1月の20日くらいから、北海道に帰りました。そして2月1日に、北海道から沖縄へと飛びました飛びました。そして2月4日は沖縄から台湾の高雄へ。そしてようやく2月14日に台北からシンガポールへと帰国。とにかく長かった。途中で心が折れそうになった。
シンガポールから北海道へは、Scootの直行便で、たしか17,000円くらい。北海道から沖縄へはANAで14,300円。これはハッキリ覚えている。そして沖縄から高雄へはPeachで8,300円だったかな。そんで台北からシンガポールがJet Starで10,000円くらいか。こんだけ飛んで合計で5万くらい。これはかなりやったったんじゃないでしょうか。
少し覚えている事を書き留めてみましょう。
シンガポールから北海道への飛行機は朝6時発。国際便は2時間前にチェックインなので前日の夜に荷物を持って、地下鉄で空港へ行く。二階の到着ロビーのエレベーターの近く、ここが人の動線が非常に少なくなっているので、ここにブランケットを敷き荷物を枕に横になる。12時頃はまだ人が3分に一回くらい通っていたが、1時を過ぎるとほとんど人が通らなくなり、うとうとと眠りに着いた。3時頃にふと目が覚めると、さっきまでは自分一人しかいなかったのに、けっこうたくさんのホテル難民の旅行者が、床の上で同じように横になって眠っていた。
北海道では前半が札幌探索、後半が実家のむかわ町で過ごした。
札幌では清田区にある妹の家に泊めてもらい、夜に友達と飲むときは札幌中心部のゲストハウスに泊まった。北海道でゲストハウスに泊まるのは初めてだったが、色んなホテルがあり、値段も手頃でなかなか楽しかった。宿泊客は、韓国人と中国人がメイン。
泊まったのは
タイムピースアパートメント
The Stay Sapporo NAGOMI
Erry's Guesthouse
妹の家に泊まったときは、毎晩甥、姪とテレビゲームやらボードゲームをやった。
実家に帰ったときは、父の5年祭をやり、親戚のおじさん、おばさん達と、食事をしたり酒を飲んだりした。そして柔道少年団の練習も見に行き、少し練習もしてきた。練習のあとは柔道のみんなと居酒屋へ。その次の日も、また柔道の集まりがあるというので参加。久しぶりのバリバリ体育会系の飲みだったが、まぁなかなか下品で豪快でエネルギッシュだった。飲み会の2次会はスナックに行きカラオケだったが、シンガポールへ移住して以来だったのような、カラオケやったのは。久しぶりにLOVE IS OVERを歌った。
平日昼間に、苫小牧に移り住んで主婦をしている幼なじみの女の子と、イオンで待ち合わせ、イオンのミスドで、コーヒー1杯で4、5時間話した。そろそろ暗くなるので仕方なく解散にしたが、もう1、2時間くらい話せそうな感じだった。お互いとりわけ仲が良いというわけではなく、今までもまともに話したことはあまりなかったのだが、今回北海道に帰るにあたって、どうしてもこの子と会って話してみたい。そう思って、思い切って連絡をとってみたが、本当によかった。
沖縄では、ジャスミン山下というレンタルバイク屋で、50ccのスクーターを借りた。3日間で5000円くらい。今回は本島だけだったが、本島だけと行ってもなかなか広く、結局ちゅらうみ水族館も行けず、那覇市のあのあたりだけを3日間(正味2日間)スクーターで回ってきた。
2日目の朝に、泊いゆまちという市場に行ってきた。そこで海鮮茶漬けのようなのを食べ、市場の外の八百屋でりんごを一個買った。ズボンのポケットに入っていた財布を取り出し、その中から150円をとっておばさんに手渡した。するとおばさんは小銭を持ち、笑顔で「あったかいさー」と言った。なんだかとても心がほっこりして、沖縄の人が急に好きになった。
おきなわ博物館に行ったときも、展示物を見ていると、橋田壽賀子とオノヨーコを足したような学芸員のオバさんが話しかけてきて、20分近く話し込んで、色々と沖縄について聞かせてもらったが、色々聞き過ぎてほとんど覚えていない。
沖縄のゲストハウスには、旅行者以外にも、出稼ぎ労働者や、わけありそうなオジさんオバさんなど、色んな人が泊まっていた。一度、金髪の30くらいのねーさんが、向いの部屋の前で、部屋の戸を見てブツブツ言いながら、10秒おきくらいに戸を軽く蹴っていて、自分の部屋に戻ってからも、その蹴る音が3、4分近く廊下から聞こえてきたので、かなり気持悪かった。
よもぎソバというのがあったので食べてみたが、ほんとそのまんまよもぎを沖縄ソバにどーんと盛ったという感じで、なかなか斬新だった。さほど美味しいものではないが、体に良さそうな、そんな気もする。
おきなわワールドに行った帰りに、飯を食う所が全然見つからず、ようやく見つけた店に入ってみてびっくり。メニューがやぎ料理しかなく、かなり高い。入ってすぐにオジさんが話しかけてきて、色々話してしまったので、出るに出られず、しかたなく1,500円のやぎ汁を頼んだ。「あんたはないちゃーかい?」と言われた。料理が来る間も、オジさんや後からきたオバさん、それに店のおばさんもみんな話しかけてきて、お菓子までくれた。オバさんに歳を聞かれ40だと言うと、「あら若そうな顔してるねー」と言われた。一瞬「?」と考えてしまった。
やぎ汁がやっとテーブルに運ばれてくると、後から来たオバさんが「あらおにーさん、ヤギ食べれるの!?」
食べてみると、シンガポールで食べたことがある、ヤギ肉と同じ味だった。少し臭いが、しょうがも入っていて、体がすごくあったまった。味付けを聞いてみると、ヤギ肉と塩のみ。わたしたちはヤギを食べるおかげで健康なんだよーと言っていた。
食べ終わったあとも会話は続き、仕事を聞かれたので細々と絵を描いてると言ったら、サイン書いてってとお願いされた。そんな全然有名じゃないからと言うと、そのうち有名になるかもしれないさーと言ってしつこくねだられたが、なんとか断った。
この方達のおかげで、さらに沖縄の人が好きになった。
沖縄から台湾まではPeachだったが、Peachの乗り場は国際線とはまた別の建物で、大きな倉庫のような建物で、まるでゲレンデのロープウェイ乗り場のようで、とても殺伐としていた。荷物は7kgまでだったので、服を着込んだり、重いものは服のポケットに入れたりして、なんとか重量制限はクリアーしたのに、荷物検査で北海道で買った手動ドリルを没収されてしまった。久しぶりに悲しかった。
シンガポールから北海道へは、Scootの直行便で、たしか17,000円くらい。北海道から沖縄へはANAで14,300円。これはハッキリ覚えている。そして沖縄から高雄へはPeachで8,300円だったかな。そんで台北からシンガポールがJet Starで10,000円くらいか。こんだけ飛んで合計で5万くらい。これはかなりやったったんじゃないでしょうか。
少し覚えている事を書き留めてみましょう。
シンガポールから北海道への飛行機は朝6時発。国際便は2時間前にチェックインなので前日の夜に荷物を持って、地下鉄で空港へ行く。二階の到着ロビーのエレベーターの近く、ここが人の動線が非常に少なくなっているので、ここにブランケットを敷き荷物を枕に横になる。12時頃はまだ人が3分に一回くらい通っていたが、1時を過ぎるとほとんど人が通らなくなり、うとうとと眠りに着いた。3時頃にふと目が覚めると、さっきまでは自分一人しかいなかったのに、けっこうたくさんのホテル難民の旅行者が、床の上で同じように横になって眠っていた。
北海道では前半が札幌探索、後半が実家のむかわ町で過ごした。
札幌では清田区にある妹の家に泊めてもらい、夜に友達と飲むときは札幌中心部のゲストハウスに泊まった。北海道でゲストハウスに泊まるのは初めてだったが、色んなホテルがあり、値段も手頃でなかなか楽しかった。宿泊客は、韓国人と中国人がメイン。
泊まったのは
タイムピースアパートメント
The Stay Sapporo NAGOMI
Erry's Guesthouse
妹の家に泊まったときは、毎晩甥、姪とテレビゲームやらボードゲームをやった。
実家に帰ったときは、父の5年祭をやり、親戚のおじさん、おばさん達と、食事をしたり酒を飲んだりした。そして柔道少年団の練習も見に行き、少し練習もしてきた。練習のあとは柔道のみんなと居酒屋へ。その次の日も、また柔道の集まりがあるというので参加。久しぶりのバリバリ体育会系の飲みだったが、まぁなかなか下品で豪快でエネルギッシュだった。飲み会の2次会はスナックに行きカラオケだったが、シンガポールへ移住して以来だったのような、カラオケやったのは。久しぶりにLOVE IS OVERを歌った。
平日昼間に、苫小牧に移り住んで主婦をしている幼なじみの女の子と、イオンで待ち合わせ、イオンのミスドで、コーヒー1杯で4、5時間話した。そろそろ暗くなるので仕方なく解散にしたが、もう1、2時間くらい話せそうな感じだった。お互いとりわけ仲が良いというわけではなく、今までもまともに話したことはあまりなかったのだが、今回北海道に帰るにあたって、どうしてもこの子と会って話してみたい。そう思って、思い切って連絡をとってみたが、本当によかった。
沖縄では、ジャスミン山下というレンタルバイク屋で、50ccのスクーターを借りた。3日間で5000円くらい。今回は本島だけだったが、本島だけと行ってもなかなか広く、結局ちゅらうみ水族館も行けず、那覇市のあのあたりだけを3日間(正味2日間)スクーターで回ってきた。
2日目の朝に、泊いゆまちという市場に行ってきた。そこで海鮮茶漬けのようなのを食べ、市場の外の八百屋でりんごを一個買った。ズボンのポケットに入っていた財布を取り出し、その中から150円をとっておばさんに手渡した。するとおばさんは小銭を持ち、笑顔で「あったかいさー」と言った。なんだかとても心がほっこりして、沖縄の人が急に好きになった。
おきなわ博物館に行ったときも、展示物を見ていると、橋田壽賀子とオノヨーコを足したような学芸員のオバさんが話しかけてきて、20分近く話し込んで、色々と沖縄について聞かせてもらったが、色々聞き過ぎてほとんど覚えていない。
沖縄のゲストハウスには、旅行者以外にも、出稼ぎ労働者や、わけありそうなオジさんオバさんなど、色んな人が泊まっていた。一度、金髪の30くらいのねーさんが、向いの部屋の前で、部屋の戸を見てブツブツ言いながら、10秒おきくらいに戸を軽く蹴っていて、自分の部屋に戻ってからも、その蹴る音が3、4分近く廊下から聞こえてきたので、かなり気持悪かった。
よもぎソバというのがあったので食べてみたが、ほんとそのまんまよもぎを沖縄ソバにどーんと盛ったという感じで、なかなか斬新だった。さほど美味しいものではないが、体に良さそうな、そんな気もする。
おきなわワールドに行った帰りに、飯を食う所が全然見つからず、ようやく見つけた店に入ってみてびっくり。メニューがやぎ料理しかなく、かなり高い。入ってすぐにオジさんが話しかけてきて、色々話してしまったので、出るに出られず、しかたなく1,500円のやぎ汁を頼んだ。「あんたはないちゃーかい?」と言われた。料理が来る間も、オジさんや後からきたオバさん、それに店のおばさんもみんな話しかけてきて、お菓子までくれた。オバさんに歳を聞かれ40だと言うと、「あら若そうな顔してるねー」と言われた。一瞬「?」と考えてしまった。
やぎ汁がやっとテーブルに運ばれてくると、後から来たオバさんが「あらおにーさん、ヤギ食べれるの!?」
食べてみると、シンガポールで食べたことがある、ヤギ肉と同じ味だった。少し臭いが、しょうがも入っていて、体がすごくあったまった。味付けを聞いてみると、ヤギ肉と塩のみ。わたしたちはヤギを食べるおかげで健康なんだよーと言っていた。
食べ終わったあとも会話は続き、仕事を聞かれたので細々と絵を描いてると言ったら、サイン書いてってとお願いされた。そんな全然有名じゃないからと言うと、そのうち有名になるかもしれないさーと言ってしつこくねだられたが、なんとか断った。
この方達のおかげで、さらに沖縄の人が好きになった。
沖縄から台湾まではPeachだったが、Peachの乗り場は国際線とはまた別の建物で、大きな倉庫のような建物で、まるでゲレンデのロープウェイ乗り場のようで、とても殺伐としていた。荷物は7kgまでだったので、服を着込んだり、重いものは服のポケットに入れたりして、なんとか重量制限はクリアーしたのに、荷物検査で北海道で買った手動ドリルを没収されてしまった。久しぶりに悲しかった。
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