一日目【12/9(土)】
朝8時過ぎに家を出て、バスに乗りクーライからスクーダイへ。バス代は2.5RM。
スクーダイから、TUN AMINAHのバスターミナルまでは歩くが25分もかかる。けっこう遠い。時間は9時半ちょい前。
バス・ターミナルでチェックインをすませ、隣の市場で朝飯と、昼飯、晩飯も兼ねて打包する。
バスはさほど寒くもなく快適だが、やはり5時間は長い。途中で一度だけオシッコタイム。
2時過ぎにKLIA1へ着き、KLIA2には2時半過ぎに到着。Web-check in を事前にしてたので、マシーンで航空券を印刷し、カウンターでスタンプを教えてもらい出国審査場をくぐる。
空港の中はやはり寒い。搭乗時間少し前に、昼飯兼晩飯を半分だけ食べておなかいっぱい。
飛行機内では坊主と若者に挟まれた、真ん中の席。機内はあいかわらず極寒で、最後の方は坊主も袈裟を頭に巻いていた。私も後半から鼻がおかしくなってきた。機内で入国カードを書き、到着後はとてもスムーズに入国審査を通る。到着ゲートには、ロンジーをはいた人達がたくさんいて、テンションが少し上がる。両替所で100ドルだけ替えるが、レートは1000ちょうど。悪くないと思う。
100ドルあげて、100000チャットをもらう。
空港の外はいきなり車道になっていて、開放感がある。歩いてホステルへ向かう途中、キンマの出店をよく見かける。町中キンマの臭い。シンガポールのペニンシュラプラザと同じ臭いだ。
ホテルが見つからなかったので、人に聞いてやっとたどり着く。ドミトリーは人はいないが、蚊がたくさんいたので、とりあえず殺しまくると、蚊が全然いなくなる。
外でなにか食べたかったが、晩飯の残りを食べるとお腹は7分目になったので、近くの細道を歩き散歩。住宅地を歩いたが、とても面白い。二階がやけに低く感じるし、道を歩いていると家の中がなぜだかよく見える。家には色とりどりの小さなランプがたくさんついており、みんな道ばたで遊んだり和んだりしていて野良犬も多い。見た事はないがALWAYS3丁目の夕日だかなんだかみたいな、時代もののセットのような感じ。しかし日本の風景とは違っているし、タイやラオスなどとも違う。なぜだかよくわからないが、水木しげるの漫画のようだなとずっと思っていた。この世ではなく、妖怪の世界に迷い込んだような。
まだビルマ語は全然覚えてなかったので、人と話すのが怖く、みんなの顔は見ないで歩いたので話しかけられはしなかったが、注目は浴びていた。ただ散歩しているだけだと、コミュニケーションは難しい。なにか買物など目的があれば、話しかけれるのだが。
3、40分ほど散歩したのち、ホステルに戻り寝てみるが、津波の夢を見て夜中1時頃に起きた。
ヤンゴンで馬車に乗っていたら津波が来て、波の中を馬と逃げるが波に流されそうになる夢。
起きたら鼻がおかしい。風邪をひいたらしい。ちゃんとしっかり着ていたのになと思ったが、朝からずっとエアコンの中にいたせいだろう。体に悪いことをした。
色々着込むが汗は出ない。夜は思ったより寒いのかもしれない。
朝目が冷めると時計は5時半。そしてマレーシアは7時。改めて1時間半の時差を感じる。
二日目【12/10(日)】
朝6時前に目が覚める。7時前に宿の朝食を食べ、暑くなる前に散歩に出かける。昨日の夜通った道をさらに先に進んでみる。ある公園に出たときに、
ミャンマーの町並みに対する謎が氷解する。ミャンマーはインドに似ている。というかタイやラオスより、かなりインドに寄っている。土埃舞う、殺風景な公園を見てそれがわかった。建物にやたら張ってあるタイルや、縦に長い4、5階建ての細い建物、黒く濁った川、貯められていくゴミの山、朝から大音量でスピーカーから流れてくる意味不明の音楽や民謡、ストリートフードもパンの揚げ物系が多いし、みんなで集まって飲んでいるのもチャイっぽい。そう思ったらもうインドにしか見えなくなってしまった。
散歩は市場を突き抜け、線路を越えて、また違う大きな市場へ出て、また線路を越えて、2時間近くゆっくり歩いてホステルへ戻った。線路では電車も見たが、久留里線と書いてあった。千葉にある路線らしい。
ホステルを10時過ぎにチェックアウトし、空港まで歩きSIMカードを買う。30日プラン2GBで5000K。お金を崩したので、セーマイまでのミニバスを捕まえようと思ったが、よくわからず、炎天下の中15分くらい粘るが断念し、セーマイまで歩く。腹が減っていたので、大衆レストランに入りフライドライスとティーを頼む。油っこくてあまり美味しくなかったが、店の子供たちが興味深そうに見てくるので、食べ終わったあとに、ミャンマー語を話して、コミュニケーションをとってみた。トイレはどこ?と聞くと、みんなで一斉に指を刺してくれた。会計は2300Kだったので、ミャンマー語で発音してもらったが、よくわからず、発音もすごく難しい。
セーマイの反対側のバス停で51番のバスを待ったが全然来ず、ネットで調べてみると、それは古い情報で、51番は37番に変わったらしい。
37番のバスに乗ったが、乗車率110%。途中で少し空いたので後ろの方へ行ったが今度はエアコンが強烈で寒い。みんなも寒がっている。
途中で降りようと思ったが、なんとか40分近く乗り切りチャイナタウンへ着く。アゴダで予約したホステルに無事チェックイン。少し休んだあと街を散歩する。高いビルがひしめいていて、香港のようだ。外国人はあまり見かけず、英語表記も少ない。日本人は皆無。
パンをひたしたココナッツミルク系のデザートを食べたら入れ歯がまた折れた。旅でお決まりのパターン。とくに慌てず接着剤を買った。
それから公園へ行き、スーレーパゴダも通り、2、3時間かけてホステルへ戻る。シャワーを浴びて少し休み、また6時過ぎに晩飯を食べに出かける。近くでカオスエ?的な面を注文したが、予想に反して冷麺だった。食べ終わったら皿が黄色い。ターメリックを入れてるのかもしれない。値段はたったの500k。店のお兄さんも英語を話し、フレンドリー。またしばらく歩き、行きたかったBarに行ってみたが、人がたくさんいて入りづらかったのでパス。
肉や臓物を串にして食べる屋台があったので、挑戦してみた。味はまあまあだったが、無事に注文できた事で達成感を得る。串は10本近く食べ、ビールも1肝飲み、4500k。それからタバコを買い、エッグプリンを食べてホステルに戻る。時間はもう9時。少し仕事をやり、日記を書く。晩飯に出る前に洗って、ベランダに干しておいたTシャツはもうほぼ乾いていた。外はけっこう乾燥しているのかもしれない。
チャイナタウン付近はインド人が本当に多い。3、4割がインド系、場所によっては半分以上がインド系だった。どうなっているんだろう。
三日目【12/11(月)】
朝5時頃に目が覚めるが、エアコンがガンガンきいていて喉が痛い。腹が立ったのでエアコンを消したが、それはまずいかなと思い、30分後にまたつけて寝る。7時頃また起き朝食を食べ、スタッフと少し英語で会話。どうしてヤンゴンはこんなにインド人が多いのかと聞くと、チャイナタウンだけ多いんだと言っていたが、街中いたるところ多いという気がするが。ヤンゴンの変化をどう思うと聞いたら、いい事だ、自分はハッピーだと言っていた。
部屋に戻ると中国人がうるさい。実はそんなにうるさくないのだが、声がやけに耳につく。ホステルを変えようかなと思ったが、荷物をまとめてるので、もう出るのだなと思い、思いとどまった。しかしベッドのロッカーが壊れていると思ったので、延泊するがベッドを変えてもらった。しかしロッカーは壊れておらず、私が使い方を知らないだけで恥をかいた。
シャワーを浴びてから、サロンをはいて街へ出た。まずはスーレーパゴダへ行った。外で小坊主に寄付を要求され50k入れたら、1000kくれとボソっと言われた。あまりありがたくないような気がしたので、もうそれきり小坊主には金はあげないようにした。パゴダは時計回りに回るんだよなと思い、右に回っているつもりが、よく考えたら左に回っていた。こういうのが頭おかしい。パゴダを出るときに、靴を預けた警備員に1000kだと言われ、それは先に言わなきゃ詐欺だろうと思った。
スーレー・パゴダ前から37番のバスに乗ろうと思ったがバスがない。勘違いしていたらしい。しょうがないので歩いてヤンゴン駅まで向かった。途中でオシャレなベーカリーで、どう見てもガーリックトーストなのにチーズケーキ味というトーストと、カフェモカを飲んだ。店内が暑いし、BOSEのスピーカーからは音が最高に悪い音楽が流れている。
暑い中歩いてヤンゴン駅に着く。やっぱりインドの駅みたいだった。
それからまた炎天下を歩いてアウンサン市場に行くが今日は休み。途中で変な親父に日本語で話しかけられ、サロンをはいてるのに、ミャンマーに着たらロンジーを買ってはきなよ郷に入って郷に従うだよとか言われ、やっぱり俺のサロンはロンジーとは全然違うように見えるんだなと、少しショックを受ける。アウンサン市場の前の市場で、日傘を買おうかなと思ったがなんとなくやめた。少し後悔している。
そこからまた暑い中を歩いてシュエダゴン・パゴダに向かう。途中の道ばたで、昨日歯を折られたデザートをまた食べる。味はともかく、場所が小便臭くてまいった。
途中で名もなきパゴダに立ち寄る。小さな鏡がちりばめられていて、素敵なパゴダだった。疲れていたので、中で10分くらいボーッとする。そろそろ出るかとパゴダの外を最後に一周したら、ここは靴脱がなくちゃと言われて謝る。パゴダの外も靴は禁止。ほかの仏教国より禁止エリアが広い、そしてわかりにくい。
もう一つ、シュエダゴンの手前のパゴダに入ってみるが、ここもよかった。パゴダの天井にミャンマー風の星座の絵が描かれていた。けっこう見入ってしまった。ここでも一般人の親父に靴を脱げと注意される。範囲がようわからん。
やっとシュエダゴン・パゴダに着いたが、もう見る気力がなく帰ろうと決意して、パゴダ敷地内を横切って、隣の公園まで行ったが、この途中でも靴を脱げと注意される。完全に寺とは関係ない敷地外だと思ったのに。それに坊主が一人靴はいてるし。ミャンマーは靴には厳しい。
隣の公園に入る前に、入り口にあったショッピングモールの地下で、シャン・ヌードルを食べた。しょっぱすぎる。そしてレモンソーダも酸っぱすぎる。なにかと味が濃いミャンマー。たぶん塩の代わりに使っている塩化ナトリウムがしょっぱすぎるんだ。
公園には遊園地もあり、デートをしているカップルが多い。私のサロンが注目を浴びているような気がした。やはり変なのだきっと。
中国系とインド系のカップルに話しかけられ、グッドモーニングは日本語でなんと言うのと聞かれた。話しかけられると嬉しい。
公園を出て、バスに乗ろうと思ったがバス停がない。しょうがないので一番近くのバス停まで歩いたが、そこには唯一知っている37番のバスはないので、人に聞いてなんとかスーレー行きのバスに乗った。中は暑く、バスは渋滞で遅い。なんとかスーレーに着き、歩いてホステルに戻ったときには、疲労困憊。すぐにシャワーを浴びて休んだ。
少し元気になったので、共用スペースで少し仕事をする。後ろでホステルのスタッフが画面を見ている気配を感じる。
また部屋で休み、8時近くに晩飯を食いに出る。経済飯を食ってみたが、予想に反して悪くなかった。でも衛生面が少し心配な気がした。インドのトラウマ。帰りにタバコとビールを買って、ホステルのベランダで飲んだ。共用スペースのネットの調子があまりよくなく、韓国か中国の男子が一人、病的にイライラしていた。
四日目【12/12(火)】
朝飯は近くの露天でヌードル。味はまぁまぁだが、やはり不衛生っぽい。帰りにポメロを一つ買う。1000k
ホステルで一時間ほど仕事。違うホステルにも泊まってみようと思い、B&B(ブレッドアンドブレークファスト)というホステルのドミトリーを予約。今のとこは一泊14ドルだが、そこは10ドル。
12時前にチェックアウトし、歩いて新しいホステルに行く。ホステルの近くには小さい宝石の店がたくさんあり、すごい数の親父達が道ばたにたむろしている。競馬場のような雰囲気。
新しいホステルのドミトリーは8階。眺めが良くレストランもある。さっそくフィッシュカリーを頼むと、2500kにも関わらず、カボチャのスープもついてきた。味もなかなか美味しいが、カレーはすごく油っこい。ウェイターの少年が眉毛が繋がっていて、何を考えてるのかわからない良いキャラをしている。
タバコを一服してから、近くのシナゴーグを見に行く。ペンキ塗りの工事をしていてすごくペンキ臭い。シナゴーグに入ったのは初めてかもしれない。以前インドのコーチンでも入ったかもしれないが、当時はシナゴーグがなにかも知らなかった。長椅子の座るところも、編んでいる模様が六芒星になっていて面白かった。
それからまたゆっくり歩いて港まで行ってみた。行くまでには食事の露天がたくさんありサラリーマン風の人達が飯を食っていた。丸の内的なエリアなのだろうか。
港では女性に声をかけられ、日本人はタダで船に乗って向こう側に行けるから乗れと言われたが、パスポートも持ってなかったし断った。あんなに強くすすめられると怪しく思ってしまう。いや間違いなく何か企んでいるに違いない。
港で少しゆっくりしてから、近くの中央郵便局に行ってみる。ポストカードは10枚セットで1000k。10枚も要らない。
かなり疲れたので、そろそろ帰ろうと歩き始めるが、ここらへんでお腹の異変に気づく。消化がちゃんとできてないようで、痛いほどではないが、気持悪い。なんとかホステルに戻り、ベッドで休む。夜にシュエダゴンパゴダに行きたいと思っていたが、それどころではないと判断し、できるだけ何もせず、何も食べずベッドで夜まで寝ていた。
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