは誰もおらず、その夜はぐっすり眠れた。もしあのままあの大家族と同じ部屋で寝ていたらと思うと今でもゾッとする。

次の日は朝8時頃から、中華街を歩いてみる。なかなかディープな街で、ワニがいるお寺などもあった。10時頃ホステルに戻り、荷物をまとめチェックアウト。スタッフのお姉ちゃんは、もう行っちゃうのという感じなので少し名残惜しかったが、しょうがない。だいぶ良くしてもらったので、次回もまたあそこに泊まってあげようと思う。姉ちゃんの名前はKatiちゃん。

タクシーで、ラチャテウィ駅近くのホステルに行きチェックインしようとしたが、予約した6ベッドのドミ部屋が満室で、8ベッドの部屋しかないとさらっと言われ、しかたなく承諾。しかし私のベッドにだけカーテンがついてなかったので、他の誰もいないベッドからカーテンを拝借する。
休む間もなく電車でチャトゥチャ・マーケットに行く。古着の帽子、靴、Yシャツを買いたかったが、5時間近く見て周り、結局サンダル一足しか買えなかった。やはりチャトゥチャの古着は微妙に高い。
日が暮れる頃ホステルに戻り、シャワーを浴びて一休み。7時過ぎに飯を食いにホステルの裏の方を歩いてみると、かなりローカルなエリアになっており、屋台や市場が開いていた。そこで晩飯を食ってから、スクンビットに行き、ターミナル21で奥さんのお土産のお菓子を買う。ソイカウボーイも覗きに行ってみたが、なんと禁酒日で店は全部閉まっていて真っ暗。有名な援交カフェの前を通ると、そこも閉まっているらしく、娼婦と日本人客が店の外に溜まって、すごい事になっていた。知らない人が見ると、路上でねるとんパーティーをやっているように見える。
この様子だとバーなどは全部閉まっているようなので、ラチャテウィまで帰り、ホステルの裏のローカルエリアの一軒の小さい商店で、日本人だからと言ってなんとかビールを一本売ってもらい、屋台で焼き鳥なども買って、ホステルのベッドの上で静かに食べてすぐ寝た。外で飲んでいて見つかると、私も商店のおじさんも逮捕されるらしい。禁酒日恐るべし。

ドミ部屋のドアの開閉の音がとてもうるさく、朝もあまり寝ていられなかったので、早々にシャワーを浴びて8時にチェックアウトし、またローカルエリアで朝飯を食べて、空港で食べる焼き鳥ともち米も買った。9時過ぎにモーチット駅前から空港行きバスに乗ったが、渋滞もなくスムーズにドンムアン空港に着いた。12時発のエアアジアに乗り、15時頃スナイ空港に着き、Grabタクシーで無事に帰宅。お疲れさまでした。


















2018/07/30

イサーン、ラオスの旅 / 2018雨期 その1

7月18日から29日まで、一人でタイ、ラオスに行ってきた。空港はまたもジョホールのスナイ空港から飛んだ。家からGrabで15RM。とても便利だ。

バンコクのドンムアン空港に着き、今回は初めてサパーンクワイ駅付近に泊まった。夜は地元民憩いのゴーゴーバーに潜入。外国人は韓国人が少しいるだけ。女の子(可愛くない30過ぎ)と1時間ちょっとお話してビール大瓶2本に、食べ物1品で700B近くかかった。興味本意でもう一軒行ってみたが、ここは外国人ゼロ、泥酔客多数に泥酔女子も多数でカオス気味。女の子をつけてもらいたかったが、ダメ、できないと言われ、要領を得ないまま出て来てしまった。タイ語オンリーなのでまだ私には難しい。

次の日は3年ほど前にラオスで出会った日本人の友人、タツヤさんと再会し、戦勝記念塔付近でイサーン料理を一緒に食べる。明日から一緒にどっか行きますかと誘ったが、結局別行動にすることにした。

3日目の朝、コーンケンに行くため北バスターミナルに行く。バスチケット売り場でコーンケンに行きたいと言うと、オバちゃん達に何しに行くんだと笑われる。外国人はあまり行かないのだろうか。日が暮れるちょっと前にコーンケンの第3バスターミナルに到着したが、街中心部まではかなり距離があるみたいで、もうソンテウもないとの事なので、モーターサイのお兄さん達と交渉し、80Bで行ってもらう事に。モーターサイを仕切っているお兄さんは、平井堅に少し似ていて、とても気さくで日本語を少し話してくれた。
運転してくれた兄ちゃんは別の人でけっこう飛ばすので、スクーターから落ちないようにするのに10分近く必死に踏ん張った。

もう二泊くらいしたかったが、博物館の一つも見ずに次の日の午前中に、またバスターミナルまでソンテウで行き、ムクダハン行きのロットゥー(ミニバン)に乗った。バスは各停だが、ロットゥーは直行なのでもっと早く着くらしい。
夕方前にムクダハンに着き、メコン川近くのフアナムホテルにチェックイン。トイレ共用のシングルルームで200B。どんよりした天気のムクダハンの町を歩いてみたが、なんだか辛気臭く、人もあまりフレンドリーではない感じがした。とにかく町全体が暗い。ベトナム料理の店に入って、オムレツみたいなのを食べる。
夜になってナイトマーケットに行ってみたが、8時過ぎにはもう店を終いだしていたので、ラープやカオニャオなどを買って、ホテルに持って帰って食べた。夜はずっと雨が降っていた。

次の日は町をもう一度歩いてみたがやはり辛気くさい。一応ムクダハンタワーに登り町を一望してみた。ホテルに戻りチェックアウトし、国際バスでラオスのサワンナケートに向かった。入国審査では、サワンナケートに何をしに行く?彼女がいるのか?などと聞かれた。とにかくタイ語を話し、辺鄙な所へ行こうとすると、タイ人の彼女がいるのか?と必ず聞かれる。
サワンナケートのバスターミナルに着き、トゥクトゥクで20000kipで町まで行き、サウナの近くにある70000kipのゲストハウスに泊まったが、部屋の掃除をまったくしてないらしく、ベッドの上がすごく埃っぽかった。
町はだだっ広い感じで、あまり目的もなくブラブラしているとすごく疲れる。夕方頃にハーバルサウナに行ったが、非常に熱い。手を上に上げただけで火傷しそうになるし、息もうまく吸えない。
夜は小さいナイトマーケットがあったので、そこでカオクルッガピを食べてビアラオを飲んだ。理想的なラオスでの行動パターンだったが、天気のせいか埃っぽい宿のせいか、今ひとつという感じだった。

次の日は近くでママチャリを借りた。一日20000kip。一番大きい市場に行ったが、なかなかラオス的なワイルドな市場だった。とても大きく、活気に溢れている。歩き疲れたのでアイスコーヒーを飲んだが、金を払わず立ち去ったので、おじさんが追いかけて来た。昨日のナイトマーケットでも同じ事をやってしまった。店の中という感じではないので、ついお金を払うのを忘れてしまった。
それから川沿いでボーッとしたりして、おしゃれなカフェで昼飯を食い、また夕方にサウナ。サウナの帰りに道ばたでボロボロのTシャツを来た日本人男性に話しかけられたが、話しかけながら虹の写真を取り続けるという、めんどくさそうな人だったので、ちょっと無視して逃げた。夜は同じくナイトマーケットに行き飯を食ってビールを飲んだ。

もうそろそろパクセーへ行こうと思ったが、なんとなくもう一泊したくなり、違う宿に移った。最初の宿を出るとき、宿のオジさんにこの人も日本人だ、今着いたところだと、かなり年配のおじさんを紹介されたが、お互いに軽く挨拶だけして去った。私の勝手な思い込みかもしれないが、あえてラオスなんかに来る人は、きっと一人で黄昏れたほうが良いはずだ。
移った宿、Jori Guest House は部屋の窓も大きく、清潔で素晴らしかった。これで値段が75000kip。これでは前の宿に泊まる理由が一つもない。
引き続き自転車を借り続け、町の郊外にあるタットインハンというお寺に行ったが、片道12kmで非常に遠かった。しかし道のりは田んぼと民家と林しかない田舎道で、なかなか素敵だった。帰りに湖にあるレストランで、昼飯を食べた。豚肉のヤムサラダ、カオニャオ、ビアラオで45000kipとなかなか高かった。
サウナに入り過ぎたのか、少し頭痛がするのでその日はサウナには行かず、夜はカフェでバンブースープを飲んだが、なかなかまずかった。体には良さそうだったが。





















2018/07/03

イソガシーシュー

奥さんがシンガポールエアウェイズの冊子を作るというなかなかビッグな仕事を始めたが、予定満期の2ヶ月を待たずして、一ヶ月ほどでやめてしまった。大変すぎたらしい。まったく自由なもんだよなとあきれるが、久しぶりにマレーシアの家へ二人で帰ってこれた。もう猫は来なくなってしまって寂しいが、庭ではマンゴスチンが取れ始め、他のわけのわからない野菜などもすくすくと育っていて嬉しい。
シンガポールとマレーシアは、もう二ヶ月ほど雨が頻繁に降る日が続いている。これは間違いなく新しい雨期だろう。去年もそんな感じだったし。雨期は旅行には向いてないかもしれないが、植物はぐんぐん伸びる。そして涼しい。だから嫌いじゃない。

先週はとても忙しかった。まず奥さんからもらったイラストの仕事の締め切りが近づいていた。初めて描くスタイルの、線を描かないリアル系フードイラストだったので、試行錯誤しながらけっこう時間がかかった。
そしてワールドカップがあったので、友達の家に行き夜遅くまでTV中継を一緒に見たり。
さらにシンガポールに友人が3組も訪れてくれたので、会って食事して遅くまでお酒飲んでと、とにかく毎日飲んでいたような気がする。2組はかなりのお金持ちなのでおごってもらい、もう1組は普通のラオス人なのでおごってあげた。こういう上から下への施しって大切なんだなと思った。
これに加え日本語レッスンもたくさんあり、タイ語のスカイプレッスンもほぼ毎日受けなければならず、疲労困憊で体がぐっと弱ってしまったので、お粥ばかり食べている。

マレーシアはちょうど今ドリアンシーズンで、至るところでドリアンを見かける。シンガポールでももちろん輸入されたドリアンが並んでいるが、やはり高い。昨日はマレーシアの路上で売られていたドリアンを2個買った。2つでたったの19RMだったが味は最高に美味かった。甘くてほんのりビターで、何個でも多ベられる。あんな大きくて、しかも美味い果物が、年に2回も収穫できるなんてほんとにアメージングだと思う。

今年の5月くらいから日本に行こう行こうと考えていたが、結局他のところに旅行に行ってしまい、気がつけばもう行く気もなくなっている。やはりどうしても帰りたいんだ!という強い信念がなければ、もちろん安くて楽しくウハウハな東南アジアへ足が向いてしまうのは当たり前だ。しかし最近周りで沖縄旅行が割と噂になっている。格安航空が沖縄への安いチケットを出しているらしい。行ってみようかな。

今週は体の静養のためにあまり出かけず超ダラダラしようと思う。