2018/02/16

久しぶりのタイ南部そしてリペ島2018

2月5日から15日まで、一人でタイ南部のハジャイに行ってきた。とりとめのない事と少しの情報を記す。

ハジャイ空港からは一般的にタクシーかロットゥーというミニバンで市内へ行くが、もっと安く行けるのがソンテウという乗り合いバス。なのでそれを使う。空港を出て駐車場を突っ切り、駐車場入り口の横にバス停があり、二人の女子がソンテウを待っていた。どれくらい待つのだろうと心配をしていたが、10分ほどで来た。この外国人をどう扱えばいいのかと、周りの人はやや困惑しているが、行き先の「キムヨン・マーケット」と告げると、ああちゃんとわかっとるのねと場が落ちつく。料金は35B。ソンテウには途中でたくさんの人が乗ってきたが、シートが満席になると基本的に男性が女性に席を譲るみたいだ。

ハジャイ市内は地図で見るとけっこう大きそうなのだが、歩いてみると非常にコンパクトで、急いでいなければ徒歩でどこでも行けそう。以前来たときは、かなり大きい街のような感じがしてどこにも行かなかったのだが。やはり街のサイズ感、そして方角を把握するというのは町歩きに非常に大切だと改めて思う。

ハジャイは中華系が多く、中国語表記の看板がたくさんあるが、同時にムスリム系も多く、HALALと書いた看板もたくさんあり、スカーフを被った女性もたくさんいる。
初日の夜はムスリム系のこじんまりとしたレストランで晩飯を食べた。外のテーブルで食べていると、ホームレスっぽいおじさんが来てなにやら話しかけてきたが、店の主人が対応してくれ追い払ってしまったようだったが、ホームレスさんもどこか未練がある様子で店の厨房をじっと見ている。すると店の主人がヌードルスープを作って彼にあげた。なんだかんだ言ってやっぱりムスリムは慈悲深いよな、などと妙に納得した。

二日目にハジャイからロットゥーで、お隣の町ソンクラーへ行った。時計塔の横からロットゥーが出ていて、これも一人35B。ロットゥーは1時間ほどでソンクラーに着き、私のホテルの近くまでちゃんと送ってくれた。

アゴダで予約したBoYangゲストハウスに着いたが、鍵がかかっていて、ここに電話してくれみたいな貼り紙があった。しかし携帯が使えないので、どうしようと途方にくれていると、トゥクトゥクで他のゲストが到着。マレーシア人のカップルで英語が話せるので状況を説明すると、トゥクトゥクのドライバーが電話をかけてくれた。しかしそれでも通じない。どうしようかとみんなで途方にくれていたら、オーナーが家の中から出て来た。上階で掃除をしていたらしい。オーナーは50くらいのおじさんで、なんでんかんでん川原社長似のハンサム。ちょっと要領は悪そうな人で英語もあまりできなかったが、人が良さそうな感じが溢れ出ていた。もう予約してあるのに、高い部屋と安い部屋どっちに泊まると聞かれ、じゃあ安い部屋といって450Bの部屋にした。高い方は広くて550Bらしい。
入り口に自転車が置かれていたので、自転車借りてもいいですかと聞いたら、これはレンタル用じゃない。レンタルはバイクだけで一日250Bと言っていたので、借りなかったが、その後おじさんがその自転車に乗ってあちこち出かけているのをよく見かけた。

ソンクラーは思っていたとおりの、ちょうど良いサイズの長期滞在したくなるような町だった。オールドタウンがあったが、マラッカのチャイナタウンにそっくりだった。しかし午後らへんに行くと、ほとんどの店が閉まっていた。朝と夜に開けるのか、ずっと閉まっているのか。オールドタウンで、老舗っぽいアイスクリーム屋に入った。おばあちゃんが一人でやっていて、ちょっとほのぼのしたが、けっこう元気のあるおばあちゃんで、おいしいだろ?と聞いてくる。そして店の奥に白いキューブみたいな食べ物が売ってあり、よくみんな買って行くので、気になって見ていると、おばあちゃんが美味しいよあれは!食べな!みたいな事を言ってきたので、一つ買ってみたら、その白いのは卵の白身を固めたもので、正直まずかった。しかしおばあちゃんがまた美味しいだろ?と聞いてくるので聞いてくるのでウンと答えたが、全部食べきれずにあとで捨てた。

夜には美味しいイサーン料理を食べ、そのあとに近くの場末のBARに入ってみた。ホステスが4人くらいいたが、その日は客が誰もいなかったのでとても喜んでいた。感じの良いオバさんホステスが隣についてくれたが、年を聞くと同級生だった。彼女がけして老けているというわけではなく、自分がもうそんな年なんだと気づかなかった。ビールを一本だけ奢ったら、ストローを2本挿し、ママとそのホステスと二人で笑いながら飲んでいた。みんな地元出身で全然スレていない感じだった。もうちょっとタイ語が話せれば、もっと楽しいのに。

ソンクラーは2泊だけで、またハジャイへ戻った。帰りもロットゥーで帰ったが、出発場所を探すのにちょっと苦労した。結局ロットゥーはここから出ていた。




またハジャイに戻って一泊してから、今度はリペ島へ行った。
DEE Travelというホステルに併設している旅行会社で、ミニバスとスピードボートのジョイントチケット、片道600B。往復で買ったので1100Bだった。
翌朝9時にホテルまでミニバスが迎えに来て、2時間近くかけてパクバラ港まで。そこからスピードボートに乗りリペ島までさらに2時間近く。途中でタルタオ島、カイ島に寄るが、パクバラ港からボートに乗るときに払った入島料のチケット(200B)をしっかり見せなければ、もう一度200B払わされるみたい。この後もそのチケットはスノーケリングツアーで他の島に上陸する際に必要になったので、リペ島にいる間は大事に保管しておかなければいけない。期限は5日間。
ボートでは隣にタイ人の家族が座っていたが、彼らにはまたのちのちお世話になる。

リペ島は小さい島で、徒歩移動にちょうどいい。バイクタクシーもたくさんあるが、こんな小さい所でこんなにバイクがひしめき合って、アホかと思った。
物価は非常に高く、だいたい本土の2倍。一番安いホステルのドミで、1300円くらいから。個室になると、4000円くらいまで上がる。
3泊したが、一泊目はシャンティGHのファンのドミ、1300円。ここは狭い、臭い、ボロい。だけど静かだった。
二泊目は隣のMe Hostel、ここはエアコンのドミで1500円。しかしウルサくてバカな若者が多く、夜中までうるさく、部屋に土足で入ったりする奴がいるし、私の寝た上段のベッドだけなぜかカーテンがない。それで翌朝、はす向かいのベッドで、タイ人のゲイの男二人が抱き合ってキスしているのを目撃。
三泊目はA-plus Hotel、ここはカプセルホテル型のドミで、1800円近くしたが、バスルームの設備も充実していて、ここが一番良かった。ただ壁がうすくときどき物音がうるさく感じるが。
まぁこの島はどこに泊まっても、おそらくダメだと思う。相当高い部屋に泊まらない限り。

1日目はビーチに行ったり、島内を散策。レストランの値段がやはり2倍で、味もたいしたことはない。島内で3、4つあるチェーン店の安い店があったが、値段も安いだけに味もちょっとひどかった。飲み物でホットジンジャーを頼んだら、洗いもしない生姜をぶつ切りにした物を、あまり熱くもないお湯にただ入れただけの物が出て来て、さすがに文句言おうかとちょっと迷った。

2日目は朝9時からスノーケリングツアーに参加した。久しぶりに泳いだので、一カ所目からスポットからいきなり疲れて、もう帰りたいと思った。念のためにライフジャケットをつけていたが、それも悪かったと思う。とても泳ぎにくかった。メンバーはほとんど白人で、タイ人のおばさんが一人いて、ガイドのタイ語を英語に訳してくれてた。最後の方で仲良くなり、オバさんの家族の写真などを見せてもらったが、息子は刀を作る仕事をしていて、それの切れ味を競う大会で、ペットボトル数本を刀でスパッと切っている動画を見せてもらった。なかなかマニアックだが、タイではけっこう人気があるらしく、それっぽい雑誌も後に本屋で見かけた。ツアーは4、5カ所まわって、午後3時過ぎに帰ってきた。なかなか良いツアーだったと思う。一人650B。
ツアーから帰ってきてまたビーチに行き、夕方頃さてホステルに戻ろうとしたとき、島に来るボートで隣に座っていたタイ人家族に遭遇し、これから光るプランクトンを見るツアーに行くから一緒に来ないか、お金は要らない、と言われ、疲れていたので断ったが結局行くことになった。パタヤから来ている家族で、英語は少しだけ話せるみたい。ボートで沖まで行き、暗くなる間で待つ。それから水中をかき混ぜるとプランクトンがかすかに光る。みんなライフジャケットを来て海に入ったが、さすがに私は用意も何もしてこなかったので入らなかった。でも泳いでいると手や足で水をかいた所がキラキラと光ってとてもキレイだった。そして水中だけでなく星空もとてもキレイだった。

3日目は、シュノーケリングマスクを借りて、サンセットビーチからサンライズビーチまで歩きながら数カ所で一人で潜ってみた。透明度は高く、魚もそこそこいて楽しかったし、なにより島の北側のビーチは、本当にキレイだった。好きかどうかは別にして、今まで行った中で、一番人を魅了するビーチだなと思った。白砂にターコイズブルーの海で、目の前に他の島も見えて本当に絵になる。
その夜にある店でトム・カー・ガイを頼んだが、味のない豆乳鍋みたいなのが出て来て、これおかしいだろと、店のスタッフに食べてみろと言ったが、スプーンの先にちょっとだけつけたのをなめて、全然おかしくないよと言われた。しかし私が知っているトム・カーとは、見た目は同じだが味は全然違う。未だにあれがなんだったのかわからないが、私はおそらく店のシェフのミスでなにか入れ忘れたんだと思う。繁盛していたので、他の料理は悪くないのかもしれない。

4日目、朝9時にまたボートでパクバラ港までだったが、帰りのボートは揺れがすごく、ゲロ用のビニール袋がたくさん配られた。港に近くなった頃は揺れもわりと治まり、みんなも笑顔になってきたが、最初の1時間は地獄絵図のようだった。

そしてまたハジャイに戻ってからは、ずっとハジャイにいた。今までずっと中級のホテルに泊まっていたが、なんとなく1000円以下のHat Tai Youth Hostelというとこのドミに泊まってみたら、やっぱりしっくりきた。自分はいくつになっても、ホテルよりもホステルが性に合っている。
洗濯物を干すところもあったし、レンタル自転車もあって、しかも古いやつだからとタダで貸してくれた。最後の2日間はずっと自転車に乗ってハジャイを回っていた。自転車があると徒歩ではちょっとめんどかった、色々な所に行ける。しかし交通量が多いので少し危険。
同じ部屋に泊まっていたフィリピン人の青年と少し話したが、彼は5ヶ月前から、ハジャイの500kmくらい北にあるチュムポーンという町で英語の先生をやっているんだとか。給料は2200Bと言っていた。しかし白人の同僚の給料は2倍近くだとか。タイも英語教育が盛んになってきているらしい。

私が帰る15日は旧正月EVEで、街中で店や家の前にテーブルが出されお供え物などが飾られて、爆竹が至るところで鳴っていた。タイ人も自分たちが中国系だというアイデンティティーはしっかり持っているように見えた。
そして私はまた帰りもソンテウで空港まで行き、無事にシンガポールに帰ってきた。シンガポールの空港で、免税のお酒を買ったが、店員の態度が最悪で久しぶりにハラワタが煮えくりかえりそうになったがじっとこらえ、今年はこういう不条理にも文句を言わずに、もっと我慢しろという天からのお告げだと受け取った。これが今年の豊富だ。がんばりましょう

















































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