2015/02/17

チベットわが祖国




チベットわが祖国 〜ダライ・ラマ自叙伝〜(木村肥佐生 訳) を読んだよ。

日本語訳のダライ・ラマの自伝はいくつかあるらしいけど、これが一番正確に訳されているらしい。他のは重要な所を色々カットしているんだとか。

第14世ダライ・ラマ、1935年生まれだから、今年80歳か。

この本を読んで、嗚呼ダライ・ラマさんは本当に素晴らしい方だなぁ〜という風には感じなかったけど、本当に大変だったんだなぁというのはよくわかった。



1950年、突然隣国の中国、毛沢東率いる共産党の人民解放軍がチベットに乗り込んで来た。そこでいきなり暴力を振るわれたわけじゃなく、チベットには天然資源がたくさんあるし、国のシステムは遅れてるから、我々が開発を手伝ってあげようと言ってきた。いやいや、そんなんいいですから帰ってくださいとダライ・ラマ率いるチベット政府は説得するが、中国は全然引き下がらないし、中国軍がチベットの首都ラサに居座っていて、彼らの飯もチベット政府が賄わなければいけないので、人々の暮らしも苦しくなってきて、不満がどんどん募っていった。
 中国の武力にチベットの貧弱な軍隊が立ち向かう事は不可能なので、世界各国に仲裁をお願いするも、政治問題も絡んでどこの国にも拒否される。ダライ・ラマさんはなんとか穏便に事を済ませて、少しでも自分の国に有利な条件で中国の侵略を受け入れようとするが、国民の怒りはどんどん増大していって、ついに中国軍とぶつかり合って争いが始まり、チベット国民の象徴であり生き甲斐であるダライ・ラマさんは、国民のためになんとか生き延びねばとチベットを脱出して、隣国のインドに亡命し、友好的なインド政府の協力を得て、インドの北部ダラムシャーラーに亡命政府を樹立して今に至ると。


中国は今や、日本もいつか侵略したろうと考えているっぽいので、それを考えたときにこのチベットがどうなったかというのは、とても参考になる。やっぱダライ・ラマさんの言う事に従って暴力は何があってもあかんよ、というのを守っていれば、結果は間違いなく変わっていたっしょ。日本もアメリカイズムをビシビシ受けてるから、愛する者を守るために戦うんだー!って変な美学に酔っちゃって、絶対泥沼化するはずだなぁ。

というか今の時代はそんなあからさまに人様の国に侵略したりなんかしないんだろう。もっと戦略的にじわじわと入り込んでって、気づいたら主導権握られてたみたいな。最初は頻繁に泊まりに来るようになって、気づいたら居候してて、自分の部屋も持ち始めて、自分の家族も呼んじゃったりして、家の権利書とかも名義変更されちゃってみたいな。嗚呼やだやだ。

急に下世話な話になるが、わたしはダライ・ラマさんは童貞じゃないと思う。中国政府と交渉しているときに北京に招待されたり、1年ほど中国国内を周ったりしたと書いてあったので、きっとその時に中国側に無理矢理美女を充てがわれて、僧の身でありながら逆レイプされてしまったんじゃないかと我勘ぐる。俺が中国政府なら間違いなくそうするな。だって彼らはとにかく宗教が嫌いで、全ての僧侶を俗人にしようとしていたんだから。しかしダライ・ラマさんも、それはさすがに自叙伝にも書けなかったんじゃないだろうか。これからもチベット仏教を背負って行かなければならない人だから。そこも非常に葛藤があって大変だったんじゃないかと、私は不憫に思う。ほんとうに余計なお世話だよね。

それにしても以外だったのは、侵略を受けたダライ・ラマさん自身が、毛沢東や北京の他の中国の高官などは、とても教養があって礼儀正しく、彼らが最終的に軍の武力行使を許可したというのが、信じられないと書いていた事だ。中国は奥が深すぎる。今度は毛沢東の自叙伝などを読んでみたい気もするが、ダライ・ラマさんほど正直に書かれてはいないような気がする。ダライ・ラマさんはきっと本当に誠実な方だから、逆レイプの事以外は忠実に書いていると思うが、毛沢東さんに関しては、色んなしがらみやこれからの中国の未来のためにも、色々美化したり逆に卑下したりしなきゃいけない部分も、きっとあるんだろう。嗚呼めんどくせえなあ。

と言いつつ、私も墓まで持っていくつもりの隠し事がいくつかあります。人間ってほんとめんどくせえなあ。

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