2017/03/14

トバ湖よかったな〜

インドネシア旅行最終日。
ただいまスマトラ島、メダン。

結局今までずっとトバ湖に泊まっていた。トバ湖のD'POSというとこに5泊した。オーナーのロスさんというおばさんは、見た目はゴスペルが上手そうな黒人シンガーのようで、前に八王子のケンウッドの工場で一ヶ月働いたことがあり、朝っぱらから元気な笑顔でオハヨウゴザイマースヤマグチサン!と頭を下げて挨拶されると、まるで自分が工場長になったような気分だ。

Wi-fiもないし、シャワーもお湯がなく出も悪いので、バケツに水ためて手桶でザバーッとかぶるスタイル。200m先にロスさんのネットカフェがあるので、そこまで行けばWi-fiは使える。部屋は全部で3つだが自分の他に客は誰もいなく静かだ。一泊してみてかなり気に入ったので、ロスさんに交渉してレンタル自転車付きで一泊700Rpにしてもらった。安いのか高いのかよくわからないが、自転車乗り放題で5泊して3500円くらいというのは、やっぱ安いんじゃないか。

宿のすぐ隣にあるレストランも美味しくて、毎日通ってアボカド料理をたくさん食べた。庭にアボカドの樹がなっていて、最終日にはそのアボカドを二個だけ売ってもらった。大きいのでそれだけでも7、800gくらいありそう。イタさんというそこのシェフのおばさんは英語も上手でいつも話し相手になってくれて、島の事も色々教えてくれた。

ロスさんもイタさんも本当に優しくしてくれて、島を出るフェリーに乗る前も二人供、遅れたらバイクでジェッティーまで送ってあげるよと言ってくれた。まぁ良い客なので優しくされても当たり前だとも言えるが、それでも悪い気はしないし、客だろうがそんな事おかまいなしという人達も色々見て来たので、やはり外人観光客としては気持ちよく滞在できる島である。トバ湖、サモシール島、Tuk Tuk。

4日目はロスさんからスクーターを1日600Rpで貸してもらった。2時間ほどゆっくり走って、島の反対側にあるバングルーランという町に行った。そこは温泉がある事でも有名で、ガイドブックに書いてあった温泉宿を探した。地元の人に色々声をかけて場所を聞いた。宿の名前を連呼してもあまりすぐにわかってもらえず、結局最後に気づいたが自分は最後の母音を強く発音してなかったのだ。ここサモシール島はみんなバタック人で、バタック人はみんなキリスト教で、バタック語はおそらくスペイン語の影響を強く受けていて、聞いててもスペイン語のように聞こえる。レストランのおばさんもTVでメキシコの古いドラマを見ていたし。だから特に最後の母音は強く発音しなければいけない、のだと思う。
そんでやっと温泉を見つけたが、場末感がすごく客は誰もおらず、だだっ広い屋外の浴場に、日焼けがまだ痛いのに太陽光に照らされながら熱い湯に浸かった。まぁなかなか気持ち良かったが、その帰りに天気が徐徐に崩れていき、チョロチョロ雨も降り出したり、とにかくとても寒かったので、スクーターかっ飛ばして1時間くらいで戻ったが、帰ったときにはもんのすごく疲れていて、次の日の朝体中の筋肉が痛く、なんで筋肉痛になんかなったんだろと思ったら風邪だった。
ほいで次の日は一日中部屋で休む。アボカド食べても下痢でブァーッと出てくので、夜は一切食べずエネルギーは治癒に全部まわした。そして今朝、なんとか体調はバスに乗れるくらいにはなっており、ツーリストバスは800Rpもするので、400Rpのローカルバスに乗って4、5時間でメダンに着いた。
来るときはとても不快だったローカルバスだが、帰りは色々汗かく用の服装とか準備してったのでへっちゃらだった。

そしてメダン、ここはなかなか大きい街で騒がしい。マレーシアのペナンに似ていると聞いてたので、中国人がたくさんいるのかと思いきや、まだ中国系は一人も見ていないし、福建語を話せるという人もまだこの旅では出会っていない。そして夕方はあちこちのモスクからアザーンが聞こえ、ああやっぱイスラムの街だというのを実感した。華僑がどこに住んでいるのかはまた今度調べよう。

シンガポールに住んでいると、ジャカルタは一応首都だけど、なんか田舎っぽく感じるが、インドネシアの他の町に来ると、ジャカルタがいかにインドネシアの中心となっているのかが肌で感じられる。例えばジャカルタからの観光客を見たり、テレビでジャカルタのスタジオが映ってすっごく盛り上がってたり、みんながジャカルタについて話すのを聞いたり、あとインドネシア語を勉強しててもジャカルタの若者はこういう言葉を使うとか、そんなのから、ああジャカルタが中心なのだ、すごいとこなのだきっと、とそう感じる。知らんけど。

さて今回もインドネシアルピアがたくさんあまった。全然使わなかったのだ。安かったのだ。節約もしたのだ。また近いうちにトバ湖でもいいし、他の町でもいいし、どこか行ってインドネシア語を話して、安く楽しく旅行を楽しみたいな。

明日は朝11時頃の便でシンガポールへ帰る。無事に空港まで行けるだろうか。空港まで無事に行けなかったことなどないから、明日もきっと大丈夫であろう。














2017/03/08

はじめてのトバ湖2017

今インドネシアはスマトラ島のトバ湖に来ている。

先月バンコクに行ったきり、どこも行かずにお仕事がんばったので、来週あたりどこか行こうと、スカイスキャナーで行き先を探していた。すると飛行機チケットが安い順に見られるのがわかり、それで調べたところ、一番安いのがマレーシアのクアラルンプール、次いでインドネシアの首都ジャカルタ、その次にインドネシア、スマトラ島の都市メダンだった。往復で130ドル程度。

メダン空港に朝9時頃着き、そこから空港のバスでアンプラス・バスターミナルに行く。15,000Rp。
そこからパラパッ行きのローカル・バスに乗って4時間ほど。40,000Rp。
席に座って出発を待っていると、バスの運転手がアジア人のおじさんを一人連れてきて、俺を指差し「彼も香港人だ」と言ったが、おじさんは「いや、あなた日本人ですよね」と言っていた。オジさんは香港人で彼もトバ湖に行くらしい。前の方の座席で運転手とないやら話していたが、しばらくして私のところに来て「いくら払いましたか?」と聞いてきたので、40,000Rpですと言うと、安心して席に戻って行った。たしかに不安になるのも無理はない。そんな怪しい雰囲気がするバスターミナルである。

このローカルバスが、なかなか暑かった。もちろんエアコンはないし、窓も上のほうが少し開くだけだし、走ってないときは風も入ってこないので、非常に暑い。長ズボンをはいていたが、お尻のあたりが汗でべっちょり濡れしまった。そして車内は運転手を含め、何人かがタバコを吸っていて、インドネシアらしい感じだった。でもタバコの煙が嫌いな人もいるらしく、そういう人はちょっと煙たい顔をしていた。
きっと主要道路を走っていたにもかかわらず、道幅はとても狭く、バスは無理っぽい追い越しを繰り返しながら走った。車窓から見える町は、
家や店がボロボロで、道は砂利道で埃っぽく、どこかアフリカのような感じがした。インドネシアはマレーシアと似てると思っていたが、やっぱり全然違う。人が多いのでそれだけ貧しいのかもしれない。昼になって学生の姿が見えるようになったが、バスかなにかを待ちながらオッサンのような風貌でタバコをプカーッとふかしている。オバさんでもタバコを吸っている人をよく見た。みんなタバコが大好きらしい。

パラパッの船着き場に着くと、オジさんはトバ湖の真ん中にあるサモシール島行きのボートに乗りに行ったが、私は今日はボートに乗らずにこのパラパッに一泊することにした。色々な町を見てみたかったので。
ホテルを探しているときにオジさんに私のホテルに来いと話しかけられ、見るだけ見てみるかと思いミニバスに乗って向かったら、けっこう遠くまで来てしまったので、しかたなくそこに泊まることにした。船着き場から徒歩15分、トイレ・シャワーは共有でお湯は出ない。これで一泊、100,000Rp。高いか安いか考えようとしたが意味がないのでやめた。荷物を置き、町をブラついてみた。町の人は思ったよりきさくではなく、あまり話しかけては来ない。観光地だからかなと思ったが、たしかに前にインドネシアに行ったときも、こんな感じの距離感だったような気がする。話しかけられるのが嫌いな人はちょうどいいかもしれない。でも私はインドネシア語の練習がしたかったので、もっとガンガン来いよと思った。
夜はけっこう寒く、風邪気味だったので、体が非常に心配だった。ホテルには無料のお湯などもなさそうなので、向かいの食堂でホットコーヒーを飲んだりした。ツインベッドだったので、隣のベッドの毛布もかけて、なんとか寒い夜をしのいだ。

朝9時頃、船着き場まで歩き、サモシール島行きの船に乗った。片道15,000Rp。ボートはゆっくりで、周りの景色がきれいだった。湖は山脈に囲まれていて、どこもかしこも山だった。ホテルは決まっていなかったので、適当な船着き場で降りて、宿を探した。
人に聞いたところ、このあたりではポピーズが安いと言っていたので、そのポピーズというレストランの宿に泊まることにした。ここも一泊100,000Rpと言っていたが、おそらく定価は決めていないような感じだった。とても質素な部屋でwi-fiもホットシャワーもないし、次の日気づいたがシャワーすらも使えず、蛇口からしか水は出なかった。しかし部屋は湖に面していて、そこからの景色は素晴らしい。湖は静かで、対岸にもとくに町などはなく、山が見えるのみ。レストランの隣には独立した貸し家があり、そこはドイツ人のオジさんが貸し切って泊まっていた。けっこう長い事住んでいるらしく、桑で畑や庭をいじったりしていた。

午後からひたすら歩き、疲れてはワルン(庶民の食堂)で飲み物を飲んだりお菓子を食べたりした。天気はあまりよくなく、頻繁に小雨が降ったり止んだりしていた。インドネシアはイスラム教の国だが、この島の島民はみんなクリスチャンらしく、いたるところにキリスト教の小さい寺のようなものや、お墓があった。教会も近くにいくつかあるらしい。

夕方頃にある食堂でスープを飲んでいたら、雨が激しくなってきたので出るに出られず、店のオジさんが英語が達者なので、しばらく雑談をした。おじさんは大きい子供が3人いるらしく、長女は日本人と結婚して大阪に住んでいて、他の二人はこれから大学に入るらしい。学費のためにもっとお金が欲しいらしく、どこか連れてってあげようとか、ガイドをするよとか言ってきたが、やんわりと断った。大きい家に大きいテレビ、家族も元気でこれ以上何も要らないじゃないかと言ってみたが、とにかく子供達を大学に行かせないと未来がないような事を言っていた。

やっと雨が小降りになったので食堂を出て、帰り道にネットで見たことがある「Toba Cats Garden」というゲストハウスがあったので、ちょっと寄ってみた。小柄なオジさんがモップがけをしていて、日本語で色々話しかけてきた。聞けばオジさんは前に名古屋で働いていた事があるらしい。仕事は何だったのと聞くと「ドカチン」と言っていた。ゲストハウスには猫が18匹と犬が1匹いる。オジさんはどこかから魚を大量に持ってきて、猫達の料理を作り始め、とても忙しそうだった。やっと一息ついたので部屋の事を聞いてみると、ここには部屋は1室だけで、今はイギリス人が泊まっているらしく、もう一つ部屋があるよというので見てみたら、ベッドの枠組みだけでマットレスもなにもなく、まだ泊まれる状態には見えなかった。料金はいくらでもいいし、雑務を手伝ってくれればタダでもいいような事を言っていた。
さらに色々聞いてみると、オジさんはここの出身ではなく、もっとメダンよりの小さい町の出身で、日本で働いたあとインドネシアに戻ってきて、3年前からこの家でハウスキーパーを始めたらしい。本当のオーナーは他の所に住んでいて、オジさんはこの家の世話をしているだけで、給料はもらっていないが、ある時から捨てられている猫を拾い始め、その猫の食べ物代などを稼ぐために半年前にこのゲストハウスをオープンさせたらしく、許可はオーナーからももらっているようだ。
ゲストハウスの裏には庭があり、そこで無農薬で色々な果物なども育てていて、パッションフルーツを一つ採って来てくれた。話をしていると誰かが来て、オジさんは何度も頭を下げてお礼を言っていたようだ。来客は麻袋を一つ置いていき、中には子猫が一匹入っていた。このようにしてオジさんのゲストハウスには猫が増えていっているようだ。これで19匹になった。ずっと話を聞いていたが、本当に純粋に捨てられた猫達をほうっておけない、そんな不器用で純粋な人のような感じがした。
宿にはホットシャワーはなく、Wi-fiもないのかと聞くと、前はあったけどお金が払えなくて今はないとの事だった。しかし本当に毎日手抜きをせずに掃除しているらしく、部屋が一つにしては大きすぎるゲストハウスは、床も壁もキレイに掃除されていた。
そんなわけで、世界中の猫好きな人達がここをよく訪れるようになって、オジさんと動物達の生活ももう少し向上すればいいなと少し思った。



上記のサイトでは、けっこう15ドルくらいからと設定されているが、下記のブログでは2016年の春頃に泊まった人で、一週間泊まって一泊約170円だったとも書いてあるので、交渉次第なのではと思う。




ゲストハウスを出る頃には、外は日が暮れかけていて雨もけっこう降っていて、宿に着いたときは服が濡れていてとても寒かった。なんとか色々工夫して、風邪を引かないようにした。とにかく装備が不十分なのが今回の大きい失敗だ。こんなに寒いとは思わなかった。まだ6日間ほどあるので、気をつけないと。



↓ 写真はハウスキーパーのおじさん。名前はボンドさん。54歳。バツイチ


2017/02/16

バンコク柔道遠征ふたたび

先週の木曜から一週間、シンガポール柔道クラブのマイク君(29歳/シンガポール人)と二人で、バンコクに旅行に行ってきた。
一応柔道の練習に行くと言う名目だが、柔道をしたのは最初の一日だけで、あとは各自観光。

いつもお世話になっている、バンコク在住のタイ人、チャンさんに、今回はタイ国内一位(何が?)の名門、チュラロンコン大学の柔道部の練習に参加した。部員は少なかったが、けっこう強い人も数人いた。道場は広い屋内室にあり、周りにはムエタイ、フェンシング、空手、テコンドーなどなど、様々な格闘技系クラブが練習しており、その環境がなにより新鮮で面白かった。練習のあとは数人でタイ料理を食べに行ったが、またもや会計を先にやられおごられてしまった。もうチャンさんにおごってもらうのは4回目くらいなので、さすがにそろそろ胸が痛い。今回は本当におごり返したかった。

一応お土産でお菓子も渡してあるのだが、タイ人がもらって嬉しいようなシンガポール土産などない。たぶん日本のお菓子だったら少しは喜んでくれるかもしれないが、シンガポールでは日本のお菓子は割高だし、そもそもタイにだって売ってるので、あまり買う気にならない。食の天国に住んでいるタイ人をもてなすのは難しい。

2日目からはマイク君とは別行動になった。変な話だが、マイク君は50ドルくらいの中流ホテルに泊まり、私は7ドルくらいのホステルに泊まっていた。そして観光も別々で、2日に1度くらいあって、食事をして報告し合ったりした。マイク君も私も性格が少し似ていて、一人でのんびりコソコソするのが好きなので、こんな感じで良いみたいだ。

私は朝、昼、晩と、とにかくローカルなタイ料理を食べまくって、昼間は街をブラブラし、夜は繁華街をブラブラし、ビールを飲みまくって12時過ぎ頃に帰る。一週間ずっとそんな感じだった。買物は日本の古本屋で本を5冊だけと、お土産は市場で300円くらいの魚の干物を買っただけ。

今回も前回と同様オンヌットのホステルに泊まった。ローカルの美味しい店がたくさんあり、すぐ近くに運河が流れていて、その川沿いに風情のあるお寺や民家がたくさんあり、散歩するのにちょうど良かった。天気さえ暑すぎなければ何時間でも歩けそうだ。

湯の森温泉にも行ってきた。更衣室でよく見る、とても紳士的なタイ人のオジさんスタッフと、今回も少し立ち話をしたが、どうやらもうすぐここを辞めて、近くのナコーンパトムという所に、旅行者向けの複合施設をオープンするつもりだとかで、それについて色々情報を送るからLINEを教えてほしいと言われ教えたら、その夜に今日会って食事をしないかとけっこうしつこく誘われた。なんとか断ったのだが、それからその複合施設だかの情報は教えてくれないし、連絡もない。よくよく考えてみると、彼はゲイで私の事を狙っていたのかなと少し思う。しかし身元がわかっているのに、そんな大胆な事をするというのもちょっと考えにくいが。まぁどっちでもいいのだが、とにかくこのまま何も連絡がないと、なんとなくまた温泉に行きにくくなるな。

一週間だったが、けっこうのんびりしてきたような感じがする。こんな感じだったら月一回で行くのも悪くないような気がする。また安いフライトチケットを探してみようかな。





2017/02/07

自家製始めました

今年に入って色んなものを自分で作り始めている。
主に食べ物であるが、例えば去年から納豆などは、自分で大豆を煮るところからはじめている。醗酵というのはとても面白い。物が腐っていく過程と同じだが、しかしそれはまだ食べられるし、しかもむしろ体に良いと聞く。

今年はどぶろくや果実酒(違法)、豆腐なども自分で作ってみた。いずれも成功したし、味も市販の物よりも美味しい、と自分では感じる。手前味噌だ。自分のとこの子供は、愛おし過ぎて、他の子供よりも可愛く見えてしまうというやつだ。
あとはオーブンももらったので、ケーキやクッキーなどもときどき焼いている。あとはインド料理とかタイ料理とか、日本料理とは全く違う料理もよく作る。とくにインド料理の、ほうれん草とチーズのカレー、パラクパニールを上手に作れたときはかなり嬉しかった。見た目が緑のカレーで、最初見たときは美味しそうにはとても見えなかったが、これはインド料理の中でも、とくに美味い。そしてそれを自分で作ってみて、案外簡単に作れる事がわかった。勇気を出して(そんな大げさなもんじゃないが)やってみて、それで有用な発見が得られるというのは、クセになる。なんだ、やってみていいんだ!と。それは良いサイクルへの入り口であると思う。

しかしここに来て最近、失敗が立て続けに起こっている。納豆も果実酒も失敗。お菓子を作っても全然甘くない。(砂糖をほぼ入れてないからしょうがない)
インド料理とタイ料理は作りすぎると飽きる。作るのも食べるのも飽きる。
昨日もタロイモのケーキを作ってみたが、卵を一個ケチったせいで、焼いても全然かたまってくれない。あと砂糖も少しだけだったので味が全然弱い。焼いた直後はすごく良い香りがしてたのに、冷蔵庫で冷やしたら、ほんとに豆腐のようになってしまった。

しかしそんなときでも、あきらめずに真剣に食っていれば色んな発見がある。昨日は甘くするためにチョコバターみたいなのを塗って食べたが、逆にそのせいでイモからの甘さは完全に隠れてゼロになってしまった。なのでそのあときに、塩をふって食ってみるとあら不思議、やっぱり甘く感じるようになった。
スイカに塩をふると甘くなると昔みんな言ってたが、なんとなく信じられずに今まで生きてきたが、タロイモのおかげでオレも同じ経験をする事ができた。

今までないがしろにしてきた事がたくさんある。自分のすぐそばにある物なのに、あえてそれを見ようとはしてこなかった。というか今もしていない。ちょっと調べてみるだけ、一言聞いてみるだけで解決するようなものなのに。




2017/01/06

Works in 2016

あけましておめでとうございます。
去年やった仕事の一部をアップします。
去年もたくさんお仕事いただきました。
本当に感謝しております。今年もガンガンください。もっと遊ぶ金が必要です。

















2017/01/05

タイから帰ってきたよ2017おめでとうあけて

12月31日にタイのチェンマイを発ち、クアラルンプールに行き、そこで2泊ほどして、1月2日夜にシンガポールに帰ってきた。

だいたい一ヶ月くらいの旅行であった。ずっと奥さんと一緒であった。こんなに長く二人で一緒にいたのは初めてかもしれないが、正直これは合理的ではないと思った。我々は性格は同じなのだが、好みがじゃっかん違い、私はもっとアクティブで奥さんはインドアである。したがって、私はちょっと味気ない旅行だったし、奥さんはちょっとせわしない旅行だったと感じているはずだ。途中で何度も離れて違う場所へ一人で出かけて、後で合流しようと試みたが、せっかく二人で来たんだしなぁとためらい、結局できなかった。

チェンマイを中心としたタイ北部、ここは本当にのんびりとして良い所である。また二人して行きたいと思っているが、できれば次は一人で行こうと思う。なかでも、私はチェンライが一番好きだ。適度に田舎で適度に便利で、自然に囲まれてて、市場が賑わってて、美味しい物がたくあさんある。私にとってはまるで楽園だ。今回は乾期のハイシーズンでしかも年末という事で、どこに行ってもホテルは高く、しかも満室ばかりという最悪の状態だったので、今度は雨期とかのローシーズンに行ってみたい。東南アジアの雨は別に嫌いじゃないし。ホテルももっと安くて、観光客も少ないはずだ。タイはやっぱりローシーズンが良い。

今回も写真をたくさん取ろうとデジカメを持っていったが、違うカメラの充電器を持って行ってしまい、全然写真が取れなかった。日記もつけていないので、もうどんな旅行だったのかあまり覚えていない。ただ観光という観光は、正味2、3日くらいしかしなかった
ような気がする。パーイで一日ツアーに参加したのと、チェンラーイで公共交通で一日かけて2、3カ所回ったの。しかし知り合いがたくさんできた。チェンマイのフリーペーアーの編集者さん、パーイのGreen Hostelのスタッフ、チェンラーイのベジ食堂の台湾人。知り合いができるとまた行きたくなる。

そして一つ耳に残っているのは、「私たちは同じモンゴロイドだから」
色々なシチュエーションでだが、数人のタイ人が言っていた記憶がある。私たちは同じモンゴロイド、西洋人とは違う、同じモンゴロイド系の人種、要は仲間だという事。コーカソイドが聞いたら、なんと差別的な発言だろうと思うかもしれないが、私も最近いつもそう思う。白人と我らモンゴロイドは違う。私が欧州に行きたくない、興味がない理由の一つかもしれない。ここが我々の土地で、あそこは彼らの土地なのだ。この想いはこれからどう変化していくのだろうか。

今年も仕事そっちのけでガンガン旅行したいと思う。








2016/12/21

I'm in Thailand now 2016師走. 

ただいま奥さんと二人でタイに来ておる。12月4日に来たから、もう来てから17日近く経ったわけだ。12月は私の仕事がややヒマだし、奥さんも海外でPCを使って仕事をしてもいいと会社から許可を得たので、思い切って一ヶ月近い冬休みをタイで過ごそうという計画である。

奥さんは12月4日に直接飛行機でチェンマイに来たが、私は一度バンコクに行き、そこで友人に会って2、3日ゆっくりしてから、寝台列車でチェンマイに来た。

バンコクでは、毎回恒例の温泉「湯の森」に行って、気持ちいいサウナに入りクソまずい昼飯を食ったり、夜は友人に地元の人しか行かないゴーゴーバーに連れてってもらったりした。バンコクの夜遊びスポットでは、地元の人を見たことがなかったので、漠然と地元の人は外国人ほど地元の女性には興味がないのかなと思っていたが、そのゴーゴーバーにはスケベーなタイ人がわんさかいて、ちょっと安心した。

そして寝台列車で15時間ほどかけて、7日の早朝にチェンマイ駅に到着して奥さんと合流した。チェンマイではピン川近くの、あまり観光客がいない静かなエリアのゲストハウスを転々とした。キッチンのある宿が多かったので、毎日近くの市場に行って、地元の特産物などをたくさん買って軽く自炊などをした。

昼間は、奥さんは一人で気に入ったカフェに入り浸って仕事をし、私は自転車を借りて遠くの食堂や、大好きな薬草サウナに行ったりした。サウナは、オールドカルチュラルセンターの向かいの小道をまっすぐ行ったところにあり、朝8時から夜7時までの営業で、一回100BTH。サウナの他には古着屋によく行った。チェンマイは古着屋がたくさんあり、とくに中古の靴屋がたくさんあって、掘り出し物もたくさんあると思う。タイ人は割と物を大切にするのかもしれない。

そして今回の訪タイの一番の目的と言ってもいいのだが、大山八三郎さんという日本人の方にお会いしてきた。今年の夏に、大山さんの書かれた自伝「革命人 大山八三郎」をKindleで買って読んでみて、その書評を書いて投稿したところ、なんと本人からメールが来たのだ。大山さんは現在群馬県南牧村に住んでいて、文通で連絡を取り続けてきたが、
ちょうど大山さんも年末にチェンマイに行くという事を聞き、ではぜひお会いしましょうということになり、奥さんと二人でミニバスに乗り、郊外にある大山さんの滞在先に行ってきた。大山さんの他にも、陶芸家の中瀬伸子さんもいて、お二人に本当に色々な話を聞かせてもらった。そして奥さんも日本語がわからないにもかかわらず、3時間近く辛抱強く隣で話を聞いてくれていた。嗚呼ありがたい。

そんな感じで、長いのか短いのかわからなかったがチェンマイには一週間くらい滞在し、いい加減どこか行こうという事になり、バスで3時間かけてさらに山奥にある、ヒッピーに大人気の小さな町、パーイにやってきた。今もパーイにいるのだが、ずっと泊まっている宿がとても面白く、ホテルの敷地内にスケートパークがあって、ときどきスタッフや客がスケボーで遊んでいる。
ここでも何をするでもなく、お互い別々に毎日ブラブラと散歩したり自転車乗ったり、スケートパークの隣で本を読んだり仕事をしたり、そして夜だけは一緒に晩ご飯を食べて、お酒を飲む。そんな感じだ。

とにかく何をするでもなく、予定も立てず、のんべんだらりと毎日過ごしているが、昨日の夜奥さんが、今までで今回の旅行が一番楽しいと言っていた。私も、楽しいかどうかはわからないが、なんのストレスもないので今までで一番楽ではある。本当に不満もなにもない毎日だ。欲を言えば、もうちょっと仕事があった方がもっとメリハリがあって楽しいと思うのだが。(スカイプでの日本語のレッスンや、イラストの仕事が多少あるだけ)

とりあえず昨日帰りの飛行機チケットを買った。12月31日に、チェンマイからクアラルンプールへ飛ぶ。そこで1日か2日過ごし、バスでシンガポールへ帰る。