2016/03/23

たあいもないこと




毎日平和である。


ここ数年、毎夜毎夜夢をたくさん見ていた。
しかもたいてい、心にストレスがかかるような夢ばかり。誰かに追いかけられて、隠れても見つけられるとか、兵士がたくさんいる要塞から脱出しなければいけないとか、高い所から落ちてしまうとか。
しかしそれで身体から疲れが取れないというわけでもないので、とくに気にしてはいなかったが、この間寝る前に(ヴィパサナ式)瞑想を十数分くらいやったら、その晩は夢を見なかった。見たのかもしれないけど、覚えていない。なので、最近は朝と夜に2回瞑想をするようにしている。
28歳くらいのときにインドに旅行に行って、そこで初めて瞑想というものを知り、やってみるようになったんだけど、やり始めてみると、今までの人生って何だったんだろと虚しくなるくらい、瞑想は心身に良い。正しい瞑想を学校で教えるようになったら、いや親が子供に直接教えるようになったら、(過去の)俺みたいな虚しい人間ができなくていいのにな。


シンガポールで鳩が死んでいるのをよく見かける。道路でぺしゃんこになって死んでいる。車に轢かれたんでしょうご愁傷様。しかし本当によく見る。1日に2、3回は見る。
日本ではそんなに見なかったというか、ほとんど見なかったように思うのだけど。シンガポールの鳩は、少しバカなのかもしれない。
さらに最近家の近くの公園で、ニワトリを放し飼いしてる奴がけっこういるらしく、ニワトリをたくさん見るんだけど、この間自転車で特に意味なくおもむろに近づいて見たら、ニワトリが飛んで逃げた。まぁ1mにも満たない、4、50cmくらいの高さだったけど、尾が長い立派な雄ドリで、まるで鳳凰のように神々しい飛行だった。


シンガポールに来てから急に暇になり、時間を持て余すようになってから、ずっと「貧乏のすすめ」という本を執筆しようと考えていたが、毎日めんどくせえを経て、未だに書かずにいるし、これからも書かないわけだが、この私の頭の中の構想が世に出れば、きっとものすごい数の人達が貧乏の良さを知り、それを自分の人生にも役立ててハッピーハッピーになれるかもしれないのだが、最近はもうそんな人の事なんて知ったこっちゃない。
「貧乏のすすめ」とはすなわち、金持ちよりも貧乏人の方が幸せに人生をまっとうできる確率が高いという事が言いたいのだ。
例えば私は、一人暮らしを始めてから金がなくなって、いわゆる「貧乏」になった。そのせいで最新の家電やら、とっても便利な機器やらが買えなかった。そのおかげでそんな便利な道具には頼らず、自分で何でもやるような習慣がついたので、今はこんなに逞しく頭が良く、色んな能力を持った野生的なオジさんに育った。
例えば私は貧乏のせいでで、あまり外食ができなかったり、みんなが食べるような美味しい物が食べられなかった。そのおかげで、食品添加物、化学調味料、抗生物質などを比較的摂取少なめで生きてきたので、今はみんなより元気もりもりな健康体だ。(と思う)
ざっくりとした説明なので、かなり語弊があるわけだが、だいたいこんな感じでもっと色々と細かく派生していく。
しかしなんといっても一番は、貧乏に慣れっちまうと金がなくてもまぁ色々工夫して、普通に生きてはいける。そうすると金がかからない、という事は金をたいして稼がなくていい、そうすると比較的自分のやりたい、好きな仕事を選べるし、自分が自由にできる時間も増えて、ハッピーハッピーになれる。人に気を遣わなくてもいいし、嫌な奴らに囲まれなくても済む。
給料が高い会社で働いた所で、長い拘束時間や抱えなければいけないストレス、それが原因で病気になり稼いだお金はそれでなくなり、計画していた楽しい老後やらも全部パアになる。しかも時給にするとかなり高いと思われがちだが、その仕事を得るまでにかけた多大な時間と費用も計算に入れた方がいい。遊ぶ時間を削って塾に行き、ハンパなく高い金払って大学に通い、人を騙して金を稼ぐ以外には役に立たないような知識を学び、人としての尊厳や美学を捨ててやっと手に入れた仕事。しかしそれは終わりではなく、さらに欲にまみれて汚く醜い人生に突入していく。相当ネガティブにとらえてみたが、けして大げさではない。
貧乏は少なくともこんな心配はしなくてもいい。
まぁ「貧乏」という言葉にも相当語弊があって、けして「貧困」ではなく「質素」という意味での「貧乏」。金持ちから見ると同じに見えるのかもしれないが。



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