2025/12/23

2025年12月 メークローン 16~18日目

12月22日

今日はわたしの誕生日。プリちゃんと母からおめでとうメールが来ていた。

朝はまたホテルの近くを散歩。昨日と同じ市場の付近でお粥を食べたが、店の店員がすごく感じが悪かった。ローカルエリアでもこんなに嫌なやつがいるんだなと思った。10時くらいにチェックアウトして、メークローンに向かって出発。

3車線以上の道路が続き、トラックがすごく多くて少し怖い。道を間違えないように慎重に走った。何度か停まって地図も確認した。

ガソリンスタンドに寄って給油。いつも130バーツ。コンビニでアイスを買って食べた。また出発すると、でかいパゴダが見えたので寄って写真を撮った。

午後1時くらいについにメークローンのHometown Hostelに着いた。受付は可愛い服を着たおばあちゃん。部屋はすごく狭いがエアコンもあって、なによりホステル全体が清潔そうでいい。シャワーを浴びて洗濯をして外に出た。

ホステルの隣には大きい寺があって、参拝客でにぎわっている。その奥がもう鉄道市場。少し写真を撮って市場を歩いた。小さい店でカオマンガイを食べた。あと30分くらいで電車の時間になったので線路に戻ると、観光客がたくさんいた。線路を歩いてお土産を見て、小さいカフェでコーヒーを頼み椅子に座る。10分くらいで店の人達が日よけなどをしまい、ゆっくりと電車が来た。

そのあとも少し散歩を続け、ホステルに戻った。夜はレッスンを2やった。そのあと寺の敷地内に出ている屋台で40バーツのプラードゥックフーを食べた。そしてマンゴースティッキーライスも買って、ホステルで食べた。


12月23日

2025/12/22

2025年12月 バンコク 13~15日目

12月19日

朝はお粥を食べてそれから散歩もした。犬にたくさん吠えられた。そしてホテルをチェックアウトしてバンコクに向かった。ホテルのおばさんは、今度来るときは電話かメールをしてくれれば部屋を取っておくよ、また来年も来てねと言っていた。

バンコクまでは道を間違えないように走っていたつもりだったが、やはり途中で違うほうに行ってしまった。なんとかバンコクへの道に戻ろうと思ったが、今度は車専用道路に入り、係員に怒られて引き返した。やっとバンコクに市内に入ったが、そこからさらに1時間近く混雑した道を走った。

やっとシーナカリンのエリアに着き、まずは前と同じカオゲーンの店で昼ご飯を食べた。挽肉のおかずがすごく辛くてしょっぱかった。42プレイスというアパートに着いたが、部屋がとても広く、おまけにキングベッドだった。

少し休んで、レッスンをやり、夕方からシーナカリン・サウナに行った。人がすごくたくさんいて、うるさかった。サウナ室の中ではアホみたいに20回くらいロウリュウをして部屋を灼熱にするオヤジが何人かいて辟易した。帰りにソムタムと串焼きなどを買って帰り、部屋で食べた。

深夜1時過ぎに、蚊に起こされた。布団をかぶって寝続けようと思ったが、なんと布団の中まで入ってきたらしく、足を8か所くらい刺されて起きた。やるしかないと思い、1時間くらいかけて5匹近く殺した。不思議なのは殺してもどいつも血が出てこなかったこと。


12月20日

朝起きて、どこから蚊が入ったのか気になり、まさかドアの下の隙間から入ったのかと思ったが、案の定、他の部屋のドアはみんな隙間に詰め物をしていた。だからわたしも足ふきのタオルなどを詰めた。

ホテルの外を少し散歩して、帰りにカオカームーを食べたが、大盛を出されて60バーツもした。寝不足だったので、部屋でのんびりした。1時くらいにレッスンをやり、終わってすぐホテルを出てバイタクを呼んでプンナウィティ駅まで行った。そこからBTSに乗り、プロンポンまで行った。まず古本屋に行って、遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」と宮部みゆきの時代小説を買った。

それからエンポリウムへ行って、スーパーで廣田夫妻にあった。ユミちゃんは私がいるのを知らされておらず、とても驚いていた。歩いて二人のコンドに行き、2匹の犬にもあった。二人とも礼儀正しくてとてもかわいい。缶ビールを1本だけ飲み色々と話した。

二人は19歳のワカナちゃんという娘がいて、今東京で一人暮らしをして、東京都立大学に通って法律を勉強しているらしい。タイゾー君はもうバンコクで2年も働いていて、会社には日本人は自分一人で、あとは60人全員タイ人だとか。英語でコミュニケーションをとりながら、タイ語のレッスンも受けているとか。

夜になって、3人で歩いてセンチャイに行って晩御飯を食べた。帰りは二人と別れてからバイタクに乗ってホテルに帰ったが、帰り道でオンヌット通りにカラオケの店をたくさん見た。帰りは90バーツで、行きに120バーツかかったのが納得いかなかった。需要が低い時間帯だと値段も安くなるらしい。


12月21日

朝はバイクでホテルの朝市に行った。日曜のためかにぎわっていた。バナナとカボチャのデザートを買って、ワンタンバミーを食べた。ホテルに戻り、ずっとのんびりとYouTubeを見たりした。
午後にホテルのおじさんがキーをとりに来て、更新してくれた。夜はまた屋台のソムタムと串焼きを買って部屋で食べた。



2025/12/17

2025年12月 アユタヤ 10~12日目

 12月16日

朝はバイクでホテルのまわりを走る。小さな池などがたくさんある。仙人像がたくさんある寺を見つける。寺が木目だったが、よく見るとペンキで描いた模様だった。それから象の像を見つける。その隣に象を飼っていたような柵があった。市場へ行ってみると、手長エビが売っていた。いくらか聞くとキロ1,200バーツだと言っていた。市場でクイティアオを食べた。

それから日本人村へ行き、山田長政、それとポルトガル人と日本人のハーフで、タイで有名なお菓子を開発したという女性の紹介などを見た。ビデオなどもあってそこそこ面白かった。ほかにもタイ人観光客が来ていた。せっかくなので付属のカフェでホットチョコを飲んだ。

それから川沿いの有名な寺へ行くと、法隆寺のように巨大な仏像がお堂の中に入っていた。

旧市街の方へ帰ってナムニャオを食べた。夕方にホテルの周辺を少し散歩してみた。夜は川沿いのレストランで、ナムトック・コームーヤーンを食べた。


12月17日

朝は近くにお粥の店を見つけたのでそこで食べてみたらすごく美味しかった。午前中にバイクで出かけて、北上した。川沿いのレストランに入ると、パッタイが名物らしいのでカニ入りのを食べてみた。たしかになかなか特別な味がした。警察らしき人がたくさん食事をしていた。

さらに10㎞ほど走って、ワット・ガイという寺に着いた。猿が多くていたずらされるので、バイクをケージの中に入れてもらった。地獄寺にたくさんの猿がいた。猿が外に出て、猫が檻の中に入っていた。

そこからさらに20㎞くらい走って、ワット・ムアンに着いた。遠くからも大仏が見えた。暑いからか参拝客は少なかった。ここにも割と新しめの地獄があった。鏡タイル張りのお寺の中も、鏡とシャンデリアだった。

もなかのアイスを食べたが、あまり美味しくなかった。

帰りは細いたんぼ道を走って帰った。途中である寺の伝統的な粘土細工を作っているお店に寄り、可愛いのでお土産に何個か買った。

夜はアーミーナというイスラム系のレストランに行った。カオパット・プラーラーという珍しいチャーハンを頼んだが、来るまでに15分近く待った。美味しかったが、なかなかの量でおなかがきつくなった。


































12月18日

朝は昨日のお粥を食べに行ったが、満席だったので、市場まで行ってパートンコーと豆乳を買い、ホテルに帰って食べた。それからエレファント・キャンプを見に行った。入口を間違え、スタッフの住居のほうに行ってしまい、誰もいないからと買ってに象に近づいて写真を撮っていたら怒られた。正しい入口のほうに行くと、ちゃんと駐車場もあった。大人の象が3匹いて、みんな餌をねだっていた。餌は100バーツだったので、1つ買い、3匹に平等にあげた。近くで見るとなかなか俊敏で、これは人間じゃ勝てないなと思った。

それからワット・チャイモンコーンだかに行くと、観光客がたくさんいて、それに混じって仏塔に登ったりした。帰りにクイティアオを食べた。

夜はナイトマーケットに行き、悩んだ末カオゲーンを食べた。マッサマンカレーと辛いドライ・ラープで60バーツ。帰りに違うナイトマーケットを見つけ、虫料理の試食があったので、コオロギを食べてみたが、足が口の中にささって痛かった。子供のムエタイもやっていたが、大人たちがすごく真剣に応援していたのが印象的だった。