2016/01/27

プチ・フィリピン留学

今月10日から、フィリピンに2週間ちょいほど行ってきました。初めてのフィリピンでしたが、目的は海外語学留学というやつで、知る人ぞ知るなんですが、フィリピンには英会話学校がたくさんあり、もちろん格安で、しかも勉強しながら休みには南国のビーチで遊んだりもできるということで、日本人と韓国人に大人気なのです。

しかし私が今回選んだ学校は比較的スパルタで、周りには海なんぞなく、平日は夜6〜8時以外は外出も不可という、けっこう本気で勉強したい人向けの学校でした。場所はクラークという所で、マニラから車で5、6時間で、昔大きな米軍基地があったけれど、ピナツボ火山の噴火で撤退を余儀なくされたという、あそこです。

部屋は3人部屋で、日本人と韓国人の20代後半の若者二人とシェアしました。韓国人のボブ君(イングリッシュ・ネーム)は英語レベルがほぼ0に近い感じで、もう一人のヨシ君は、文法と単語はけっこう知っているけど、すぐには言葉が出て来ないという感じでした。最初は。もちろん私が学校を出るときには、二人とも大変上手になっていました。とくに最期の日にボブ君と、英語で色々な事を話したのは一番の素敵な思い出です。

そして入学初日にオリエンテーションや、レベルを計るテストを受けて、2日目から授業が始まりました。私のスケジュールは、朝7時に朝ご飯を食べて(ほとんど食べませんでしたが)、8時からグループレッスンが2コマ(1コマ50分)、そしてマンツーマンレッスンが2コマ。12時に昼ご飯を食べて、13時からまたマンツーマンが3コマ、そして17時からまたグループレッスンが1コマあって、18時にようやく晩ご飯で、それから20時までは外出が可能ですが、学校の周りには7-11と小さい韓国レストランがぽつんとあるだけです。さらにやる気がある人は、夜も自習室で何時間も勉強をします。もちろん私も頑張って毎日数時間自習をしました。

そして肝心の先生ですが、もちろんみんなフィリピン人で、私は5コマのマンツーマンレッスンのうち、2コマが正社員で働いている先生、他の3人はパートタイムで働いているという先生でした。その5人のうち3人は、残念ながら基本手抜きの若い小娘でした。私は教科書を買わずに、フリースタイルで授業をすすめてもらったんですが、良い先生は色々と用意してくれますが、手抜き小娘達は基本私まかせで、一番の手抜き先生、25歳くらいのシエラちゃんにいたっては、毎回「どう?今日はなんか用意してきた?」と聞いて来る始末で、それらのレッスンのために、毎晩なぜか生徒の私が、授業を構成する内容を色々と考えなければならず、それが一番キツかったですが、逆にそれが一番いい勉強になったかもしれません。

私の授業はもう本当に自由で、だいたいいつも先生と色々な質問をし合ったり、意見を言い合ったり、時には好きな歌の歌詞を書き合ったり、クイズや心理テストを出したりもしました。とにかく一日中英語しゃべりっぱなしで、晩ご飯の時には毎日ぐったりでした。

でもフィリピン人の先生はほとんどみんな明るくて、とても話しやすい人ばかりだし、私は相手の影響を非常に受けやすい性格なので、ついおしゃべりになってしまい、自分に対してかなり驚きました。シンガポールではいつも借りて来た猫のように寡黙なのに。

そんな楽しい授業に加えて、夜はだいたいルームメイトや他の韓国人の生徒と、7-11に行ってビールを飲んでダベッたりしました。みんな本格的に勉強するのは初めてという人ばかりなので、会話はとてもたどたどしかったですが、コミュニケーションとは言葉だけでするものじゃないというのを、まじまじと実感させられました。逆に心のこもっていない薄っぺらい言葉の方が、人間関係を悪化させるような気さえします。

私は今まで、フィリピン人とも韓国人とも、深く話した事はありませんでしたが、やはり思っていたとおり、どこの国の人だって、良い人もいれば悪い人もいるという当たり前の事を改めて感じました。韓国人は日本が嫌いで、フィリピン人は貧乏で心まで貧しいと思っている方が、少しいると思いますが、間違った物の見方は、人を間違った方向に導く可能性があるので、気をつけなければ。

そして週末ですが、授業がいっさいないので、みんなだいたい乗り合いバスのような物に乗って、隣町のアンゲレス市に行って、買い物したり、レストランに行ったり、お酒を飲んだり、オネーチャンのいる店に行ったりと様々です。それでも外泊は禁止なので、夜12時前に必ず学校に戻らないといけないのですが。

とまぁそういう感じで、とても充実した2週間でした。みんな2週間は短かったでしょと言いますが、私には短いという言葉はあまりふさわしくないような気がしました。「充実」そして「濃厚」これに尽きます。肝心の英語の上達の方ですが、けっこう新しい文法や単語も覚えたし、なにより発音がいくらかマシになったと思います。あとは自習のし方や、自分で調べることの楽しさがわかったし、それに文法に対する意識もだいぶ変わりました。2週間でこれだけ得られれば申し分ないと思います。あとはこれをシンガポールでも継続できればいいのですが、正直そこは一筋縄ではいかないんじゃないかなと覚悟しています。まぁなるようになるでしょう。

そして2週間の学校生活のあと、2日だけ隣のアンゲレス・シティーで過ごしてきましたが、あそこはほんとにオヤジ共の聖(性)地でありまして、私も例に漏れずいわゆるゴーゴーバーという所にいりびたって、ビールをめっちゃ飲んで、女の子(じつはほとんどオバちゃん)と色々話したりしました。

最期の日にホテルの隣のハンパない場末のBarで話した女の子、名前がとても素敵で
本名が「SUNSHINE」。ここでキン肉マンのキャラを想像したあなたは外道です。彼女はマニラよりもっと南の方の漁村から、3ヶ月前に一人で出稼ぎに来たそうです。兄妹はなんと12人いて(ほんとかよ?)両親は漁と農家を兼業しているとか。若くして働かなければいけなかった彼女は、高校を卒業できなかったそうですが、とても明るくて素敵な子でした。という感じでひととおり夜遊びしてきましたが、法にふれるような、バチが当たるような悪い事はしていません。

しかし私は今まで旅行していたときにときおり見る、昼間っからそういう地域やBarにたむろしている、人間のクズのような白人オヤジ達を見下し軽蔑していたんですが、今回かれらの生活がもしかしたら、自分にも合っているのかもという事に気づいてしまいました。朝から晩まで何をするでもなく、Barにたむろしてビール飲んだり、ダベッたり、ビリヤードしたり、ボーッと通りを眺めたり、もう最高です。今年はちょっとこの路線で行ってみようと思います。そして留学も、もう一度くらいまた行ってみたいかも。















0 件のコメント:

コメントを投稿