2019/02/21

2019春 北海道、沖縄、台湾 その2

台湾の高雄についたの2月4日は、旧正月の前日。三多商圏駅の近くのホステルに泊まった。事前に台湾人の友達から、旧正月前日は飲食系の店は全部閉まるから気をつけろと聞いていたので、確認してみようと思い、ホステルのスタッフにそれについて聞いてみる。すると、女性スタッフは
そんなことないよ、けっこう店は開いている。とくにすぐ近くの夜市は、夜11時まで開いている。なにも心配はない。
と言うので、ほんと!?それほんと!?マジで言ってるの!?
と何回も確認したが、スタッフは自信満々で、大丈夫!!と言うので、すごく安心して、とりあえず昼寝をして、夜7時頃に起きてその夜市へ行ってみる。すると、、、真っ暗。どこも閉店ガラガラ。はめられたーーーーーと思いながら、その周りを見渡してみるも、どこも閉店。開いてるのはコンビニと、ジュースの店だけ。しょうがないので7-11でバナナ、サンドイッチ、ビールを買って、ホステルに戻り、共用スペースで食べた。
それに気づいた先ほどのスタッフが恐る恐る近づいてきて「夜市は。。やってた?。。」と聞くので、いや閉まっていたよと優しく言うと、ごめんなさい。。。と言って去って行った。まさか地元の人も旧正月イブ事情を知らないとは。久しぶりにコンビニの食べ物をしっかり食べた。まずい




次の日に奥さんがシンガポールから高雄にやってきて合流、一緒に友人が待つ嘉義に行った。友人は嘉義出身の女性で、今はシンガポールに住んでいる。マレーシア人の旦那さんと旧正月の帰省中であった。彼女の家は5階建ての豪邸で、家の中にエレベーターがあり、BMWとフォルクスワーゲンが駐車場に停まっていた。お父さんはクルーザーも持っていて、毎週海釣りに出かけるらしい。聞いた話だと、家はだいたい一億円らしい。お父さんの仕事も聞いてみたが、ビジネスマンとしか教えてくれない。私たち夫婦は、黒社会(ヤクザ)かもしれないね、と噂してみた。

その夜はお母さんが豪勢な料理を振る舞ってくれて、台北に住んでいる日本人の友達も合流した。みんなで夜市に行こうという事になったが、マイペースな我々夫婦は、疲れているから寝ると行って、先に部屋に帰らせてもらった。
その夜、奥さんは強烈な生理痛に襲われ、次の日は寝込み、他の4人でスクーターを借りて嘉義を観光して回った。スクーターは50ccで、一日たったの200元(800円程度)。ちょうど4人、2組で2ケツできたので、奥さんも良いときに寝込んでくれたなと、あとから感心した。






次の日、日本人の友人も台北に帰ったので、我々もそろそろおいとましようと思い、次は阿里山か台南にでも行こうと思ったが、旧正月でホテルの値段がアホみたいに高く、色々検討した結果、選択肢が多い台北に行くことになった。昼過ぎに嘉義の駅に着いたが、台北行きの電車は売り切れ、バスの唯一あるのが午後4時出発ということで、4時まで待ってバスに乗りこんだ。しかし高速道路も渋滞で、台北に着いたのは夜の12時前。とっても疲れた一日だった。

次の日は「淡水」観光。しかし天気は小雨で風が強く、えらい寒かった。
次の日は宜蘭県の「羅東」というところに行ったが、予約したホテルが見つけられない。というかその住所がない。ウロウロしたり人に聞いたりしたが見つからず、なんとか電話番号を見つけ、電話をかけ迎えに来てもらう。結局ホテルは看板も出ておらず、あるブティックの横から入っていくという秘密基地さながらの隠れっぷり。1時間近く無駄にしてしまった。荷物を置いて、蘇澳という冷泉で有名な町を訪ねてみたが、冬なので誰もいなかった。






その次の日は、九份観光のため、朝9時前からバスと電車で「瑞芳」という町に移動したが、何回も乗り換えたりして、またえらく時間がかかった。2時頃にやっと瑞芳のホステルにチェックインし、バスで九份へ。しかしあいにくの雨で、服も靴も濡れるし、景色はまったく見えなかった。金瓜石というところにも行ったが、そこでも大雨。ホステルに帰って、新聞紙などを買って、なんとか靴を乾かした。その夜はホステルに置いてあった「まんがでわかる三国志」を読み切って寝た。これが非常に面白かった。






その次の日は奥さんは先に一人で台北に帰り、私も一人で「平渓線」という路線にある町をいくつか見てまわった。猫がたくさんいる鉱山の町や、大きな滝を見てきた。夕方頃に私も台北に戻り奥さんと合流した。その夜はまた一人で出歩き、龍山寺駅の怪しいエリアを一人で探索してまわった。あそこは台北でも一番怪しいエリアらしい。ピンクのネオンがきらめく怪しい路地に辿り着くと、おばさんに声をかけられて、場末のカラオケみたいな所に連れていかれて、女の子を二人ほど見せてもらった。台湾人と香港人で、20代後半といったところ。おばさんは1500元だと言っていた。断って帰ろうとすると、怒って背中をたたかれた。





その次の日、観光最終日は、朝は「公館駅」の付近で、古本屋散策。日本語の本もあり、なかなか厳選されている感じで、3、4冊買ってしまった。昼は嘉義で会った日本人の友達と合流し、美味しい小籠包を食べて、陽明山の温泉に行った。とても良いお湯で、奥さんも女湯で長風呂していた。帰りに台湾スイーツを食べて、友人とは別れてホテルに戻る。夜は私一人でまた今朝と同じところに古本を見に行き、また4、5冊買ってしまった。





そして帰国日、朝は中正記念堂まで、また小籠包を食べに行き、市場でからすみを買う。12時にホテルに戻り、本がたくさん詰まったクッッソ重たい荷物を背負って空港へ。

というわけで今回の長い旅行は終了。
台湾ドルがまた2万円ちかく余ってしまった。台湾の食べものは安すぎるのだ。というか我々が高い物を全然食べないから。。。



2019/02/20

2019春 北海道、沖縄、台湾 その1

1月の20日くらいから、北海道に帰りました。そして2月1日に、北海道から沖縄へと飛びました飛びました。そして2月4日は沖縄から台湾の高雄へ。そしてようやく2月14日に台北からシンガポールへと帰国。とにかく長かった。途中で心が折れそうになった。
シンガポールから北海道へは、Scootの直行便で、たしか17,000円くらい。北海道から沖縄へはANAで14,300円。これはハッキリ覚えている。そして沖縄から高雄へはPeachで8,300円だったかな。そんで台北からシンガポールがJet Starで10,000円くらいか。こんだけ飛んで合計で5万くらい。これはかなりやったったんじゃないでしょうか。

少し覚えている事を書き留めてみましょう。

シンガポールから北海道への飛行機は朝6時発。国際便は2時間前にチェックインなので前日の夜に荷物を持って、地下鉄で空港へ行く。二階の到着ロビーのエレベーターの近く、ここが人の動線が非常に少なくなっているので、ここにブランケットを敷き荷物を枕に横になる。12時頃はまだ人が3分に一回くらい通っていたが、1時を過ぎるとほとんど人が通らなくなり、うとうとと眠りに着いた。3時頃にふと目が覚めると、さっきまでは自分一人しかいなかったのに、けっこうたくさんのホテル難民の旅行者が、床の上で同じように横になって眠っていた。



北海道では前半が札幌探索、後半が実家のむかわ町で過ごした。
札幌では清田区にある妹の家に泊めてもらい、夜に友達と飲むときは札幌中心部のゲストハウスに泊まった。北海道でゲストハウスに泊まるのは初めてだったが、色んなホテルがあり、値段も手頃でなかなか楽しかった。宿泊客は、韓国人と中国人がメイン。
泊まったのは
タイムピースアパートメント
The Stay Sapporo NAGOMI
Erry's Guesthouse

妹の家に泊まったときは、毎晩甥、姪とテレビゲームやらボードゲームをやった。

実家に帰ったときは、父の5年祭をやり、親戚のおじさん、おばさん達と、食事をしたり酒を飲んだりした。そして柔道少年団の練習も見に行き、少し練習もしてきた。練習のあとは柔道のみんなと居酒屋へ。その次の日も、また柔道の集まりがあるというので参加。久しぶりのバリバリ体育会系の飲みだったが、まぁなかなか下品で豪快でエネルギッシュだった。飲み会の2次会はスナックに行きカラオケだったが、シンガポールへ移住して以来だったのような、カラオケやったのは。久しぶりにLOVE IS OVERを歌った。

平日昼間に、苫小牧に移り住んで主婦をしている幼なじみの女の子と、イオンで待ち合わせ、イオンのミスドで、コーヒー1杯で4、5時間話した。そろそろ暗くなるので仕方なく解散にしたが、もう1、2時間くらい話せそうな感じだった。お互いとりわけ仲が良いというわけではなく、今までもまともに話したことはあまりなかったのだが、今回北海道に帰るにあたって、どうしてもこの子と会って話してみたい。そう思って、思い切って連絡をとってみたが、本当によかった。








沖縄では、ジャスミン山下というレンタルバイク屋で、50ccのスクーターを借りた。3日間で5000円くらい。今回は本島だけだったが、本島だけと行ってもなかなか広く、結局ちゅらうみ水族館も行けず、那覇市のあのあたりだけを3日間(正味2日間)スクーターで回ってきた。
2日目の朝に、泊いゆまちという市場に行ってきた。そこで海鮮茶漬けのようなのを食べ、市場の外の八百屋でりんごを一個買った。ズボンのポケットに入っていた財布を取り出し、その中から150円をとっておばさんに手渡した。するとおばさんは小銭を持ち、笑顔で「あったかいさー」と言った。なんだかとても心がほっこりして、沖縄の人が急に好きになった。
おきなわ博物館に行ったときも、展示物を見ていると、橋田壽賀子とオノヨーコを足したような学芸員のオバさんが話しかけてきて、20分近く話し込んで、色々と沖縄について聞かせてもらったが、色々聞き過ぎてほとんど覚えていない。
沖縄のゲストハウスには、旅行者以外にも、出稼ぎ労働者や、わけありそうなオジさんオバさんなど、色んな人が泊まっていた。一度、金髪の30くらいのねーさんが、向いの部屋の前で、部屋の戸を見てブツブツ言いながら、10秒おきくらいに戸を軽く蹴っていて、自分の部屋に戻ってからも、その蹴る音が3、4分近く廊下から聞こえてきたので、かなり気持悪かった。
よもぎソバというのがあったので食べてみたが、ほんとそのまんまよもぎを沖縄ソバにどーんと盛ったという感じで、なかなか斬新だった。さほど美味しいものではないが、体に良さそうな、そんな気もする。
おきなわワールドに行った帰りに、飯を食う所が全然見つからず、ようやく見つけた店に入ってみてびっくり。メニューがやぎ料理しかなく、かなり高い。入ってすぐにオジさんが話しかけてきて、色々話してしまったので、出るに出られず、しかたなく1,500円のやぎ汁を頼んだ。「あんたはないちゃーかい?」と言われた。料理が来る間も、オジさんや後からきたオバさん、それに店のおばさんもみんな話しかけてきて、お菓子までくれた。オバさんに歳を聞かれ40だと言うと、「あら若そうな顔してるねー」と言われた。一瞬「?」と考えてしまった。
やぎ汁がやっとテーブルに運ばれてくると、後から来たオバさんが「あらおにーさん、ヤギ食べれるの!?」
食べてみると、シンガポールで食べたことがある、ヤギ肉と同じ味だった。少し臭いが、しょうがも入っていて、体がすごくあったまった。味付けを聞いてみると、ヤギ肉と塩のみ。わたしたちはヤギを食べるおかげで健康なんだよーと言っていた。
食べ終わったあとも会話は続き、仕事を聞かれたので細々と絵を描いてると言ったら、サイン書いてってとお願いされた。そんな全然有名じゃないからと言うと、そのうち有名になるかもしれないさーと言ってしつこくねだられたが、なんとか断った。
この方達のおかげで、さらに沖縄の人が好きになった。

沖縄から台湾まではPeachだったが、Peachの乗り場は国際線とはまた別の建物で、大きな倉庫のような建物で、まるでゲレンデのロープウェイ乗り場のようで、とても殺伐としていた。荷物は7kgまでだったので、服を着込んだり、重いものは服のポケットに入れたりして、なんとか重量制限はクリアーしたのに、荷物検査で北海道で買った手動ドリルを没収されてしまった。久しぶりに悲しかった。