今日の午前中は一人で自転車に乗り、近所にあるセントーサ島にサイクリングに行った。
ビーチ、レストラン、カジノ、水族館、ユニバーサルスタジオ・シンガポールと
色々なものがあるが、今日は島の端っこにある居住地区を見に行った。
さすがリゾート島に住んでる金持ちの住まいだけあって
小さくこぎれいな港があって、フェリーやヨットがたくさん停泊しており
ホテルのようなゴージャス感漂うマンションがたくさんあった。
緑や公園もたくさんあって、それを整備している労働者もたくさんいて
この地域の所得格差ハンパじゃねーなと思った。
いったい家賃いくらぐらいなのか、私には全然想像もつかない。
月100万くらい?とか思うけど、きっともっとするんだろうな。
嫉妬100%、冷静な意見0%で言わせてもらうと
あんなとこ住んだって落ち着かないし、不便でしょうがないだろう。
近くにダイソーもないし、チャイナタウンからだって遠い。
おれは頼まれたって住むのはごめんだね。ごめんなさい。
なんにせよ居心地が悪かったので、さっさとビーチの方に戻ったら
ビーチにたくさんいる、普段は金持ちっぽく見えるシンガポール人の家族連れも
なんか貧乏臭く見えてきてしまうので、不思議だ。
金持ちというのはキリがなく、上には上がいるんだなあ。
そしてわたしもシンガポールでは、言わずと知れた文無しフーテン男だが
国内には、わたしよりも下はもっともっとたくさんいるんだろうなあ。
でも実はあまりいなかったら寂しいなあ。
ところで金持ちというのは、基本的に人生を損しているとわたしは思っている。
だって子供の頃から色んなもの我慢して、したくない事ばっかするんでしょ。
そして大人になってもストレス抱えて、一日の大半は嫌な仕事ばっかりして
やっと金を手に入れて、美味いもの食べて、いい女とセックスして
ああ羨ましいとみんな思うけど、実は周りが思っているほど
それらから得られるものは、たいした事はないわけで。
それよりも金のために今まで失ったものが大きくて、心はいつも満たされない。
どう考えても割りに合わないだろ!
さらに、老後目指して働いて、ゴール直前で胃癌とかなったらどうすんだよ。
金が底をつく頃に、あれれっと突然死でもした方がいいだろう。
こんな話をしてると決まって、でももし○○になったらどうするの?
なんて不毛な質問の応戦になりがちだが、そこで忘れてはいけないのが
正しく生きてりゃ良い事がある。悪い事すると罰があたる。
という、この世では誰もが避けては通れぬ、不動の法則ではないか。
この法則を否定する奴は、そうとう経験が浅いか、経験から学べない子だろう。
さらによく見るのが、「正しく生きる」と「真面目に生きる」を混同しちゃって
真面目に生きてるのに幸せになれない!などと言っている人。
真面目とか努力なんてのは、人の幸せにおいてさほど重要じゃないってことは
周りを見てればよくわかる。それよりも「正しい」ことが大切だ。
まあそういうのはおいといて、金持ちなんてのはだいたい
悪い事をしなきゃなれないものだ。
自分で気づかないフリをしても、しっかりと人の道に背くような事を日々している。
慈善事業やってますとか、社会のためにとか
情報伝達手段を巧みに使って、都合の良い事言ってるけども。
かたや金ないおかげでストレスもないよなんて人は
財布は薄いが心には余裕がかなりあるので、毎日を正しく生きて行くのも比較的簡単。
こんな両極端な二つのタイプを、運によって判断するなら
やっぱり金持ちにはいずれ罰があたる、金無しは運がいい。こう考えるのが妥当だろう。
なので「もしも○○だったら」なんて話をすると、圧倒的に金持ちの人生は不利なのだ。
リスクに満ち満ち溢れているのだ。
極端なことを言っているとは自覚しているが
まぁだいたいこんなもんでいいだろう。
しかしこんなの検証するにも、他人の幸せなんて計れるものじゃないから
自分にあてはめてみるのが一番いいだろう。正直に。
ちなみに「金はないよりはあった方がいい」というのをよく聞くが、きっと違うな。
あるよりはない方がいい
ところがどっこい貧すれば鈍するという慣用句もありましてね
返信削除おまえが作った慣用句をおれは聞きたい
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