2018/10/14

ふるさとへ ~2018~

ヨウヘイは先月末から、実家北海道に帰ってきた。
帰国の前にペナン島、キャメロンハイランドを旅行、そしてクアラルンプールの空港から、新千歳空港行きのエアアジアに乗った。機内は極寒で、真夜中のフライトだというのに、機内食を販売したりなんだりで、なかなか電気を消さないし、本当に拷問かと思った。今でも本当に意図的な嫌がらせなんじゃないかと思っている。

空港に朝方着くと、車椅子の後輩が自分の車で、空港まで迎えに来てくれていた。日本で使う外国人用のSIMカードを探して回るが、適当な価格の物が一向に見つからない。シンガポールのSIMカードと比べても以上に高いし、マレーシアのSIMカードと比べると10倍くらい違うような気がする。結局その日は買わなかった。後輩を観察していたが、車椅子生活のなんとすごい事。車の後部座席に車椅子を積み、それを運転席から引っぱりだして車の外に置きそれに乗り移る。一つ一つの動作が丁重で力強く、すごいな〜と感動した。実家にも上がってもらったが、母も感動していた。

実家にはインターネットがないので、7-11まで行き無料Wifiに接続する。面倒くさいが、7-11には久しぶりに感謝した。結局SIMカードは後日札幌に行ったときに、BICカメラで1880円のものを見つけて買った。これは今までで最安値だ。次回のときのためにまとめ買いしようと思ったが、期限が三ヶ月しかないのであきらめた。

まずは厚真町の被災した友人に会いに行ったが、家は壊れていないものの、まだ帰ることができずにずっと避難所暮しをしていたらしい。状況はなかなか難しそうだった。それでも前向きに考えようとしているところに、正しい人達の強さを見た。

ボランティアができるかなと思って帰ってきたが、私が帰省したなりボランティア受け入れが週末に限られるという変更があり、平日は何もできなかった。というか我が故郷むかわ町はもうだいぶ落ち着きを取り戻し、ほとんどの人が日常生活に戻っているという感じであった。がしかし、余震は毎日のようにあり、私がいる間だけでも震度4が二回、震度5も一回あった。ほとんどの余震は日中に起こったが、一度だけ小さいのが真夜中に来たが、それは日中の震度5のよりも怖く感じた。夜は恐怖心をよりいっそう強くする。

ボランティアもできないので、SIMカードを買いがてら札幌の妹家族に会いに行ったが、甥と姪の成長が微笑ましかった。ゲームが大好きな一家で、夜はみんなでカードゲームやマリオカートで、甥の気がすむまで遊んだ。子供たちが寝てからは、大人達だけで夜中までグダグダと話をする。いつもの恒例行事のようなものだが、妹夫婦と色んな話をするのはいつも面白い。何事も本音で話してくれるので、こちらも本音でなんでも話せてしまう。近頃は本音を話してくれる友達もなかなか減ったように思う。原因はどちらかというと、私が彼らと違う世界に飛んで来てしまったせいではないかと感じている。諸行無常である。

金曜日に札幌から地元に戻り、土曜日は念願のボランティアに参加した。その日は小雨が降っていたが、全国各地から50人ほどのボランティアがわが町に集まっていた。わたしは7人ほどの男性と一緒に、ある民家の壊れたブロック塀などを集める作業、揺れでずれでしまった物置を元に戻す作業などに従事した。午後3時に終わり、無料のシャトルバスに乗って、隣町の温泉に行き、被災者でもないのに無料の温泉入浴券までもらってひとッ風呂浴びてきた。

あとは古い友達にも数人会ってきたが、どれも非常に素晴らしかったので、これは自分の心に中に留めておく。今回はあまり周りに流されることなく、自分の意志というものをいつも以上に意識しながら行動したので、このうえなく素晴らしい帰省になった。いつだってこうありたいもんだなあ。