ここKulaiに家を借りてから、もう4ヶ月くらい経った。この町の暮らし、マレーシアとシンガポールの往復の暮らしにもだいぶ慣れてきた。
週末のシンガポールでの仕事も、だいぶ定着してきた。金曜日の午後にシンガポールに着き、レッスンを3つやり、土曜日も朝から夕方まで4つやり、日曜も柔道の練習の前に1つ、午後からも1つ、そして日曜日の夜か、月曜日の早朝にマレーシアに帰ってくる。これで多いときで、500ドル、4万円ほど稼げる。これでもう家賃分は稼いだ事になるし、旅行も行かず毎週真面目にシンガポールに帰り、自炊して質素に暮らしていれば、月に10万は貯金できるかもしれない。もちろん貯金する気もないので、やはり旅行などで散財するが。
そしてシンガポールからマレーシアに帰るときは、必ずバックパックに15kgくらい詰めれるだけ物を詰めて、マレーシアに色々運んでいたが、最近やっと運ぶものもなくなってきた。それでも軽いと損した気分になるので、なんやかんや詰めてしまうが、本当はもう必要ない。
Kulaiの家の庭も、先週あたりからやっと草むしりを始めたが、一度入ってみると、土いじりはクセになるのか、やる事がなくても庭に降り立ち、ジッとパパイヤの木を見つめていたりする。そうしてる間に身体中を蚊に刺されるのだが。
しかしパパイヤ以外は全然実をつけてくれないので、庭に肥料でもと考えていたが、最近読んだ自然農の本に、人間の分際で余計なことすんなカス、と書いていたので、やはり温かく見守るだけにしよう。
こうなってくると本当にやる事がなくなり、なぜオレはこの地球に生まれてきたのだろうと、そんな事を考え始めるのが人間である。私とは立場が全く違うが、超お金持ちの御曹司や、やっと退職した大企業の元社長なんかも、きっと同じジレンマを抱えているんじゃないかと思う。やるべき事が見つからないと、人生とはほんとに虚しいものだ。簡単すぎるゲームはクソゲーである。
しかし最近いくつかの面白い本と出会い、なんとなくだが、なぜ私は生きているのか、なぜこの地球にこの時代に生まれ落ちたのかが、その意味が少しずつだが明らかになってきたような気がする。これまで右往左往の人生だったが、ここらでゆっくりと上昇していきたい。シンガポールの生活が落ちつき始めてからは、もうさほどこの世にも未練はないかもなと思っていたが、今はもっと生きたい、生きてこの世界の真理を見たい。その真理を見つけるための第一ステップがここKulaiの家なんだと思う。そして鍵となるのはこの庭のような気がしないでもない。
とりあえず今月は毎週シンガポールに帰って、お仕事がんばったので、今週はシンガポールには帰らず、バスでマレーシア国内をフラつくつもりだ。これでバスで事故って死んでもしたら、未練タラタラで地縛霊にでもなってしまうかもしれない。
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