2024/12/24

2024年12月 メーサイ 36~38日目

 12月24日

朝はまた市場まで歩いて行き、カオプックを食べた。サモサのような物も食べたが、こちらも美味かった。


 12月25日

 12月26日

2024年12月 メーサイ 33~35日目

12月21日

朝は非常に寒かったが、がんばって近くにある市場に行ってみた。山岳民族の人の姿があった。カオプックを買って、パートンコーと豆乳を座って食べた。店の人は完全に中国語だった。それから歩いて上のほうに登っていくと、たぶんアカ族の集落に人がたくさん集まって、なにかイベントをやっているようだった。お祝いっぽく見えるが、葬式かもしれない。結婚式のようにテーブルがたくさん用意され、ビールなどが置かれていた。

その建物に入らせてもらい、景色の写真を撮った。

一度ホテルに帰り、また少し暖かくなってからバイクでお寺に行き、そこから長い階段を上って山の上の寺まで行った。シンプルなお寺とモニュメントだったが台湾をデザインしたTシャツが売られていた。静かでとても落ち着く所だった。

また階段を下りて、国民党第93師団記念碑というところに行った。すごく大きな建物で、写真がたくさんあった。全部中国語で、英語の説明などは少なかった。

お昼になったので、雲南麺餃館というお店に行って、まず餃子だけを頼んだら、意外と小さかったので、ワンタン麺も頼んだ。どちらも美味しかった。全部で100バーツ。

午後にまたバイクで山道を走って、Pana コーヒーハウスというカフェに行った。途中の景色がまた素晴らしかったし、茶畑もあった。カフェはお客さんがいなくて暇そうだったが、一人で満喫できてよかった。

夜はホテルの近くにある、旅行者向けっぽい店で紅焼牛肉麺を食べたが、ニンニクが効いていて美味しかった。



12月22日

誕生日だったので、プリちゃんから朝すぐにお祝いメッセージがきた。

朝はまた市場に行った。市場の隣にあるシンシュンゲストハウスというのが、バックパッカーご用達のホテルだったようで、壁に日本語でなにやら書いていた。

市場でまた座ってパートンコーを食べた。それから歩いて段将軍のお墓に行ってみた。片道1.8kmでなかなかいい運動だ。お墓はキレイに維持されていた。お店もあったので、行ってお茶をもらった。店のおじさん、おばさんと中国語で少し話した。途中から台湾人の旅行者も大きいバイクで来て、みんなでワイワイ話していた。幼虫の揚げ物を食べさせてもらったが、匂いは完全にポテチで、食べるとスカスカでとくになんという事はなかった。ちょっとしけっていたのかも。結局、绞股蓝というお茶を1つ買った。80バーツ。味は少し甘く、カフェインもないので、よく寝られるという。

ホテルに帰って出発の準備をし、昼前にチェックアウトした。それからまた雲南麺餃館でワンタンメンを食べて、バイクでメーサイに向かった。山道をかなり飛ばして下った。

30分ほどでパートゥン温泉に着いた。オーナーさんは日本人のおじさんとタイ人のおばさん夫婦だった。小さい個室100バーツで、たいそう気持ちよかった。お湯に浸かって、あがってタイルの上で寝てを何回も繰り返した。

おじさんは、6年前にここを買い取って続けているということだった。チェンラーイからもよく日本人がくるらしい。

またメーサイに向かい、途中でイサーンの店に寄り、コームーヤーンとソムタムを食べたがなんかいまいちだった。そしてメーサイに着いたが、国境前が4車線もある道路で、独特の雰囲気があり面白かった。

ホテルに着いたが、なんか豪華なホテルだなと思ったら違うホテルで、フロントで恥をかいた。私が予約したピヤポン・ヒルパラダイスという安いホテルで、ここも造りが独特で面白かった。部屋は広かったが、Wifiは不安定。さっそくホテルの周りを歩いて散策してみたが、奇妙な市場やアーケードがあって、面白かった。国境近くも人が多くて、タイ人よりもミャンマー人が多い感じだった。ロヒンギャのようなインド系もたくさんいた。

ソフトクリームを食べ、最北端という碑で写真を撮った。50mもない川を渡るとそこはミャンマー。あまり厳重な雰囲気もなかった。このあたりは街並みがすごくインド的だった。埃っぽくて汚い。

夜も大通りの屋台でお粥と、昼に残したコームーヤーンを食べた。


12月23日

朝は近くの大きい市場を見て回った。トゥアナオなどもあった。カオプックを買って食べ、パパイヤも買った。朝のレッスンを終えて、もう一泊するためにホテルに500バーツ払った。アゴダで予約したほうが100バーツ以上安そうだったが、アゴダにはなぜかもう部屋がなかった。

それからバイクでタムルアン洞窟に向かった。道中には、みかん畑がやパイナップル畑があった。

20分ほどで洞窟に着き、バイクをとめて駐車場代20バーツを払う。いかつい白人のおっさん達と無料のソンテウに乗り、洞窟の入り口まで行く。まずギャラリーなどを見て、事故の概要などをもう一度確認してから、洞窟に入った。洞窟の入り口はとても大きく、ひんやりしていた。しかしもう奥には入っていけないらしく、がっかりした。どうりで入場料もないわけだ。この事故では救助隊が二人亡くなったらしい。15人の子供たちは5㎞先に閉じ込められていたとか。そんなに長いのか。ダイバーはパニックにならないよう鎮静剤を注射して向かったとも書いてあった。怖い。

洞窟をあとにし、時間も余ったのでドイ・パーミーという山を登って行った。カフェがたくさんあり、かなり悩んだ末、見晴らしが一番よさそうなLayo cafeという所に入り、ガパオと抹茶ラテを頼んだ。120バーツ。

景色は絶景で、写真をたくさん撮った。ブランコもあった。食べ終わって、しばらく本を読んだ。帰りはミャンマーとの国境沿いの道を走ったが、検問所が2つもあり、IDカードを見せたり、写真を撮られたりした。

ホテルに帰りレッスンをやってから、飯を食べに出たが、近くでよさげな店をなかなか見つけられず、けっこう遠いところでラープ・ヌアをテイクアウトした。おばさんがサイコム?と聞いてきたのだが、よくわからなかった。調べると、苦い(コム)腸(サイ)という意味だったらしい。ホテルで食べたが、そんなに美味しいとは思わなかった。豚のほうがおいしそう。

2024/12/23

2024年12月 チェンダオ 30~32日目

 12月18日

朝はホテルの周辺を歩いてみたが、あまり店もなく、寺があったのでちょっと立ち寄った。

ホテルに帰ってレッスンをやり、朝飯は昨日買った果物を少し食べた。もう一泊したかったが、満室らしいので、違うホテルを予約して、昼前にチェックアウトし、そっちへ向かった。

Nha Da Landというホテルで、簡易小屋みたいな部屋だったが、バルコニーからは山が見えた。まだチェックインできないというので、洗濯物を木の枝にかけさせてもらった。アジア系のカップルが椅子に座っていて、彼らもチェックインの時間を待っているようだった。韓国人のカップルでとてもフレンドリーだった。

バイクで昼ご飯を食べに行き、ある小さな店でガパオを食べたが、とても美味しかった。それからまた土管温泉に行くと、さっきの韓国人の男性がいた。温泉に入りながら彼と話していると、今度は中国人の大きな若者が話しかけてきた。日本、韓国、中国と、それぞれの土管に浸かりながら話をした。中国人の彼はチェンマイ大学に通い始めて3週間で、日帰りでここに来たという。前に通っていたバンコクが恋しいと言っていた。彼は雲南省出身で、母語がそこの方言でタイ語とすごく似ているらしく、たしかに数字の数え方はほぼ同じだった。彼いわく雲南の人が日本人が嫌いだが、大学での彼の親友は日本人だとも言っていた。

韓国人の彼は、奥さんと二人でもう10カ月色々な国を旅行していて、もう数日でチェンマイに戻り、そして韓国に帰るのだそう。インド、ネパール、バリ、ベルリン、アムステルダムなど色々行ったらしい。韓国に帰ったら、住むところ、仕事を探して、新しい生活を始めるのだとか。

温泉を出てから濡れたトランクスに短パンをはき、また観光に出かけた。すごく高い木が並ぶ道を抜け、まずは山の上の修道院へ行った。500段の階段があると聞いていたが、下りも含めて500段で、たいしたことはなかった。しかも瞑想のための場所なので、たいした見るものはなかった。中国語で格言みたいなのを書いた札がいっぱいかかっていた。

それからチェンダオ洞窟へ行った。洞窟は意外と長かった。奥にはさらなる道があり、そこはガイドを雇わないといけないらしいが、誰も雇う人はおらず、ガイドさん達はとても暇そうだった。洞窟の外には池があり、池の魚にあげる餌を売っていたが、餌がキュウリでびっくりした。でも魚はよく食べていた。寺の売店には、色々な生姜や、植物、漢方などが売っていた。

帰りに粗末な店で麺料理を食べた。みんなが食べている土鍋のような麺をたのんだが、臓物やらがたくさん入っていて美味しかった。

3時過ぎにホテルに戻ってチェックインした。小屋は壁が超薄く、外の音は丸聞こえだった。ホテルのスタッフとおじさんが小屋の横でずっと話しておりうるさかった。

夜はちょっと離れたところまで行き、チャーハンを頼んだが、頼んでいない目玉焼きまでついてきて腹いっぱいになった。帰りにコンビニでラオカオを買った。二種類あったが、スタッフいわく、タイ人は35度のほうが好きだというので、そっちを買った。

ホテルに帰ると韓国人カップルが焚火をしていたので、酒を持っていって焚火にあたりながら少し話した。奥さんはチェジュ島出身らしい。とても人懐こい優しい夫婦だった。

小屋に帰って寝ようとしたが、電気を消してしばらくすると、北海道で初めて起こったパニックのフラッシュバックが起きて、やばかった。寒かったのと、小屋の狭さからと、一晩中ここで過ごすというプレッシャーが重なってなったと思われる。

お湯を飲んだりストレッチしたりしてなんとかしのいで寝ることができたが、明日は絶対にチェックアウトしようと思った。



 12月19日

朝はチェンダオの朝市に行ってみた。たいしたものはなかったので、串やカオニャオだけ買った。帰りにワット・メーイートという寺に行ってみたが、ちょっと地獄寺的なオブジェや、大きな金のモンク像、あとは山も見えるし、糸で作ったクラフトみたいなものもすごく可愛くて、センスのいい寺だなと思った。

一度ホテルに帰ってから、また温泉に行った。バイクで走っているときはものすごく寒かったが、朝は人が少なくてゆっくりと入れた。帰って荷物をまとめていると、ちょうど韓国人夫婦が小屋の前を通ったので、別れの挨拶をした。

11時半ころにチェックアウトし、昼飯を食いに行った。古いお店で、座敷があったのでそこで座って食べた。ガイヤーンとタム・プラーラーを頼んだが、とても美味しかった。今までで一番かも。それから1時間ほど走って、Fangに着いた。泊まったのはFang Villa Hotelというところで、部屋は広いし、窓もテレビもあるし、かなり好みの部屋だった。

荷物を置いてバイクで市場に行って、パパイヤを一個と、スイートポテトを揚げたやつを買った。それからカフェに行ったが、コーヒーマシーンが壊れていたので、しかたなく冷たいココアを頼んで、さっき買った揚げボールを食べた。帰り道で、道端に警官が立っていたが止められなかった。

夜は近くのロータスのナイトマーケットのような所に行ってみたが、店はちょっとしかやっていなかった。串を2本だけ買って帰り、ホテルに帰って食べた。



 12月20日

朝は阿華麺店という店で、バミー・ナムプリックオーンを食べた。期待どおりとても美味しかった。それから大きい通りをずっと北に歩いて行った。すごく暗い市場があって、客もぜんぜんいなかったが、なんか惹きつけられた。1時間くらい歩き、昨日の市場に戻ってきて、ココナッツを1個買って帰った。

ホテルでココナッツを飲みパパイヤを食べ、11時頃にチェックアウトして、メーサローンへ向かった。途中でカートルアンローイチャイラックという、山岳民族がお土産を売っている休憩所みたいなところがあったので、立ち寄って昼ご飯を食べた。また豚肉ののった雲南麺を食べたが、これも美味しかった。

また走り出すと、山がたくさん見えてきて、まるで北海道のような風景で懐かしくなった。どんどん山を登っていったが、道路のアスファルトが割れているところがたくさんあって少し危なかった。2時近くにやっとメーサロンのビンテージ・ホテルというところに着いた。

フロントのおばさんは中国語が話せた。部屋は大きくてNetflixなども見れたが、とにかく寒かった。1階は洗車場で、その音が少しうるさかった。ホテルの近くを散歩してみたが、中国っぽい壁画がたくさんあった。近くの小さいカフェでロールケーキ、エッグタルトとホット・ミルクを飲んだ。白人の爺さんが来て、話しかけてきてブツブツ言っていた。バイクを運転してきたというが、この高齢で運転大丈夫かと心配になった。

夕方からレッスンがいくつかあったので、全部終わるとすっかり暗くなっていた。バイクでレストランを探して走ったが、寒くて歯がガチガチ鳴って止まらなかった。やっと見つけた四海というレストランでチャーハンを食べたが、めちゃめちゃ美味かった。やはり中華系のチャーハンが一番うまい。食べたのでいくらか身体が暖まり、また頑張って帰った。


2024年12月 チェンマイ 27~29日目

 12月15日

朝はターペー門近くの市場に行ったが、閉まっていたので、南門の市場に行った。色んな食べ物があって、かなり興奮した。カオニャオ・ドリアンとパパイヤを買って、名前は忘れたが辛そうな色のスープの麺料理を食べた。それから市場の外にあった店でガーフェー・ボーラーンを飲み、古着を見た。いいスウェットがいくつかあったが、150バーツと少し高かったので、買わなかった。

ホステルに帰って読書をしていると、韓国人の青年にどこか一緒に遊びに行こうと誘われたので、昨日行けなかったワットプラタートドーイカムという寺に一緒に行くことにした。

11時頃に、朝に買ったカオニャオ・ドリアンをまず一緒に食べた。それからバイクで向かったが、道を間違えて思いっきり遠回りしてしまった。バイクで山の頂上まで登れ、すぐに大仏が見えた。チェンマイ市街が見渡せる景色もよかった。韓国の青年は45歳、クリスチャンで、ソウルの郊外に住んでいるとか。ホステルでは個室に泊まっているが、長期割引で一カ月5000バーツらしい。それに食費も5000バーツくらいだと言っていた。

寺のあとは、昼飯を食いに近くの市場に行った。フードコートがあったので、そこでパッポンカリーを食べ、ソムタムをシェアした。彼はコーヒーが好きなようで、コーヒー豆も買った。4時頃にホステルに帰り、レッスンを1つやった。そのあと一人で出かけ、晩御飯にトムヤムヌードルを食べた。


12月16日

朝はチェンマイ大学キャンパス内にあるアーンケーオダムという池の周りを歩いた。たくさんの人がジョギングなどをしていた。とても寒い朝だった。それからお粥とパートンコーを食べた。昼頃にレッスンを一つやり、終わってから20キロくらい北にある地獄寺へバイクで向かった。バイクに乗るととても寒くて震えた。

寺に行く前に近くで牛肉のカオソーイを食べた。それから地獄寺のワットメーケートノーイに行った。入口に着いたとき、ここは前にも来たと思い出した。しかしどうやって来たのかは思い出せない。ソンテウでここまで来たんだろうか。入口で10Bを入れてゲートをくぐった。だいぶサビれていて、あまりメンテナンスはされていなかった。中国系のようなカップルがいて、10B入れて色んな機械を回していた。

帰りに古着屋に寄って40Bのスエットと、30Bのマフラーを買って帰り、すぐに洗濯した。

6時くらいにイサーン・レストランでラープ・プラーを食べた。それからレッスンをやって、早めにベッドに入って中国語を勉強した。


12月17日

洗濯したスエットがまだ乾いていなかったので、着てベッドにもぐり体温で温めた。日が昇ってからまたチェンマイ大学に行き、散歩とストレッチをした。帰りはカオゲーンを食べて帰った。

昼前にホテルをチェックアウトして、チェンダオに向かう。道路は思ったより大きく、まっすぐの道で、車は飛ばすし、眠気も誘うので、バリよりもかえって危ないなと思った。

半分くらい走ったところで、ちょっと高級そうなレストランに入り、昼飯を食べた。魚のラープを頼んだが、ものすごく美味しかった。前の日に食べたラープとは全く違う料理だった。

1時間半ほどでチェンダオの町に着き、市場があったので、小さいスイーツを買った。チェンダオの予約していたホテルに着いたが、思った以上に良い部屋だった。荷物を置いて、すぐに土管温泉に行った。

最初、どこにあるかわからず、有料の方に行ってしまった。

なんとか無料の方を見つけたが、温泉には10人近くの人がいて、8個くらいある土管は全部人が入っている。ある人に、これは順番待ちなのかと聞くと、そんなことはない、勝手にどこに入ってもいいと教えてくれた。

海パン一丁になり、空いた土管に入ってみた。お湯はちょうどいい温度だ。身体が熱くなったら、土管から出て冷たい川に浸かる。それを繰り返した。3時くらいになるとどんどん人が増えてきた。

温泉を出て、プロントというカフェに行った。チェンダオ山が見える。ココアを飲んで、買ってきたスイーツを食べた。

夜は近くの店でガイトードとソムタムを食べたが、ぜんぜん美味しくなかった。そのくせ値段は高かった。犬が寄ってきて隣でじっと待ってるので、鶏肉の骨などをあげた。この店はもしかしたら酒を飲むのがメインの店かもしれない。この料理を目当てに来る人がいるとは到底思えない。



2024/12/15

2024年12月 チェンマイ 24~26日目

12月12日

かなり早くに起き、ロビーで昨日買った「バーンサバイ」という本を読んでいた。ホステルの目の前は市場で、みんな5時頃から準備を始めていた。夜が明けてから少し市場を歩いて、パートンコーを買いホステルで食べた。

朝にレッスンがあったが、9時過ぎにはロビーも人でいっぱいになったので、しかたなく部屋の前の廊下でやった。レッスンが終わってからインド人の青年が来て、お金を両替できず困っているみたいだったし、彼が持ってるのがなぜかシンガポールドルだったので、50ドル分替えてあげた。彼は喜んで私のほっぺを軽くつねってきた。感謝のジェスチャーのようだ。とても可愛いなと思った。それからワインを持ってきて、一緒に飲もうと言うので、もう空港に行かなきゃいけないと断った。

準備をしてホステルを出発し、途中でパッタイを食べた。飛行機はタイ・ライオンエアー。隣にはゲイのカップルらしき二人が来て、私の隣の奴が足を思いっきり大股に広げて座り、頭おかしいんじゃないかなと思った。飛行機は1時間でチェンマイに着いた。空港に着いてすぐバス乗り場に行った。わりとすぐバスが来たので乗り込んだが、出発までには20分以上待ち、外国人でいっぱいになった頃やっと出発した。バスはまずターペー門に行き、それから北門、そしてバスターミナルのような所へ行き、それからようやくニマンヘミンのほうへ向かい、渋滞がひどかったので、病院の近くで下ろしてもらった。空港から結局1時間以上もかかった。

そこから歩いてDaizy Houseというホステルに行った。オーナーもゲストもみんな韓国人だった。ドミトリールームは広くて、ベッドも大きかった。レッスンまで1時間くらいあったので、ホステルの裏にある、レンタルバイク屋に行ってみた。ロシア人のオーナーがいて、3週間だと2900、一カ月だと3500バーツだと言って、連絡先を教えてくれた。ホステルに帰ったが、レッスンはキャンセルになった。

他のバイク屋にも連絡してみたが、折り合いがつかなかったので、今日行ったバイク屋で借りることにして、メッセージを送った。

夜は歩いてニマンヘミン通りへ行き、ミャンマー料理の店でチキンカレーを食べた。ミャンマーカレーで、とても脂っこかった。それから本屋や雑貨屋に寄って、ワンニマンというモールに行った。外では服やアクセサリーの露店がたくさん出ていて、面白いものがたくさんあった。何も買わずにホステルに帰って、早めに寝た。

さすが韓国人のホステルで、ドミトリーは夜もとても静かでぐっすり寝られた。


12月13日

朝は日の出前に起きたので、ロビーに行って電気をつけて少し仕事をしていたら、隣で寝ていたオーナーを起こしてしまった。夜が明けてから歩いてニマンヘミン通りに行き、朝ごはんにカオゲーンをテイクアウトした。持ち帰りはサイクローンと言うらしい。

ホステルに帰ってまた仕事をして、朝ごはんも食べた。それからレッスンのはずだったが、それもキャンセルになった。11時頃にバイク屋に行き、水色のYamahaのFazzioというバイクを借りた。ちょうど一カ月で3500バーツ。店には調子のよさそうなメカニックの青年がいて、サユリというMPの事まで教えてくれた。

ホステルに帰って準備をして、12時にチェックアウトし、次のホステル、インサイト・ホステルに移動した。スマホ・ホルダーがついてないので、何度も止まって地図を確認しなければいけなかった。ホステルはかなり奥まって静かな所にあり、まるで何かのミュージアムのようなたたずまいだった。チェックインして、ドミトリーの下段にしてもらった。

昼飯を食いに行き、昨日のホステルから持ってきたゆで卵を食べようと思って割ったら、生卵だった。昼飯を食べてからチェンマイ大学の美術館に行ったが、あまり面白くなかった。近くにあった日本人のカフェももう潰れていた。それから市場に行って、ドラゴンフルーツを買い、ハーバル・サウナに行った。料金は130バーツで、中は以前と何も変わっていなかった。夕方になるとロシア人が増えてきて、白人が8割くらいになった。

夜はナイトマーケットに行こうと思い、まずはメーヤーモールの隣に行ったが、ものすごいサビれていて、人も店も少なかった。腹が減っていたので、しょうがなくそこでクイティアオ・ナムトックを食べた。それから北門のマーケットにも行ってみたが、食べ物だけで、目当てのスマホ・ホルダーはなかった。疲れたので、ホステルに帰って寝た。案の定夜も静かで割とよく寝られた。


12月14日

朝は歩いてワット・ウモーンに行った。犬がたくさんいて、可愛かった。洞窟の中にはコウモリもいた。池の魚にエサもあげた。それからホステルの近くをぐるっと歩いて回ったが、学生向けのアパートがたくさんあった。途中で見つけた店で、カオゲーンを食べた。ホステルに帰って少し仕事をして、スタッフにもう一泊したいと伝えてお金を払い、昼からまたスクーターで南の方に出かけた。イサーンの店があったので、タム・プラーラーとガイヤーンピット(手羽先)を食べた。

それからバーンカン・マーケットというおしゃれなマーケットに行って店を見て回った。何も買わず、次は山の上の寺に行こうと思ったが、雲行きが怪しくなってきたのでホステルに帰った。途中で雨が降ってきたが、パン屋に寄ってどんぐりの形のチョコレートを一個買って帰った。雨はどんどん激しくなった。

夜にレッスンを1つやって、それから雨の中傘をさし、歩いて近くのレストランに行きカオトムを食べた。夜に中国人の若者が向かいのベッドに来て、終わったなと思ったが、割と早く寝てくれて、いびきがちょっと聞こえたが、その夜も割とよく寝られた。

2024年12月 パタヤ 21~23日目

12月9日

朝はまたチャロエム公園に行き、散歩したあとに、すぐ隣にあるカオプラタムナックという展望台のようなところにバイクで登ってみた。中国人の観光客がたくさんいた。ロシア人の男性に写真を撮ってもらった。私も彼の写真を撮ってあげた。それからお粥の店に行き、カオトムを食べたが、ちょっと甘すぎた。

昼にチェックアウトして、前に行ったケーキ屋さんに行き、ケーキを一個買った。おつりがないらしく、店の男性が7-11まで買い物に行ったので、奥さんと少し話した。まだ今年の3月にオープンしたばかりで、レビューを書いてくれと頼まれた。

それから新しいホテル、Sophon.19 Apartmentという所に移動した。まだ12時だったので、チェックインはできず、先に昼ご飯を食べに行った。ヒーアジョークラプラウプー?という店で、シャコのせごはんを食べた。80バーツで、柔らかくて思った以上に美味しかった。それからホテルに戻ってチェックイン。

部屋はとても広い。一泊500バーツで、プールまである。しかしお湯がなかったので、買ってきたケーキを食べながら水を飲んだ。

夜は市場に行き、ガパオを買ってホテルで食べた。夜にオムさんから誘いがあったので、バイクで会いに行き、一緒にビールを飲んだ。


12月10日

朝はホテルの周りを散歩してみた。モスクがあり、ムスリムの店がたくさんあった。中華系の寺院もあった。帰りにカオマンガイを食べた。昼はまた昨日と同じ店に行き、プーパッポンカリーを食べた。なかなかのボリュームだったがこれも80バーツだった。それからピヤ・シラパカン・ミュージアムという所に行った。さびれていたが、面白い造りの家だった。たぶん有名な画家のアトリエではないか。昔の国王と思われる絵がたくさんあった。絵画の本や図鑑もたくさんあったので、ソファに座って少し読んだ。夜はムスリム系の店で、ラープ・ヌアを食べた。


12月11日

朝はホテルの近くを少し散歩して、市場でジョークを食べた。長期者向けのよさげなアパートも見つけた。一カ月6,500バーツだとか。

11時頃にチェックアウトして、バイクを返しに行った。延長は一日だけだったらしく150バーツしかとられなかった。バスターミナルへ行き、12:10のバスに乗ってエカマイに帰った。エカマイの店でお昼ごはんを食べたが、重くて食べきれず少し残して自分で袋に入れた。それからバイクタクシーに乗って、プロンポンの小さいほうの古本屋に行ったが、タイ関係の本の品ぞろえがすごかった。なのでタイ関係の本を二冊買った。1冊60バーツ。

それからドンムアン付近のホステルに行くために、Google Mapにしたがい、パヤータイのバス停でバスを待ったが、30分以上待ってもバスは来なかったので、モーチットに行き、そこからエアポートバスに乗ってドンムアンに行った。そこから歩いて、Before you go というホステルに行きチェックインした。時間はすでに午後4時を過ぎていた。

私のベッドは上段で、なんか変な場所だった。近くの屋台で牛肉とカオニャオを買ってホステルで食べた。近くの寺で京劇をやっていたので見に行った。変面までやっていて、なかなか面白かった。パフォーマンス中にも後ろでオークションをやっていて、少しうるさかったが、ほのぼのしていていいなと思った。

ホステルに帰ると、私のベッドの隣にフィリピーナが簡易ベッドを出していて、合計3人でずっとしゃべっていたので、話すなら下に言ったらと話しかけた。そのまま彼らとしばらく話してしまった。2人はバンコクの学校で英語の教師をしており、もう一人はセブ島から遊びにきたらしい。下ネタが大好きでいかにもフィリピーノという感じ。なんとか話しも終わり11時くらいに寝た。

最初フィリピーナを見たときは、完全に終わったと思ったが、けっこうぐっすり寝られた。